モドル

それいけ、クラウス!2−3

「どうして軍人になったのですか?」
 と誰かに問われたら、私はすぐさまこう答えるでしょう。
「軍人は給料がいいからです。」
 私がこういうと、ハイランドの高貴な方々は、 信じられないわって目で見るかもしれません。 しかし、お金は大切です。お金がないと武器を整えることも出来ないし、 はては日々の食事にも事欠く有様となるでしょう。 残念ながら私は、貴族様のように金は無くても誇りは捨てないなんて 非現実的な考え方をするようには躾られていません。働けるうちに働いて、 しっかりお金をためて、定年退職後は家族と共にキャロの街の一戸建てで悠悠自適生活! それが、私の人生設計です。(きっぱり)
某ハイランド第三軍軍師 談

 第三軍を預かるキバ将軍の家計は、あまり楽とは言えない。 キバ将軍があっさりした性格で、あまり過度の恩賞を好まなかったのも原因ではあるが、 それよりなにより一番の理由は別にある。
「ちっ、父上!!何なんですか!!この請求書の額は!!??」
 月末のキバ邸では、毎月決まりきったようにクラウスが青ざめる羽目になる。 クラウスの目の前には、山と詰まれた請求書。ハイランド中の酒場のツケから、 酒屋で頼んだ酒の代金、挙句の果てには、キバが酔っ払って破壊したものの弁償費まで。 その合計金額、ズバリ4万ポッチ!!クラウスが気絶しなかったのが不思議なくらいだ。 キバの毎月のお給料が、 大体3万2千ポッチ。クラウスが一万ポッチ弱なのである。
 もっと分かりやすく言うと、だんなの給料が七十万。奥さんがパートで 二十万弱。そのうち、八十万をだんなが飲み代に使ってしまったと考えてみて欲しい。 そりゃあ、奥さんも切れるだろう。 クラウスも切れそうだ。しかも、これが毎月毎月である。
「父上!!!聞いていらっしゃるのですか?!ツケを全部払ったら、 我が家には二千ポッチしか残らないんですよぉぉぉ!!」
 さしものクラウスも、最後は涙目だ。いつもは冷静な彼が請求書の山に動揺する姿は、 哀れ過ぎて見るものの涙を誘う。ちなみに、二千ポッチは防御力+5 のかたあての値段と同じである。それが一ヶ月の生活費…極貧大学生並み… いやそれ以下の生活がキバ父子を待っているのだ。動揺するクラウスに対して、 キバはのほほんと、
「心配するな、クラウス。死にはせん。」
「それが…それが、自分の息子の給料まで飲んでしまった親の言うセリフですか?!!!!」
 クラウスの脳裏を、給料が出たら買おうと思っていた品々の幻が去来する。繕い繕いでごまかしつづけた靴も新しく買う予定だったのに、私でも持てるような剣を買ったり、久しぶりに古本屋巡りもしたかったのに…。そんな慎ましやかなクラウスの夢も、父親のお陰で全部パーだ。 しかも、酒代のせいで……これでは泣くに泣けない。「先月、お酒は控えると約束して下さったではないですか!?」
「あ…あれはおまえが、サリア似の顔で迫ってくるから…ついポロッと。」
 常ならぬクラウスに、キバもしどろもどろだ。ちなみにサリアとは、 亡きクラウスの母親である。
「ポロッと?!適当に言っただけなんですか?!」
「いや…そんなつもりでは…頼むからそんなに顔を近づけんでくれ、クラウス…」
 情けなく目を伏せるキバ。クラウスは腹が立つやら、泣きそうだわ。 ええ年こいた大人がどうしてこんなにいい加減なのだ。第三軍の兵は、 いつも粗末な格好をしているキバ将軍に対して、完璧に誤解しているらしい。 しかし、それは単に、服を新調するより先に、 飲み代に消えてしまうというだけなのに。
「…一ヶ月、どうやって生活するんです。」
「なんとかなる!」
「なるわけないでしょう!!!!!」
 ついにクラウスも切れた。アカデミー卒業後、家の家計を一手に預かってきた彼である。 その間、酒屋にツケを待ってもらうように頭を下げに行ったり、父親が酔っ払って殴って しまった相手に謝りに行ったり、人には言えない苦労を黙って耐えてきたのだ。 それなのに、この父親ときたら! 毎月飽きもしないで同じことを繰り返して!
「もう、勝手にしてください!!!私は知りません!!!」
 もう嫌だ。酒屋の兄ちゃんに頭を下げるのも、請求書とお金を酒場に持っていくのも、 夕食にご飯しかないのも、もうごめんだ。
「私、家出しますから!!!」
 クラウスは捨て台詞を吐くと、縋りつこうとするキバと請求書を蹴散らかして、 キバ邸を飛び出す。行き当たりばったりの、 クラウスの初めての家出の幕開けであった。

