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■毒を食らわば皿までいこう 2

 どうせロクでもないネタだということは聞く前から分かっていたのだ。いつもそうだ。あの妖怪につい、あらぬ期待をして今まで幾度裏切られたことか。わかっていて、どうして自分はそれを聞いてしまったのか、どうしてそれに諾ってしまったのか。
 常ならば悲鳴を上げる体を引きずるようにして歩くその道を、雁夜はずかずかと歩を勧めていた。のんびり歩こうものなら、己が今から何をしようとしているか考えてしまう。臓硯からの提案。そもそも受けるべきでないことだった、だが、今更断ろうものならそれこそあの男に何をされるかわからない。進むも地獄、退くも地獄。ならばせめて、せめて前に進むべきだ。自滅しかないとしても、挑むことに意義がある。
 早い話、雁夜は半ばやけになっていた。普段なら不審者扱いされないよう、なるべく街灯をさけ、人目を避けていた彼が、そんな気遣いを頭っから無視でパーカーこそ目深にかぶっているものの、交番を避けることなく夜の冬木を闊歩しているのである。今の彼の頭には、臓硯の出した条件のことしかない。無論、雁夜はそれが成功するなどと少しも考えてはいない。ただ、それを相手にいいたくない。なんで自分がこんなことをしないといけないのか、自分が臓硯の案に乗ったにもかかわらず、今更雁夜はそんなことを考える。だって、まず九割九分断られる。分かっていても、それをもちかけないといけないなんて時間の無駄だ。嗚呼、行きたくない。嫌だ嫌だと思ってはみても、進んでいれば何れはその場所に着いてしまう。不慣れな土地なら迷って辿りつけなかった、俺のせいじゃない、の言い訳もアリだが、残念冬木はかってしったる雁夜の生まれ育った土地だ。
「あーぁ。ついちまった。」
 思わず間抜けな感想がこぼれた。そりゃ目指してきたのだから、当然と言えば当然。雁夜の眼前にそびえたつのは、冬木の魔術師、遠坂の館。目的地をまん前にして、未だ雁夜は迷っていた。いつもならこの場所は愛しい葵さんや凛ちゃん桜ちゃんの住む憧れの洋館であるが、今の雁夜にとっては足を踏み入れるのもおぞましい地獄門そのもの、まさに地獄の一丁目。この門の先に待っているのが、葵さんの笑顔だったらどんなに良かっただろうか。現実逃避も末期症状なのは、雁夜にも自覚がある。待っているのは大好きな葵さんどころか、出来れば二度と会いたくなかった遠坂時臣その人である。どうしたもこうしたも踏ん切りがつかず、遠坂邸の前を通り過ぎては戻り、戻っては通り過ぎ、を二回三回と繰り返し、これじゃあまんま怪しい奴だと思いなおして再度館の前に立った。警官にでも遭遇しようものなら、一発で職質対象であろう今の自分。いっそ捕まっちまえば、少なくとも時臣と顔をあわせずにすむのだが、そういった消極的な対処はできればしたくない。そうすると、ここで時間を食いつぶせば食いつぶすほど、犯罪者予備軍扱いされるリスクは高まることは必定なのだ、分かっているのだ。とはいっても、やっぱり行きたくない。
 遠坂邸の門扉を見つめつつ、雁夜は海よりも深く溜息を吐く。不甲斐ない次男坊の情けない姿を、臓硯はどこかできっちり観察しているに違いなく。それを思えば、あの妖怪の胸糞悪い哄笑まで雁夜の中によみがえってきてなんだか無性に腹立たしい。死んでも戻らぬつもりで飛び出した間桐の家へと舞い戻った時に、桜の為に己の命すら捨てると思い定めたはずだった。どんなことだって耐えてみせると、そう誓ったのだ、自分は。だがしかし。死んだ方がマシな経験というものが、世の中に多々存在することを、その時の彼は思いつきもしなかったのである。

――お前が本当にそれをやってのけることができるなら、だがな。

 条件を緩めてやろうなどと、よくも言ってくれた。敬意を表して、だと?あり得ない。沸々とわき出す怒りの感情と共に、雁夜の中に臓硯が出してきた新たな条件と皺んだ笑いがよみがえるのである。

■ ■

「遠坂の小倅とお前が魔力のパスを結ぶことを果たせば、桜の修業は取りやめてやってもよいぞ。」
 嫌らしい笑いと共に臓硯が持ち出した条件を聞いて、雁夜の肩の力は抜けてしまった。その程度でいいのか、とも思った。条件を緩める、の言を頭っから信じるほど雁夜も馬鹿ではない。が、曰く、パスを結ぶ、ということに何らかの魔術的意味があるのは間違いないとはいえ、雁夜にはさほど難しいこととは思えない。いくら時臣が魔術師とはいえ、サーヴァントの力には抗すべくもない。バーサーカーの力を借りれば、時臣の一人や二人何ほどのものであろう。とっつかまえて、パスでもなんでも儀式を執り行うことは簡単である、ように思えた。だが、臓硯がそんな簡単なことで桜の修行をやめてくれるわけがない。仏心なのか?いや、ありえない話だ。
「どうした、雁夜。なぜ黙っておる?桜を助けたいのではないのか?聖杯戦争を勝ち抜かんでも、お前の望みは叶うのじゃぞ?躊躇っておる場合ではあるまいよ、くくく。」
 楽しげに顔をゆがめる臓硯を透かしみても、雁夜には何も感じ取ることができなかった。臓硯の提案の裏には間違いなく何かある。生まれてこの方臓硯が、真実雁夜の為を思って何かをしてくれる、なんてことはあった例がなかった。今回も間違いなくその類だ。だが、タイムリミットに追われる身の雁夜にとっては、ただ時臣を捕えて儀式を行うだけの条件はこの上なく魅力的で、聖杯を手にするよりも容易に思えたのだ。桜を葵のもとに返せれば、少なくとも雁夜の望みの一つは叶う。悩んでいる時間すら、雁夜には貴重だった。
「時臣とパスを結べば、本当に桜ちゃんの修行はやめるんだろうな?」
「わしも間桐の当主よ。虚言は弄さぬわ。ましてや息子相手にそのようなことはせぬよ。」
 大仰に否定する様は、胡散くささをますばかりだったが、
「その言葉を忘れるなよ。臓硯。」
 結局のところ、雁夜に選択肢などない。いいように踊らされているのは承知の上で、臓硯の書いたシナリオの筋を辿っていくしかないのだ。
 悪意しか感じない父親の笑顔に、雁夜は力強く頷き、
「その条件を飲んでやる。パスだろうがなんだろうが、時臣と結んでやろうじゃないか。」
 とまあ、例によって深く考えもせずに、そう宣言をして、しまったのだ。


 

(2013/03/27)

※時臣さんと雁夜さんがパスを結んで、臓硯さんに何の得があるのかとかは正直考えてなかった・・・・。


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