モドル

■毒を食らわば皿までいこう 5


 一方その頃、遠坂時臣は――。

 遠坂時臣の一日は、今日も平穏に終わろうとしていた。平穏と評するは聖杯戦争に参加する身としては聊か不謹慎な感想と思ったが、彼としてはそれ以外に言い表しようがない。数年前から綿密に計画だてて臨んだ戦は、計画そのままに進んでいた。教会と裏で手を結び、アサシンによる他のマスターたちへの監視も滞りない。あまりにも予想通りに過ぎて、無聊を感じることすらある。だが、この気の緩みこそが最も危険であることも、彼は知っている。このような時であるからこそ、慎重さを忘れてはなるまい。僅かな過ちで、聖杯を逃すようなことがあろうものなら、それこそ父祖に顔向けできない。これまでの労苦を思えば、ここでけつまづくなど、とても許されるものではなかった。己の詰めの甘さを知っている時臣は、故に聖杯戦争の為に思いつく限りの手を打っていた。彼にとっても、遠坂にとっても、聖杯戦争の勝利は目標であり、悲願である。60年に一度のこの機会、今度こそ逃すわけにはいかない。聖杯のためなら、どんなことでもしてみせよう。
 決意も新たにした時臣の眼下の、彼のいる客間の窓辺からは、庭園の魔術結界が赤く瞬くのが見てとれた。遠坂の魔術を籠めたコブシ大の赤い宝石を中心に、見えない結界は屋敷をほぼ隙なく覆い尽しているのだ。これがある限り、他のマスターに不意を打たれる可能性は少ない。明滅する光は、結界が正常に働いている証拠でもある。その光を見下ろしながら、時臣は今まで何度となくしてきたように、己の計画にどこか不備がないか、ほころびはでていないか、を確認する。現時点において、計画が遺漏なく進んでいるのは間違いなかった。些細なイレギュラーで令呪の一画を失ったが、計画を修正するほどのことでもない。ただし、アーチャーの宝具を他のマスターたちに曝したのはやや痛かった。あれで、アーチャーの正体に気付くマスターも出てこよう。
 突如乱入した黒い甲冑のサーヴァント、あれがバーサーカークラスであることは疑いようがない。でなければわずかな時間とはいえアーチャーと同等に渡り合えるはずもなかった。何のつもりか知らないが、バーサーカー、いや間桐のマスターも余計なまねをしてくれたものだ。いくらバーサーカーとはいえ、原初の英雄王に敵う英霊などそうそうありはしないのに。まして、マスターは一度魔道に背を向けた愚か者、落伍者だ。

――まさか聖杯を求めて間桐に戻るとは・・・所詮その程度だったということか?

 間桐雁夜。間桐の次男である彼の事を、時臣は知っている。御三家の一人として、栄えある間桐の後継者としてあるべきだった青年の、その名を思えば、脳裏に彼の姿が浮かぶ。黒髪で目立たない容貌の、間桐の人間と知っていなければ一般人の中に埋没して、きっと時臣には何の印象も残らなかったであろう。それほど常の雁夜は平凡であり、言葉は悪いが上手くヒトに化けていたのだ。
 一般世界から魔術を秘匿するは魔術師としての義務である。よって、雁夜が凡俗に紛れていたことは、時臣に少しの不信も抱かせなかった。魔術など知らぬ気に振る舞うのも、擬態のためだと時臣は思い込んでいたのである。
 それゆえ、当時、時臣は信じていた。雁夜は自分と同様、己の血に誇りを抱き、御三家の一人として聖杯戦争に参加できることを喜び、不可侵の両家ではあるが、魔術を共に競える相手として時臣との出会いを幸運だと思っている、と。最終的には相争うことにはなるが、根源への到達という大いなる目的へ向けて、互いに研鑽を積んでいければ、とそんな夢想すらした。だが、そんな時臣の夢を雁夜は真っ向から裏切ったのである。
 間桐の家を捨て、冬木を出る、そう時臣に告げたときの雁夜の姿がふいに時臣の中に浮かんだ。口元だけに笑みを張りつかせて、だのにその目は欠片も笑ってはいず。その若さに似合わない諦観と悲哀を含んだ縋る視線を思い出すのだ。何か言いたげに、だが結局、いつもと同じく何も言葉に出さず。そうして、時臣の言葉に反論すらせずに、彼は立ち去ったのだった。追いかけることも、引き戻すことも、その時の時臣はすることができなかった。ただ、雁夜の裏切りが腹立たしく、今から思えば怒りを覚える程度には、時臣は雁夜に好意と期待を抱いていたのだろう。時臣にとって、雁夜の記憶は未だ苦さを失っていない。出来れば会いたくない相手ではある。だが、彼が聖杯戦争に参加する道を選んだ以上、その希望は叶うまい。貴き魔道の道を捨て、凡俗を選んだ彼の間違いを今は責めようとは思わないが、この期に及んで間桐に舞い戻り聖杯戦争に参加しようなどという無様、例え間桐の翁が許したとしても、遠坂の主としてはとても許すことができない。彼が聖杯にかける望みなど知らない、かつて思い描いた未来も今となっては時臣の汚点である。もし再び彼に相まみえることがあったなら、その時は。