 ルルノイエは、ゆるゆると宵闇に沈みつつある。繁華街の道端に座り込みつつ、 クラウスは道ゆく人々を目で追っていた。労働者っぽい男性が、足取りも軽く 酒場に向かって歩いていく。彼女らしい女性を連れた若者が、 家族連れがレストランへと足を運んでいた。
――そういえば、給料日シーズンだった… そんな彼らを見送りながら、 クラウスはぼんやりと思う。怒りに任せて家を飛び出たものの、 クラウスの財布には、100ポッチしか入ってない。一体、どうやって 夜を明かせばいいのか。 今更、家に帰るのも癪にさわる。

 くーーーぅ

 おなかも空いてきた。今日は朝御飯しか食べてないかったから。
――なにはともあれ、お金を稼ぐ方法を考えないと…
 とはいうものの、クラウスは頭脳労働専門な人間だった。 手っ取り早くお金を稼げるのは、大概が肉体労働系なのである。 あまり、体力を使わなくて、実入りが良くて…なんていう都合のいいアルバイトは、 あまり大きな声で言えない仕事しか思いつかない。早い話が、夜のお仕事…。
――い、嫌だ…私はまだ女性とも付き合ったことがないのに… 一足飛びに経験豊富になってしまいたくありません…
 アカデミー時代は、勉強に打ちこみすぎて。ハイランド軍に就職してからは、 家計の都合で。(デート費を捻出する余裕すらなかった。) 実はクラウス、今まで女性と手をつないだことすらなかったのだ。 今どき珍しい、純情な青年である。
 しかし、クラウスの好むと好まざるに関わらず、お金は必要だ。 出来そうな仕事がそれしかないのなら、それをやるしかあるまい。
――とにかく、今夜、寝るところを確保しないと…。
 クラウスの頭を、野宿という単語がよぎったその時だ。

「おい、お前。こんなところでなにをしている?」
 無遠慮且つ不躾な誰何が、私の顔を上げさせた。どこの誰だか知らないけれど、いきなり「おい、お前。」はないだろう。貧乏とはいえ、私もハイランドではそこそこの地位にいるのだ。それなのに、礼儀を知らないにもほどが…。
「…!」
 思わず伸びる背筋と両手。私は慌てて立ち上がる。目の前の男は、何がおかしいのかニヤリと笑った。
 大きな体に白い軍服。”どこの誰”どころではない。ハイランドの皇太子にして軍の総帥、ルカ皇子がそこにいた。
 こんなやさぐれた私を上司に見られてしまうなんて…私の脳裏に給料査定のグラフがよぎる。それはマイナス方向に修正されていった。
「お前の顔には見覚えがあるな、確か…。」
「第三軍所属のクラウスと申します。」
 今更、営業モードにはいったって手遅れなのは重々承知だ。しかし、なんでこんな町中に、よりにもよってハイランドの皇太子様がいらっしゃるんだろう。夜の貌に変わりつつある町中で、しかも白馬に乗っていらっしゃる。これでは目立って(会話を交わしている私も必然的に目立つ。)仕方がないではないか。
「確かキバ将軍の息子だったな。そういえば、軍議の席で見かけた覚えがあるぞ。で…。」
 ルカ様はぐいと馬上から身を乗り出す。
「お前は、一体ここで何をしている?」
「は?いえ、特に何も…。」
 父親が今月分の給料を飲み代に使ってしまったので、明日のウィンダミア家を悲観して家出してきました、という限りなく本音に近い言葉が出そうになったが、止めた。給料日からまだ一週間もたってない…いや、それよりも、もう成人の儀を終え、軍の末席を汚す身の私だ。家出しました、などというのはプライドに関わる。
 そんな私を他所に、ルカ様は私がここに居る理由について、色々ご想像を働かせていらしたようだ。
「花街にでも行くつもりだったのか?」
「…違います。私にはまだ早すぎると思いますし。」
「ならば、誰かと逢引きというやつか?」
「いいえ、違います。残念ながら。」
 質問が矢のように次から次へと降ってくるのに閉口しつつも、私は最低限のことだけを答える。あんまりここで長居をするわけにもいかない。空腹はとにかくも、宿だけはなんとしてでも確保しなければ。野宿なんて真っ平ごめんだ。
 とっととここを立ち去ろう。ルカ様に、これ以上私生活をつっこまれる前に。私は深々と頭を下げ、お別れの言葉を言うべく、口を開けた。そのときだ。
ぐぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜っ。
「る、ルカ様、私はそろそろ失礼さ…。」
きゅぅぅ〜るるるるぅ〜〜〜〜。
「……。」
「……。」
 間の悪い沈黙が辺りに満ちた。いつも皮肉な笑みを浮かべている皇子様の不意をつかれた間抜け顔を、私は泣き出してしまいたい思いでみつめる。
 仕方がないでしょう。朝からろくなものを食べてないんです。育ち盛りの十代の胃袋が、不平をいうのは当然なんだから。だからといって、こんな場所で。しかも、こんなタイミングで。わ、私だって…私にだって、それなりに上司に与えたい自分のイメージがあるのに〜〜〜〜!!!

