モドル

■交錯した思い

 

 閉じた円環は、その完き姿を失わず。存在を顕わさずして、ただその恐るべき力の欠片だけを、あまねく天に知らしめる。一人の青年が、命を懸けて回した運命の輪も、その表にさざ波立てることさえもなかったのだろうか。

 ここはあまりにも変わらない。ハルモニアの円の宮殿は、まるで何ごともなかったかのごとくに常の静けさを保っていた。

 途切れない円環を、己の運命を、今まで疑うことはなかった。主ヒクサクが、右手に宿る”真の土の紋章”が、自分にとって信じる道。だが、あの青年によって垣間見させられた世界がササライを苛む。止まることのない時の流れの行き着く先が、人の存在を拒む望みなき未来だなど信じたくはない。だのに、否定できないのはあれが真実だからだ。

 円の宮殿は完全であり、何よりも正しい。グラスランドを舞台にした、笑えない悲喜劇を報告するササライは、自分の言葉の空しさにただ自嘲した。報告を受けているヒクサクが、その帳の向こうに確かに存在するのかしないのか、そんなことは些細なことだ。ルックが示した、あの呪われた秘術。自分があれによって作り出された単なる紋章の器に過ぎないことは、もはや覆うべきもない真実なのに。それでも、ササライは聞いてしまいたい。こんな、ヒクサクにとっては分かり切っているであろう事件の顛末など放り捨てて、一体、自分はなんなのだ、と。

 何のために?自分の存在の意味は?これまでの自分に器としての意味だけしかないのだとしたら?
 聞いてどうする。答えが自分の予想したとおりだとしたら、そのときこそ自分はどうしたらいいのだ。
 閉じた円環・唯一無二のハルモニア。そこに必要なのは、真なる土の紋章だけで、ササライの存在には何の意味もない。単なる紋章の影に過ぎず、誰にも必要とされていない哀れな存在だったと、そんなことを自ら認めなければならないのか。
 風の紋章の継承者は死に、紋章は再び主を求めて消えた、と全ての報告を終えて、ササライはヒクサクの言葉を待つ。真の紋章に執着する、我が父なる神官長の意志がわずかでも読みとれれば、と。一枚で隔てられた向こうにいる、自分の姿を映したヒクサクの姿を感じようと目を凝らす。

「わかった。もう下がっていい。」
「は。」

 何も変わらない。何も変えられない。運命を変えたい、そう思うこと自体が無駄だというのなら、どうして心なんてものを与えられなければならないのだ。誰でもいい。答えを聞かせて欲しい。これから一体、何を支えに生きていけばいい?
 いつも通りの神官長の言葉を、ササライは頭を垂れて受け止める。自分を囲む世界で、何かがゆっくりと壊れていきつつある予感を、彼は初めてそのときに感じた。

−−−僕たちは、ヒクサク自身の不格好な複製だ…

 ササライは目を開け、そしてまた閉じた。目の前にある、封印球を手にした青年。自分に似た、真の風の紋章の継承者。呪いと悲しみの中で、その生を終えた自分の弟。
 彼の姿と言葉を感じなくなる日はおそらく来ないだろう。この手に真なる土の紋章がある限りは。

