モドル

■異文化交流譚
 足を一歩進めただけで、それだけで菊の顔に脅えが走るのがはっきりと見て取れた。他人の恐怖を食らうのは、実に久々であることにアーサーは気づく。そして、同時にその感情の心地よさも思い出していた。
 そうだ、かつての自分はもっと思うさまに振舞っていたのではないか?欲しいものを奪い、立ちふさがる相手を叩きのめしてここまでやってきたのではないか。そんな時代は、もうとうに過ぎ去ってしまったと思いこんでいただけではないのか?
今、はっきりと思い出す。力と望みを。
 アーサーが進めば、菊はじりじりと後ずさる。彼は自分に怯えている。だけど、それだけだ。まだだ、まだ足りない。
「どうしたんだ、菊?何故逃げる?」
「そこをどいてください、アーサーさん。」
 扉はアーサーの背後にある。道を開けてやれば、獲物はあっという間に逃げてしまって、もう二度と戻っては来ない。どいてやるわけがない。
「まだ何の話もしてないだろ?これから、二人でゆっくり今後のことを…」
「そこをどいてください、アーサーさん。」
「断る。」
 菊の怯えが怒りに変わるのが、アーサーには手に取るようにわかった。怒りは人の行動を単純化する。真面目で一本気な、だからこそ、読みやすい相手。どこを押せばどんな反応が返ってくるか、もう彼の手の中だ。
 唇を噛みしめていた、菊の体が無言で動く。フェイクの欠片もなく、アーサーを真正面から押しのけようと、まっすぐに向かってきた。悲壮で絶望的な行動に失笑する。不意を突かれたのならとにかく、予測済みの行動ならば対処も簡単だった。
「お前、馬鹿じゃないのか?」
 青年の片手をとらえてねじり上げ、背後にまわりこむ。肘を食らう前にもう片方の手を封じれば、相手はもう動けない。
「俺は、話し合おうと言ったんだ、それを。」
 わずかずつ、手に力を入れてやる。それでも菊は声一つ上げない。
「拒絶するっていうのなら、こっちも遠慮なしにやらせてもらおうか。」
 泣き声一つでもあげてくれれば、もう少し手加減してやってもよかった。許しをこうてくれれば、それですんだのだ。悪魔で折れないというのなら、屈服するまでやるまでだ。
 折れるぎりぎりまで締め上げた手を放して、前へと倒れかかる菊の体を、背後から蹴りとばす。小さな菊の体は、あっけなく床に伸びた。うつぶせになった体を更に蹴り上げる。腹をかばって丸くなっても容赦しなかった。死なない程度に痛めつけて、菊が抵抗をやめるまで。
「菊。」
 ぐたりとなった青年に少し不安になる。名前を読んでみた。答えはない。
乱れた裾から、素足がのぞいていた。
「菊。」
 首筋に手をあて、そのまま胸元へ這わせる。脈は止まってないようだ。はだけた襟もとからのぞく肌は白い。
「菊。」
 口づけた。屈服させるもう一つの方法を試すために。

 青年の体は、紐を一つ解くだけで簡単に無防備になった。年の割に小さな体に、うっ血の跡が痛々しい。意識のない体も、与える刺激にはそれなりに反応を示してくれる。誰かを自分に従える喜びを久々に味わいつつ、うっとりとアーサーは菊の胸に唇を寄せ…。

×××

「これは…いったい何なんですか?」
 限界だった。最後まで読んでおられず、菊は本を閉じる。アーサーよりも数倍は年をくっているが、その彼の豊富な?人生経験においても、自分をネタにした大人向けの話を読まされるなんて初めてだ。反応に困る。いや、そもそもアーサーは何故これを自分に渡すのだ?
―まさか、次のイベントにサークル参加するつもりだから批評してくれとか?いや、アーサーさんに限ってそれはないでしょうけど・・・。
 よせばいいのに、スペースに座っているアーサーの姿を想像してダメージを受けてしまった菊である。まして、ネタは自分とアーサーだ。痛い、あまりにも痛すぎる。
「菊、読んでみてどうだ?」
「どうだ?って言われましても。」
 どういう答えを期待しているのか、アーサーの眼は期待にキラキラ輝いていて、ますます菊の口は重くなった。 
「俺なりに二次元を理解してみたんだ。俺たちは同盟を結んでいたときも、お互いの文化を理解し合うという視点がなかった。で、まあ、今回俺は自ら菊の文化の一部を表現してみたんだが…」
「なんで、そんな局地的な…一部受けするような文化を表現しなくったって…文化交流ならもっと一般的なものがあるでしょうに。」
「これは、お前が言っている二次元とは別のもののなのか?」
「いえ、同じは同じなんですが…私が言っているのはそーいう問題ではなくてですね。」
 我が国の代表文化イコール二次元なんて…我が国は妄想国家ですか。他の方々にも同じように思われていたらどうしよう。
「まあ、いいですけど。」
 とはいえ、体当たりで相互理解を試みてくれたアーサーをむげに扱うのも気が引ける。
「でも、その、努力してくれた、アーサーさんの気持ちといいますか、そういうものは有難いですから。」
 内容はとにかく、とは流石に付け加えられなかった。が、次の瞬間、菊はアーサーに抱きしめられていた。
「!ちょ、ちょ!アーサーさんっ!な、なにをっ!?放してください!」
「よかった!俺、二次元をちゃんと会得できたんだよな!これで、おれの努力も報われたんだよな!」
 菊の抗議は、舞い上がっているアーサーの耳にはこれっぽっちも届かない。この話を書きあげるまで、彼は無駄に悩み苦しんだ。それが今ようやく報われたのだから。腕の中で暴れている菊に構わず、耳元に口をよせ、アーサーは熱っぽく囁く。
「なぁ、菊。お前も俺の文化に挑戦してみてくれないか。」
「え゛。」
 非常に嫌な予感がした。耳まで真っ赤に染めた英国紳士殿の声は、変に上ずっている。
「てっ、手始めに、三次元をじ、実践しよう、俺と。」
「え゛?」
 絶対に、生の方が二次元よりも気もちいい、いや、俺が気持よくしてやるから。潤んだ瞳でアーサーはさらっと怖いことを囁きかけてくる。いえ、お気持ちだけいただいておきます、とか大変ありがたいのですが、今回は遠慮しておきますとかこの期に及んでの、菊の回りくどい拒絶の言葉は、悲しいかな、文化圏の違う相手には全く通じない。暴走する相手に抱きしめられて、貞操の危機真っ最中、なんて、どこかのエロゲーさながらのシチュエーションに、菊はやっぱりリアルよりもフィクションがいいと思ったとか思わなかったとか。


相互理解には色々問題がありそうです。

2008/12/9
モドル