■どうしてもそれを選ぶ
「?ジェス…殿ですか?」
「…ああ。」
町の灯りもとうに消えて、レオナの酒場だって閉まってしまってからもう何時間も経つ。生真面目なミューズの元副市長は、一体いつからここで書類に向かっていたのだろうか。火の気のすっかり絶えた、この小さな執務室で。
「一体、何をなさっておいでなのです、こんな時間に?」
「食料の入荷量をまとめていた。あと、交易のデータもだ。」
「まとめていたって…。」
ジェスの言葉の意味にクラウスは言葉を失った。一日や二日で終わる仕事ではないのだ。それを一人で?とても正気とは思えない。
手燭を片手にジェスへと近づく。灯りの下でジェスの顔には疲れが張り付いている。年上の青年は、酷く狼狽しているようだった。
「一人でできるような仕事じゃありません。ジェス殿、どうして私におっしゃって下さらなかったんですか?」
ジェスの様子からみるに、徹夜も一日ではないらしい。彼だって自分一人で片づけられるような量ではないことくらい判っているはずだ。それなのにどうして?
「ジェス殿?」
大きなため息が、返ってきて、
「俺は、戦では役に立たない。」
苦しげな言葉がそれに続く。
「今、必要にされているのは戦いを勝利に導く人材なのに、俺はそれができない。市政管理や利害調整はできても、ハイランドの剣の前には何の役にも立たない。ミューズもアナベル様も守れなかった。俺ができることっていったらこんなことしかできないんだ。だから、それをやる。」
「…………。」
「それに、何かしていないと生きている気がしない。だから…。」
「だから、こんな遅くまで書類と格闘ですか?そのうち、”生きている気がしない”どころじゃなくなりますよ。」
「………。」
ため息をつくのは、今度はクラウスの番だ。気持ちは判るが、ジェスのやり方は馬鹿だと、誰もがきっとそういうだろう。不器用で、愚かで、とても理性的とはいえない、もっとうまい方法がいくらでもあるはずだった。だが、これから自分がすることもシュウ軍師から見れば同じ評価を受けるであろうことも、彼には十分予想がついていた。
火の消えた暖炉に手燭の火を移すと、クラウスはジェスの手から書類の束を奪う。片手に余るその厚さに、辟易しそうになったけれども、
「クラウス!?」
「一人でやるよりも、二人でやった方が効率がいい。これははっきりしてますからね。」
窶れた顔に、目だけが大きく見開かれる。
「すまない…。ありがとう。」
聞き逃してしまいそうなほど細い、ジェスの声を聞いた。殆ど知らないこのミューズの青年がとても近くに感じられて、クラウスは笑う。
馬鹿なことをするのもいいかもしれない、久しぶりにそんなことを思いながら。
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