モドル

■一欠けらの嫉妬

 別にたいした話をするわけじゃない。たわいもない出来事―たとえば散歩の途中、桜の蕾が膨らんでいたとか、会議でイヴァンとアルフレッドが口喧嘩したとか、迷い猫をヘラクレスに返しにいったら、何故だか喧嘩になったとか、アーサーが自慢の紅茶をスコーンと一緒に持ってきてくれたとか。お茶を飲みながら、サディクが菊と話すのは日常のごくごくありふれたことばかりだ。
 今日だって、当然のごとくに遊びに来た彼と、いつもと同じような話をしていたはずだった、が。

「あの、あの・・・サディクさん?」
「何でしょう、菊さん?」
「どうして、私、こんなことされてるんでしょうか?」
「どうしてでしょうねぇ。」

 雑談の途中で、いきなり押し倒された。畳に押し付けられた体は、いくら力を込めてもサディクの両手に捕えられ、動けない。ずっと年下のはずな彼は、菊よりもずっと大きい。仮面を外した顔も、押さえつける腕も大人の男のものだ。が、行為とは裏腹に、サディクはいつものように笑っている。怖いというよりも不可解だ。

「なんていうか、衝動的にやっちまったかなってとこですかねぁ。」
「衝動的?!なら今すぐどいていただきたいのですが。」
「まあ、そんな急がなくてもいいじゃねぇですか。」

 ウインク付きで、サディクはかんらかんらと笑う。

「菊さんは、俺にこんなことされるのは嫌ですかい?」
「サディクさんだからとか、そういう問題ではありません。そもそも嫌とか嫌じゃないとかそういう問題でもありません。」
「そういう問題でなくても、今は、それを考えてもらえませんかね。こうされるのが嫌かそうじゃないか。」

 やはり、サディクは笑っている。菊のことを組み敷きながら。ちょっとしたジョークですぜぃ、そういいながら、答えを聞くまでは絶対に動くつもりはないようだ。

「サディクさんが、どうしてこんなことをするのか、それを教えてくれないと答えられませんよ。」
「……………」

 サディクの笑顔が固まったのが、菊にははっきりわかった。

「今、こんな状態なのに、そんなとこからですかい、菊さん。」
「おっしゃっている意味がよくわかりません。」

 菊の言葉を聞いているのかいないのか、サディクは心底情けない顔をして唸り声をあげる。

「こんなにストレートに意思表示しても通じないってぇ、あんたどんだけ鈍感なんです?」
「余計なお世話ですっ!」

 何が鈍感だ?意志表示?何の?いきなり人を押し倒しておいて、失礼な……。
 そこにいたって、ようやく。流石の菊も思い当たる。鈍感?意志表示?…………。
 そう考えてみれば、この体勢は、つまり。

「んーー、どうやらようやく気付いてもらえたってとこですかねぃ?」

 不意打ち過ぎて、感情を押し殺す時間もなかった。意識したとたんに、顔が熱くなる。サディクの笑顔はさっきから少しも変わらないのに、視線を向けられない。

「あ、え?」
「まぁ、そういうこってす。」

 またもやサディクのウインクが降ってくる。ひとさまを押し倒しておきながら、えらく楽しそうだった。

「で、さっきの話に戻るんですがね。どうですかい、菊さん?」
「…え?…何がですか?」
「いやいや、こうされるのが嫌ですかい?って話です。どうしてこんなことするのかってのは、菊さんにもわかったでしょうからねぃ。」

 嫌ですかい…って、そんなことを聞かれても正直困る。非常に困る。何故ならば、菊はサディクに押し倒されたことについて、嫌だと少しも思わなかったからだ。さらに言うなら、嬉しいとも思わない。これをうまく伝えられる自信がなかった。
 だが、返事をしなければサディクのことだから絶対に動かないことも分かっている。菊は小さくため息をついた。

「嫌、ではありませんよ、サディクさん。」
「それはありがたい。」
「でも、嬉しくもありません。」
「…………なるほど」

 色々柔らかい表現方法をひねり出そうと努力はしてみたものの、最終的には直球勝負。菊を見下ろすサディクと、サディクを見上げる菊の視線がぶつかる。お互いにどうしたらいいのかわからない顔をして、だからこそどちらも先には動けない。根負けしたのは、サディクのほうだった。

「菊さんは、怖いお人だ。」

 両手をゆっくりと菊の手から離して、サディクの体が菊の上から移動する。無造作にのしかかっているようで、その実、細心の注意を払っての行動だったのだ。だって、少しも重くなかった。

「あんな方法を試してみるサディクさんだって、十分怖い性格ですよ。」

 気持ちを確認したいのなら、他の方法はいくらでもあったのだ。あんな一か八かな方法で試すなんて、菊には真似できない。
 サディクが差し出す手を握って、起き上がる。まるで何もなかったかのように、元通りに。

「衝動的ってのは嘘じゃないんですぜ。まあ、あれでぼかんとやられても仕方ないかなあとは思いましたがね。」

 サディクが後ろ向き発言をするとは珍しいことだ。菊が見つめれば、目をそらしてしまった。これもまた珍しい反応だった。

「なんだか……らしくないですね、サディクさん。」

 明後日のほうへ視線を向けたままのサディクは、どうやら照れているようだった。あまりな反応に菊が首をかしげる。あれだけ大胆な行動をとっておきながら、何を今更照れる必要がある?

「俺だってね…。」

 目をそらしたまま、サディクがつぶやく。真っ赤になっていく首が、菊の目に入った。

「菊さんが他の奴の話をするのを、笑って聞いていられない時だってありまさぁ。」



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