■いつか見た空の色

 夜空は、どこで見ても変わることなどないはずなのに。 どうして、今夜の星空だけは違うと感じてしまうのか? 一人、本拠地の屋上から見る空も、いつかカミューと一緒にロックアックスで 見上げた空も同じ空の筈なのに。
 夜の静寂を震わせて、宴のざわめきが屋上にまで伝わってくる。 それから身を背けるように、元青騎士団長マイクロトフは、 手すりのもとに座り込んだ。
 あの席上に騎士として自分はいてはいけないような気がする? それとも、あの場にいたくないのかどちらだろう? どちらともつかない理由で、マイクロトフは今ここにいる。
 ロックアックス城が落ちた。主君と仰いでいた白騎士団長ゴルドーは、 死んだ。己の主君であった人が死んで、故郷は陥落した。そして、 自分はそれを行った側に所属している。そのことが、マイクロトフ をなんともやりきれない気持ちにさせる。騎士の紋章を捨てた、 そのときに。騎士としてより、人として己に恥ずかしくない生き方を、 と信じて選んだそのときに。自分は過去を捨てたのではなかったのか? ならば、どうして今こんなにやりきれない気持ちを抱えていなければ ならないんだろう。
「俺が選んだ道は、もしかして間違いだったのか?」
 答えのない問いを、さっきからずっと繰り返してる。 騎士として主に忠誠を誓ったからには、何時いかなる場合にも 主に従うべきである。ましてや、主に刃を向けるなぞ言語道断 の所行なのではないだろうか?ミューズの惨状をこの目で見、 そして下した決断が、マイクロトフを苦しめる。後悔なんてし ないはずだったのに。今の自分に、果たして、剣を持つ資格が あるのだろうか?マイクロトフの思考は、とめどもなく落ちて いく。転がる石のように悪い方へ、悪い方へと。
「マイクロトフ、そこにいるな?」
 青騎士団長の考え事は止まった。屋上の入り口に立っている人影。 軍服の色は夜に紛れても、その柔らかい金髪は弱い月の光を浴びて、 夜目にも紛うことはあるまい。
 元赤騎士団長のカミューは、だらしなく座り込むマイクロトフの姿を、 いち早く見つけると破顔した。何かを片手に、マイクロトフに近づく。
「ここにいたのか。」
 マイクロトフを見るカミューは、いつも優しく微笑んでいる。 長い付き合いだが、マイクロトフでさえ、カミューが感情を表に出すのを 見たのは数回しかないのだ。そして、その数回でさえ、すべて戦場での経験 であるからして、カミューの自制心のほどがうかがえる。カミューは マイクロトフの傍らに腰掛けると、
「今夜は星が綺麗だな。」
 意外だった。こんなところで、何している?とか、 どうして、宴に出ないんだ?と聞かれるのだと思っていた。 勿論、そう問われたところでマイクロトフには答えられなかったろう。 カミューや他の騎士団員をマチルダ騎士団から離反させた原因は、 自分にある。その張本人が今更、自分のやったことは間違って いたかもしれないなんて、どの面下げて言えただろうか?
 答えないマイクロトフに構わずに、カミューは星空に顔を向けている。 つられる様に、マイクロトフも友に倣って頭上を見上げた。
 一面の星の海。自分もカミューも、空の一部になって いるかのような錯覚。手を伸ばせば、そのまま手の中に星々が掴み取れそうな 気がする。騎士見習の頃も、こんな風にカミューと一緒に星を見たことを、 マイクロトフは思い出していた。入団したてのまだまだヒヨッコの騎士見習で… でも、あの頃の自分は無心に騎士たろうとしていた。剣技も、才覚も何もかもが 足りなかったけれど、騎士の心だけは誰よりも強かったと思う。騎士になる、 それだけ考えていればよかったあの頃から、なんと長い道のりを自分は歩いて きたことだろうか?今では、騎士という言葉の意味さえ見失ってしまっている というのに。
「憶えているか?マイクロトフ。ずっと昔も、 こうやって二人で星を見上げていた。」
 憶えているよ、カミュー。夜空を見上げて、 就寝時間ギリギリまで夢を語り合ったこともあったな。 もう本当にずっと昔の話だ。
「騎士とはいかにあるべきか、なんて大真面目に 議論してたじゃないか。今から考えると、赤面ものだが。」
 あの頃、二人はまだ若かった。十代の青年にありがちな一途さで、 ただ理想を追いかけて生きていた。それが許される年齢だったのだ。
 直情径行のマイクロトフと慎重かつ冷静なカミューは、 当時から互いに足りないところを補いあうような親友同士として、 常に共にあった。見習いの悲しさか、任務といえば定時連絡だの町 へのお使いだの雑務ばかりだったが、それでも、いつかは二人で騎士 になるのだと夢に胸を膨らませていた日々。思い出せば、甘酸っぱくも 、気恥ずかしくなる。
「あの頃、私たちを指導してくれた副団長殿を覚えているか?」
 忘れるはずもない。あの人はずっと俺たちの憧れの人だった。 灰色の瞳に、落ち着いた雰囲気を漂わせた当時の白騎士副団長が、 二人の指導騎士をつとめていた。二人がそろって団長に就任する少し前 のハイランドとの小競り合いで、惜しくもその命を落としたその騎士の ことを忘れようがあるまい。自分たちに多くの得難いことを教えてくれた その人に、今でもマイクロトフは尊敬の念を抱いているのだから。
 マイクロトフは、カミューの方をそっと盗み見た。 カミューの様子は相変わらず、視線は天に向けられている。 何故、カミューは今その人のことを口にしたのだろう。
「じゃあ、あの人がいつか私たちに”騎士とは何か?” と聞いたことも覚えているかい?」
 それは、二人が騎士見習いから、正式に騎士として叙任された時の話だ。 騎士になれば指導騎士の役目は終わる。最後の言葉として、 その人は二人にこう問うた。
”二人とも、騎士とはなんだと考えている?”
