■タリスの少年

「5Gだな。」
「え?」
 聞き間違いだと思ったカシムに、主人は殊更にはっきりと告げる。
「5G、だ。それ以上はだせん。」
 気に入らないのなら、他の店に持っていくといい。そう付け加えた主人の表情を見れば、カシムにだって足下を見られていると判る。獲物を買いとる店は、この村ではここしかない。
「どうするんだ、カシム?」
 勝ち誇った主人の声に、顔があげられなかった。5G。この季節の、脂ののった若鹿一匹が、たったの5G。一日中森を歩き回って狩った獲物だった。それが、母の薬代にすらならないなんて。
「…それでお願いします。」
 ようようその言葉だけ喉から押し出すと、即座にカウンターに硬貨が投げ出された。鹿と交換に、その硬貨五枚を受け取る。握りしめた鉄の感触が、あんまりにも安っぽくて涙が出そうだ。

 悔しかった。父親が生きていたら、母親が病気じゃなかったら、自分が14歳じゃなかったら。でも、現実はそうなのだ。カシムには力がない。そして、力がないものはより強いものに虐げられて、支配されて当然なのが、現実。

 家路につく足が重かった。ため込んだ薬代の支払い期限は明日だ。5Gでは相手にもしてもらえないだろう。手っ取り早くお金を稼ぐ方法が、なんとしても必要だった。

 どうしてこんなことになったのか、カシムには皆目検討もつかない。一生懸命働いていれば、いつか必ず幸せになれると思っていた。お金を貯めて、母親をよい医者に診てもらえれば、母の病はきっと治る。そうしたら、カシムはタリスの王宮に仕官するのだ。かつての父親のように。

 14歳の少年の人生設計はあまりにも甘すぎた。現実には、日々の食事にも事欠く有様だ。11の時に父親が亡くなって、三年。転がる石のように落ちていく生活を立て直すのは、病がちの母を抱えた少年には荷が重い。

「母さんになんていえばいいんだろ…。」

 我が家が見えてきた。ぼんやりと明かりがともるそこでは、床についた母がカシムの帰りを待っている。手ぶらで帰れば、母は何があったか知るだろう。長患いに窶れた母に、これ以上心配をかけたくはない。

 どうしてこうなるんだろう。ドルーアによってアカネイアが滅ぼされても、天候が不順になっても、そんなことはカシムにとってはどうでもいいことなのだ。ただ、平和な日々があればよい。母と暮らして、狩りをして。そして、いつかタリスに仕官したい。でも。

「……。」

 カシムは立ち止まった。握りしめたままの硬貨をポケットにつっこみ、踵を返して走り出す。

  お金を得る方法がある。ガルダの海賊が傭兵を募集しているのを、人づてに聞いた。即金で200G。しかも、月々に100Gが支給されるという。それだけあれば、借金が返済できるどころか、母をよい医者にかけることもできる。

 すぐにお金が必要だった。もうこの方法しか思いつかない。誰も助けてくれないから、自分で何とかするしかないのだ。たとえ、裏切り者といわれようとも。


 必死で駈けとおすカシムの顔には、奇妙な歪んだ笑顔がぴっしりと貼り付いていた。

(2002/06/02)