モドル

■注意一秒、怪我一生 1


 遠坂の当主様から俺、間桐雁夜に―臓硯を介さず―直接呼び出しがかかるなど、本当に珍しいことだった。しかも、相談ときたもんだ。あの、時臣から、俺に相談?明日は槍でも降るんじゃないだろうか。そう毒づきながらも、いそいそと遠坂邸へ出かける俺は馬鹿だと思う。わかってるからほっといてくれ。
 ところがどっこい、そうそううまく話は進まないものだ。葵さんには新都で和菓子、凛ちゃんには髪飾りのお土産まで準備していったのに、二人そろって禅城の家に里帰りだと?久々に葵さん手ずからの紅茶が飲めるとか、年甲斐もなくうきうきしていた俺のときめきを返してほしい。時臣が入れてくれた紅茶もそれなりに美味しいのだけれど、それにしたって葵さんが入れてくれるそれには到底敵わないのだ。しかも、ついつい癖で和菓子をお土産にしてしまったけれど、遠坂に土産なら洋菓子が無難だった。どうも俺は間が抜けている。
「で、相談ってなんだよ?」
 色々と当てが外れたせいで、遠坂の客間に迎えられた俺は少しばかり機嫌が悪かった。勿論、人間ができていらっしゃる遠坂の当主様は、俺の態度の悪さを咎め立てなどなさらない。
 やさぐれ気味の俺に比べ、時臣は常に泰然。ティーカップを静かにテーブルに戻すと、時臣はおもむろに口を開く。
「いや、こんなことを頼むのは心苦しいのだけれど、雁夜。お金を少々融通してもらえないだろうか?」
「はい?」
「いや、だから、お金を貸してほしい。」
 時臣からの相談について、一応俺も事前に色々予想はしていた。だけど、こんな俗なネタだとは想定外だ。そもそも時臣がお金に困る、ということが俺の中ではあり得ない。
「そこは聞こえてるよ。・・・また何で?遠坂は冬木のセカンドオーナーだろ?不動産収入や家賃収入だってあるし、俺の家よりもよっぽど資産家じゃないか。」
 ぶっちゃけ冬木の町では、市長よりも遠坂家のほうが力がある。それに遠坂の代々当主は商才にも長けており、受け継いだ資産を順当に増やしているというもっぱらの噂だ。間桐も資産家、といえないこともないが、それでも遠坂にはとても敵わない。
「それはまあ、そこそこの資産はあるけれどね。無尽蔵というわけではないよ。」
 "そこそこの資産"ねえ。謙遜も過ぎると嫌味だろうと思ったが、時臣は至って素である。
「そりゃわかるけどな。わざわざ俺に借りてまで何に使うつもりだよ?」
 始まりの御三家、と言えば聞こえはいいが、間桐と遠坂は聖杯戦争が一度始まればたちまち敵対関係になる間柄だ。桜ちゃんが間桐の養女になってから緩みまくりだが、以前はガチガチの不可侵条約で全くの没交渉だったのだ。今となっては表だっての交流こそないが、現に今俺がこの遠坂の屋敷を訪れる程度の関係はできている。だけど、間桐に借金の依頼をするほどの信頼関係はないはずだ。臓硯に貸しを作ったら、三倍返しどころじゃすまない。時臣はそこのあたりをちゃんとわかってるのか。
「遠坂が宝石魔術を得意としているのは、君も知っているだろう。」
「まぁな。」
「魔力効率がいい上に、複数の術式を発動するには非常に便利な触媒でね。一般に流通しているから入手経路も確立されてるし、軽いから携帯性も高い。」
「・・・・・・・・・・・・。俺の家の蟲より、世間体がいいのは認めるよ。」
 俺はカップに残った紅茶を飲みほした。宝石魔術に優れた点が多い―少なくとも蟲よりは―のは、俺も認めざるをえない。気にするなよ、俺。時臣は宝石魔術の自慢をしたいわけではないのだ。前置きが長すぎるのは、お貴族様な時臣のいつものパターンではないか。
「宝石魔術の唯一の欠点は、触媒として性能の高いものほど高価になる点だ。更に、モノによっては多くの人手に渡ったもののほうが効果が高い場合がある。」
「元の持ち主の念が絡んでいた方が、魔術効果が上がるとかいうパターンか?呪術みたいだな。」
「それに近いね。」
「で。」
 紅茶のおかわりは?という時臣のジェスチャーを、俺は手で制する。長々と魔術講義を聴講したけれども、時臣は結局本題に直接触れてない。何が言いたいのかは分かる、分かるんだが、何でお願いごとを聞く方がそこまで察してやらないとならないんだ?
「ここまで話せばわかるだろう?雁夜。」
「”いい出物があったけれども、相手はすぐにお金を欲しがってる。で、タイミング的に遠坂の当主様にも即金が難しい額だった。時計塔や教会の伝手を頼るのも考えたが、変に貸しを作りたくないし、今から根回しでは間に合わない。その点、間桐なら古い盟約の関係もあるし、断られることもないだろう。”」
