モドル

あなたに花を

 マルチェロがそれに気付いたのは、朝一番の執務に入る寸前。いつものように傍らに直立する副団長に指示を与えようとしたその時だった。彼の名前を呼ぼうとして、マルチェロは自分の机の上のそれに目を奪われる。
「マルチェロ様?」
 マルチェロの不自然な沈黙に、副団長が声をかけたのにも気づくのが遅れた。時間にすると瞬きする程度の時間ではあったのだけれども、そうだとしても彼のそんな姿はかなり珍しいものだったのだ。
 マルチェロの机の上に、一輪の花が飾ってあった。これもまた珍しい光景だった。辺境の聖堂騎士団の悲しき男所帯では、日常に花を飾るという習慣がなく、マルチェロ自身もそういった面では、合理的思考の持ち主であるといえば聞こえはいいが、無骨な人間である。したがって、彼の執務室は飾り気もなく殺風景、ある意味、清貧を重んじる聖堂騎士団に相応しいものであった。そんな己の部屋に花とは、一体誰が?
「いや…なんでもない。」
 もしやお加減がよろしくないのでは?と案じてくる忠義の副官を片手で制して、マルチェロはいつもの自分を取り戻す。
「この花はどなたからの贈り物かな?」
 一輪ざしに、白い花が揺れている。ドニの町に春を告げる、名もなき野辺の花。"贈り物"というには無理がある代物だが、どこぞの貴婦人の酔狂の可能性もあった。
 マルチェロの指摘に、副団長はああ、とうなづく。
「いえ。これは、騎士団の者がマルチェロ様にと持ってきたものです。御気に障りましたら、申し訳ありません。」
「いや、構わん。珍しいなと思っただけだ。」
「いえ、本来ならばマルチェロ様個人宛の贈り物は受け付けてはならぬもの。私の不徳でありました。」
 強面の部下だが、意外と情にもろいところがある。年若の騎士にお願いされて断れなかったのだろうとマルチェロは思った。それに付け届けにもならない、どこにでもある花なのだから余計に。放っておけば、延々と謝罪を続けそうな副団長にマルチェロは手を振ってみせた。
「構わない。私が贈り主の名を聞かなければそれですむ。」
「は、はい。」
 この花に罪はないのだから。ドニに咲く花。幼いころ、母の為につんだこともある白い花。想い出の花だ。これを飾った若き騎士は、そんなことは知らないだろうが。
「誰とは聞かぬ。だが、私が礼を言っていたと伝えておいてくれ。」
「は。」
 副団長は短く答えて、深々と頭を下げた。この花を持ってきたのがククールだと言いそびれた彼が、その言葉をそのまま伝えるべきか、それともこのままなかったことにしてしまうか、心中頭を抱えたことに、当然ながらマルチェロは全く気付くはずもなかった。


 ククールがそれに気付いたのは、夜明け間近にドニを抜け出す寸前。柔肌のぬくもりから離れ、むさ苦しい聖堂騎士団に戻らねばならない己の不運を冗談半分、本気半分で嘆いていたその時だった。いつも特別に目をかけてくださる心優しい団長殿から、今度はどんな罰を受けるのかと俯いてしまう彼に、白い花が見えたのだ。
「あれ?もう咲いてる。」
 ああ、もう春が来たのか。ドニに、春を告げる花の使者がやってきた。もしかしたら最初に気付いたのは自分かもしれない。そんな嬉しい予感にククールの顔がほころぶ。
 摘んで誰かに見せてやろう。ドニのあの子にプレゼントしたら、この花のように優しく笑ってくれるだろうか。オディロ院長にみせたなら、うまいダジャレで返してくれるに違いない。さあて、誰に贈ろうか。今年一番の春告げの花を。
 花を摘み取り、指先でくるりくるりと回して、ククールは楽しい想像に浸る。
「あ。」
 誰もきっと喜んでくれるだろうプレゼント、もしかしたら彼も喜んでくれるだろうか。ククールが思い浮かべたのはマルチェロの顔だ。いつも難しい顔をしている、彼の異母兄。笑って、くれるだろうか?例えそれを贈ったのが、誰よりも憎んでいる弟だったとしても。
「……」
 多分、それは無理だ。マルチェロが最も望むものを贈ったとて、贈り主がククールだとしれば、彼は惜しげもなくそれを捨ててしまうだろう。ククールの兄、誇り高き聖堂騎士団長殿は、そういう人間なのだ。今までずっと、嫌になるほどそれを思い知らされてきたではないか。ましてや、こんな野辺の花を。
 しかし。一度マルチェロに、と思ってしまったこの花を、今更他人へというのも気が進まない。花には罪はない。もしどこかに罪があるとするならば、それはククール本人にだけのはずだ。
「ま。要は、俺からだってバレなきゃいいわけだよな。」
 ひとしきり悩んだ後、修道院の問題児、の二つ名を持つ青年はこれ以上もなく楽天的に結論づけた。暗くなったところで何も解決しない。マルチェロが、花を嬉しいと思ってくれるかもしれない。それだけでいいじゃあないか。
 もう夜明けだ。朝の真っ白な光がククールの銀髪にきらきらと輝く。とりあえずは、花瓶を探さなけりゃ。そうつぶやいてククールは修道院へと向けて走り出した。

(2011/12/04)

※当サイトにて17000カウントをとっていただいた天野様へのキリ番リクエストになります。ていうか、何年お待たせしたか…すいません。カップリングにしたほうがいいのかなあと悩んだ覚えが…。 


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