モドル

■頑張れ、シエラ!! その二


 ああ、クラウスさん…あなたのことを思うだけで、私は死んでしまいそう。不老不死の私にそこまで思わせるくらい、クラウスさんは私の心を奪ってしまったのです。もう!もう、あの黒い髪も、落ち着いた雰囲気も、優しい笑顔も、挙措の優雅さも……(シエラのクラウスへ対する思いをいちいち書きつづっていたら、紙面がいくらあっても足りないので省略)

 とにもかくにも、私は今日もクラウスさんのハートをゲットする為にのみ、励んでいた。今度は前みたいな失敗はしない。前回は、少し受動的すぎたのだ。恋する乙女は行動あるのみ。愛するあなたに振り向かせる為なら、ちょっとばかり法律に引っかかろうが、他人に迷惑がかかろうが、そんなの些細なことではないか。さあ!今日も一日、頑張るぞ!

 というわけで、今日はクラウスさんの為に料理に挑戦。自慢じゃないけれど、長生きしてるからお料理の腕には自信がある。ハルモニア建国時の郷土料理とか、グラスランドに伝わる秘伝の料理だって作れてしまうのだ。ただし、今では材料が手に入らない物ばかりのなので、もう作れないけど。
 今回は乙女チックに古典的にやってみよう。仕事中のクラウスさんに、シエラ特製のクッキーを差し入れするのだ。たかがクッキーと侮る事勿れ。このクッキーには、月の民に伝わる薬をしこむのである。何の薬かって?…ふ、ふふふふふふ。勿論、決まっているではないの。クラウスさんが私しか見えなくなる薬。俗に言う惚れ薬ってやつ、私ってなんて知能犯なのかしら、てへ。月の民に代々伝わってきた薬だから、効き目は上々に決まっているわ。まだ試したこと無いけど、大丈夫、大丈夫。なんてったって月の民の始祖たる私が作った薬だし、ふっふっふ。


 酒場の厨房をお借りして、私は勇んでクッキー作りを始めた。
――生地を練って…オーブンに入れる前にっと…この月の民印の惚れ薬を…
 時代がかった小瓶を取り出し、私は蓋を開けようとした。

…固い。

 そういえばこの薬、調合してから一回も使ったことがなかった。瓶を横に握って、全身の力を込める。次の瞬間、呆気ないほど簡単に蓋が開いた。

 どばぁっっ!

 青い液体は、ものの見事に生地の入ったボールにぶちまけられる。一応、惚れ薬は一滴か二滴で効果を発するはずなのだが。…こんなにもいっぱい入ってしまったら、どうなるのだろう??

――入れすぎ?…まあ、大丈夫!きっとクラウスさんはすごく私のことを好きになってくれるわ!

 私は都合よく、そう考えることにした。惚れ薬なんだから、飲みすぎて悪いってわけじゃないよね。飲んだら、目の前にいる人を好きになるってだけの薬な訳だし。大丈夫!多分…。

 さっきのことはなかったことにしようと思い、次の作業に取り掛かる。

――…生地を混ぜて混ぜて…???なんか、色が変だけど??

 私の手のなかで、生地が健康的な黄色から、不気味な青緑色に!青緑色の生地が、私の手の中でネチャネチャと!!…はっきり言って、非常に気持ち悪い…。で、でも、青いクッキーっていうのも、なかなか神秘的でいいと思う。クラウスさんも絶対そう思ってくれるわ。うん、多分…。

――…気にしない気にしない…練って…のばして…型を抜いて…

 青緑の生地は、型を抜かれてアルミホイルの上に並べられた。我ながら、食欲の無くなるような色だ。や、焼いたら少しはマシになるに違いない。とっとと焼いてしまおうっと。

――オーブンに入れて…三十分焼く…

 後は出来あがりを待つばかり!なんだ、なんとかなるものなんだ。クッキーなんて作ったのは、***年ぶりだったから、どうなることかと思った。

 ファーーーーーアァ…

 大仕事を終えた安心感からか、何だか眠くなってきた。私は厨房で大きく伸びをする。こんなに働いたのは久しぶりだ。背後で私を黙って見守っていたレオナさんが声をかけてきた。

「シエラ、疲れたんなら一休みおしよ。クッキーは私が見といてあげるから。」

 私はありがたく、その言葉に甘えることする。厨房を出る前に、ちらりと視界に入ったレオナさんの笑顔が、引きつっているような気がしたのは私の気のせい??まあ、いいや。一休み一休み。


