モドル

■追憶■

 まさか、こんな形で、シードと会うことになるなんて、クラウスには未だに信じられないでいた。

 マチルダ領でのハイランドとの小競り合い。乱戦状態で味方とはぐれ、馬を失い、気づけば見知らぬ土地で一人さまよう羽目になっていた。一応、剣は帯びてはいるものの、装備としてはなんとも頼りない。クラウスとて、軍人の端くれならば、一対一なら滅多に遅れはとるまいが、それも相手によっての話。ましてや、複数を一度に相手にする技量は持ってはいない。

 ――敵に遭えば、最期だな。

 見知った土地ならいざ知らず、右も左も分からぬような慣れぬ土地で、馬も失い一人きり。おまけに、クラウスがいるのは視界の利かぬ森の奥。戦闘の勝敗がわからない今、最初に遭うのが味方だとは限らない。生き残りたいのならば、最悪の状態を想定して、それへの対処を考えることだ。これは、現在の師から学んだことでもある。
 クラウスは冷笑を浮かべた師の姿を思い浮かべた。今の自分の様を見られたなら、彼の人の自分に対する評価が、また下がるだろうことは容易に想像できた。なんとかしなければ。いや、自分なら何とかできるはずだ。一時でも、自分はハイランドで一軍の軍師を勤めた身である。この程度の事態に動揺していては、その経歴が泣こうというものだ。

――大丈夫、なんとかできるはずだ。

 大抵の相手なら、クラウスが遅れをとるはずはないのだ。だが、まさかその最初に出会った相手が、"大抵の相手"どころか、最悪の相手になるとはいくら彼とはいえ、考えもつかなかったのだ。


 
「まさか、おまえに会うなんてな。」
 クラウスの目の前で、微笑さえ浮かべて、シードは彼を見据える。冷笑と侮蔑の眼差しは、全くもってシードには似合わなかった。
「シード・・・。」
 殺される、とも、逃げなければ、とも思えなかった。シードは少しも変わってはいない。目も口も、乱暴な口調も、剣を構えたとき、左手が遊ぶ癖も。何もかもがクラウスの知っている彼のまま。
 なのにどうして、自分は彼に剣を突きつけられているのだろうか。木を背に回してしまったクラウスには、もう逃げ場がない。
「…裏切り者に気安く呼ばれるほど、俺は安っぽくないつもりだがね。」
「シード、私は…。」
「気安く名前を呼ぶなって言ってんだろうが!」
 剣が一閃した。よこなぎにマントが切り裂かれ、無様に垂れ下がる。
「剣、抜けよ。死にたくなったらな。」
 突きつけられた剣の切っ先の狙う一点は、間違いなく自分の喉元。シードがほんの少し足を踏み出せば、剣を持つ手に力を込めれば、それだけでクラウスには死が訪れる。

―殺される?シードに?

 ああ、それもいいかもしれない。彼になら殺されても仕方がない。
 ハイランドを裏切り、皇帝を裏切り、シードとの約束も破ってしまった。生きて虜囚の辱めを受けるくらいなら、敗北を知った時点で死ねばよかったのだ。そうすれば、シードを傷つけずにすんだのに。
「剣を抜けって言ってんだ、俺は。」
 ささくれだった言葉が、クラウスをうつ。苛立つ剣先が、僅かに彼の喉を傷付けた。それでも、やはり動けない。
「俺が本気じゃない、なんて思ってんじゃないだろうな?」
 本気じゃない?そんなことを思うわけがない。シードはいつだって真剣で真っ直ぐで、そんな彼がクラウスはとても好きだった。共にハイランドのために戦いたかった。その気持ちは同盟軍に組してからも、決して消えてしまったわけじゃない。
 兇皇子は、今はもう亡い。ハイランドは皇王ジョウイのもとで、その正しい形を取り戻すだろう。だけど、もうそこにはクラウスの居場所はないのだ。
「…。」
「…。」
 何時まで、そうやって対峙していたのか、クラウスにはわからない。目をそらしたのも、どちらが先立ったのか。それもなにもかもが判らないままに。不意に、剣がクラウスから離れる。未だ動けないクラウスをそのままに、シードは踵を返した。
 
「シード…!」
「弱いくせに、戦場に出てくんな。」
 
 待ってほしい、といいかけたが、やめた。一体、何がいえるというのだろう。アガレス皇帝の暗殺やラウドの裏切り。いいたいことは沢山あったような気がしていた。だが、今となってはどれもこれも空しい些事になりはてて。あんなに近かったはずのシードとクラウスの距離も、お互いの心を感じられないくらいに離れてしまっていたのだ。

 判っていたはずだのに、認めたくなかった。シードはクラウスの友達で、憧れで。とても好きだったから。

 遠ざかっていく白い軍服。もう名を呼べない相手の名前を、胸の中で繰り返しながら。目をそらせずに、クラウスは黙ってただ立ちすくむばかりだ。

(2002/06/24)


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