「私が君を倒すしかないだろう、雁夜。」


■ ■


 と、努めて思い出すのを避けていた雁夜のことを考えて、珍しくも御腹立ちになられた遠坂の当主様は、聞き慣れない足音がここへ向かってくるのに気付いた。綺礼のものでも、当然アーチャーのものでもないそれは、ひどく乱暴かつ耳障りで、遠坂の館にそんな無粋な来訪者は久しくいない。侵入者か、いやあり得ない。遠坂の魔術結界を、その主に全く気付かれることなく突破するなんてことがあり得るはずがない。それに、こんなに足音高く近付いてきて己の存在をアピールする侵入者など聞いたことがなかった。凛は妻と一緒に既に禅城に避難しているし、万一戻ってきたとしても遠坂の家訓を日頃から口酸っぱく伝えている娘が、こんな不作法をするはずもない。ここに来る可能性がある人間は極めて限られている、そして、この足音はその誰とも合致しないのだ。
「・・・・。」
 魔術礼装をうっかり地下室に置いたままだったことに、時臣が一瞬後悔したその時だ。客間の扉が、ノックもなく乱暴に開き、
「時臣っ!俺とパスを繋げろ!!」
 時臣が久方ぶりに思い出していたその御当人が、彼の前に転がり込んできたのである。そう、さながら嵐の如く、時臣の前に飛びだしてきた雁夜の言葉は衝撃的だった。幾重にも張り巡らされた魔術結界、迎撃システムの数々を如何にして彼が攻略したのか、そんな疑問が些細な事に思える。そもそも雁夜は自分の言っていることがどういう意味を持つのか、ちゃんと理解しているのか。先ほど思い決めた雁夜への制裁もすっかり忘れ、ついつい時臣は聞き返してしまった。
「・・・今、なんと言ったのかな、雁夜?」
 先ほどの雁夜の言葉は、難攻不落の遠坂要塞への闖入者に動揺した自分の、聞き間違いの可能性もある、いや、聞き間違いであってほしい。内心、動揺を押し隠しつつ、一縷の望みに縋って問いかけてはみたが。
「パスをつなげろ!って言ったんだ!お前、魔術だの聖杯だの浮世離れしたことばっかり考えてるから、とうとう日本語まで分からなくなったのか?!」
 空気を読まない雁夜によって、ささやかなる希望は木っ端みじんに打ち砕かれた。相変わらず、無礼千万というか、不躾というか品のない物言いにムッとしたが、遠坂の当主としてそんな思いを顔には出せない。家訓の縛りは時としてやっかいで面倒くさい。
 大体、断りなしに他人の家に踏み込んで、何故に雁夜はこんなに態度が大きいのか。一応雁夜は御三家の一人である間桐の人間、本来ならばお茶の一つや二つでも出してもてなすところだが、その気もおこらない。目の前で息を切らしている彼は、明らかに体力を消耗しているようだったが、椅子を勧めてなんてやるものか。
 不測の事態に動揺するあまり、時臣の頭からは聖杯戦争だの敵方マスターだのは、すべて吹き飛んだ。本当ならば、相手のペースに巻き込まれる前に戦闘に入るべきだったのであるが、いやはや既に手遅れだ。
「雁夜、私は日本語を理解しているけれども・・・。」
「もっと分かりやすく言ってやる!俺と(ピー)しやがれ!!」
 あまりといえばあまりな言葉に、時臣は気絶寸前まで追いやられた。状況は時臣にとって不測の事態のレベルをとっくに超え、最早別次元の出来事である。ちなみに、雁夜の決定的な言葉を防いだのは、遠坂の客間に突然割り込んできたベルの音だ。神か仏か、はたまた世界の意思か。遠坂邸では、今まで誰一人として口にしたことの無い下品な言葉が響き渡るのを防いでくれた。神への信仰をもたない時臣であるが、名も知らぬ神にお礼を言いたくなったほどである。
「なんだこの音は!?」
 何が起こったのかわからない雁夜は、落ち着かなくあたりを見渡している。神の慈悲による介入に驚く彼は、いかに自分の発言がありうべからざるものか、これっぽっちも理解していないようだった。
「君の発言があまりにも不適切、かつ無礼傲慢非常識で万死に値すると世界が判断したんだろう。賢明な判断じゃないか。」
「あほか!この程度で世界に殺されてたら俺なんか命がいくつあっても足りないだろ!それに後半部分はお前の個人的感想じゃねえか!」
「たとえそれが私の個人的感想だとしても、今の君の発言よりはよっぽど理性的だろう。第一、私が君と魔力供給のパスを繋げる理由がどこにある?聖杯戦争で敵対中のマスターとパスを・・・などと申し出るほうがどうかしている。」
 敵対関係にないとしても、魔力パスのシステム構築など安易にできるものではない。それ相応の利害、信頼、義務、契約等など、すべての条件がそろうことが大前提だ。雁夜と時臣の間には、その必須条件が尽く欠けている。雁夜はどうだか知らないが、こちらにとっては恐ろしくハイリスク、ローリターンの申し出だった。それを承諾するなどと思っているのだとしたら、いよいよ彼の判断力を疑ってかからねばならぬ。