 一心に書類に向かっているクラウスさんに、私はさり気に近づく。自分の机の上に紅茶とクッキーの盆を置かれて、初めてクラウスさんは私に気付いたようだ。休むことなく走らせていたペンを止めて、首を傾げて私に笑いかける。

 …やっぱり、素敵…。流石、私…見る目あるわぁ…ドキドキ。

 念の為にいっておくが、私は自分の思いを顔に出すようなヘマはしていない。大人の余裕(と自負している。)でもって、クラウスさんに接している。そこらへんが、あのミクミクとかいう畜生とはひと味違うところだ。

「クラウスさん、宜しかったら私の作ったクッキーを食べてみてくれませんか?」

 ここでのポイントは、わざわざ相手の為に作ったということを悟らせないこと。押し付けがましくなるのは、絶対に悪印象だ。しかも、ちゃんとおやつ時を狙えば、疑いなく食べてくれること請け負いである。

「有難うございます、シエラさん。ちょうどおなかが空いていたところなんです。」

 ねらい通り!!クラウスさんは素直にお礼を言って、クッキーを手に取った。

「おいしそうなクッキーですね。」

 そう、おいしそうなクッキーなのだ。生地の時は、あんなに不気味な色艶を誇っていたのに、焼いたら呆気なく普通のクッキーになった。ほっとした反面、なんだか残念だ。ちょっと変り種のクッキーの方がクラウスさんにウケたかもしれないのに。

「それでは、いただきます。」

 クラウスさんは、礼儀正しくそう言ってからクッキーを口にする。そんなクラウスさんを私は、そりゃあもう穴が開くほど見ていた。

 じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ。 
「あ…あの…」

「はい、なんでしょうか、クラウスさん?」

「わ、私の顔に何かついていますか?」

「いいえ、何もついていませんわ。」

 即答。クラウスさんの顔には何もついていない。でも、惚れ薬入りのクッキーを食べたからには、余計な物をクラウスさんに見せるわけにはいかないのだ。特にあのケダモノをクラウスさんの視界に入れるわけにはいかない。

 クラウスさんは私に見つめられて、居心地が悪そうにクッキーをもそもそと食べた。

 もしゃもしゃ…ごくん。

 クラウスさんが、私の作ったクッキーを食べた。…惚れ薬入りのクッキーを、食べた。

ドキドキドキドキドキドキドキドキドキ……………

 クラウスさんの蒼い瞳が、静かに私を見つめている。今にその瞳の中に私への熱い思いが満ち溢れ、激情の往くままに、私に愛の告白を…にはならなかった。

「??どうしたんですか?シエラさん。」

 クラウスさんの様子は変わらない。いつもと同じ様に、伏せた目は遠慮がちにこちらを見ている。目を閉じているから、薬が効いたのかどうか分からないというわけではなさそう。どう見たっていつものクラウスさんだ。

 あれあれあれ??おっかしいーなー??

 訳の分からなくなった私の目の前で、クラウスさんはクッキーをまた一つつまんで、

「これ、とても美味しいです。シエラさんは料理がお上手なんですね。」

 その言葉だけで、私は効かなかった惚れ薬のことなどすっかり忘れてしまった…。クラウスさんに、誉められた…!よっし、これでまた一歩、ゴールに近づいたわ!!

 さて、舞台は変わって…。

 厨房の中では、シエラのお菓子作りの後片付けをようやく終えたレオナが、一人ため息をついていた。

「悪い子じゃあ…ないんだけどねぇ…。」

 そう、悪い子ではない。クラウスのこととなると、目が見えなくなるだけで。乙女にとって恋というものがどれほど大切か、それはレオナも知っている。かつては彼女もそうだった。しかし…

「これを好きな人に食べさせようってんだから…」

 レオナの手に握られたゴミ袋。中では青緑に変色したクッキー生地が、もう形容するだに恐るべき悪臭を放っている。嗅いだものには死を覚悟させ、見るものには嫌悪感しかあたえぬ外観。これが、シエラお手製の惚れ薬入りクッキーのなれの果てであった。

 そう、実はシエラが作ったクッキーは、レオナの手で密かに始末されていたのだ。クラウスが作ったのは酒場のママ、レオナが作ったクッキー。美味しいのは当たり前だ。

 ゴミ袋をポリバケツに突っ込みながら、レオナはまた小さくため息。

 今回は犠牲者がなかったからよかった。だが、今後ないとは限らない。いつもいつもレオナがフォローできるわけじゃない。

「早く思いが通じるといいんだけどねえ。」

 彼女のターゲットになっている若者を思うと、多少胸が痛まなくもないが…シエラの恋が早く実ることを心から願う。これ以上、周りにとばっちりが来ないうちに。

モドル