モドル

■すべて世は こともなし

雁夜、戻ってくる。

「おぬし、何を企んでいる?」
「取引だ、間桐臓硯。俺が間桐に戻る。それと引き換えに、遠坂桜を解放しろ。」
 聖杯戦争の為に、間桐の駒を絶やすわけにはいかない、そう考えているだろう臓硯にとってはこの提案は一考の価値があると思えるはずだ、俺はそう読んでいた。本当ならば、今回の戦争に参加するための間桐の魔術師が欲しかったところだろうが、俺がそれに立候補するには時間が足りなさすぎる。一瞬、臓硯が操る蟲の技術―疑似魔術回路、刻印蟲―が浮かんだが、即座に却下だ。俺には自殺願望はない。勝てるかどうかもわからない聖杯戦争に、確実に術者を殺すであろう最終手段で挑むのは愚か者のすることだ。
「今更間桐に戻ると?間桐を継ぐだと?」
「・・・俺は知ってるんだよ、お父さん。慎二には魔術回路がなかったんだろ?」
 葵さんから桜の養子の話を聞き、桜を取り戻すため、臓硯との交渉を考えた俺が最初に取りかかったのは情報収集だ。俺が間桐を飛び出してから十年、間桐の家がどうなっているのか、臓硯の思惑を知るために、交渉前のそれは必須。こんな事態を想定していたわけではないけれど、ルポライターなんていう浮き草稼業をやっていたのも幸いした。本気を出せば、こちらの世界の情報まで入ってきてしまうわけだ、もう二度と調べたいとは思わないが。
「・・・・。」
 案の定、俺の言葉に臓硯は渋い顔をする。間桐の魔術師が絶えること、すなわち聖杯戦争に参加させ、臓硯の為に聖杯を得てくれる者がいなくなることは、奴にとって望ましくないのだ。だからこその遠坂からの養子。桜ちゃんが育ち、間桐の誰かに子供を産ませる。その相手は、兄の鶴野かもしれないし、慎二かもしれない。精一杯余裕の笑みを浮かべながら、その実、俺の腹の中は煮えくりかえっていた。魔術なんて嫌いだ。魔術師なんかロクなもんじゃないと思っている。本当は間桐の家を見るのだってごめんこうむりたかった。だけど、桜ちゃんが間桐の養子になったと聞いたとき。そう言って、葵さんが悲しげに俯くのを見たとき。俺は気づいてしまった。逃げだすのでは駄目だったのだ、と。自分のしたことは、結局誰かの、桜ちゃんと葵さんの不幸になってしまったのだと。だから、戻ってきた。もう起きてしまったことは変えられないけれど、もしかしたらまだ俺にも何か出来ることがあるかもしれない。少なくとも、俺は時臣よりは臓硯の手口を知っている。奴の望みを、やり方を、小さいころから見せられてきたのだから。
 臓硯はさっきから何も言わない。けれども一蹴されなかったということは、全く望みがないわけでは、ない。俺は精一杯の虚勢を保ったまま、臓硯の次の言葉を待った。
「・・・遠坂桜の魔術素養は、お前とは比べ物にならぬほど優秀。あれの子供はさぞや優れた魔術回路を得ることじゃろう。」
「・・・っ。」
「それに、このわしがあの小癪な遠坂の子倅に頭を下げて、養子として迎え入れておるのじゃぞ。間桐の魔術を継がせると約してな。それを今更、お前程度が戻ったくらいで契約破棄など。」
 この流れはマズい。そもそも俺の交渉は、臓硯自身があくまで間桐の直系による魔術継承に拘っていることが前提となっている。そこが崩れるともう手札がない。さらに、嫌な想像だが、たとえ俺が負けを認め、このまましっぽを巻いて逃げ出すのを選ぶとしても、臓硯がそれを許すとは思えない。俺の背筋に冷たいものがにじんだ。
「わしの望みはあくまで聖杯よ。聖杯をとれる優秀な間桐の魔術師を得られるのならば、間桐の直系でなくとも構わぬ。」
 臓硯の枯れた微笑みと俺の焦りが、神経をじわじわと逆なでする。十年の月日を経ようとも、この化け物は相も変わらず外道なのだ。この男は、桜ちゃんを子供を産む道具としてしか見ていない。彼女だけではない、兄鶴野のことも、そして俺のこともだ。間桐の人間を家畜と同じと思い、いくらでも替えがきく道具して扱って憚らない。いや、落ち着かなければ。交渉は頭に血が上ったほうが負けだという鉄則を忘れてはならない。
「呵呵々。間桐の血を引くのは何人もおるからの。何人かあてがえば、桜の産む子の中で、一人くらいは魔術回路にも恵まれよう。」
 交渉だとか、冷静さだとかそういうものを保つために、俺は最大限出来得る限り努力はしたつもりだった。が。それを聞いた瞬間、俺の中から諸々の理論思考は吹っ飛ぶ。魔術師なんて大嫌いだ。特に、この俺の父と称する腐れ蟲魔術師は、同じ血が流れていると思うのさえ虫唾が走る。桜を、葵の娘までも家畜扱いするのは絶対に許せない。だから、つい俺は怒りにまかせて、桜を守るために一番最初に思いついた方法を口にしてしまった。
「なら、俺が間桐の魔術を継ぎ、桜を娶るのならば問題ないはずだろう、臓硯!!!」
「ほ。」
 面食らった臓硯の顔なんぞ、生まれてこのかた初めて見た。そのことが、多少は俺の溜飲を下げた。けれども、それ以前に俺の先ほどの爆弾宣言で発生した、重大かつ深刻な問題がリアルな重さで圧し掛かる。言ってしまった、ついうっかり。いや、ついうっかりなんて、どこぞの赤い当主様じゃあるまいし。それに今のは、うっかりだから、で許される発言ではない。
「ほ、ほほぅ。成程な。それはまあ、確かにそうじゃの。」
 しかも、今のはなかったことに…と俺が言うより先に、臓硯が乗ってきてしまった。さっきはあんなに長考したくせに、何でこんな時には判断早いんだ。年取ったら判断力が鈍るのがセオリーだろうが、と思ったけれども、当然口には出せない。
「よかろう、雁夜。息子のたっての頼み、無下には出来ぬ。今回はお前の申し出を受けてやろうぞ。」
 恩着せがましく臓硯が俺に宣言する。かくして、俺の運命と未来の花嫁は確定した。

(2012/03/30)

※雁夜さんのついうっかり言っちゃった話。


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