「クラウス。」
 前触れなく、私の体が宙に浮いた。ルカ様に抱え上げられたのだ、と判ったときには、もう馬上の人になっていた。”わぁあ。”と、ひどく情けない声を上げたような気がする。そのときには、私を自分の前に座らせたルカ様は馬に一鞭くれていたし、振り落とされまいと鬣にすがりつく自分の姿は、傍目からみると軍人らしからぬものだったろうが、この際構っていられない。振り落とされたら死ぬこと間違いなしだ、いや本当に。
 後々、シードから”ルカ様が城下町で白昼堂々、女性を拉致したらしい。”と尤もらしく聞かされて、苦笑いする羽目になるのだが、それはまあ置いておいて。



「どうした、食わんのか?」
「………。」
「腹が減ってたんだろう?」
「………。」
 私は黙って頷いた。目の前に並べられ、燦然と煌めきを放っている(ようにみえる)山海の珍味の数々。父上が目にすれば目の色を変えるに違いない高級酒。それらが惜しげもなく私とルカ様が囲むテーブルの上に、所狭しとおかれている。店内には客の邪魔にならず、しかも互いに話を聞かれる心配のないよう配慮されたボリュームのBGMが流れる。抑え気味の照明も、BGMと同様にプライベートを邪魔しない。各テーブルのキャンドルが足りない光源を補っており、ムード面からもこのやり方は大成功といえよう。”給料一か月分”と囁かれつつも、若者たちに絶大な人気を誇り、プロポーズするときのお勧めスポットとして雑誌に紹介されるハイランド一の店だけのことはある。サービス、雰囲気、ともに完璧だ。
 いや、それ以前に、なんで私はここに連れてこられたんだろう。ルカ様は何も言わずに私をここへつれてきて、勝手に料理を注文して。で、今は何が楽しいんだか知らないが、私の顔をじっと見つめながらニヤニヤ笑いを浮かべている。
「なら、食えばいい。」
「・・・ですが・・・。」
 ハイランド一の店は、当然お値段の方もその名前に相応しい。自慢じゃないが、ここでディナーでもしようものなら一ヶ月間猫まんま決定だ。
「腹が減ってるんなら食えばいい。だから、ここへつれてきたんだ。」
 ほら、食え、と顎をしゃくる。私が、お腹を減らしているから?だから、ここへつれてきてくれた・・・?
「俺はもう夕食を済ませたからな。」
 だから、酒だけ付き合ってやるぞ。とルカ様はグラスを一気にあけると、手酌で二杯目を…慌てて私はルカ様からボトルを取った。いくら眩暈がするほど空腹でも、マナーを忘れるほど私は愚か者じゃあない。とはいえ…こんな豪華絢爛な食卓を見せられると理性もなにも吹っ飛んでしまいそうだが。苦笑いを愛想笑いに切り替えて、ルカ様のグラスにボトルを傾ける。
 ボトルは父上が死ぬほど飲みたがっていたアクイレイアだった。残ったらお持ち帰り…なんて無理だろうな、やっぱり。
 二杯目を呷り、黙ってグラスを突き出すルカ様に私は三杯目を注ぐ。
「どうした?俺の給仕に来たんじゃないだろう?とっとと食え。」
 ルカ様はやっぱりニヤニヤ笑いのままだ。私は再び食卓に目を落とした。