時臣としてはなるべく冷静に、かつ分かりやすく雁夜に理を説いたつもりだった、が。雁夜の反応はいよいよ落ち着きとは程遠くなっていくばかり。パスを繋げたところで、お互いに何の利益も無い、そう言ったところで彼の耳に入るかどうか。
「ごちゃごちゃ五月蝿いんだよ!とにかく、俺がそうすれば臓硯は桜ちゃんを助けると約束してくれた!なあ、時臣、俺と・・・。これさえ叶えてくれたらお前が聖杯を得るのを手伝ったっていいんだ。どうしたって俺はもうすぐ死ぬんだから、だから死ぬ前に・・・。」
「な、何を言ってるんだ、雁夜?死ぬなどと・・・。」
桜を助ける?聖杯を得るのを手伝う?雁夜が死ぬ?時臣にとって雁夜の言葉は全く支離滅裂で理解できるものではない。だが、必死に言い募る雁夜は本気だ。こんな世迷言にすらならない、狂人の戯言にしか聞こえないそれを本気で。馬鹿な、雁夜は一体何を考えているんだ?大体そんなことのために、死地にも等しいこの館に単身踏み込んできたのか?まさか、そんなはずは。それとも、雁夜には何か別の、新たな真実が見えているとでも言うのか?
 取るに足らない、考慮にも値しない雁夜のそれは、そう考えてみれば僅かながら納得できないことも無いが。
「死ぬ前にお前のむかつく余裕面が、屈辱に崩れるのを見てみたいんだよ!」
「・・・・・・。」
 期待したこっちが馬鹿だった、ということか。そもそも雁夜には本来あるべき魔術師としての常識が尽く欠落していたのを、さっくり失念していた。魔術の徒である時臣が語るのもおこがましいのかもしれないが、そもそもこれは一般常識レベルの話ではないだろうか。
 雁夜と言葉を交わすたび、時臣の背中にぐたりと疲れがのしかかる。平和すぎてちょっと暇だな、などと思ってしまってから、30分もたっていないのである。なのに、時臣のストレス値は今やボーダーを振り切りそうだ。会話のキャッチボールが上手くいかない相手とのやりとりがこんなに精神を摩耗させるとは思わなかった。今の雁夜とはまともな会話が成立しない。これ以上続けたら流石に優雅を保つことはできないだろう。制裁は次の機会にして、さっくり雁夜にはお引き取り願わねば、明日の聖杯戦争に差し障る。
「だから!」
「断る!雁夜、君は今自分の言ったことをよく考えてみたまえ!」
「何!お前、桜ちゃんが臓硯に何されてるのか知ってるのか!?それでもお前は父親かよ!」
「魔術の修行は凡俗の君には理解できないほど、厳しく迂遠なものだ。一般人の君がそれを理解してるとは思えない。」
「こ、この人非人野郎っ!」
「どうとでも好きに言ってくれ。聖杯戦争に君の助けなど必要ない、君と私がパスをつなぐ?冗談も休み休みにしたまえ。」
 問答無用で燃やされないだけ有り難いと思うべきなのだ。あまりにもあり得ない提案をしてくる彼に、不意をつかれた時臣がその選択肢を選び損ねたことを幸運に思ってしかるべきである。
 時臣にきっぱり拒絶され、雁夜はすごすご間桐へ戻るかと思いきや、どっこい彼はそのまま引き下がらなかった。蟲蔵を乗り越えた雁夜ならば、本来の豆腐メンタルは最早葵以外には発動しないのか。時臣の愚弄や拒否如きでは、雁夜はもう揺るがない、逃げ出したりしない。それどころか。
「・・・・・ふーーん、なるほど。」
 先ほどの感情的な態度は一転し、瘢痕の痕も生々しい顔面に嫌な笑みすら浮かべている。
「なにかね?用はもう済んだのだろう?さっさと間桐に戻ったらどうだ?」
「お前さ、ビビってるんだろう?」
「なんだと?」
「俺のこの申し出に、遠坂に不利な点なんて何も無い。労せずにして聖杯戦争のライバルが一人減るだけ。パスをつないだところで、お前に何のデメリットがあるよ?」
 いや、寧ろデメリットしかないだろ、と突っ込みたいが、優雅でないのでやめておく。遠坂の当主たるもの常に余裕をもって、相手の上を行くべきだ。例え相手が雁夜だろうが誰だろうが、冷静さをなくすわけにはいかない。まして相手のプライドを刺激することによって動揺を誘い、目的を遂げようとする安っぽい作戦に、そうそう簡単にのってなどやるものか。
「お互いに不快な経験は避けるべき、とは思わないのかね。」
「一時の感情で、聖杯戦争の勝率を底上げする提案を蹴り飛ばすのか?」
「君の存在が私の勝率を上げるとはとても思えないね。」
「でも、正面きって敵に回したいわけでもないんだろ?」