「凄いな、雁夜。ほぼ完璧だ。」
 出来の良い生徒を見守る先生のように、時臣は嬉しげに眼を細める。俺としては葵さんにならとにかく、時臣に褒められたって少しも嬉しくない。
「お互いに付き合いが長いってだけだろ。ていうか、ほぼってなんだ、ほぼって。」
「最後の部分かな。私としては間桐に頼むのではなくて、雁夜に頼んでいるつもりなんだけれど。」
 そうきたか。なるほど。だから、形式だの誇りだの、俺からみれば蟲に食われちまえとしか思えない代物を重んじる時臣からの直接の呼び出しだったというわけだ。時臣個人の、俺に対する依頼という体裁ならば、リスクその他諸々のしがらみも少ないうえに、融通がききやすい、と思ったのだろう。ある種の気安さなのか?それとも単に舐められているのか?どっちにしても、時臣に貸し一つってのは悪くはないが、俺は素直に依頼を受けるような可愛い性格はしていない。
「・・・・・・ジジイに貸しを作るより、俺の方が御しやすいもんな。」
「どうとってもらっても構わないが・・・どうだろう、雁夜、頼めないか?」
「金額は?」
「**カラットのカシミールサファイア。2000万。」
 さらりと金額を言ってくれたが、結構な価格だ。時臣にとってはこの程度の金額は驚くには値しないのか。基本使い捨ての魔術触媒、なんだぞ。そりゃいくら稼いでも追いつかないわけだ。
「・・・・・・・俺だって即金で出せる金額じゃないぞ。」
「無論だ。雁夜に持ってほしいのは半分。後はこちらで何とかできるからね。」
 俺は頭の片隅で通帳残高を思い浮かべる。まあ、俺個人でなんとかなる額だった。
 さっきも言ったことだが、確かに間桐の資産は遠坂に遠く及ばない。だけど、召喚だの使役だのがメインである都合上、そのコストパフォーマンスにおいて圧倒的に遠坂を凌ぐ。早い話、蟲には餌代以外にお金がかからない。そして、俺も性格的に不労所得が許せなくて、臓硯から生活費を貰っていたにも関わらず、ついついアルバイトなんぞもしてみたりして。鶴野のように金のかかる趣味を持たないせいで、気が付いたら通帳の金額がえらいことになっていたとか。まあ、俺にとっての凄い金額は、時臣にしてみればたかが知れてるんだろうけどな、へん。それにしたって、おかげでこうやって時臣に恩を売れるんだから、結果オーライだ。
「わかったよ。でも、利子代わりに魔力を込めた宝石10個よこせ。」
「それこそ、何に使うつもりだい?」
「魔力を貯めておけるんだろ?魔力切れの時の携帯バッテリー代わりに使えるかなと。」
 俺の魔術回路数は、魔術師の平均値すれすれだ。魔術の行使なんぞ滅多にしないが、万一の時の予備バッテリーがあれば安心できる。保険はかけておいて損はないのだ。それに、一つ桜ちゃんに分けてあげたなら、きっとあの子も喜ぶに違いない。
「籠められているのは遠坂の魔力で、間桐の君の体に合うかどうか分からないよ。」
「あ、そうか。なら無利子ってのは癪に障るけど、しょうがないな。」
「魔力補給なら、間桐にだって効率的な方法があるだろうに。」
「蟲から、とかジジイから、ってのが嫌なんだよ。生理的に。」
 魔力の供給という点で、蟲が効率がいいのは百も承知だ。枯れかかっているとはいえ、俺も一応間桐の血脈。あれを食らえば、魔力切れなんていう無様な事態にはならないだろう。だがしかし、どうしても、あの、喉から胃の腑へと侵食する蟲の。思い出したくもない、あの感触。あれだけはどうにも受け入れ難い。時臣に言っても、きっと理解はしてもらえないだろう。だが、俺は一生あの魔術に誇りを抱くことはできまい。
「そういうことは、好き嫌い云々じゃないだろう。」
「俺の好き嫌いで片づけられるレベルじゃないけどな。まあ、選り好み出来る立場じゃない。でもま、最悪、桜ちゃんから魔力を貰うという手があるから大丈夫なんだけど。」
 そうはいうものの、桜ちゃんから魔力を貰うなんて最終手段もいいとこだ。ファーストキスが三十路前のおじさんなんて桜ちゃんも嫌だろうし。それをするくらいなら、蟲を一匹や二匹飲みこむ方がまだマシだ。桜ちゃんも蟲蔵に入ったことがある以上、甘酸っぱいファーストキスなんてちゃんちゃらおかしい話なのは分かってる。だけど、それはそれ、これはこれ、なのだ。
「・・・・・君はまさか、桜から魔力を?」
 自分の考えにふけっていた俺は、時臣の様子が変わったのに気付かなかった。