 マイクロトフは誇らしげに胸を張って。一分の躊躇いなく答えた。
”主君に剣を捧げ、その命に従い、私事で動かず、 万民を守り、正しきものに剣を貸すのが騎士です。”
 カミューは少し首を傾け、何か言おうとした。 だが、やがて黙って首を振ると、小さく一言を押し出す。
「私には、分かりません。」
 二人の答えをそれぞれ聞くと、その人はただ笑って、
”もしも、この先二人が迷うことがあったら、私が今日尋ねた ことを思い出して欲しい。自分にとって、騎士とは何なのか? そして、どうすることが騎士にとって相応しいのか。 答えはきっと自ずから見えてくるはずだ。”
 まるで昨日のことのように、あの人の言葉が生き生きと蘇ってくる。 ふと気付くと、カミューはじっとマイクロトフを見つめていた。
「私は決しておまえについていったことを、間違っていたとは思わない。」
「カミュー…」
 カミューはちゃんと分かっている。どうしてマイクロトフが 宴に出ないのかを。
「私はあの時、おまえが騎士の紋章を捨てた時、心に問うた。 私にとって騎士とは何であるかを。どうするべきかを。そして、 出た答えに従っただけのこと。」
 そして、カミューは分かっている。 自分の親友は、躊躇いながらも、苦しみながらも、 決して間違った道は選ばない。騎士の心を、その本質を そうとは気付かずに、マイクロトフは己の肉としているのだ。 真実、騎士の名に相応しいとカミューが思う人物は、 マイクロトフ以外には考えられない。ならば、カミューの 為すべきことは、マチルダに残ることではなく、 マイクロトフの傍で彼を見守ることだ。
「マイクロトフ、ほら。」
 カミューが、片手に持っていた物をマイクロトフの前にかざす。 星明かりに照らされて、きらきら光る安っぽい小さな酒瓶。
「あ…」
「昔、教官殿に隠れて、よく二人でこれを飲んだろう?」
 教官にバレないように、夜中にそっとベッドを抜け出すのだ。 星明かりのテラスの隅に座り込んで、内緒で飲む酒はたまらなく 美味しかった。騎士見習の給料で買える程度の酒だから、 決して高価な物ではない。口当たりも良くない安酒が、 当時の二人にはどんな美酒よりも美味しく感じられたのは、 隠れて飲む秘密と大きな夢とお互いの存在で味付けされていたから?
「厨房にあったのを、内緒で失敬してきたのさ。」
 栓を引きぬけば、酒の香りが辺りに漂う。 マイクロトフの硬い表情も思わずほころぶ、懐かしい香り。 差し出されたそれを手にとると、カミューが目で彼を促した。 かつての二人のように、あの時のように。時は戻りはしないけれど、 気持ちはいつでも思い出せる。生きる場所が変わっても、 騎士の誓いまでは変わりはしない。
 マイクロトフが半分、カミューがその残りの半分をそれぞれ飲み干す。 ちゃちな安酒は、かつての二人の誓いの証。そして今、 また同じ役目を果たして。
 マイクロトフが笑う。久しぶりに見た友の笑顔に、カミューの顔も 優しくなった。きっと一生、二人はこうやって生きていける。 互いに補い合いながら、ずっと二人は。
身を寄せ合って、二人で星を見ながら、笑いながら。
 同じ空の下、かつての二人のように。



モドル