モドル

■夢オチ。  キャスター編

 かつて聖処女の傍らにありし時、私は神の存在を感じ、その御為に戦うことを無上の喜びとしていた。例え傷つき、道半ばにして大地に倒れ伏すことになったとしても、その最期の一瞬まで、その信仰は変わることなきものと、そう信じていた。神の為だけに、剣を取った乙女を。私のジャンヌを神が見捨てたもうたその時までは。私は決して忘れまい。神の裏切りと非道を。
 炎の向こう側、私の乙女が魔女として焼かれてしまう。誰よりも敬虔で、誰よりも清らかで、誰よりも神の傍にありたいと願ったあの人が。蒙昧なる人々の裏切りと嫉妬に陥れられて、もっとも彼女に相応しくない汚名を背負って焼かれてしまう。私は、燃え盛る炎の中、彼女の体が無残に崩れさる寸前まで、かつて神の子になされた奇跡が同様に彼女に訪れるはずだと信じて。その時こそ、聖女ジャンヌはその存在を永久にするのだと信じて。彼女を蔑にした奴らには神罰が下されるのだと、そう信じて。ただ、そう信じて。ただ、ただそれだけを信じていたのに。

 
「旦那ぁ?なぁにぼーっとしてーんの?」
 龍之介が私の顔を覗き込む。いつも子供のように純粋で無垢な彼の瞳、今も同じ色をしていた。そうだ、ここはルーアンではない。私は冬木のこの場所で、神を試そうとしている愚か者だ。真夜中の新都をのぞむ大橋、眼下にある未遠川の流れは闇に紛れてよく見えない。天空の月は雲に埋もれている。神は何処からか、我らを見ていて下さるだろうか。
「ふふ、考えていたのですよ。龍之介。私たちがこれから挑戦する最高のCool。それがどれほど神様に喜んでもらえるのかとね。」
「もう何言ってんのさ、旦那。もう大喜びの大ウケに決まってるよ!」
「そうですね、そうに決まっていますね。」
 瞳を覗き込まれて、そう龍之介に保証されて、私はやっと安心する。彼の真っ直ぐな心は、私のように疑いや絶望に汚されず、只管神に付き従おうとしているのだ。私はまだまだ御心には近づけないのだろう。神を信じなければならない、そうですよね、ジャンヌ。私の乙女よ。
「旦那みたいな人でも、やっぱりビビったりするんだね、でも、大丈夫。このエンターテイメントは絶対成功するよ。神様だって、楽しみに待ってるんだからさ。」
「そうですね、龍之介。私たち二人の渾身のショーですから、絶対ですね。」
「そーだよ、旦那。」
 大きく両手を広げて、笑う龍之介はまるで何かを抱きかかえるかのように。こんなにも暗く重い世界で、龍之介に私は光を感じるのだ。彼のように、私も再び光が欲しい。彼を真似て両手を広げる。私にも光を与えたまえ。神よ、神よ、私はここにいます。貴方の御旨は我らがここで叶えましょう。ですから、どうか私にも福音を。
 私は大橋の欄干から身を躍らせ、天へと舞い上がる。ショーの準備はもう整っている。後は開演のベルを待つばかり。たった一人の観客、龍之介の笑顔に私は手を振る。
 始めましょう、神様、貴方が望む狂乱のショータイムを。今まで私は貴方を信じ切れていなかった、貴方を理解しようともせず、ただ自分勝手な思い込みで貴方に期待を押しつけていたのです。哀れで愚かな私に、貴方は私の腕よりジャンヌを奪うという罰を下された。だが、そのおかげで私は気付けた。貴方の望みを。貴方の御心を。今、貴方の忠実なる下僕が御旨を実現させましょう。ささやかではありますが、この供物を受け取りたまえ。そうして、叶うならば私にジャンヌを、私の光を取り戻させ給わんことを。
 龍之介が見守ってくれている。冬木の町が、世界が私を見守っている。このステージで行われる宴をかたずをのんで見守ってくれている。
それだけで、嗚呼、神よ、私は何でも出来る気がする。いや、きっと何でも出来るに違いない。今の私に、叶えられないことなぞ何もない。
 野鳥の鳴くがごとく、哄笑を天へ向かって放ってやる。心は解き放たれて、湧き上がり踊った。もう誰も止められない、楽しくって楽しくって仕方がない。
 神がもし信仰と同様に嘆きや恐怖を求め、その供物を喜び受け取るというのなら、私は望んで身を血に浸し、信じるままに神に犠牲を奉げよう。未だ暗闇の中で迷う人々よ、哀れな生贄の子羊よ、神の供物となる光栄に、身を震わせて歓喜するがいい。私は、神の不在を信じない。冒涜も等しく神の御心なり。主は我と共にあり。人は、世界は今わが手によって、神に捧げられる。そのいと高き御座にまします神よ、我が信仰をここに示さん。

 ガクッ。


 傾いでいた体が、前に崩れ落ちる寸前に目が覚める。少しの間、自分がどこにいるのかわからなくなった。狂気と哄笑、先ほどまで私を支配し、取り囲んでいたのはそれだった。だが、今私を囲むのは、窓から注ぐ月の光と静寂のみ。
「・・・・」
 そうか、ここはオレルアンだ。祈りをささげる為、教会へと足を運び、そのままベンチでうたた寝てしまったようだ。夢だった。夢だったのだ。あの悪夢のような世界と、出来事。しかも、己が信仰を違えてないと思いこんでいる背教者たる自分の姿。ジャンヌが火刑に?そんな馬鹿なことがあるはずがない。夢だ、吐き気がするような悪夢だったが、夢なのだ。悪魔の見せた恐るべき悪夢だ。嗚呼、祈らねばなるまい、許しを乞わねばならない、このような夢を見ること自体、私はまだ至っていない証しであろう。
 立ち上がった私の視線の先に、祭壇にて祈る乙女の姿がある。
「ジャンヌ。」
 私の呼びかけに、ジャンヌの笑顔が振り返る。華奢な体にそぐわぬ無骨な鎧を身につけて、それでも彼女は美しい。
「将軍。すいません、お休みを邪魔してしまいましたか。」
「いえ、そんなことは。私の方こそ、貴方の祈りを妨げてしまったようだ。」
 私もそちらへ行っても?と問えば、ジャンヌは微笑んで私に手を差しのべた。その笑顔が私の真実だ。夢の残滓など、彼女の輝きの前にすれば一瞬で消えうせる。貴方こそが、我が光。私を導き、私の傍にありて、暗き道を照らす光。貴方がいれば、私は自分を信じられる。私は貴方より他に何もいらないのです、我が乙女よ。
 ジャンヌの傍で、共に祈りをささげるその瞬間、私は確かに幸福だった。その幸福が奪われ踏みにじられる日が来るなどと、これっぽっちも思えないほどに。フランスの栄光と、ジャンヌの勝利を全く疑わないほどに。そう、私はその時、本当に幸福だったと、そう信じていたのに。

(2012/07/07)

※ジルドレが未来を夢見ている状態という設定なので、キャスターが妙にくどくなってしまってます。


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