■閑話 最初の最初から、雁夜が自分を見ていることは知っていた。それはほぼ時臣が学校にいる時に限定されており、――例えば・・・廊下を歩いているときだったり、一人校門へと向かうときだったり。そんな時、雁夜の視線が時臣の肩口をチクリと刺す。間桐が魔眼の類の術者の家系とは聞かないし、その視線に魔力は全く感じなかった。間桐が遠坂を見ていることには必ず意味があるはずなのに、こうもあからさまな雁夜の視線に、時臣は心当たりがないのである。幸いなことに、時臣は女性の視線を浴びるのに慣れていたため、最初の方こそ雁夜の視線を感じるたびに、内心小首をかしげていたが、そのうちに慣れてきた。というより、あまりにも頻繁だったため、気にしていたら神経がもたないというのが正しい。しかし、雁夜のこの行動が、時臣をして雁夜に関心を持たせるきっかけの一つになったのは確かだ。 ――間桐雁夜、ね。 魔術は家の宝である。真髄は他家のみならず継承者以外には秘せられるものだ。そのため、間桐が冬木に移り住んで数百年、冬木のセカンドオーナーを自負する遠坂とて、間桐の魔術の本質を知らない。聖杯戦争開始から間桐を見守る臓硯が、類まれな蟲使いであることや、間桐の属性が水で、使い魔に特化した家であること、鶴野と雁夜、兄弟二人の内、間桐の後継となる可能性が高いのは雁夜だろうということ。間桐について遠坂が知っているのは、せいぜいそれくらいだ。数百年の間、目と鼻の先に存在した両家だが、不可侵条約の効力もあいあまって表向きほぼ没交渉である。無論、実距離の近さの気安さで、多少の個人的付き合いはあったかもしれないが、聖杯戦争の存在がある限り、両家の悲願が有る限りは、決して交われない間柄だ。60年に一度のその時が迫りつつある今、時臣は自分がそのときを遠坂の当主として迎えるであろうことを理解し、意識している。なれば、間桐の次期当主になるであろう雁夜とは、必ず敵として対峙することになるだろう。敵対すると分かっている相手と進んで関わりを作らないほうが良い、視線を感じた当初、時臣はそう判断したのだ。それに、雁夜が何のつもりがあろうとも、それに意味があるのなら何れは何らかの働きかけがあるはずだ。そう思ったのである。 が。 時臣の考えは真っ向から裏切られた。雁夜が全く動かないのである。相変わらず、背中で感じる雁夜の視線。時臣には予想もつかない感情が籠められたそれは、いくら慣れてきたとはいえ完全には無視できない。それは、間桐の魔術師からの視線だからだ。雁夜が時臣を見ている。何も言わず、ただ見つめている。四六時中ではなく時折。だが延々と。見ている、それだけ。 ■ 関わらない、という当初の方針を修正する羽目になった時臣は、それを聖杯戦争を勝ち抜くため、間桐の魔術師を知ることも有用であろうということにした。初心を曲げたのは、決して間桐に屈したわけではなく、寧ろ己が望むところである、そう自分を納得させる必要があったのだ。遠坂時臣という人間は、ある意味、手間のかかる性格をしていると言えるのかもしれない。 さて、間桐雁夜に近付く、という目標を立てた彼だったが、勿論いきなり雁夜に声をかけたりなどはしなかった。遠坂家の嫡男ともあろうものが、無計画に行動して、間桐の人間に無様な真似を晒すわけにもいかない。周到な事前準備と計画、まずはそれからだ。そう思って動き始めた時臣は気付く。 ―私は、彼のことを何も知らないんだな。 不可侵条約があるのだから、当然と言えば当然の話なのだが。雁夜の意図を探るのならば、ある程度は近しくならないと話にならない。その手がかりを掴むためには、相手の情報がいる。だが、それが今の時臣には全くない。考えに考えた末に、時臣も雁夜と同じように相手を観察する羽目になった。芸がない、と思わないでもなかった。だが、学年が違うとはいえ、さほどマンモス学校というわけでもない穂群原で雁夜を見つけるのは時臣にとって簡単で、下手に魔術をこねくり回すよりも一番手っ取り早い方法だったのである。 ■ 教室の扉は開けっ放しで、廊下を行けば意識せずとも中の様子はよく見える。授業の合間の、中途半端に緩んだ空気の中、生徒達はそれぞれ気の向いた相手と言葉を交わしているようだ。あまり益のない会話なのは明らかだった。少なくとも時臣にはそう見えた。その中に、机から動かず笑顔で誰かと話している雁夜もいる。