「ササライ様?」
「あ、いや。すまない、ディオス。続けてくれ。」
 生真面目な副官は、不安な顔でこちらを窺っている。ディオスは見た目よりもずっと勘の鋭い男だ。自分の思いに気づかせるわけにはいかなくて、ササライはゆるりと微笑んだ。机にそっと腰を預けると、黙って報告の先を促す。ディオスの持ってきた書類は、先だってのグラスランドの後始末に関わることだ。満更、考えごとのネタに関わりのないものではない。
「グラスランドは、とりあえずは以前の状態に戻ったようです。ゼクセン連邦とシックスクランも、関係は落ち着いています。」
「そうだろうな。」
 寧ろ、お互いに戦う余裕がない、というのが正解だろう。ゼクセンは先だっての汚職事件で、評議会メンバーの半数以上がその地位を追われている。新たな議員達は、自分の立場を固めるのに必死でとても戦争どころではあるまい。それに、ゼクセンの剣である騎士団も、グラスランドの大乱でだいぶ消耗しているはずだった。グラスランドの各氏族も、それぞれの村を立て直すのに精一杯である。両国とも、他国に食指を動かすには時間が必要だ。ルックによって放たれた戦火を消し止めたグラスランドは、少なくとも火傷が癒えるまでは動かないだろう。本来ならばとうに訪れていたはずの平和は、遅刻したとはいえやっと中原にたどり着いたわけだ。
「…ですが、本来の真の紋章を集めるという任務は…。」
「どこにあるかが判ればそれでいいさ。紋章は自らその継承者を選ぶ。いったん宿主を得てしまった紋章を奪うのは困難なことだからね。」
 だが、シンダル族の秘術はその垣根を取り払った。宿主から紋章を切り離すことも、人為的に宿主を作り出すこともできる。必要なのは禁忌を犯す覚悟、それだけだ。
「真なる五行の紋章の大半は、グラスランドにある。それでいい。無理に奪おうとすれば、今回の二の舞だ。」
「はぁ。ですが…。」
「本当に仕事熱心だな、ディオス。ちょっとは休んだ方がいいぞ。この数ヶ月、ろくに休暇も取ってないだろう?たまには家族に会いに行ってやったらどうだい?」
 世渡りが下手だとか、余計な口出しをするとか、間が悪いとか、他の神官将から聞くディオスの評価は全くもって芳しくないものであった。だけど。出世や褒賞にありつけないような、そんな実りの少ない仕事でも手を抜けない、そんな仕事ばかり引き受けてしまうような彼を、自分はきっと好きなのだろうと思う。参謀としても信頼に足る人物だし、仕事だって文句のつけようがない。少しはそれに報いてやりたかった。
 それに、突然の申し出に面食らうディオスの表情を見てると、ほんの少しだけ、気が軽くなる。
「面倒な後始末もこれで終わりだ。お前も僕を見てるよりも、子供の顔を見たいだろう?今回は、僕の勝手で無駄に苦労かけてしまったし。この際だから、半月くらい…。」
「………。」
「ディオス?」
 驚きから困惑へ、それから相手の顔が笑顔になって、やっと気がつく。何か言いたげな副官に、漠然とした不安を抱いた。
「ありがとうございます、ササライ様。」
 でも、と笑って言った。彼がササライの参謀役になってから三年。そんな風に笑うのは、初めてみたように思う。
「…私の出身地は、ハイランド県に近い地方都市でして…妻もそこの出身でしたので、クリスタルバレーに転属が決まってもこっちに来ることを嫌がりまして…。そうしているうちに、三年前の戦争に巻き込まれましてね。」
「あ…。」
 デュナン国との領土奪回の戦は、決着がつかないまま、物別れに終わった。元マチルダ騎士団領と接する国境付近では特に激しい戦いが行われ、ハルモニアの被害も、戦火にまかれた町も決して少なくなかった。ディオスの口にした町の名前も、確かそのうちの一つだったはずだ。
「ですので、私の休暇はいらないんですよ。」
 淡々とそう結論づけたディオスは、両手に抱えた書類の束を持ち直す。
「………………。」
 辛いとか、寂しいとか、切ないとか、悲しいとか。そんなことは一言も彼は口にしなかったのに。だけど。大したことのない、どこにでもあるありふれた出来事のように、そんな風に片づけられると尚更。
「ササライ様?」
 眩暈が、した。視界が一瞬にして閉ざされるこの感覚は、確か以前にも感じたことがある。地面が沈み込んでいく、とても立っていられなかった。
「ササライ様!?」
 動揺した副官が、書類の束を投げ出して駆け寄ってくるのが、見えた。両足から力が失せる寸前に、片手がディオスの肩を捕まえる。
 こんなところで、倒れるわけにはいかないのだ。自分はそんなに脆い存在ではないはずだ。負けられない。こんなところでは絶対に。
「…大丈夫、だ。すまないな…ディオス。」
「いえ、これも…。」
 どこかで聞いた言葉に、思わず苦笑が漏れる。
「”お仕事”かい…本当にお前は…仕事熱心で感心するよ…。」
 こういうときは、嘘でももっと違うセリフを言って欲しい。
「……………。」
 ほんの少しの沈黙の後、ようようにディオスが口を開く。”ササライ様は覚えていらっしゃらないかもしれませんが…”と、そんなことを言いながら、彼はちっともササライの方を見ていないのだ。
「三年前。あの戦で私はろくな戦功を上げられなかったのに、ササライ様はお声をかけて下さいました。城を落としたわけでも、敵を倒したわけでもない。殿軍の指揮をとっただけの私に、自分の下につかないかと。…私はそのとき救われたように感じたんです。どうしてだかよく判らないのですが。」
「…退却の時の…報告書への…当然の評価だよ…。」
「でも、ササライ様だけだったんですよ。よくよく私は、上司に嫌われるタイプらしいです。」
「…っ…ははは…。」
 大きく息を吐き出して、ササライはディオスから手を離した。もう大丈夫だ。一人で立つことができる。
「ありがとう。ディオス。迷惑をかけた。」
「仕事ですから。」
 先ほどと同じ言葉が、違う音色でササライに届いて。人が聞けば、笑い飛ばすような些細なことだ。だが、その小さなことが大切なことに思えて、彼は微笑んだ。
「そう言うと思ったよ。」