 その通りだった。バーサーカーと正面対決なんて愚の骨頂だ。狂化の恩寵は、膨大な魔力消費、制御困難を伴うとはいえ、それを補ってあまりある。バーサーカーとの戦闘で英雄王が破れることはよもやあるまいが、それにしてもバーサーカーの真名すら不明な現状で、あっさりと相手を切り捨てるのは躊躇われた。雁夜はとにかく、相手は間桐。彼の後ろには当然あの臓硯がいる。あの老獪な蟲使いが何の目論見もなく雁夜をここへ寄こすのは考えにくい。だが、間桐と遠坂の魔力パスの開通が、間桐に何の利益をもたらすというのだろうか。まして、御三家はみな同様に聖杯を欲しているのに、それを捨ててまでパスに執着するなど。根源への到達はすべての魔術師の悲願であろうはず、それに代わる願いなどあり得るはずもないのに。いや、しかし。
 考えれば考えるほど、思考の迷宮に絡めとられて答えが見つからない。間桐の目的が全く見えてこなかった。時臣もまさか臓硯がネタで雁夜にそれを提案したとは思いつくはずもなく、真っ当な理由なぞ始めから存在しないことに当たり前だが気付けない。

――もしやパスはブラフで、他に何か別の目的があるのか?・・・味方についたと見せかけ、油断させたところを・・・。あるいは今何かをしかけてくる?

