もしも願いが叶うなら ディオスとササライ「ねぇ、ディオス。君は僕のことを、どう思っているの?」 偉大なるハルモニアの神官将にして、真の紋章の継承者でもあるディオスの上司は、齢32歳であるが外見は十代そこそこの美青年、いや美少年といってもよいほどの端麗な容貌を持っている。その、風にも耐えぬような──無論、既にディオスは上司がその優しげな容貌に、油断のならない部分を隠していることを知っていたが。──繊細な美貌の彼が、天使もかくやと思われる微笑を浮かべ、ディオスに向かってそんなことを言った。 「はァ?」 唐突なササライの行動、言葉には慣れてきていたはずのディオスも、流石にこの言葉をどう受け取っていいのか、とっさに判断を下しかねた。 上司として、の意味ならば即答できる。だが、このササライという人の言葉は、時としてディオスが想像もつかないような突拍子もない裏を持っている可能性があった。安易に返事をすれば、とんでもない方向へとつれていかれる。下手な返事をしない方がよい。今まで幾度となく痛い目にあってきたディオスは至極妥当な判断を下す。 「だから。君は、僕のことをどういう風に見ているの?ってきいてるんだよ。」 無邪気にディオスを見つめつつ、ササライはいつものように微笑んだままだ。 ディオスは目を瞬く。いくらササライの笑顔を訝しんでも、そこには何もみえてこない。 「私は…ササライ様のことを、ご尊敬申し上げています。」 ようように吐き出した言葉が、ササライのお気に召さなかったのがはっきりわかっても、彼にはそれ以上どうとも言いようがない。 「はい、ご尊敬申し上げております。」 上司と部下だ。それ以上、何を言えるというのだ?そう思ったディオスだったが、ササライの明らかな落胆ぶりを見ると、流石に少々心が痛む。 くるくると色を変える表情や、声や瞳の光が、誰かへの思いを呼び寄せて、ついついいらぬ世話焼きまでしてしまうこと。それどころか、時折ササライ自身をその人と重ねている自分に戸惑っていること。勿論、そんなことが言えるはずもない。 まさかそれをわかっての質問ではないと思うが、ディオスはできることならば何か理由を付けて、ササライの前を辞ししたい気分に襲われた。 「…ササライ様、仕事も一段落しましたし、私、練兵場へ行かせていただいてもよろしいですか?」 拗ねたように執務机に俯いたササライは、ディオスの呼びかけにも反応を示さない。 「ササライ様!」 それは、不満を示す子供っぽい仕草などではないとディオスはようやくに気づいた。ササライの常ならぬ様子に、心配性の副官の心臓が跳ね上がる。上司のオーバーワークは知りすぎるほど知っている。それに、ササライは何と言ってもまだ若いし─無論、見た目だけだが─体力があるようには見えない。 ──誰か人を呼ばねば!いやそれよりもササライ様を医局に連れていった方が早い! ぐたりと机に伏すササライの体に飛びつくと、ササライの腕が彼の首に巻き付く。よかった、意識はあるようだとディオスが安堵した瞬間に、思いもかけぬ力で引っ張られた。 「ぅわぁっ!」 「く…っふ、ふふふ。」 どういう意味だと、鼻じろむディオスにまたもやくすりと笑うササライだ。ここにいたってようやくにディオスは自分が担がれたことに気づいた。そして、同時に自分の今の体勢が、他者から見れば恐るべき誤解を生みかねないものであることにも、だ。 「体調を崩されてないのならば結構です。ですので、ササライ様…。」 至って平静に、ディオスを抱きしめたままのササライは答える。 「恐れ入りますが、その…手を離していただけると有り難いのですが。」 でもね、とそういってササライは回した腕の力を解いた。しかし、腕の中からは解放されたものの、ササライの手は、ディオスの肩をがっちりと捕まえている。体の距離は多少離れたが、危険ゾーン脱出からはほど遠いのが現状だ。ディオスはいっそ泣きだしてしまいたいような気分になる。ササライの考えていることがまるで判らないのだ。 「でもね、ディオス。お前が嘘をついていないのは判ってるんだよ。僕がききたいのは、おまえがいわなかった本当のことなんだ。」 いや、しかし? しかし、上司が笑顔以外を彼に見せたことなど何度あったろうか。崩れ落ちる紋章の祭壇からの脱出の時でさえも、ササライは笑ってはいなかったか。笑顔の下で、本当は彼が何を考えていたのか、そんなことを考えようともしなかった自分に、今更のように思い当たって愕然とする。 「ササライ様…。」 その瞬間に、ディオスの体は呆気なく自由を取り戻した。支えを失ってよろめくディオスに、またもやササライのくすくす笑いが降り注ぐ。 「ふふふふ、冗談だよ。ディオスは本当に真面目だなあ。」 何も知らない無垢な子供のような笑顔だ。何もうかがわせない、何も感じさせない。見下ろすディオスの先で、ササライは楽しそうに笑い、椅子が小さく軋んだ。 「ササライ様。」 「それはササライ様が神官将であらせられるからではなくて、ササライ様がササライ様だからです。あなたが何かをなさろうとして、そしてそれが私の軍人としての道を裏切ることになったとしても、私はあなたの部下で、命の続く限り、あなたの傍にあり続けると思います。私が尊敬申しあげている、というのはそういう意味です。これが答えではいけませんか?」 ハルモニア軍部にあるものとして、絶対に言ってはいけない言葉だと、それくらいはディオスにも判っていた。神殿のうるさがたの耳に入れば、吹けば飛んでいってしまう身分の自分である。軍から追われてすめば御の字、軍紀にてらして処刑…も十分あり得る話なのだから。 「ディオス。」 そして、ササライだけがその部屋に残された。
「”あなたの傍にありつづける”か…。」 現実に裏切られるのにも慣れてしまえば、いずれ苦痛をも感じなくなろう。ぬくもりにすがってしまえば、失うときを恐れるようになる。やがて世界が至る、全き静寂の世界を見、人の身にはあまりに長すぎる永劫の呪いを受けた彼は、それをも知っている。すべては一へと向かい、正しき姿を求めて収束しつつあった。紋章の記憶が語る、それは世界の真実だ。 ならば、運命にあらがったルックの姿は、先ほどのディオスの言葉は愚者そのものであるだろう。それが如何に自分の心を揺らしたとしても。 ふいに窓外に陽光がきらめく。それに射られた彼が、室内に視線を転じれば、そこには灰色に閉ざされた世界しか見えなかった。 |
(2004/06/13)