モドル

もしも願いが叶うなら  ディオスとササライ

「ねぇ、ディオス。君は僕のことを、どう思っているの?」

 偉大なるハルモニアの神官将にして、真の紋章の継承者でもあるディオスの上司は、齢32歳であるが外見は十代そこそこの美青年、いや美少年といってもよいほどの端麗な容貌を持っている。その、風にも耐えぬような──無論、既にディオスは上司がその優しげな容貌に、油断のならない部分を隠していることを知っていたが。──繊細な美貌の彼が、天使もかくやと思われる微笑を浮かべ、ディオスに向かってそんなことを言った。

「はァ?」

 唐突なササライの行動、言葉には慣れてきていたはずのディオスも、流石にこの言葉をどう受け取っていいのか、とっさに判断を下しかねた。

 上司として、の意味ならば即答できる。だが、このササライという人の言葉は、時としてディオスが想像もつかないような突拍子もない裏を持っている可能性があった。安易に返事をすれば、とんでもない方向へとつれていかれる。下手な返事をしない方がよい。今まで幾度となく痛い目にあってきたディオスは至極妥当な判断を下す。
 
 が、上司は彼の逃げを許さなかった。

「だから。君は、僕のことをどういう風に見ているの?ってきいてるんだよ。」

 無邪気にディオスを見つめつつ、ササライはいつものように微笑んだままだ。
 たまった書類の処理も一段落ついて、気を抜いたところで、お世辞にも機知に富んでいるとは言えない部下を、突拍子もない質問でからかおうというのか。ササライの様子に、普段ならば考えもしないような曲がった考えが浮かぶほど、ディオスは当惑する。
 
 どういう風に見てるの?もくそも、ササライはディオスの上司だ。誉れ高きハルモニアの高位に位置する神官将にして、真なる土の紋章の継承者。いずれはヒクサクの跡を継ぎ、ハルモニアの象徴になるとも囁かれている青年。本当ならば、自分のような辺境の一豪族の子弟など口をきくことさえも許されないような高貴の人。偶々、ディオスが中央に任官し、敗戦の責めを負って任をとかれたときに、ササライが哀れんでくれなかったならば、そのまま二人の道は交わることなく終わっていたであろう相手。
 その、本来話すことすらおそれ多い相手をどう思っているかだと?

 ディオスは目を瞬く。いくらササライの笑顔を訝しんでも、そこには何もみえてこない。
 根を上げたのは、当然ディオスの方だった。

「私は…ササライ様のことを、ご尊敬申し上げています。」
「…尊敬?」

 ようように吐き出した言葉が、ササライのお気に召さなかったのがはっきりわかっても、彼にはそれ以上どうとも言いようがない。

「はい、ご尊敬申し上げております。」
「”ご尊敬申しあげている”?」
「はい。」

 上司と部下だ。それ以上、何を言えるというのだ?そう思ったディオスだったが、ササライの明らかな落胆ぶりを見ると、流石に少々心が痛む。

 くるくると色を変える表情や、声や瞳の光が、誰かへの思いを呼び寄せて、ついついいらぬ世話焼きまでしてしまうこと。それどころか、時折ササライ自身をその人と重ねている自分に戸惑っていること。勿論、そんなことが言えるはずもない。

 まさかそれをわかっての質問ではないと思うが、ディオスはできることならば何か理由を付けて、ササライの前を辞ししたい気分に襲われた。
 後ろめたさもあるが、先ほどからの探るようなササライの視線が、ディオスをいたたまれなくさせたのが一番の理由だった。

「…ササライ様、仕事も一段落しましたし、私、練兵場へ行かせていただいてもよろしいですか?」
「……………。」
「ササライ様?」
「……………。」
「ササライ様、どこかお加減でも…。」

 拗ねたように執務机に俯いたササライは、ディオスの呼びかけにも反応を示さない。

「ササライ様!」

 それは、不満を示す子供っぽい仕草などではないとディオスはようやくに気づいた。ササライの常ならぬ様子に、心配性の副官の心臓が跳ね上がる。上司のオーバーワークは知りすぎるほど知っている。それに、ササライは何と言ってもまだ若いし─無論、見た目だけだが─体力があるようには見えない。
 ササライは、やはり動かない。何の反応も示さない上司に、本格的にディオスは慌てた。

──誰か人を呼ばねば!いやそれよりもササライ様を医局に連れていった方が早い!

 ぐたりと机に伏すササライの体に飛びつくと、ササライの腕が彼の首に巻き付く。よかった、意識はあるようだとディオスが安堵した瞬間に、思いもかけぬ力で引っ張られた。

「ぅわぁっ!」
 抵抗する余裕もなく引っ張られた体は、あっという間にササライの腕の中だ。ササライに覆い被さるような形で、体と体が密着する。
 何が起こったのか判らず、それでもササライを抱き上げようと試みた心優しきディオスの動きは、耳元の含み笑いで見事に封じられた。

「く…っふ、ふふふ。」
「ササライ様?」
「本当に、ディオスはディオスだなあ。」

 どういう意味だと、鼻じろむディオスにまたもやくすりと笑うササライだ。ここにいたってようやくにディオスは自分が担がれたことに気づいた。そして、同時に自分の今の体勢が、他者から見れば恐るべき誤解を生みかねないものであることにも、だ。

「体調を崩されてないのならば結構です。ですので、ササライ様…。」
「なんだい、ディオス。」

 至って平静に、ディオスを抱きしめたままのササライは答える。

「恐れ入りますが、その…手を離していただけると有り難いのですが。」
「そうだね、ディオスが僕に本当のことを言ってくれるのならば、すぐにでも離すんだけどね。」
「わたしは、ササライ様に嘘など申しません。」
「…それはその通りだと判ってるよ。」

