真夜中の訪問者
クラウスが布団をめくると、そこにはシエラがいた。彼は、反射的に布団をかけ直す。仕事に疲れての幻か、それとも誰かの悪戯か。どちらにしても確認が必要だ。クラウスは、もう一度ゆっくりと布団の端を持ち上げてみる。そうすると、微笑んだシエラとばっちり目を合ってしまった。
「遅かったの、クラウス。待ちくたびれたぞ。」
「あ、すみません。」
謝ってはみたものの、はたとクラウスは気づいた。
どうして、シエラさんが私のベッドで寝ているんだろう。
「毎日こんなに遅くまで…そんなに仕事が忙しいのかえ?」
「いえ、そんな…私の手が遅いから、シュウ殿のご期待にこたえられなくて…。」
「ふうむ、弟子の作業スピードを勘案せずに、自分のペースでやりおるから、サポートにつくものが残業する羽目になるのじゃ。あやつ、人の上に立つものとしては、少々思いやりがたらんの。」
シエラにかかっては、正軍師も形無しだ。とはいえ、シエラの言うことはあながち間違いではない。だが、シュウは部下たちの倍以上の仕事を抱えて、それをこなしているのをクラウスはしっていた。それを思えば、とても今の仕事がきつすぎるなどと、口にすることはできないのである。
「まあ、そんなことはおいておいて。」
何をおいておいてなのか。手をクラウスの首にのばし。婉然と微笑むシエラ、これが相手がシーナならば、即にシエラの意思を察して、”据え膳くわねば何とやら”を実行してくれるのだが、女性経験の少ないクラウスの反応は鈍い。
女性の腕の柔らかさや、服の隙間から鎖骨と胸の谷間につづくまろやかな線を視界にいれてしまい、赤面するクラウスは何とも初かった。それは、クラウスとて年頃の男性であるし、ましてや相手は憎からず思う女性である。しかし、結婚もしていない、恋人同士として思いを確かめ合ったわけでもない、そんな関係のままでこんなことをしてもよいのだろうか。
「し、し、シエラさん!ちょっと待って下さい!」
「いやじゃ。」
「いやじゃって、いきなりこんな…しかも女性の方から…いや、そういう問題じゃなくて、もっと踏むべき…いや…えーっと。」
なおもすがりついてくるシエラの体に、哀れ非力な文官であるクラウスは、あっという間にベッドの中に引きずり込まれた。じたばたと足掻いてみたものの、シエラの腕は離れてくれない。しかし、布越しとはいえ、女性の体のなんと暖かく、柔らかいものか。ああ、クラウスがシーナであったなら。
「クラウス。」
いじましくも必死にクラウスにすがりついて、シエラは彼の名前を呼ぶ。が、それ以上、行為は進まなかった。触れあうだけ─それでも、クラウスにとっては十分すぎるほどの刺激であったが─のシエラの体の下で、クラウスはようやく冷静さを取り戻す。
「シエラさん?」
「……。」
「もしかして、酔っぱらっていらっしゃるとか?」
「ようてなどおらぬ。」
少女は、顔をぴったりと彼の胸に伏せて動かない。薄衣を纏っただけの女性の体は、呼吸をするたびにクラウスにその存在を主張してくれる。冷静になったはいいが、今度はもっと現実的且つ人間的な問題がクラウスに発生しつつあった。
「あ、あのー、シエラさん、どうかもう少し離れていただけませんか?」
「何故じゃ?」
何故って…。それを面と向かって、シエラに言えというのだろうか。この、男性としては極々自然な生理現象を、異性であるシエラに説明しろと?
動揺したところで、シエラの体が離れてくれるわけではなく、クラウスはどんどん追いつめられていくばかり。
「し、シエラさん、お、お願いですから…。」
「クラウス…。」
吐息の色が感じられそうなほどに、シエラの唇はクラウスに近く。その瞳は紅く潤んでクラウスを捕らえる。触れても構わない、と声なく語る。その瞳が、唇が、指先が。
知らず、クラウスの喉が鳴る。いささか遅すぎる感もあるが、クラウスもようやくこの状況を理解した。夜半に、男女二人、しかもベッドの中だ。何を期待されているのかを悟った瞬間、青年の顔は一気に朱に染まった。
「…。」
ハイランド生まれのハイランド育ち、武家に生まれ、生粋の武人であるキバを父に持つクラウス=ウィンダミア。頭は切れるが、色事にはとんと向いていなかった。
少女は笑う。蠱惑的に、だけどどこか寂しそうに。紅い瞳は揺らめいたと思いきや、すぐにクラウスを真っ正面から捕らえた。
「やはり…そうなのか、クラウス。」
「?」
「妾がここまでやってもこの無反応。やはり、あの噂は真実であるのか?」
「は、はい?」
「恋文には、当たり障りのない断りの返事を。色目は笑顔で流す。女あしらいに長けているっぽい割には、浮いた噂一つない。文官の間であの性悪軍師といつも二人っきりで、下手すれば一晩中出てこない。下らぬうわさ話と聞き流しておったが、クラウス…おんしは…。」
嫌な予感が、した。先ほどの悩殺モードはどこへやら、シエラの目は既に座っている。
「しんじとうはなかった…!だが、クラウス…本当におんしはあのシュウとできておるのじゃな!?」
グラッ…ドンガラガッシャーンッッ!!!!!
