■好きって言ってもいいですか?
「クラウスさん、お茶のお代わりはいかがですか?」
「あの…自分でやりますから、大丈夫です。」
「いいえ、これくらいのことでクラウスさんを煩わせるわけにはいけませんわ。あ、よろしければ、こちらも食べていただけませんか?」
「え…、あ、その…あのですね。」
「ハイヨーさんにクッキーの作り方を教わって、私が焼いてみましたの。御菓子づくりなんて初めてでしたので不安でしたけど…クラウスさんに食べてもらおうと思って頑張りましたわ。」
「あ…ありがとうございます。」
「いえ…クラウスさんのためでしたら。さ、さ。どうぞ召し上がって下さい。」
いつになく遠慮するクラウスにシエラは、クッキーの皿を差し出す。ハート型のクッキーが山ともられたそれは、まんま彼女の彼への気持ちである。ティーポットからはアールグレイの香りが漂う。ばっちりクラウスの好きな種類であるのは、シエラの日夜たゆまぬ努力の賜物だった。
午後の会議室には柔らかな陽光が差し込み、絵に描いたようなティータイムを彩っていた。理想的な展開である。
甲斐甲斐しくティーカップにお茶を注ぐシエラは幸せだった。惚れた男に尽くす喜びは、彼女にとって何者にも代え難い。幸せだった。この時間が永遠に続けばよい、そう思った。
「シ・エ・ラ・嬢。まことに申し訳ないが。」
だので、自分の幸福を邪魔する無粋者の声は無視することにしたい…ところであったのだが、
「今は会議の時間なので、そういったことはご遠慮願いたいのだがね。」
ロンゲに仏頂面、常日頃から傲岸不遜唯我独尊なのにも関わらず、彼がこの軍の正軍師にして、シエラの懸想人の上司だけに不可能だった。
「そんな…私はお茶をお出ししただけですのに、そんな風におっしゃるなんて…。」
人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて〜の故事も知らないと見える、クラウスさえ目の前にいなければ、問答無用で紋章レベルMAXをかまして一瞬にしてこの世から葬り去ってやれるものを。
心中、舌打ちをしながらもシエラは悲しげに首を傾ける。だが、シエラ曰く、可憐な美少女ぶりも鉄面皮軍師には全く効果がなかった。
「ならば、”お茶をお出し”おわったことですから、お引き取り願えませんかね。」
自分の前に置かれたティーカップを手に取り、いやみったらしく日東紅茶のティーバッグを出し入れするシュウ。入れてやっただけ有り難いと思え、と言いたいところだが、状況は圧倒的にシエラに不利だった。
「でも…ほかにも何かお手伝いすることがあるかもしれませんし。」
「残念ながらありませんね。」
「それに、私も会議を傍聴してみたいですわ。」
「後で議事録を届けさせましょう。」
「実戦に参加している者として、何かお役に立てることがあるかも…。」
「幸い、今日の会議の議題は同盟軍の食糧確保についてです。シエラ嬢のお気持ちだけいただいておきます。」
とりつく島もない。殊更に慇懃無礼な態度がより気にさわる。何が”シエラ嬢”だ。思ってもない癖に。
心の中でいくら悪態をついてもシュウには通じないのだ。フルムーンならば一撃だが、クラウスの目がある。
「わかりましたわ…お邪魔のようですから、失礼いたしますわ。」
「シエラさん、すいません。」
クラウスの言葉だけがせめてもの慰め。敗北感に打ちのめされて、シエラは会議室の扉を開けた。
■□■
「で、なんで俺らがシエラの相手をしないといけねえんだよ…。」
「…おい。」
ビクトールの口を慌てて塞ぐフリック。同じテーブルで管を巻いていたシエラの酔眼が、二人を睨み付けている。
「何かいうたか?」
「いえ、何も。」
