■僕の友達のこと

 

 なんといえばいいのか。マリクの、兄弟子エルレーンに対する感情は複雑だった。
初めて彼にあったとき。修行のため、単身故郷アリティアを離れ、魔導の王国にて、ウェンデル高司祭に師事した。そのとき、ウェンデルから紹介されたエルレーンは、まさにマリクが思うところの完璧な魔道士だったのだ。端正で貴族的な容姿─―おまけに金髪─―に、落ち着いた物腰、慣れない土地で戸惑うマリクへの気遣い、非の打ち所がない、と思った。

 が。このマリクのエルレーンに対する第一印象は、1時間も経たないうちに呆気なく覆されることになる。

「おい、マリク。これだけはいっておくがな。」
 ウェンデル司祭が席を外したその瞬間、エルレーンの笑顔は仏頂面にすり替わった。その変身ぶりはいっそ見事といってもいいほどだ。腹芸の得意な王侯諸侯を見慣れているマリクも、これには驚いた。
「アリティアの貴族の息子だかなんだかしらないが、調子に乗るなよ。ウェンデル様の一番弟子は俺なんだからな、それを忘れるな。」
 ドスの利いた脅し文句も、実に堂に入っている。先ほどまでの兄弟子の姿はは夢か幻か。と、そこへウェンデル司祭が戻ってきた。

「エルレーン、どうかしたのか?」
「いえ、ウェンデル様。マリクにお互いに名前で呼び合うことにしようと話していたのです。」
 そうかそうか、と満足げに頷くウェンデル司祭に、エルレーンは天使もかくやあらんとばかりの笑顔をむけた。あまりの変貌ぶりに、マリクは自分の目がおかしくなったのかとも思ったほどである。

 と、まあ。そんなことを何度か経験するうちに、流石のマリクもようよう気づいた。兄弟子が、エサのいらない猫を飼っていることに。

 それからはや数年。マリクとてエルレーンのほぼウェンデル司祭限定猫かぶりにも慣れた。人の適応力は偉大である。

 実のところ、エルレーンの猫かぶりは、彼のそばにいる人にしかバレてなかった。何故か。直接知り合う兄弟弟子以外に、エルレーンが素で応対することがないからである。つまり、ウェンデル司祭の一番弟子は自分であるとヤサつける以外、彼の仮面は外されることがない。なんと、カダインで一二を争う実力派魔道師、というのがエルレーンの一般的な人物評だったりする。マリクにしてみれば、呆れるを通り越して、いっそ笑い話だ。しかしまあ、そういう評価になってしまうのもわからなくもないのである。魔道士という職業柄、エルレーンは男の割には華奢な体だし。営業モードの彼は、別人かと思うくらい人当たりのいい笑顔か、いかにも魔道士らしい感情の欠片もない表情でいるものだから、実は負けず嫌いで喧嘩っ早いところや口が悪くて激情家なところや単純で素直、意外に面倒見のよいところは、まずばれない。さらに、怜悧な顔つきだの物腰の柔らかさだの、それに彼の髪は。エルレーンの髪ときたら、そりゃあもう男にしておくには惜しいくらい見事な金髪で、密かに女性らの憧れの的なんだそうだ。ウェンデル様に嫌われたくない一心で、どんな仕事も嫌な顔一つ見せずにこなしていく彼だもんだから、カダインの若手魔道士の中で一目置かれていたりする。彼がウェンデル様以外からの賞賛を喜ぶとは思えないが、望む望まないに関係なくエルレーンはカダインでエリートコースをまっしぐらだったのだ。
 ただし、本人はそういったことに全く気づいてないけれども。

「エルレーン?」
「なんだよ?」

 魔導の修行にあけくれる一日が今日も終わろうとしていた。兄弟子と二人、同じ部屋で二人暮らし。とはいえ、エルレーンはいつも課題に必死だ。今日も今日とてウェンデル様から与えられた課題図書─カダインの歴史書のようだ─を、興味もない癖に、”ウェンデル様から貰った”という理由だけで目を通している。そんな彼を横目で見やりつつ。