クラウスの頭の中で、何かが崩れ落ちた音がした…のではなかった。
次の瞬間、きゃいきゃいわいわい、黄色い声と一緒に女の子集団が二人の回りを取り囲む。一体どこからわいて出たのか、ともかくも完膚無きまでに壊れたドアが、先ほどの音の犠牲者だった。
「な?な?!な?!」
あまりの展開に目を白黒させるクラウスは、状況に頭がついていけない。クラウスの様子にはお構いなしに回りを囲む女性達は、何故かきらきらと目を輝かせて青年に矢継ぎ早に声を投げかける。
「クラウスさん、今の話、本当なんですか!?」
「シュウ様と恋仲でいらっしゃったなんて…ステキ〜。」
「私たち、きっとそうなんじゃないかって思ってたんですよ。」
「お二人はいつも一緒ですものね〜。」
「いつも夜遅くまでシュウ様のお部屋で何をなさっておいでですの?!」
「きゃあきゃあ!ちょっともう少しソフトに聞きなさいよ〜!!」
「お二人はどこまでいってるんですかあ!?」
クラウスにも、さらにはあのシエラでさえも口を挟む隙を与えず、いやもしも口を挟んだとしてもこの状態ではきいてもらえるとは思えない。クラウスが答える答えないにも関係なく、彼女らの中では勝手にストーリーが組みあがっていくようであった。
「シュウ様とクラウスさんってばお似合いのカップルですもの、私たち応援してます〜。」
「お二人が並ばれると本当に絵になりますもの。」
「耽美ですよね〜、うふふふっ。」
「勿論、シュウ様が攻ですよね、まさか逆ってことは…。」
「えー、私は逆でもいいなあ。鬼畜なクラウスさんってよくない?」
「シュウ様が***なんて、ありえない!!」
最早、誰も止められない。クラウスの存在もシエラの存在もあってなきが如し。かしましくさざめく女性達の前で所在なくあった二人の感想であった。
■□■
「?」
執務室で感じる微妙な違和感にシュウは首を傾げる。
何も変わってない、何も変わってないとは思う、が。
「クラウス。」
「はい。」
彼の副官は即座に返事をしたが、決してシュウのそばには寄ってこない。
つと、クラウスの方に一歩歩を進めてみた。
「クラウス?」
「はい?」
ついと、シュウが進んだ分だけクラウスが後退する。
「……俺はお前に何かしたのか?」
「いえ、とんでもありません!ただ、三歩下がって師の影を踏まずと古人の言葉にもありますから、私も実践しようと思いまして。」
クラウスとシュウの距離は三歩どころではない。それに、クラウスの様子は師の影を踏まずというよりは、シュウを避けているだけのようだが。
「気になさらないで下さい。シュウ殿も、私がむやみに近づくことであらぬ噂がたってはお困りでしょうから。」
「はァ?」
あらぬ噂だと?シュウ軍師はちょっと本気で考えてみたが、思い当たることは見つからなかった。彼とて神ではない。まさか、自分とクラウスが恋愛関係にあると一部の女性たちに妄想…ならぬ想像されているとは思いもつかない。そもそも、同性の恋愛など、彼の想像力の範囲外である。
まあ、いいか。と決断も諦めもはやい正軍師は思った。クラウスが多少自分に距離をおいたとしても、仕事に支障のない範囲ならば構うまい。
その後、クラウスが文官部屋でシュウと二人っきりになることはなくなったとかなんとか。だが、クラウスの願いとは裏腹に、クラウスと正軍師との噂が絶えることはなかった。実際のところ、この手の噂に真実は全く必要ではないことを、クラウスが気づいてなかったのが敗因といえよう。
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