 もし万が一、ここの支払いが割り勘で、ということになろうものなら、来月分の給料が飛んでしまう。いや、下手をすれば二ヶ月分…。
 
 空腹を抱えた私にとっては拷問のようにも感じられる豪勢な夕食の前に、私のあまり堅牢とはいえない自制心はぐらぐらと揺れ…。




「ご馳走様でした。」
 お行儀よく手を合わせて、私はルカ様に頭を下げた。呆然…といった体で私を見守っていたルカ様はその声でようやく我にかえったらしく、
「…おまえ…そんな細い体で…。」
 ”食べたものはどこに入ってるんだ?”だの、”見かけによらずよく食べるなあ”等のお言葉は聞きなれている。食べられるときに食べておけ、は我がウィンダミア家の家訓だ。ちなみに作ったのは、我が敬愛すべき御父上である。
「軍人たるもの、何時いかなるときでも食事を取れるように、というのが父上の教えでして。」
 したり顔でそういうと、ルカ様は納得されたようだった。多分、キバ将軍の武人としての心得を聞いた気分になっているだろうが、実際はそうではない。ウィンダミア家の貧しい台所事情を如実に表した寂しい言葉なのだが、あえて誤解を解く必要はないだろう。

 支払いを済ませて、店を出てきたルカ様に私はもう一度礼を言う。
「今日は本当に有難うございました。あの…このままでは心苦しいですので、何かお返しをさせていただきたいのですが。」
「…別に構わん。」
「でも、このままでは私の気も済みませんし…私に出来ることがありましたら何でもおっしゃっていただけるとありがたいです。」
「…なんでも…か。」
 私の言葉に、ルカ様は考え込むような仕草をする。
 うっ…”何でも”を言葉どおりにとってもらわれると、私としては非常に困るんだが…などと口に出せない思いを包み隠して、私は出来るだけ人のよい笑みを浮かべようと努力していた。
 やがて、ルカ様が口をあける。
「クラウス。ちょっと付き合え。」
「はい?」



「……えーっと、あの…。」
「?なんだ?」
「どうして私が城に連れて行かれないといけないんでしょう?」
「なんだ?なにか用事でもあったのか?」
「いえ…そんなことは。」
「なら問題あるまい。」
 問題大有りだ。なんでこんな時間に、しかもルカ様の私室に連れ込まれないといけないんだろう。食事を奢ってもらった手前、何も言えなくてついついついてきてしまったが…私はきょろきょろとあたりを見渡した。シャンデリアだの、銀の燭台だの手入れの行き届いた調度品、室内は我が家の応接室よりもかなりグレードが上だった。二十畳程度の広い部屋の右手の扉は、どうやら寝室へのドアらしい。四、五人は寝られそうな大きなベッドがこっちの部屋からも見えた。
「こっちだ。」
 促されてずりずりとひきづられるように、ベッドルームへ連れ込まれる。
「あ、あの〜ルカ様?」
「なんだ?さっきから。」
「あの…どうして私がルカ様の寝室に行かなければならないのでしょうか?」
「そんなことは気にするな。」
 いいや、気になる。大体、いい年した野郎が二人もそろって一体何をしようというのか。
「ついさっき、出来ることがあれば何でもすると言ったろう?あれは嘘か?」
「いえ、嘘じゃあ…。」
「なら黙って、上着を脱いで、そこに寝転がれ。」
「ええ?」
「いちいち驚くな。さっさとしろ!」
 しぶしぶ上着を脱いでベッドに入った私に、
「マジで寝るなよ。ちゃんと起きてろ。」
 笑いながら、ルカ様は忙しく働き始めた。明りの大きさを小さくしたり、カーテンをきちんと閉じたり。そこまでは判る。だが、自分の上着と私の上着を床へ投げ捨てたのは一体…何かのお呪いか。
「る…ルカ様?」
 問い掛けると、悪餓鬼っぽく指を立てて口元にもっていく。黙ってろ、ということらしい。
「そろそろだな。」
「?何がですか?」
 返事よりも先に、突如としてルカ様の体が私に圧し掛かってきた。
「え?!うわぁぁぁぁあああ!!!!」
「馬鹿!叫ぶな!!」
 口を塞がれ、ベッドに押さえつけられた私にルカ様が顔を近づけた。怒りの三白眼は、かなり恐ろしいものがある。
「いいか。命が惜しかったら、今からここで何があっても黙ってろ。」
 ドスの聞いた低音に脅迫されて、私ががくがくと首を振る。NOと言おうものなら、その場で死刑といいだしかねないルカ様の迫力に逆らえるはずもない。
「よし。じゃあ、ちょっと我慢しろ。」
 私が大人しくなると、ルカ様は私に体重をかけないように両肘を私の頭の脇につき、膝は私の腿のあたりをはさむ様につく。その状態をキープすると、黙って視線を空にさまよわせた。どうやら耳を済ませているらしい。
「・・・・・・来た。」
「?」
「いいな、お前は絶対に口を聞くなよ?」
 此方に向かっているらしい足音が、確かに私の耳にも聞こえた。
 音の軽さから判断するに女性だろうか?そう、私が考えている間に、足音はどんどん近づいてくるではないか。