「エルレーンはウェンデル様以外に好きなものってないの?」

言った途端に、剣呑な視線で睨まれる。

「なんだそれ?ないわけないだろうが!ちゃんとある。このカダインの国や友達だって俺は好きだぞ。そりゃ、ウェンデル様が一番大事だけれども、俺の好きな物がそれだけって…おまえ、俺のことなんだと思ってたんだよ?」
 もしや自分はエルレーンの触れてはいけない部分に触れてしまったのか?怒涛の如くにまくしたてられてしまった。だけど、ここで謝るのもどうも癪に障る。というより、謝る理由がない。
「え。いや、そうか。エルレーンがカダインのことや友達も好き、ってわかりにくくてさ。」
 その言葉は、エルレーンを多少傷つけてしまったようだ。営業モードでは絶対にみることのできない表情だ。”なんて酷いことをいうんだ”とエルレーンの目が言っている。
「いや、ごめん、エルレーン、僕はそんなつもりじゃ……でも、友達って誰?」
 マリクを見つめる、エルレーンの目が丸くなり、何かいいたそうに口をぱくぱくとさせ、たけれども結局言葉は出てこなかった。手が早く、口はもっと早いいつものエルレーンにしては珍しいなあとマリクは思う。マリクの前で、エルレーンの顔は青くなり、そして次に赤くなった。もしかして、怒っているのだろうか??

「マリク、お前、カダインで友達っていったら誰よ?」
「えー、リュートとヨーデル……。」
 エルレーンのことも、勿論マリクとしては友達と言いたいところだ。が、それを口にすればエルレーンをさらに怒らせてしまうような気がするのだ。いや、そもそも自分がエルレーンに友達として尊重してもらっているとはとても思えない。
「……と?」
「えーと、それくらいかな?」
「は?お前、カダインで友達ってリュートとヨーデルだけ?寂しい魔道士生活送ってんな?」
 それはエルレーンにだけは言われたくない。だいたい、ウェンデル様一筋カダイン生活十数年のエルレーンだ。師匠のことならどんなことでも、それこそ足のサイズから好物まで知ってるけれども、その他諸々の人のことなんて、本当はぜんぜん関心もないくせに。
 初めて会ったときから、もう数年がたっていて。だけど、エルレーンときたら、ひたすらウェンデル様一直線。マリクの出身地だって覚えてはいないだろう。
「別に寂しくなんてないよ、大体僕はカダインに魔道をおさめるために来ているのであって、友達を作りに来てるわけじゃ……。」
「そーかい、そーかい。お勉強しに来てるんだもんな、アリティアの貴族のお坊ちゃんは。平民風情とお友達になんてなれるもんかいってとこだろうよ。」 
 ?何故にエルレーンは機嫌が悪いのだ。マリクが友達としてエルレーンの名をあげなかったからか?だとしたら、ウェンデル一筋の猫かぶり魔道師が何を言ってるんだろうと言いたい。