異口同音に答える二人。ことクラウスネタでシエラに逆らおうものならば、後々どんな報復が待っているか、その身をもってしっている。
「ぐぐぐ、それにつけてもあの性悪悪辣生意気冷血軍師め。毎回毎回妾の邪魔ばっかりしおってからに。」
そりゃああんたがTPOを考えずにクラウスに迫るからだろうが、と言いたい気持ちをぐっと堪えて、ビクトールはシエラのグラスに酒を注ぐ。フリックは酒のあてを、ハンフリーは追加の酒を、手際よく用意していく。下手に機嫌を損ねると、問答無用で紋章攻撃、最悪、”血の気が多い”の名目での吸血攻撃である。大の大人が三人そろって情けないと思わなくもないが、結局ちゃちなプライドよりは命を取ってしまった三人であった。
「あ〜〜〜もう、腹が立つのじゃ。」
ぐびぐびとグラスを干すシエラ。クラウスが見たらショックを受けそうな飲みっぷりだ。
「シエラよう、シュウのいないところでクラウスにモーションかけたらどうだよ?」
ビクトールにしてみれば、会議室とか食堂とか図書室とか、そばにシュウがいそうなときばかりを狙ってクラウスに声をかけているようにしか思えない。
「たとえば、夜にクラウスの部屋を訪ねてだなあ、眠れないのでお酒にちょっとつきあってもらえませんか〜とかなんとか。これで落ちない男はいないぜ、きっと。」
がははと笑うビクトールに、腐れ縁の青年はあからさまにイヤな顔をしてみせた。
「おまえじゃあるまいし、そんなのにクラウスがひっかかるわけないだろう。」
「いや、引っかかる。おまえだって覚えがあるだろ?」
「なにが?」
「ほら…桐涯の町で、オデッサが…。」
チャキ。
フリックの目が細くなったのと同時に、ビクトールの肩に冷たい刃が乗る。
「次の言葉を遺言にしたいっていうんなら、先を続けるんだな。」
「…う…すまん、ちょっとした冗談だ。」
マイペースのハンフリーが徐に口を開いた。
「クラウスに近づきたいのなら、あまりシュウの機嫌をそこねんほうがいいのではないか?シエラ。」
至極もっともな意見を吐く。”将を射んと欲すればまず馬を射よ”の故事をひかなくても、それが正しいことくらい、シエラにもわかっていた。わかってはいるのだが。
「…かやつは、どうもムシがすかんのじゃ。」
人の子の何倍もの年月を生きてきた少女の、あまりに子供っぽい言葉はハンフリーの笑みを誘った。透白い肌に、今夜は酒のせいかやや血の気がさしていて、それでプウと頬を膨らましている様子は、なんとも幼くて微笑ましい。
「ならば、もうちょっと目だたんようにするといい。仕事中にクラウスに手を出せば、立場的にシュウだって注意しないわけにはいかんのだ。でなければ、彼も木石ではないだろうから、部下の恋愛にまで口を出す気はあるまい。」
「わかっておるわい。」
言葉は拗ねているけれど、シエラが納得してくれたようだ。これで収まったかと三人胸をなで下ろす。酒のおいしく飲める時間を、ようよう取り戻したと思った瞬間。
「まあ、かやつもあの年で彼女一人もおらぬようじゃし、クラウスと妾の仲を見せつけられて、心中穏やかならずでついつい余計なちょっかいをかけてしまうのは仕方あるまいの。本来ならば、妾の恋愛の邪魔をするような不届き者は、紋章の名にかけて制裁を加えるところじゃが、クラウスの上司故に勘弁してやるわい。」
「……。」
一体、ハンフリーの言葉のどこをどう解釈すれば、そこまで自分オンリーな結論にたどり着けるのか。
ハンフリーはそう思ったが、生来の無口と諦めの早さの為に何もいえなかった。
「ようは、かやつの嫉妬心を煽らねばよいわけじゃな。明日の会議が楽しみじゃ。うふふふふ。」