彼のその姿に特別なものはまるで無く、意識しなければ日常の風景の中に取り込まれ埋没してしまうだろう。間桐の家は、魔術師の中でそれなりの位置を保っている、だが、その後継者と目される間桐雁夜は、時臣が見る限りはあまりにも平凡だった。凡俗が悪だとは決して時臣は思わない。だが、間桐の継承者としてあるかもしれない人間がそれに染まるのは醜悪だ。孤高であるべきだとは思わない。だが、古き血を受け継ぐものとしての義務を忘れるなどと怠慢にも程がある。他人事であるはずが、思わず怒りを覚えかけた自分を押しとどめて、時臣は考え直す。間桐が魔術師としての己を隠すため、遠坂と同じ方法を取ると思うのは勝手な決め付けだ。遠坂の長男として、そんな視野の狭いことでどうする。そうだ、もしかしたら雁夜のそれは、魔術師としての正体を隠すためのただの擬態なのかもしれない。いや、そうに違いない。めぐりくる聖杯戦争、間桐が何の準備もしていないなど、常識的に考えてあり得ない話だ。 「遠坂?」 ■ 遠坂時臣が間桐雁夜を観察した結果、彼に付いて分かったこと。 ―・・・・これは・・・どうしたものかな。 遠坂時臣は、心中頭を抱えた。そもそも観察したところで、共通点のない二人なのだ。とっかかり云々以前の問題だった。次の一手はどうしよう、途方に暮れつつ時臣の表情は全く変わらない。遠坂家の家訓は、常に余裕を持って優雅たれ、である。
どうしようと思ってはいるものの、特に何かとも見いだせず。無為に時間だけが過ぎ去る日々が続く。相も変わらず、雁夜の視線が時臣の背中をひっかく。最早時臣にとって、それは日常であり、当然であり、当たり前になっていた。それがない日は、なんだか座りの悪い一日にすら思える。そのころには時臣も、雁夜の視線が呪いだの邪眼だのといった物騒な代物ではないだろうと、漠然と理解していた。だからといって、その意図は相変わらず不明であり、雁夜という存在は不可解なままだ。やはり直接問いただすしかないのか、でもそれはスマートなやり方とはいえない。相手の手が見えない以上、時臣からではなく、雁夜のほうから動いてもらったほうがいい。さりげなく、自然に、雁夜の考えはばれていると気づかせ、相手の行動を促せるように。 ――気は進まないが、雁夜の後をついて帰ってみようか。 気づいて振り返ったなら笑ってやろう。そうすれば、雁夜も別の動きをはじめるかもしれない。 ――・・・いやまて。それは一度試したな。 学校帰りの雁夜と誰か、その後ろをさりげなくついて歩いて帰ったことがあった。何が楽しいのか、けらけら笑いながら無防備に歩いているにも関わらず、雁夜ときたら全く時臣に気づいた様子を見せなかったのだ。そりゃ勿論、時臣だって雁夜の背後にいたわけじゃない、5-6mは距離があったから、普通なら気づかないのかもしれない。だが、学校内であれだけの視線を注ぐ相手が後ろにいるっていうのに、どうして気づかないんだ。ありえない。 ――魔術師ともあろうものが、いや、魔術師じゃ無くったってこんなに鈍いなんてどうかしてる。 いやいや、もしかしたらあれもこれもすべて雁夜の演技なのかもしれない。時臣を焦らせ、不用意な行動を促すための計算ずく。策略を弄するタイプには全く見えないが、即断は禁物だ。雁夜の父親はあの間桐臓硯。一筋縄ではいかない相手だと、父から聞かされていたではないか。間桐を統べる老獪な魔術師、雁夜の行動にもし臓硯の意図が絡んでいるのだとしたら厄介だ。しかし、ならば雁夜の視線に悪意を全く感じないのは何故だ? ――何故僕がここまで・・・。 不可侵を破ってまで、何故に時臣から雁夜に働きかけなければならないのか。それは時臣が雁夜を完全に無視できないのだからしょうがないのだ。遠坂家の嫡男として、自分にはまだまだ解決すべき課題があるということか。ため息が出た。無視しきれないのは雁夜が悪いわけではない。彼のせいではないのだけれど。 「どうして、僕がここまでしないといけないんだ?」 ただそればっかりが、時臣には心底疑問だったのだ。
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(2012/10/08)
※間桐雁夜の学生時代ねつ造、時臣との年齢差ねつ造。設定はおいしいと思うのに、少しも萌えがない話になりました。