「って、何怒ってんの?」
「怒ってないよ!」
 いや、どうみても怒ってるだろう。触ったら感電しそうなくらい、怒りのオーラをビリビリ感じる。雷魔法トロンを得意としているエルレーンだけに、シャレにならない状態であった。だが、勝手なことを言っているのはエルレーンなのだから、いくらマリクでもこっちから下手に出るなんてお断りなのだ。
「だいたい、エルレーンは僕のことを友達だって思ってくれてないのに、僕が名前を挙げないから怒るなんて大人げないと思うけどな。」
「……。」
 そっぽを向いてエルレーンの顔を見ないようにそういえば、流石のエルレーンも黙り込む。これで少しはマリクを含む、周りの友達に気遣いというものを向けてくれるといい、そう思った。
「……友達ってちゃんと思ってるのに。マリクやリュート、ヨーデルのことだって。」
「え゛。」
 とてもそうにはみえない、思わずそう言いかけて言葉を飲み込んだマリクだった。ウェンデル絡みで、エルレーンから被害を被ったことは一度や二度ではない。ウェンデルに褒めてもらったリュートがエルレーンに脅されただの、ウェンデルの用事をこなすために、約束をドタキャンしただの、ウェンデルがヨーデルに与えた仕事を、横からエルレーンが取っちゃっただの。とかくエルレーンのウェンデル様第一主義は、多かれ少なかれ周りの人間に多大な迷惑をかけているのだ。正直言うと、エルレーンはウェンデル以外は案山子くらいにしか思ってないんじゃないかとマリクは思っていた。
「なんだよ、その反応。」
「だって、エルレーンってばさ。この間、カダインの街に出かける予定、いきなりドタキャンしたじゃないか。」
 ウェンデルから書庫の整理を頼まれたからとかいう理由だったと思う。一週間も前から約束していたのに、しかも言いだしたのはエルレーンからの癖に。書庫の整理なんて買い物から帰ってからでもできるだろう。
「し、師匠の指示に従うのは当たり前だろ。」
「ウェンデル様は、手のすいたときでよいからと頼んだらしいけど?」
「……む。」
 流石に分の悪さを悟ったエルレーンは、一声呻いた。
「友達と思ってくれてるなら、せめてウェンデル様の半分くらいは気を使ってほしいんだけどね。」
「……じ、次回から気をつけるようにシマス。」
「ウェンデル様が他の魔道師をかまったからって、イチイチ嫉妬はやめてほしいね。」
「し、嫉妬なんてしてなぃ!……って思うんですケド……。」
 あれを嫉妬といわずして何を嫉妬というのか。この際だから、今まで散々やられてきたことをすべて愚痴ってやろうかと思ったが、珍しくもエルレーンがしおらしい。このあたりで勘弁しておこうかなと思うマリクは、やはり基本世間知らずなのだった。
「でもま、エルレーンが僕たちのこと友達だと思ってくれてるのならいいよ。」
「ずっとそう思ってたって言ってるのに……。」
「じゃあ、ウェンデル様だけじゃなくて、これからは友達も尊重してくれるね?」
「絶対にそうする!約束する!」
 多分やけくそだろうが、エルレーンははっきりとそう言った。これはリュートたちにも絶対に伝えておかなければ。みんな喜ぶことうけおいだ。ヨーデルなんか、感動のあまり泣いてしまうんじゃないだろうか。
「じゃあ、明日。この間のドタキャンしたやつ、付き合ってもらうから。エルレーンのおごりで。」
「……わかりました。なんでもいたします。」
 不満げながらエルレーンがうなづく。不満そうなのには引っかかるが、マリクとしては大いなる進歩を素直に喜びたい。そう、エルレーンの人づきあいとか社会性とかそういったものの成長と、マリクからみれば、これから手に入るであろう平穏を。
 と、ノックの音がした。
「エルレーン、戻っておるか?」
「はい、ウェンデル様。」
 瞬時に表情をウェンデル様限定モードへと移行させたエルレーンに、マリクはなんだか嫌な予感を感じてはいたのである。ウェンデルが室内に入ってくると、先ほどの不機嫌さはどこへやら、落ち着き払って、口元には笑みさえ浮かべていたりする。いつもながらこの変貌っぷりには、付き合いもそこそこ長いので見慣れているはずのマリクですらついていけない。
「このような時間に邪魔をして申し訳ないのう、マリク。」
「いえ、ウェンデル様。まだ寝るような時間ではありませんから。」
 とはいえ、マリクにとってもウェンデルは生涯の師だ。自然と背筋が伸びる。
「ウェンデル様、何かありましたでしょうか?」
 と、エルレーンがマリクとウェンデルの会話に割って入った。いや、恐らく本人にはそんなつもりは全くないのだと信じたい。が、まあこれもいつものことなので、マリクはあっさりと引き下がった。先ほどエルレーンは歩み寄ってくれたわけだし、つまらないことに拘りたくはない。
「ああ、エルレーン。明日もし時間があるのならば、少し書物の整理を手伝ってもらえぬか?」
「はい、わかりました。ウェンデル様。」
 ところがエルレーンのこの言葉には、正直マリクも耳を疑った。約束したのはいつだった?あの会話から5分と経ってない。しかし、恩師の前だ。文句どころか、マリクもただ顔をひきつらせてエルレーンを見つめることしかできない。
「マリク、どうしたのだ?調子が悪そうだが?」
「い、いえ、ウェンデル様。そ、そんなことはありません。」
 マリクを案じるウェンデルのそばで、兄弟子も同じように本気で心配そうな顔をしていた。一体誰のせいだと思っているのか、まさか自分のせいだと思ってないのでは?なぜそこでそんな顔ができるんだ、約束したのはついさっきだ。エルレーンのメモリ容量はキーワードウェンデル以外は即時デリートか!信じられない、もう誰も信じないぞ。マリクの心の叫びは、ウェンデルどころか当のエルレーンにすら理解してもらえず、後々までがっつり心の傷になったとかなんとか。


●ウェンデラーなエルレーン話。こんな感じならカダインも平和だ。
(2014/02/23)