 今の雁夜と距離はおよそ2mほど。何らかの攻撃を仕掛けられても十分対処できる距離ではある。飛び道具でもない限りは雁夜が時臣を傷つけることはできないだろう。と、そこまで考えたが、すぐにその可能性の考慮はナンセンスだと思いなおした。大体、不意打ちするなら客間に入ってきた時が最高のチャンスであったろう。それにあんなガサツな歩き方でやってくるはずもないのだ。
 とすると、一旦味方について?いや、そんな回りくどいやり方を今から始めるのでは遅すぎる。時臣が雁夜を信頼するころには、聖杯戦争は終わってしまう。では、本当にパスが目的だとでも?一体何のために?桜を助けるだと?どういう意味だ?
 頭が痛くなってきた。雁夜の望み、それが時臣には全く見当がつかない。つい先ほどまで、時臣にとって雁夜は付け焼刃の魔術で聖杯を目指す愚かな男、捨てたはずの魔術に未練を残し、間桐に舞い戻って桜の地位を危うくする卑劣漢であった。だが、そうであるはずの雁夜の行動は時臣の考えと矛盾する。聖杯はいらない、何故?桜を助ける、いったい誰から?もうすぐ死ぬ、負ける前提で聖杯を求めているのか?何故?何のために?
 いつもそうだ。時臣にとって、いつも彼の考えだけがわからない。知っているつもりだったのに、いつも雁夜を捉えられなかった。顔だけ見知る間柄でもなかった、それなのに、どうして。
 時臣は迷う。本来ならば一笑にふすべき雁夜の提案だ。むしろ、時臣のテリトリーに無策で飛び込んできた敵のマスターを始末する絶好の機会とすべきだった。だが、ここまで相手を懐にいれてしまった状態で。そもそも聞いてやってもいい、という姿勢を見せた時点で、もう手遅れだったのかもしれない。自嘲気味にそう思ってしまった。もう今となっては、この場で雁夜を殺すことはできない。
「・・・我が王の能力は、君たちのそれよりも高い。普通に戦って君らに勝ち目は無いよ。しかも君の英霊のクラスはバーサーカーだろう?長期戦になればなるほど君は不利になる。更に、君らには一撃でこちらを倒す術が無いように思うが。」
「相変わらず馬鹿みたいに情報収集してるんだな。そうさ、俺にできることといったら、一点突破でお前の王とやらが最後の最後までとっておきたい切り札を使わせるくらいのこと、だ。俺の命と引き換えに、な。」
「・・・・・・・・。」
 そんなことはただのいやがらせではないか。目的と手段を取り違えてどうするのだ、そう諭そうと思ってはみたがすぐに諦めた。一度こうだと決めたなら、梃子でも動かぬ頑固者。地味で目立たず、一見優柔不断な雁夜は、実はそういう人間だったことを思い出す。彼は必ずそうするだろう。例え、それがどんなに無意味で無益なものだとしても。
 無暗に命を投げ出すなど、彼は本当に何のために聖杯戦争に参加したのだ。時臣を妨害するためだけに、サーヴァントを行使する、そのために死んでも構わない、雁夜の言っていることはつまりそういうことだ。そこまで憎まれるほどのことをした覚えはない。彼の行動理由、時臣には皆目見当もつかなかった。やはり雁夜のことがわからない。
「・・・・・・・。この提案における、君のメリットは?パスをつないだといっても、バーサーカーを抱えている君に対して、無尽蔵の魔力供給を許すわけではない。儀式の最中に私を殺そうと思っているのなら、それは不可能だと先に言っておく。」
「桜ちゃんを臓硯から助け出せる。お前のアホ面が拝める。俺にはそれだけで十分なんだよ。」
「桜については君からの意見として一応考慮しておく。私の顔云々については、好きにしたまえとしか言いようがない。」