「何?気にするとこ、そこか?桜ちゃんはもう間桐の一族だから、俺が桜ちゃんから魔力貰おうが何しようが、お前に関係あるわけ?ああ、でも、さっきの利子代わりにお前が魔力わけてくれてもいいけどなー。」
 どうせできないだろ、馬鹿臣め。桜ちゃんはもう俺の家の子供なんだからな。ロクに調べもしないで、蟲ジジイのところになんぞ養女にやりやがって。おかげで、俺やら鶴野やらがどんだけジジイに譲歩を強いられたかわかってんのか、ばーかばーか。
 心の中でどんだけ時臣の悪口を言ったところで相手には聞こえない上に反論もないわけで、俺としては言いたい放題だ。時臣の事情も思いも気にしてなんぞやらないし、桜ちゃんの属性のことだって俺の知ったことか。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 『そんなことが出来るわけがないだろう?』とすぐ反論されると、俺は予想していた。ところが、だ。時臣は不機嫌に押し黙り、俺を見ない。あれ?なんでなんで?俺、なんか間違ったこと言った?厭味ったらしく嫌がらせを言ったけど、嘘じゃないし、本当のことしか言ってないぞ。
 それ以前に、どう考えたって今のは冗談に決まってるだろ、まさか本気にしたのか?時臣は俺とは比べ物にならないほど真面目な男であるので、まあその可能性も否定はできないが。これを本気に取られたのでは、時臣にはうっかりジョークひとつも言えなくなる。
「??おいおい。時臣、マジになるなよ?冗談だって。利子もいらないし、桜ちゃんから魔力貰ったりもしてないよ。」
「・・・・・・・・。」
 返事がない。うわー、まさか。本当に間に受けちまったのか。いくら俺でも幼女を襲ったりはしない。時臣が俺をそんな人間に思っているなんて、そっちの方が俺にしてみれば衝撃的な話なんだが。
「時臣ー?本当に冗談なんだけど・・・?」
 時臣の顔の前で手を振ってみた。反応がない、と思ったら時臣が顔を上げる。
「構わない、雁夜。利子を払おうじゃないか。」
「へ?いや、だから、いらない・・・。」
「遠慮する必要はない、私も君に借りっぱなしというのは心苦しいからね。なんならパスをつないでも構わないよ。」
 え?パス?ぱすって?なんでそんな話になるんだ??ああそうか、利子を払ってくれるわけか、宝石でじゃなくて。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 俺の背中に、温く気持ち悪いものがつぶつぶと湧くのがわかった。時臣の言葉を理解することを、俺の脳みそが拒絶している。
「友だち同士で利子を取ろうなんて、冗談に決まってるだろ?時臣、な?冗談だよ?」
「親しき仲にも礼儀あり、という言葉もある。私は雁夜に甘えていたようだ、すまないね。」
 謝罪を口にしている時臣の目は、とてもじゃないがごめんなさいと言っているそれではなかった。
「いや、甘えてもらっても俺は全然気にしないから。あの、もしかして、怒ってる?」
 確認するまでもない、何故か知らないが間違いなく怒っている。のんびり座ってる場合じゃない、今すぐここから逃げなければ。生きて間桐の家に、桜ちゃんの元に帰れないかもしれない。いや、生きては帰れるかもしれないけど、大事なものをなくしてしまいそうな予感がする。だけど、頭は理解しているのに、悪態はつけても体が動かない。まさか時臣の野郎、俺に何かしてるんじゃないだろうな。
「いいや、怒ってなどない。私は冷静だよ、雁夜。」
 冷静と言いつつ、目が座っている時臣がゆらりと立ち上がる。怒りのオーラが俺にすらはっきり見えるくらいなのに、声の調子だけはいつも通りとかってどんなホラーだ。
「う、嘘つけ!ていうか、なんで近寄ってくるんだよ!訳わかんねえ!」
「雁夜。そのままじっとしていてくれたまえ。すぐに済むから。」
 何が?何がすぐすむって?どうして笑いながら、俺の隣にやってくる?!間抜けなことに手首を握られてようやく、俺は自分の現状を正確に理解する。どうしてこうなった?俺が悪いの?いや、今そんなこと考えてる場合か?なんとかしないと、なんとかなってしまう、やばい。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て!!いや、本当にごめんなさい、俺が悪かったから!勘弁してくださ・・・っ!」

(2012/05/24)

※ギャグだと言えば済むと思っているな。


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