モドル
■予兆


 目を奪うような豪華な調度品も、司令官に相応しい広々とした部屋でもない。ある意味、クリストフらしい部屋であると、テリウスは思う。でも、やっぱり期待はずれは否めない。
「意外そうな顔してますね、テリウス。」
「だって・・・もうちょっと何か期待させてほしかったんだよ、クリストフ。」
 ベッドもあるし、机もある。おおよそ、生活に必要なものは揃っている理想的な部屋だと思う。でも、テリウスに与えられた部屋もそうだ。そして、他の乗組員の部屋もそう。机の配置も、ベッドの大きさも、みんなテリウス達の部屋と同じだ。つまり、何の変哲もない普通の部屋なのである。
「・・・つまらないじゃないか、もっと司令官らしい部屋じゃないと・・・。」
「何を期待してたんです。今、私に豪華な部屋は必要ないでしょう?」
 不満そうなテリウスに、クリストフはベッドを指し示した。
「ソファーなんて上等なものはありませんから。そこに座ってくださいね。」
 クリストフの入れてくれたお茶を片手に、言われるままにベッドにぽすっと腰掛けるテリウス。どういうわけだか、クリストフの言うことには逆らおうという気が起きない。
「さて。」
 備え付けの椅子を引っぱってきたクリストフが陣取った場所は、テリウスの正面だ。椅子の背を前にして座る、そんなラフな座り方をされてテリウスは少々驚いた。
「我が軍へようこそ。歓迎しますよ、テリウス。」
 にこりと笑って投げかけられた、この言葉に更に驚く。
 あのクリストフが、こんな優しい言葉を吐くとは、しかも相手はテリウスだ。嬉しい、を通り越して、逆に気味が悪い。
「・・・なにか悪いものでも食べたの?それとも、魔法で誰かがクリストフに化けてるの?」
「随分な言い方ですね。久しぶりに会った従弟に優しくしてあげるのはいけないことですか?」
「・・・なんの目的もなく?」
「・・・何が言いたいんです?」
 心外だ、と言わんばかりのクリストフの表情は、真実味を帯びていたけれど、今まで散々からかわれ騙され尽くしたテリウスは、ちょっとやそっとでは誤魔化されたりはしないのだ。
「先に言っとくけどね。僕はクリストフについていこうとは思ってるけど、邪神を崇めたりはしないよ。」
「ルオゾールじゃあるまいし、私は信仰の自由を妨げたりはしませんよ。無理に”ヴォルクルス様”の使徒になれとは言いません。」
「でも、今この場所に僕を呼んだのは、単に挨拶をするためだけじゃないだろう?」
「ふふ、テリウスもだいぶ賢くなりましたね。」
 ”賢くなった”だって?いつまでたっても子ども扱いして。絶対、わざと言ってるんだ、僕には判ってるんだから。
 膨れっ面でお茶をすするテリウスは、誰が見たってお子様だ。
「で、僕に何の用があるの?」
「用がなければ呼びません。」
 その気になりさえすれば女性の一人や二人は殺せそうなクリストフの微笑みは、男であるテリウスにもそれなりの効果を発揮する。椅子から立ち上がって、近づいてくるクリストフにテリウスはたじろいだ。なんだかいやな感じがする。
「ちょ、ちょっとタンマ。クリストフ、ちょっと待って・・・よ、ね?ね?」
「どうしたんです?テリウス。そんな怯えた顔をして??」
「この状態で怯えない方がどうかしてるって・・・そ、そんなに近づかないでってば。」
 テリウスが怯えるのも当然。クリストフが近づいてくる辺りから、徐々にベッドの奥の方へと体をずらしていた彼だったが、そんなテリウスのささやかな逃亡をクリストフはすっかり無駄にしていた。律儀にもコップを抱えたまま、ベッドの奥で体を小さくするテリウスの方へ、クリストフはベッドに上がってはいよってくるではないか。
「クリストフ!!こないでってば!・・・なんなんだよ、もう!!」
 半分涙目になり、コップをぶんぶんと振る。だが、本気で相手を傷つけるつもりはないので、俄然その勢いも弱く。あっという間にテリウスの唯一の武器はクリストフに奪われてしまった。
「こんなものを振り回して・・・危ないでしょう?こっちにおいておきましょう。」
 無造作にコップを投げ捨てたクリストフが、テリウスは信じられなかった。部屋の隅へと投げ捨てられたコップの破砕音に、テリウスは思わず目を閉じ、耳を塞ぐ。
「・・・・・・あ。」
 しまった、と思ったときには、クリストフがテリウスをのぞきこんでいた。その髪も、その瞳も透明な紫蒼で。至近距離でみる従兄の顔は、やはりテリウスが今までみた誰よりも綺麗だった。テリウスの兄であるフェイルも男にしておくには惜しいほどの容貌の持ち主ではあるけれど、それはクリストフのものとは全く違う。クリストフはとても魅力的だけど、その魅力はきつすぎて相手を殺してしまう。危険だ、とテリウスの中の何かが警告を発していた。クリストフをよく知っているはずのテリウスでさえも、身の危険を感じるほど、イヤな匂いがする。
「次はどうするんです?」
「次って・・・ぼ、僕はクリストフと一緒に行動するって言ったんだから・・・そんなに近くに・・・ねぇ、クリストフ・・・お願いだから、ちょっと離れてよう・・・。」
「残念ですが、テリウス。貴方の言うことはきいてあげられませんよ。」
 そういうと、クリストフはテリウスの頬を包み込んだ。冷たい感触にテリウスの体が震える。
 視線が交じり合ったそのときに、テリウスは妙な感覚を覚えた。目に映る全ての景色にノイズが入る。クリストフの手が途端に現実味のない薄っぺらなものへと変貌し、確かに存在するはずの従兄でさえも、輪郭もわからないほど色褪せていく。

