モドル

■すべて世は こともなし

雁夜、開き直る。

 覆水盆に返らず、綸言汗の如し。そんな故事を引き合いに出さなくても、やっちまったもんは仕方がないってことは、俺にだってわかっている。わかってはいるのだが、どうにもこのやり場のない怒りはどこへぶつけたらよいのだ。俺の気持ちを知らずか、臓硯は楽しげに今後の計画を練っているようだ。”うきうき”なんて効果音が似合いそうなくらいご満悦だ。嫌な予感しかしない。
「あー、雁夜よ。ではお主は明日から蟲蔵入りじゃ。父てずから立派な間桐の魔術師に育ててやろうぞ。」
「・・・わかってるよ。」
 結局、俺の運命の到達地点は例のあの場所か。本当は桜ちゃんを取り戻して、葵さんに幸せになってもらって、個人的に満足してから入る予定の場所だったのに。桜ちゃんを葵さんの元へ戻せないなら、俺の行動に何の意味があるんだろう。先ほど爆発した反動か、俺はすっかり冷めてしまった。いや、それでも次の一手は打たなくてはならない。まだ王手はかかってないのだから、ここで諦めるわけにはいかない。
「ジジイ、俺が戻ったからって慎二と鶴野を蟲蔵にいれるなよ?」
 うっわ。笑ってやがる。こいつ、絶対入れる気だったな。先に釘さしておいて大正解だ。
「種馬を俺しか残さなくて、もし子供ができなかったらどうするつもりだ?予備がいるだろ、予備が。」
 こうなったら、俺の犠牲を最大限生かして出来うる限りの譲歩を臓硯から引き出す。方針が決まれば、後はそれに従って突っ走るだけなのだが、それにしたってやさぐれる。臓硯の意図に可能な限りしたがって、且つこっちの希望も通させるのを基本にしていく、それを実行するためには臓硯のロクでもない思考をトレースしていかないと難しい。いや、トレースすること自体はさほど難しいわけじゃないのだ。臓硯の最優先事項が不老不死になるための聖杯の入手であり、延命はそれまでの時間稼ぎということを理解しておれば、この俺でも先読みは可能だ。問題は、その読める先があまりにもエグすぎる、という点なわけで。そのエグさときたら、嫁に先立たれてストレス溜まっていた兄をアルコール依存症に追い込み、多感な十代だった俺を家出させたほどである。まあ、死ぬ覚悟で戻ってきた俺には、多少エグかろうがグロかろうが、あまり関係ない。早い話、俺は開き直ることに決めたのだ。
「で、桜はどこだ?」
「蟲蔵におるわい。」
「蔵から出すからな。無理に調教する必要はないだろ。変にいじって魔術回路がゆがんだらどうする?それに蟲入りの嫁さんなんて、俺はご免だ。」
 母体としての優秀さが重要なのだ、わざわざ蟲でいじる必要はない。手間がかかるだけで、全くもって無駄だ。勿論、魔術回路は開いてたほうがよいだろうが、その程度なら蟲を使わなくても出来る。俺は全て知ってしまったのだ。間桐の魔術継承やら回路の開通やら全部今まで蟲蔵を使ってやっていたのは、臓硯の嗜虐趣味の為であって、間桐の魔術体系のせいだけではない。つまり、今まで両親や祖父諸々関係者一同は、その殆どが臓硯の趣味の犠牲になっただけで、間桐の家の発展とかそういうものには全く関係がないということだ。いかん、考えるのはやめよう、血管が切れそうになる。
「魔術の手ほどきを始めたばかりというのに、勿体ないのう。」
「明日からは、俺に嫌というほど魔術を教えてくれるんだろ、お父さん?」
 男をいたぶるより幼女をいじめた方が楽しい、と臓硯の顔にそう書いてある。いい加減にしとけ、児童虐待は立派な犯罪だぞ。大体、桜ちゃんを蟲蔵調教してるのが時臣にばれたらどうするつもりなんだ。優雅貴族な当主様だって、間桐の魔術修行は臓硯の趣味により蟲蔵調教です、もれなく臓硯の傀儡です、なんて知ったら、マジカルステッキ片手に乗り込んでくるに決まっている。とはいえ、もう桜ちゃんを二度と蟲蔵にいれるつもりはないから、そこら辺はノープロブレムだ。明日から真っ暗人生なのは、寧ろ俺のほうなのである。楽しい幼女いじめを止めさせられて、臓硯のフラストレーションは全て俺の調教に向けられるに違いない。明日から始まる間桐の素敵な蟲蔵ワールドを思って、俺は心中深々とため息をついた。


(2012/03/30)

※雁夜さんのついうっかり言っちゃった話。


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