モドル

すべてこの世はこともなし

某日、同盟軍の某所にて。某同盟軍正軍師たる男が、実に珍しい発言をした。
「暇だな。」
「NGワードです、シュウ殿。」
 伝えるべき相手をもつ言葉ではなかったが、間髪入れず反応したのは常日頃から彼の傍に控えている副軍師である。彼は目下、同盟軍厨房にて随時開催中、お料理対決の認可書類と見つめ合っていた。無論、急ぎの仕事ではない。
「暇なのを取り繕っても仕方あるまい、クラウス。実際、この一週間ろくな仕事がまわってこん。」
 テンプルトンの地図に新規交易ルートを記入するとか、アンネリーたちの演奏会の手配をするとか、結婚許可証の発行とか。それは決して仕事ではないとはいわない、が。
「俺の仕事は軍師であって、お役所の窓口係じゃあないぞ、ったく。」
 彼の手にする書類は、デュナン湖の漁獲量についての資料である。シュウがこぼすため息は更に重くなった。
「仕方ないではありませんか。軍主殿が他にやることがあるとおっしゃっているのですから。」
「ムササビを仲間にすることを、ハイランドと戦うことよりも優先される日が来るとはなあ。」
 とうとうシュウは机に突っ伏してしまった。昔はもっと素直な少年だったのに…と彼らしからぬ愚痴がでてくる。
「俺は、何のためにラダトから出てきたんだ…。」 
 自分の天職は軍師であると。その才は、師であるマッシュ=シルバーバーグにこそ及ばぬものの、そんじょそこらの軍師に決してひけをとるものではないと自負している彼であればこそ、今のこの暇日、どうでもいい仕事でとりあえず時間を食いつぶす作業のような日常が苦痛で仕方がないのである。刃の先を渡るようなぎりぎりの外交交渉や、ありとあらゆる可能性を考慮して、偶然すらも己の策に組み入れるような軍略、それこそ彼の望むところ、彼の生き甲斐であった。
 窓の向こうの青空に、白い雲一つ。絵に描いたような、平和で暖かな日常。しかし、遠く離れたハイランドでは狂皇子が都市同盟へおそいかからんと着々と戦の準備を進めているに違いない。それなのに、ああ、それなのに。我らが盟主ときたら。
「ラダトに帰ろうかな、俺…。」
 ヒバリの声が、空をよぎる。正軍師のつぶやきは、そのせいで脇に控えていた副軍師の耳にしか届かなかったようだ。


「クラウスさん、ただいま帰りました〜。」
子供のような笑顔で、クラウスに向かってリーダーが駆けてくる。その肩には黄色なムササビ。あと2匹で、ムササビコンプリート。クラウスの計算よりも3日も早いペースだ。
「お帰りなさい、お疲れさまでした。ムササビを仲間にできたのですね。」
 このペースでいくと、あと2匹捕まえるのに一週間前後といったところか。クラウスは笑顔の裏で瞬時に計算する。次のネタを用意しなければならない、それも早急に。
「うん、一匹だけだけど。なんとか捕まえられました。」
「よかったですね。あと2匹ですよ。」
「うーん、でも、クラウスさん。今はハイランドとの戦争中なのに、僕がこんなことをしていていいんですか?」
 ムササビ集めに夢中かと思っていたリーダー殿の鋭いツッコミがはいる。だが、クラウスとて伊達に軍師をやってるわけではないのだ。これくらいの相手を丸め込めなくて、何が軍師か。
「戦をするためには、それ相応の準備が必要です。ましてやルカ皇子との決戦、準備にも時間がかかるのですよ。」
「そうなんですか。」
 そうですよ、と微笑みかければ、相手の顔も笑顔になる。自慢じゃないが、人当たりはよいほうなのだ。じゃあ、僕はもう少しムササビ探しを頑張ります、と元気に立ち去る少年リーダーの後ろ姿を見送りながら、クラウスは仄かに笑った。計画は実に上手くいっている。正軍師が仕事に物足りなくなってここを飛び出すまであと少し。そして、クラウスがそのあとを任され、はれて正軍師になるまで、あとすこし。あと少し、だ。


(2006/05/19)

※当サイトにて16000カウントをとっていただいた天野様へのキリ番リクエストになります。少々クラウスが黒いです。 


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