全然わかってないだろう、あんた、のツッコミはあまりにも危険なため口には出せないビクトールと、明日のクラウスの運命を思って同情の念を禁じ得ないフリックと、明日の会議室には近づかないでおこうと無表情で誓うハンフリーと。
四者四様の思いを秘めて、夜はようように更けていくのである。
■□■
会議は、初っぱなから冷たく凍えていた。あの真面目なフリード・Yですら、心底逃げてしまいたいと思うほどに。
「クラウス。」
シュウという男は、いついかなる時でも自分の立場を見失わないし、私情に任せて行動したことなど、今まで片手で数えるほどしかない。生まれつきがそういう人間なのである。自分の性質は滅多なことでは揺らぐことはない、そう周りも彼自身もかたく信じてはいた。だが、それが今、揺らぎつつある。しかも、これ以上ないくらいにくだらないことで。
「クラウス、一つきいてもいいか?」
シュウの傍らで、書類を用意していた副官は目に見えて体を強張らせた。怯えているのだ。
「は、はい。シュウ殿…何か?」
「その、肩に乗っているモノは、一体なんだ?」
クラウスの首にしっかりとしがみついている、純白の可愛らしい(?)生き物が、キーッと一声鳴いた。どうやら威嚇をしているらしい。
「それが…朝からずっと離れてくれないんです。」
「……朝からずっと?」
「あ、でも、全然重くありませんから。」
シュウの言葉をどう取ったのか知らないが、クラウスは頓珍漢な返事をする。
「………。」
これまで、シュウはシエラに対して、可能な限り理性的な対応を心がけてきたつもりだった。シエラがクラウスの私室に泊まり込んでいることも、クラウスの前限定の豹変ぶりも大目に見て、注意は仕事中だけに止めるようにしてきた。一応、年上ということで言葉も選んできたつもりだった。
やろうと思えば、シエラの正体が真なる月の紋章の継承者にして由緒正しき吸血鬼の始祖で、実は御年数百歳のお年寄りだとクラウスにばらすのは簡単だし、ハイヨーに頼んで食堂で中華(餃子中心)フェアーを一ヶ月間とか、彼女に長期の交易にいってもらうようにクラウスに頼んでもらうこともできた。
彼なりに色んな事を我慢してきたつもりだったのだ。
それを、だ。人が下手に出れば、神経を逆なでするような行動ばかりとってくれるではないか。喧嘩を売ってるのか、それとも天然か。どっちにしろ、もうそろそろ我慢の限界だ。軍師をなめたことを、一生後悔させてやる。
「クラウス、仕事中のペットは禁止だ。捨ててこい。」
「え?だって、これはペットでは…。」
「捨ててこい。」
「しゅ、シュウ殿…。」
半泣きのクラウスに、半キレのシュウは顔をぐいと近づけ、
「捨・て・ろ。俺とそいつとどっちを選ぶつもりだ。」
「え?え?え??え???」
愛弟子が大混乱しようが、会議どころじゃなくなってこようが、参加者全員が彼の大暴言に血の気をなくそうが、もうどうでもよい。
訳の分からないクラウスは、すっかり追いつめられて顔面蒼白だ。白い動物は相変わらず彼の肩に張り付きながら、シュウを睨み付けている。
一触即発の空気の中、一人だけ事態を理解していないクラウスが、その答えを…。
■以下、同盟軍の夕刊より抜粋■
──会議中におこった謎の爆発。
今日未明、会議室を襲った謎の大爆発によって、会議に参加していた正軍師含む十数人が重軽傷を負った。休戦中であるハイランド軍による攻撃か、それとも何か別の理由かはただいま捜査中である、とリッチモンド氏は語る。
尚、爆発直前に偶々その場を離れていたシーナ氏からこのような証言があった。
「乙女心ってやつを理解しないからこういうことになるんだよね。シュウもさ〜、もうちょっと上手くやれってかんじ?」
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