 現実と幻の境界線が乾いた音をたてて交じり合って。

 クリストフとテリウスの境目すら危うく、モノクロの幻が世界を形作る。
突如として襲ってきた吐き気に、テリウスは唇を噛み締めた。反転した視界。目の前にいるのはクリストフのはずだ。そうであるはずなのだが、どうして。

――…な…んだ…?これ…?

 テリウスは知っている。これが何か知っている。クリストフの後ろ側から、まさに表に出てこようとしている異質。同じようなものをかつて見たことがあった。薄く微笑う母親が自分を手招いて名前を呼ぶ。大好きな母親の背後に、そのときテリウスは同じモノを感じて、そして。

「く…クリストフ?」

 つい先ほどまで確かにクリストフだったもの。それがテリウスに笑いかける。裂けた唇から、滑った舌が覗き、たどたどしく言葉を形作った。

「どうしたの?テリウス・グラン・ノーラン…」


 違う。違う。ちがう。チガウ。違う。ちがう。違う!!


 ――お母さんと約束してね、テリウス。絶対に、人前で…。

 約束。約束?

 何か大切なことを忘れているような、もどかしさ。突如浮かんだ母の言葉にテリウスは困惑して、目を見開く。

 その彼の目の前で、クリストフの輪郭が溶けた。ちょうど雪だるまが太陽に溶け落ちる様にも似て、紫紺の髪が眼球と一緒に滴りおちる。形を無くした両手がテリウスへと伸ばされ。

 幸運にも、テリウスはその瞬間に気絶した。



「…テリウス、テリウス?どうしたんですか?テリウス?」

 ぺちぺち。頬にあたる冷たい手触り。痛みを感じるほどには力は入っていないけれど、微睡を覚ますには十分だ。

「テリウス。」
「うひゃぁ!」

 身を起こした視線の先に、ぎょっとして目を見開くクリストフの姿があった。いつもの白衣、いつもの彼だ。当然だが、溶けてない。

 夢?でも、一体いつから夢なんだろう?

「…クリストフ?」
「確かにこの部屋には、”座る”場所はないから、ベッドにと思ったのですが。」
 呆れたように指先を顎にあて、苦笑する。
「ベッドに座らせたら眠ってしまうなんて、思いもよらなかったですよ。」
「ご…ごめん。」
「いいえ。ふふ、まあ、仕事をしてましたから。」
 屈託なく笑う従兄に、テリウスも誘われたように笑った。ベッドから降りると、部屋の色が赤く染まりつつあるのに気がつく。いつの間にやら夕刻が迫っていたのだ。
 話はまた明日にしましょう、とのクリストフの申し出に、テリウスは有り難く従うことにした。

「と、テリウス。」
 立ち去ろうとする背中に、クリストフが声をかけた。
「うなされてましたよ、悪い夢でも見たんですか?」
 その一言で、あの出来事が一瞬にしてテリウスの中に戻ってきた。夢だと判っていても、恐怖で足がすくむ。
 でも、あれは夢だ。本当じゃない。
「ううん、別に。」
 なんでもないよ、と言い残して扉は閉じられる。足音はすぐに遠くなって、やがて聞こえなくなった。

「気をつけなさいね、テリウス。」
 クリストフはまた笑う。相変わらずの綺麗な笑顔から毒が滲む。その澱む影の中から、違う誰かも笑っていた。

(2002/04/03)

※昔にテリウスはただの役立たずじゃないんだ〜と思いつつ、書いていた話。お蔵入りにしようかと思ったのですが、テリウス話を一つでもネット上に…ちうことで(涙)ああ、もう。どうしてテリウスがSRWEXにしかでてこないんだ〜〜〜(;;)


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