――儀式の地は跡形もなく崩れ落ちて、調査不可能である。

 ディオスが持ってきた報告書の文章を、ササライは何度も反芻していた。右手の指が遊ぶのは、考え事をするときの癖だ。部下に何度となく注意されても治らない。指が意味のない動きを繰り返すたびに、指輪がくるりと回る。右手に宿る真の土の紋章も、触媒に反応するようにその形を顕現していた。

 自分たちが儀式の地を離れた後、ルックがその生を終えたことを、ササライはほぼ確信していた。理屈や推測ではなく、感覚と言った方が近い。二人はきっとお互いが思っているよりもずっと近しい存在だったのだ。ただ、それに気がつかなかっただけで。
 だけど、最後の最後になっても、互いを受け入れられなかった。彼はそれを悔やむ。ルックが世界に対する憎しみを決して捨て去ることはなかっただろうと知りつつも。
 今はただ、その魂に安らぎあれと祈るばかりだ。大切な人と共に最期を迎えた弟へ、ただそれだけを願う。そして。
「…僕は違う道を探す。運命は変えられないものだとは、決して思わないから。」
 定められた生ではなく、自分の意志で道を進む。なされなかった思いを、自分のやり方でかなえることを誓う。たとえそれが、創造主に逆らう道であるとしても。


 それは、土の紋章をその手に宿す青年の、物語の始まりの一つ。

(2005/11/04)


※えーっと、遠い昔に友達三人で幻水3の本を2冊ほど出して、その中に収録していたディオスとササライの話です。死にネタ好きみたいですね、私は。(涙)ゲスト原稿は非公開、合同誌原稿は当該同人誌が完売、または販売終了後に公開とかそんな風にすればええのんかなと思ってまして。実はこの話は個人的に気に入っていたので、いつか公開してやろうとじーっと待ってました(笑)

前向きなササライさんと、意識してるしてないはおいといてそれを密かに支えているディオスの関係が凄く好きだったなあ。ディオスの奥方の顔は、ササライにそっくりで勝ち気なお嬢さんだったらさらに…ああ、あのころのハマリが蘇る〜〜(笑)かくゆう私はディオス好き。マイナーと呼ばれてもいっこうに気にしません。


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