「イチイチ俺の言うことに返事するなよ、時臣。本当に頭が固いな。」
「要は私は君の考えが全く理解できない、ということだ。君の望みは、とても聖杯戦争を棒に振ることとつりあう望みではないよ。」
「ほっとけ。で、時臣、返事は?」
 自分の言っていること、やっていること、望んでいること、それが魔術世界の中でどういう意味を持つのか、雁夜は全く理解していないのだ。何が嬉しいのか、こんな常識外れの破天荒、こちらからすれば許すべからざる提案を持ってきた当の本人は、自分が投げつけた爆弾の効果も知らずにへらへら能天気に笑っている。そして、そのとき時臣にようやく天啓の如く閃くものがあった。雁夜は断られるのを承知でこんな提案をしてきている、と。間桐が遠坂に協力するという破格の条件を蹴り飛ばした愚かな男、と遠坂時臣を貶める為に、それだけの為にここへやってきたのではないか、と。冷静に考えれば、それこそあり得ない話ではあった。だが、ほんの一瞬、そう思ってしまった時臣の口から返事がぽろりとこぼれおちる。
「君の提案に乗ろう、雁夜。」
 そう告げた時、瞬間雁夜によぎった驚きの色が印象的だった。十中八九断ると踏んでいたのだろうと思う。してやったり、などと品のない考えを抱きはしないが、実際のところ、自身もどうしてこんな提案を受けたのか、よくわからない。遠坂の当主として、今までの聖杯戦争の行方をおよそ把握しているから知っている。バーサーカーのマスターは悉く法外な魔力消費に耐えきれず自滅の道を辿ってきた。生半可な魔術師ではバーサーカーを担いきれない。まして雁夜の、恐らくは短期間のやっつけ修行で得た魔力回路では、今、彼が生きていること自体が奇跡だ。早晩彼はバーサーカーに食い尽される、それは確定事項の運命。だからきっと、自分が愚かな男の提案を断れなかったのは、瀕死の相手に対する憐れみだか感傷だかそういった下らない感情のせいなのだ。
 まあなんにせよ。雁夜に気付かれぬよう、そっと口元を緩める。
――しっぽを巻いて、私の前からまた逃げ出しても構わないがね。
 その隙だけは沢山彼に与えてあげよう。そう、思っていた。かつて二人の間にあったかもしれない友情の残滓の為、勝算なしに単身遠坂邸に乗り込んで、下らない提案をしてきた雁夜の為に。
 彼が逃げ出そうがどうしようが、聖杯戦争の勝敗の行方には毛ほども影響を与えまい。バーサーカーを子飼いに出来る云々にしたところで、ただの座興だ。現状、事はすべて計画通りに進んでいる。予定通り過ぎて、少々の退屈すら覚えるほどに。ならば、少しくらいの寄り道をしたって許されるはずだ。気の緩みを防止する為にも、多少の刺激は必要だろう。上手くすれば間桐の当主の計画ものぞき見れるやもしれない。雁夜の案にのることは、遠坂にとって決して無駄になることではないはずだ。
 無駄にならない。聖杯戦争にとって多少の役には立つはずだ。実のところ、それが真実だろうがそうでなかろうが、本当のところはどうでもよくなっていたことに、時臣自身は気付かない。どうにも自分には理解できそうにないこの男に、少しは触れてみれば何かが変わるのかと、そう思ってしまった理由にも、その時の彼は全く気付くことはなかったのだ。

(2013/05/28)

※まさかOK貰えるとは思ってもみなかった・・・みたいな。時臣はとにかく、雁夜の発言はあまり深く考えてないかもしれない。これから雁夜の悪運EXが発揮されていくのであったりとか。


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