■夢オチ。 遠坂時臣編
魔道に背を向けた裏切り者、落伍者、己の義務から逃げた弱き存在。間桐雁夜が冬木に舞い戻り、その手に令呪を得たと知ってから、私はいつかこうなることを予測していた。私の目の前に立っている男、間桐雁夜。かつての彼の姿を知る者ならば、あまりの姿に言葉をなくすに違いない。色素を失った頭髪、顔面の左半分には瘢痕が浮きあがり、白濁した左目に恐らく視力は残っていないだろう。幽鬼のような顔色は土気色を通り越しており、体温すら感じさせない。魔術師としての彼のレベルが如何ほどか分からないが、余りにも無様な姿。だがこれは当然だ、例えどれだけ素養があろうとも、魔術は一朝一夕で身につくような甘いものではない。魔術を嫌って冬木を逃げ出した雁夜が。11年の間、魔道から離れていただろう雁夜が、たった一年間の修行で令呪を宿すほどの力を身につける為にどれほど無茶をしたか、私には容易に想像がつく。
私は、かつて間桐雁夜を知っていた。魔術を好まない彼を、古き血への矜持を持たない彼を。彼が冬木を立ち去る時、血の責任を果たすべきだと引きとめた私は彼と酷い言い争いをし、そして私はあまりに家を蔑ろにした彼の発言に呆れ、私は完全に彼と決別したのだ。魔術を捨て、凡俗に生きるというのなら、それはそれで彼の選んだ道なのだろうと納得し、諦めた。
それなのに。再び出会った場所が何故、この場所なのか。
何故、雁夜が聖杯を求めてここにいるのか。
雁夜が聖杯に何を望むのかは知らない。だが、魔術に背を向けたはずの人間が、未練がましく聖杯を求める無様さ、そのことを恥とも思わぬ破廉恥さ。私には許し難い。遠坂の当主として、同じ御三家の一人として、雁夜の行動を見逃すことはできない。
「雁夜、君が何故また冬木に戻ってきたのか、その理由は聞くまい。だが、一度魔術を捨てておきながら、魔術師として聖杯を求めるなど、恥ずかしいとは思わないのかね。」
「ぬかせ!この人でなしが!!お前に何がわかる!俺は聖杯を手に入れなければならない!!その為にお前を倒す!」
雁夜には話し合いの余地がない。私もその必要を感じない。御三家の一人といえども、聖杯戦争が始まれば、最早お互い敵同士。
「ならばお互い語るだけ無駄のようだ。せめて君は私の手で葬らせていただこう。」
「その言葉、そのままお前に返すぜ!」
雁夜の属性は不明だが、間桐の魔術は使い魔に特化されている。御老体から手ほどきを受けたなら、高い可能性で雁夜の魔術は蟲の使役になるはずだ。ならば、雁夜の力が想像以上だったとしても私の炎で十分対抗できる。そう予測した私の、礼装を握る手に力が入る。数メートルの距離を保って私と雁夜は向かい合っていた。雁夜はこれが初戦、私の手元には彼のデータは何もない。ならば、私から仕掛けるのは愚策だ。雁夜の出方を待つことこそ上策。
私が一歩下がると、雁夜が一歩前に踏み出した。
「蟲よ!間桐雁夜の呼び出しに応えろ!!」
やはり雁夜の魔術は蟲の大量使役、私の予想通りだ。これならば、私の負けはない。
雁夜の召喚に応えて、背後より次から次へと現れる黒い塊は、じわじわと空を侵食する。その羽音は大気を震わせうねり、乾いた音とともにそれが地を這う。空から湧き出る如く生み出される蟲たちの群れ。数え切れないほどのそれは、止まることなく増え続ける。天を覆い、地を満たす、雁夜の呼びだした蟲たちが、その濡れた黒く平らな体が。こちらへ襲いかかるでもなく、ただひたすらに数を増やしていくだけのそれ。
負けはない。先ほど私は確かにそう思った。しかし、雁夜の呼びだした蟲が何であるか分かった今、その自信が揺らぎ始めている。
雁夜の呼びだしたモノは、私の目の前で増えていくモノは、もしかして、いやもしかしなくてもアレではないだろうか。黒光りする扁平なカタチに長い触角がゆらゆらと。
それは台所の夜の帝王にして、女性の天敵。攻撃力は皆無に等しいが、精神に与えるダメージは計り知れない恐るべき使い魔、そう、アレだ。馬鹿な、こんなものを呼びだすなどと、雁夜も精神ダメージを受けないはずはないのに。
「くっ、雁夜!アレを呼び出して、君もタダですむはずがない!!」
「ハーハッハッハ!一年間、俺はこいつを使い魔とするための修行に明け暮れた!おまえを倒すためにな!」
「なんだと!!」
雁夜の言葉に私は瞠目する。雁夜はアレに精神ダメージを受けなくなるほどの修行を積んだというのか。アレに慣れ親しみ、アレの苗床となり、アレと心を通じ合わせ、見事アレを使い魔にしたと。恐るべし、間桐の魔術。恐るべし、間桐雁夜。
天地を覆わんばかりに増殖したアレに、果たして私の炎がどれだけ通じるか。これほどの量を一度に焼き払うことができるだろうか。一匹でも炎を逃れて、あまつさえ私の体に貼りつこうものなら・・・!それを想像するだけで全身におぞけが走る。
「さあ、時臣!お前の炎でこいつら全てを防ぎきれるか、試してみるがいい!いけ!蟲どもよ、時臣にお前の恐ろしさを教えてやれ!!」
雁夜の言葉とともに、アレの大群が雪崩を打って私に襲いかかる。炎でうち払えば、容易く燃え尽きていく黒き間桐の使い魔たち。だが、消し炭となった同胞を乗り越えて更なるアレが襲来する。
燃やしても、燃やしても、燃やしても、燃やしても燃やして燃やしても。
一匹いれば百匹いるという例え通り、想像以上の生命力と繁殖力を糧に、アレはついに炎を乗り越えて、私に襲いかかってきた。
「ぐっ!うわぁぁぁぁぁ!!!」
アレが!!アレが、私に降り注ぐ!
ガバッ!!
あまりな夢に目が覚めた。そう、夢だ。あのようなおぞましいことが、夢以外でありえるはずが無い。悪夢にうなされるなど家訓に反するな、そう思いつつ額の汗をぬぐう。呼吸を落ち着かせるため、深呼吸を一つ。そして、よもやありえないとは思うが、念のためベッドの下を覗いてみた。アレはいない、当然だ。
「・・・」
とりあえずの安全を確保した私は、再びベッドに横たわる。万一雁夜がアレを使い魔にしていた場合の対策を、明日の予定に追加しよう、そんなことを考えながら。
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