ぎぃっ。

 ルカ様の部屋の扉が、重たい音をたてて開く。

「ルカ様…いらっしゃいますか?」

 衣擦れの音と、艶を含んだ女性の声だ。

 それを合図に、ルカ様の体が再び私に重なってきた。首筋のあたりに熱い何かを押し付けられて、思わず身じろぐ。服の合わせ目から、大きな手のひらに腰部を弄られてようように私はルカ様の行為の意味を察した。
「る、ルカ様っ!」
「黙れ。」
 舌打ちと共に、今度は唇が塞がれる。濃厚な口付けに私の息が止まりそうになった。何が起こっているのか、全然判らない。暴れてみたところで、非力な私がルカ様に敵うわけもなく、正に私の十数年の人生の中で最大のピンチ…!!

「ルカ様!何をなさっておいでですの!!!」

 女性の叫び声が、私を解放した。ルカ様が上半身だけ後ろへと振り返る。寝室の入り口に、青ざめた女性が立っていた。

「これはマレーネ殿、こんな夜更けに何のようだ?」
「…ルカ様、一体…これはどういうことです?」
「どういうこと?」
 ルカ様は大げさに肩をすくめる。
「俺が誰を抱こうと関係あるのか?俺の妃でもあるまい?」
「な…!だって…その人は男でしょう!」
「あぁ?知らなかったのか?」
 ルカ様は身軽にベッドから飛び降りて、マレーネという女性と向かい合う。
「俺は、こっちの方が趣味なんだ。」
 そう、ルカ様が言ったときの彼女の表情。私は一生忘れまい。鬼のような形相でルカ様と私を睨みつけた女。薄い夜着を纏った長い髪の女性は、客観的にみてもかなり美しかっただけに、その落差は凄まじい。視線で人が殺せるなら、七回は殺されてた。

 が、彼女は黙って踵を返すと、そのまま走り去る。

 あとに残されたのは、ルカ様と無様な格好で放置された私だけ。

「……っくく。」
 堪えきれないというように、ルカ様が体をくの字に折り曲げた。その肩が震え、いきなり笑い声が上がる。

 呆然と、未だに何が起こったのかよく判っていない私を置いてけぼりにしてルカ様は只管笑い続けた。



「…つまり、マレーネ様にルカ様を諦めさせるために、私を使ったんですか?」
「まあ、そういうことだ。」
 何がそういうことなんだろう。よくよく話を聞いてみれば、マレーネ様にせまられようになったのだって、ルカ様が悪いのである。
「一回寝たくらいで、恋人面されたんじゃたまらん。」
「…。」
 マレーネという女性はハイランドの高官の次女で、ルルノイエに女官として働いていたらしい。無下に扱える女性ではなかったので、付きまとってくる彼女をどうやって諦めさせるか、でルカ様は頭を悩ませていたらしいのだ。だからといって。
「なんで、私を巻き込むんですか…。」
 女性の口に戸を立てるのは難しい、という。ルカ様がそういう趣味で…という噂が広がるのは自業自得だが、その相手が自分だ、なんていうことになろうものなら、父親は卒倒しかねない。それに、私の夢はそこそこの武勲をたてて、可愛いお嫁さんをもらってキャロの町に一戸建て、なのだ。間違っても、ハイランドの皇子の寵愛を受けて、暗然と権力を…ではない。
 恨めしげにルカ様をみやると、いつもどおりのニヤニヤ笑いで返される。
「心配するな、あいつだって自分が男に負けたなんてことを吹聴するほど馬鹿じゃない。」
「そーいう問題ではありません。」
 それに…初めてのキスの相手が男だなんて…よくよく考えたらショックかもしれない。いいや、非常にショックだ。

「…クラウス。あの店の食事代、いくらだったと思う?」
 衝撃に打ち震える私に対して、ルカ様は思いもよらないことを言う。
「いくらだったんですか?」
「20万ポッチ。」
 げ、とも、うぐ、ともつかないうめき声がもれた。一食でそんな馬鹿高?いくらなんでもぼりすぎだ。これは問題だ、公正取引委員会に訴えなければ!
「流石の俺の財布も少々寂しくなった。」
 ルカ様は悪魔的に笑う。
「この借りは高くつくと思わんか?なあ、クラウス。」

(2002/04/12)

※ルカ様の性格が違うとか…そーいうツッコミはご容赦を(涙)


モドル