熱砂に抱かれた魔導の王国は、今静かなる揺らぎの時を迎えていた。
魔竜戦争の終結と共に以前の自治を取り戻し、緩やかにではあったが復興の道を歩みつつあった魔導王国カダインであったが、戦争の傷も癒えぬうちに、復興支援の名目でアカネイア帝国からの干渉がはじまる。アカネイア軍の常駐や有事の魔道士徴兵、あの手この手でやってくるアカネイアからの圧力はいちいち数え上げていればキリがないほどであった。その殆どをウェンデル司祭の手腕で退けてはきたが、今回ばかりはかなり分が悪い。
司祭が保護している、グルニアの王子王女ユベロとユミナの姉弟の引き渡すこと、それが皇帝からの要請─要請というのが建前なのは、使者の態度を見れば一目瞭然だったが─である。ここでアカネイアに二人を引き渡せば、二人の命が危ない。かといって、引き渡しを拒めば、それを口実にアカネイア軍がカダインに兵を向けるのは火を見るよりも明らかだ。
八方ふさがりの状態で司祭ウェンデルが出した結論は、自ら二人をつれてカダインを出、グルニアのロレンス将軍へと二人を預けることだった。自分の留守の間は、エルレーンに任せておけばウェンデルとしては何も心配はない。
カダインを頼んだぞ、といわれてエルレーンは嫌だ、と思った。無論、それは限りなく彼の本音に近かったとはいえ、あまりに不遜であったため、彼がそう思ったのは一瞬のことである。その思いは彼の中であっという間にもっともらしい理屈で幾重にもくるまれて見えなくなった。だから、彼の口からでた言葉も、彼の言いたいことからかけ離れていた。
「そのような重責、私はお受けしかねます。それに、今ウェンデル様がカダインをお離れになることにも賛成できません。」
魔竜戦争の傷跡は未だカダインから消えていない。戦争で魔道士の数も激減していて住人の動揺も激しい今、司祭がいなくなればどうなるか。カダインが一応の安定をみているのも、司祭の人徳におうものが多いのだ。それを、いくらウェンデルの弟子とはいえ、自分のような若造が代わってつとまるものとは思えない。
と、色々もっともな言い訳を思いつける自分に安心した。そうだ、自分は間違ってない。ウェンデル司祭がここを離れるのはよくないことだ。カダインのためには、ウェンデル司祭はここにいてもらわねばならないんだ。
──グルニアの王子王女には同情するが、魔竜戦争のときにアカネイアを裏切るような真似をするから悪いんだろう。
カダインがガーネフに占領されたとき、一体どれだけの犠牲がでたか。占領下の暮らしがどれだけ厳しいものだったか。それを思えば、ついそんなエゴイストな考えも浮かぶ。
そんな思いをおくびにも出さずに、エルレーンはもう一度、同じ意見を繰り返した。自分の意見は間違ってはいないのだから、言葉を尽くせばウェンデル師もわかってくれるはずだった。
「カダインにウェンデル司祭は必要なかたです。グルニアの方々を送られるということでしたら、何も司祭自らゆかれなくてもよろしいではないですか。」
「子供二人を抱えて、アカネイア軍の目をかいくぐり、グルニアまで無事ににたどり着けるほどの力を持つものは限られておる。」
「複数のものをつけるという手もあります。」
「…。」
「カダインに学びにきているもので、グルニア出身のものもいるでしょう。その者たちをつければ…。」
言葉がどんどん上滑りしていく。いえばいうほど、全部嘘になっていく。さすがのエルレーンも自分の言葉の無責任さに気がついていたが、そのときにはもう自分では止められなくなっていた。
それをきいているウェンデル司祭の顔を見るのが怖くなる。怖いから、さらに言葉を重ねていく。
「それに彼らをグルニアに戻すことが得策とも思えません。アカネイアはグルニアに対する人質として彼らをおいておきたいはずです。それならば、寧ろアカネイアの要求に従って…。」
「エルレーン。」
師の言葉が、聞こえなかったふりをする。
「カダインのためにも…。」
「エルレーン。もうよい。」
「私は…ウェンデル様がここを離れられるのには賛成できません。」
司祭の、いつもの微笑みはすっかり消え去っていた。代わりに悲しみと怒りと焦れた苛立ちだけがみてとれたエルレーンは、もう言葉を続けるのが嫌になってしまったけれど、それでもやはり同じ言葉を繰り返さずにはいられなかった。
「私はどうしても賛成できません。」
師の重いため息をきかずとも、自分の意見がいれられないことはわかっていた。師からの評価を自ら下げていることもわかっている。だからといって、師の決断を容易にいれることはできない。
「エルレーン、わしとて熟慮の末の決断だ。そうおいそれと曲げるわけにはいかん。それに、二人を彼らに引き渡せばどうなるか、お前もわかっておるだろう?それでも、お前はわしに彼らに従えと言うのか?」
部屋を照らす、燭台の火影に揺らめくウェンデルとエルレーンの陰影がより深くなる。ふいに顔を背けたエルレーンは、答えられずに唇をかんだ。何故こんなことに?と答えを探してみても、それは彼には見えてこない。
「私は…それでも…。」
本当に言いたいことはこんなことではない。どうしてわかってもらえないのか。足下からじわじわと焼かれるような、叫びたいのを必至に堪える彼は同じ思いを抱いて悲しげに沈んだ師の視線に気がつかない。
──どうしてこうなるんだ?
師を止められない、いいたいことを上手くいえない自分、自治を犯されつつあるカダイン、傍にいない友、そのすべてが恨めしい。自分は無力だ。どうしようもできないのを、悲しいほどに彼はわかっていた。
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