 でもね、とそういってササライは回した腕の力を解いた。しかし、腕の中からは解放されたものの、ササライの手は、ディオスの肩をがっちりと捕まえている。体の距離は多少離れたが、危険ゾーン脱出からはほど遠いのが現状だ。ディオスはいっそ泣きだしてしまいたいような気分になる。ササライの考えていることがまるで判らないのだ。

「でもね、ディオス。お前が嘘をついていないのは判ってるんだよ。僕がききたいのは、おまえがいわなかった本当のことなんだ。」
「………。」
 
 瞳の奥の、そのまた奥の色が深く深く、ディオスを呼び込む。ササライはやはり笑っていた。

 いや、しかし?

 しかし、上司が笑顔以外を彼に見せたことなど何度あったろうか。崩れ落ちる紋章の祭壇からの脱出の時でさえも、ササライは笑ってはいなかったか。笑顔の下で、本当は彼が何を考えていたのか、そんなことを考えようともしなかった自分に、今更のように思い当たって愕然とする。

「ササライ様…。」

 その瞬間に、ディオスの体は呆気なく自由を取り戻した。支えを失ってよろめくディオスに、またもやササライのくすくす笑いが降り注ぐ。

「ふふふふ、冗談だよ。ディオスは本当に真面目だなあ。」

 何も知らない無垢な子供のような笑顔だ。何もうかがわせない、何も感じさせない。見下ろすディオスの先で、ササライは楽しそうに笑い、椅子が小さく軋んだ。

「ササライ様。」
「なんだい?ああ、ごめん。やっぱり怒ってる?」
「私はササライ様のことを、尊敬申しあげております。」
「それはもう判っているよ、意地悪をしたことは謝るから、許してくれないかな。」

「それはササライ様が神官将であらせられるからではなくて、ササライ様がササライ様だからです。あなたが何かをなさろうとして、そしてそれが私の軍人としての道を裏切ることになったとしても、私はあなたの部下で、命の続く限り、あなたの傍にあり続けると思います。私が尊敬申しあげている、というのはそういう意味です。これが答えではいけませんか?」

 ハルモニア軍部にあるものとして、絶対に言ってはいけない言葉だと、それくらいはディオスにも判っていた。神殿のうるさがたの耳に入れば、吹けば飛んでいってしまう身分の自分である。軍から追われてすめば御の字、軍紀にてらして処刑…も十分あり得る話なのだから。
 だが、ササライがその言葉を望むのならば、結果自分がどうなろうとそれでもいいと、そのときディオスは確かにそう思った。敗戦の将を必要としてくれた、すべてを失ったと絶望した自分に居場所をくれた人だ。初めてここまで自分という存在を評価してくれた人だった。一生仕えていきたいと思える人でもあるのだ。

「ディオス。」
 一世一代の告白、を受けた割には、あっさりとササライは彼の名前を呼んだ。
「はい。」
「練兵場に行くんじゃなかったの?」
 それどころか、ササライの態度は、まるで先ほどの会話も行為もなかったかのようだ。
「え?はぁ…?は、はい。」
 肩すかしを食らった哀れなディオスは、もう言葉が出てこない。
「じゃあ、行っていいよ。ここはもういいから。」
「…あ、はい。」
 行って行って、と手を振るササライに指示されるままに、よろよろとディオスは部屋を立ち去った。
 先ほどの意気込みは?自分の決意は?もしかして、今までの出来事はみな白昼夢か?
 呆然と、狐にでもだまされたような表情のまま、立ち去るディオスの後ろ姿は、閉じるドアの向こう側にあっさりと消えて。

そして、ササライだけがその部屋に残された。


 ササライの椅子が、またもや鳴いた。深く椅子に体を沈めたササライは、思い切りよく椅子から立ち上がる。ガラス窓の向こう側には、練兵場に向かうディオスの後ろ姿が見えた。
 ディオスは真っ直ぐ歩いていく。いつも彼はそうだった。

「”あなたの傍にありつづける”か…。」
 ササライの笑顔は、いつもディオスがみてきた笑顔ではない。恐らく、誰も彼のそんな顔はみたことがないだろう、生彩を欠いた人形のような表情は。
 窓の外には、もうディオスの姿はない。
「…どうせ、僕よりも先に死ぬくせに。」

 現実に裏切られるのにも慣れてしまえば、いずれ苦痛をも感じなくなろう。ぬくもりにすがってしまえば、失うときを恐れるようになる。やがて世界が至る、全き静寂の世界を見、人の身にはあまりに長すぎる永劫の呪いを受けた彼は、それをも知っている。すべては一へと向かい、正しき姿を求めて収束しつつあった。紋章の記憶が語る、それは世界の真実だ。

 ならば、運命にあらがったルックの姿は、先ほどのディオスの言葉は愚者そのものであるだろう。それが如何に自分の心を揺らしたとしても。

 ふいに窓外に陽光がきらめく。それに射られた彼が、室内に視線を転じれば、そこには灰色に閉ざされた世界しか見えなかった。

(2004/06/13)


※レックナートが願いを叶える…という初期設定を無視してる形になってしまいました。見た目子供で中身は心の寿命を越えてしまっているササライと、ハルモニア人として、存在し得ないほどにまっとうな神経を持ち合わせてしまっているディオスの話。
ササライにはディオスのような存在が必要であろうし、必要とされていると判ってしまえば、決して突き放せないのがディオスという人ではないかと。
モドル