モドル

■毒を食らわば皿までいこう 7


「さて、では早速始めよう。雁夜。」
「ああ。」
 時臣が雁夜を案内したのは、遠坂の客室のひとつだった。カーテンが下りたままのこの部屋は、滅多に使われることもないのだろう。猫足のサイドテーブルにドレッサーはマホガニだかチークだか、雁夜には縁のないアンティークものだろう。西洋にルーツを持つ遠坂は、調度一つからして異国風で、どこかしら東洋に染まりきれないようだ。和風を好む間桐の当主とは随分と違う。
――ここ、葵さんも使ったことがあるのかな。
 こんなときでなかったら、葵さんが夜を過ごしたかもしれない寝室に通されて年甲斐もなくときめく・・・なんて夢見がちになれたところだが、現実は雁夜の妄想を許さない。これからのことを考えるだけで、ただでさえ少ない体力も精神力もガリガリ削られていきそうだ。逃れられない現実が近づいてくるにつれて、雁夜は時臣の顔が見れなくなった。自ら言い出したくせに、である。
 密かに悩み苦しむ雁夜を気にも留めず、時臣は常のごとくてきぱきと段取りをはじめていく。明りを灯し、ベッドの状態に視線を走らせて、完璧であることを確認すると、何が楽しいのやら雁夜に向けて満足げに笑いかけた。
「さて。魔力の供給パスをつなぐ方法として、刻印の一部移植などの方法もあるが、その方法の拒絶反応に君の弱った体が耐えられるとは思えないな。・・・他の方法もないわけでもないが・・・そうそう、私達は同性同士だから事前に役割を決めておかねばね。どうしようか、雁夜?」
 そうして、まるで夕食の献立を聞くのと同じような気やすさで、そう聞いてくる。だので雁夜はほんの一瞬何を聞かれているのか分からなくなった。オウム返しに聞き返してしまう。
「役割?」
「おいおい。君からの提案だろう?」
「あ、ああ。そうだったな。も、勿論、俺が主導権を握るに決まっているだろう!」
 当然だ。ここまできてしまったのである。雁夜が時臣を屈服させなきゃ意味が無い。間桐雁夜が、遠坂時臣を・・・その、あれである。だから、その、つまり。
 雁夜のこぶしに、非力ながらもぐっと力が入る。
 つまり、雁夜が時臣を押し倒したい、いや。押し倒さねばならない、ということだ。
 それは、いうなれば雁夜の心中の恥じらいというか、迷いというか、恐怖というか、現実逃避というか、そういった色んな感情の入り混じった果敢な決断による宣言だったのだ。だがしかし。
「そうか、ならばそうしよう。その点においては君に任せるよ。」
 そんな雁夜の悲壮さもどこ吹く風か、時臣にはあっさりと流された。役割云々、遠坂時臣にとってみれば些事である。魔術師としての契約とその対価こそが重要で、彼にすれば上だろうが下だろうがどうでもいいのだ。
「え?え?そ、そんなあっさり・・・。」
「異性ではないからね、役割にはある程度融通をきかせられる。」
 清々しくそんなことを言ってくる時臣が、雁夜には心底羨ましい。時臣の笑顔は本気だ。本気でどっちでもいいのである。
「そ、そうか。」

――どうしてお前はそんなにやる気満々なんだよ、男に魔力パスを結ぼうって言われてるんだぞ、普通もっと嫌がったりとか動揺したりとか恥ずかしがったりとか悲しんだりとかするだろ?
 だから魔術師って嫌なんだよ!常識が通じないから!とかいう雁夜の頭からは、自らそれを提案したのだという事実はきれいさっぱり抜け落ちている。
 時臣は時臣で、キョロキョロ視線が落ち着かない挙動不審な雁夜のことなど完全スルーで、マイペースを崩さない。相も変わらず余裕たっぷり、雁夜の態度やパス云々くらいで遠坂の家訓が揺らぐことなどありえないのである。
「ああ、そうだ。儀式の前にお互い入浴を済ませねば。」
「う、うう、そう。」

