■一欠けらの嫉妬 |
別にたいした話をするわけじゃない。たわいもない出来事―たとえば散歩の途中、桜の蕾が膨らんでいたとか、会議でイヴァンとアルフレッドが口喧嘩したとか、迷い猫をヘラクレスに返しにいったら、何故だか喧嘩になったとか、アーサーが自慢の紅茶をスコーンと一緒に持ってきてくれたとか。お茶を飲みながら、サディクが菊と話すのは日常のごくごくありふれたことばかりだ。 「あの、あの・・・サディクさん?」 雑談の途中で、いきなり押し倒された。畳に押し付けられた体は、いくら力を込めてもサディクの両手に捕えられ、動けない。ずっと年下のはずな彼は、菊よりもずっと大きい。仮面を外した顔も、押さえつける腕も大人の男のものだ。が、行為とは裏腹に、サディクはいつものように笑っている。怖いというよりも不可解だ。 「なんていうか、衝動的にやっちまったかなってとこですかねぁ。」 ウインク付きで、サディクはかんらかんらと笑う。 「菊さんは、俺にこんなことされるのは嫌ですかい?」 やはり、サディクは笑っている。菊のことを組み敷きながら。ちょっとしたジョークですぜぃ、そういいながら、答えを聞くまでは絶対に動くつもりはないようだ。 「サディクさんが、どうしてこんなことをするのか、それを教えてくれないと答えられませんよ。」 サディクの笑顔が固まったのが、菊にははっきりわかった。 「今、こんな状態なのに、そんなとこからですかい、菊さん。」 菊の言葉を聞いているのかいないのか、サディクは心底情けない顔をして唸り声をあげる。 「こんなにストレートに意思表示しても通じないってぇ、あんたどんだけ鈍感なんです?」 何が鈍感だ?意志表示?何の?いきなり人を押し倒しておいて、失礼な……。 「んーー、どうやらようやく気付いてもらえたってとこですかねぃ?」 不意打ち過ぎて、感情を押し殺す時間もなかった。意識したとたんに、顔が熱くなる。サディクの笑顔はさっきから少しも変わらないのに、視線を向けられない。 「あ、え?」 またもやサディクのウインクが降ってくる。ひとさまを押し倒しておきながら、えらく楽しそうだった。 「で、さっきの話に戻るんですがね。どうですかい、菊さん?」 嫌ですかい…って、そんなことを聞かれても正直困る。非常に困る。何故ならば、菊はサディクに押し倒されたことについて、嫌だと少しも思わなかったからだ。さらに言うなら、嬉しいとも思わない。これをうまく伝えられる自信がなかった。 「嫌、ではありませんよ、サディクさん。」 色々柔らかい表現方法をひねり出そうと努力はしてみたものの、最終的には直球勝負。菊を見下ろすサディクと、サディクを見上げる菊の視線がぶつかる。お互いにどうしたらいいのかわからない顔をして、だからこそどちらも先には動けない。根負けしたのは、サディクのほうだった。 「菊さんは、怖いお人だ。」 両手をゆっくりと菊の手から離して、サディクの体が菊の上から移動する。無造作にのしかかっているようで、その実、細心の注意を払っての行動だったのだ。だって、少しも重くなかった。 「あんな方法を試してみるサディクさんだって、十分怖い性格ですよ。」 気持ちを確認したいのなら、他の方法はいくらでもあったのだ。あんな一か八かな方法で試すなんて、菊には真似できない。 「衝動的ってのは嘘じゃないんですぜ。まあ、あれでぼかんとやられても仕方ないかなあとは思いましたがね。」 サディクが後ろ向き発言をするとは珍しいことだ。菊が見つめれば、目をそらしてしまった。これもまた珍しい反応だった。 「なんだか……らしくないですね、サディクさん。」 明後日のほうへ視線を向けたままのサディクは、どうやら照れているようだった。あまりな反応に菊が首をかしげる。あれだけ大胆な行動をとっておきながら、何を今更照れる必要がある? 「俺だってね…。」 目をそらしたまま、サディクがつぶやく。真っ赤になっていく首が、菊の目に入った。 「菊さんが他の奴の話をするのを、笑って聞いていられない時だってありまさぁ。」 |