 ニューヨク?にゅうよく、入浴?ああ、そうか、お風呂か。そうだ、儀式の前に身を清めることは大事だ。大の男が二人も揃って、というだけで暑苦しいのだ。この上、汗臭いなんて御免である。すぐにまた汗をかきそうな行為をするからといっても、準備に手を抜くべきじゃあない。
”汗をかく行為”を、またもや思い浮かべてしまった雁夜は、地の底にこのまま沈んでしまいたい、このまま気を失いたいと思ってしまった。遠坂のベッドは、ご丁寧にも天蓋付きのダブルベッドである。ベッドメイキングも実に行きとどいており、布団も清潔で柔らかそうだ。ここで眠るだけならどれだけ幸せだっただろうに、なんともお互い気の毒なこと。雁夜も言い出した手前、やめたいなんて口が裂けても言えるわけがない。言おうものなら、今度こそ本気で燃やされる。痩身の背中に嫌な汗が浮かぶ、絶体絶命のピンチである。
――助けて、葵さんーー!!
 雁夜の心の叫びは、全く誰にも届かない。冬木に万能ネコ型ロボットはいてやしないし、よしんばいたとしても、はてさて今の雁夜を救ってくれるかどうか。誰かの助けなど期待せずに、時臣の隙をついて逃げるか。バーサーカーを召喚すれば、完璧主義な時臣だって多少は動揺するに違いない。
――でも、ここで逃げたら桜ちゃんは・・・俺さえ我慢すれば、時臣を押したおせれば桜ちゃんを救えるんだ・・・だけど、初めての相手が時臣だなんて黒歴史どころじゃ・・・そうだ、今日はとりあえずやめておいて、明日また心の準備が出来てからとか・・・いや待てよ、ここで俺が何をしたかなんてジジイに分かるわけがないんだ、パスを結んだって言ったってバレないんじゃないだろうか。何も馬鹿正直にそうしなくったっていいんじゃないか・・・。
 時臣を屈服させる機会を逸するのは惜しいが、雁夜としては命短い自分の最期の思い出が時臣とのパスになるかもいう事実に段々耐えきれなくなってきていた。あれだけシミュレートを重ねておきながら言うのもなんだが、雁夜は時臣が自分の提案を受け入れることなんてありえない、と思っていたから尚更だ。
 本気で逃げることを考えだして、更に不審者度を上げていく雁夜を、流石の遠坂時臣も放置しきれなかったらしい。

「雁夜?」
「うあっ!!!な、なんだよ?!」
「・・・・・・・・・・・・・・私が先でも構わないかい?」
 風呂の順番のことだ。最早、迷っている時間は残されていない。
「あ、ああ。そうだな、俺は後にするよ。」
 逃げるならば今のうちだ、最後のチャンスだ。時臣がシャワーでも浴びている間に、遠坂邸から出られれば。
「では、私が先に済ませよう。雁夜、30分は戻らないからそのつもりで。」
「は、はは・・・、随分と長風呂なんだな、お前。」
「この館の結界は侵入者は排除するけれど、出て行く者には無害だからそのつもりでいてくれたまえ。」
「・・・・・・・どういう意味だよ?」
「言葉通りの意味さ、ではお先に。」
 そう言い残して、時臣が部屋を出て行く。扉が閉じて、その場所に雁夜だけが残された。今なら逃げられる。いや、時臣のお情けで逃がしてもらえるということだ。それは、桜も救えず、時臣も倒せず、無為に死ななければならないということだ。
――・・・・馬鹿にしてやがる。
 本当はいくら桜を助けることができても、時臣とパスを結ぶのなんて嫌だ、と雁夜は思っている。だが、時臣に馬鹿にされて引き下がるのはもっと嫌なのだ。ここで逃げたら、負けっぱなしで終わってしまう。愚かな選択肢と言われても構わない、どうせあと一時の命だ、時臣のアホ面を拝んでおくのもそれはそれで一興だ。30分後に死ぬほど後悔するかもしれないが、時臣にあんなことを言われてそのまま引き下がれるほど、まだ雁夜は折れてはいない。


(2013/09/01)

※頑張ってパスを結べるか、な。


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