■そこにあった真実

「俺は、間違っていたんだな。」
 レナートの手に、剣があった。かつて彼が人であった頃の剣は当の昔に腐れて折れて、もうなかった。それは幾多の戦いを越え、何十人もの人間の血を喰らい、エーギルを奪った剣だ。丈の長い剣は、昔から彼がもっとも得意としていたカタチ。ネルガルから、それを与えられたときには喜びのあまり心が震えた。これでエーギルを集めれば、友は再び己の隣に戻ってくるのだと、そう彼は信じた。その剣を手に、彼は傭兵となり、戦場を駆け、敵を殺し、エーギルを奪った。再び彼は”死に神”と呼ばれるようになったが、気にならなかった。彼が欲しいのは失われたものだけ、友の命だけだったからだ。
 戦いの中で人を殺した。戦意の失せたものを殺すのも躊躇わなかった。ときには暗殺まがいの依頼も受け、女子供でさえ手にかけた。痛みを感じたのは最初のうちだけで、罪悪感は血にまみれて、いつしか何も感じなくなる。殺して奪い、破壊しては捨てる。エーギルが必要なのだ。デニングを取り戻すために、自分を本当に理解してくれた、友を再び得るために。
そうして、レナートは今このときを得たのだ。

ネルガルは嘲笑う。
お前が集めたエーギルによって、お前の友は再び生を得た、と。
魔道士の後ろには、佇む男の影があった。
名前を呼んでやるといい、と魔道士は姿を消し、残された男をレナートは見た。金色の瞳をした、その男を。
「レナート。」
 彼の名を呼ぶ声は、遙か遠い記憶に残る友の声。異なる瞳も気にならなかった。ついに彼は望みを叶えたのだ。
「デニング。」
 名前を呼び、駆け寄る。姿形、何もかもが懐かしい。もう一度、友と一緒に歩める。失った時間を取り戻し、もう一度やり直せるのだ。そんな夢が、レナートの胸を締め付けた。この一瞬、彼は誰よりも幸せだった。
 が、その夢想は一瞬で終わった。

目の前にいるもの、姿形が友であるもの、レナートの名をよぶもの。それはデニングではない。形だけはそこにある。だが、それだけだ。彼を彼たらしめているもの、デニングの心はそこにない。ネルガルは確かにレナートの望みを叶え、デニングを蘇らせた。しかし、一度失われてしまった魂だけはいかなる秘術を持ってしても、元に戻すことはできないことにレナートは気づく。ここにいる友は、友の形をした人形だ。レナートが名を呼べば答え、命じればその通りに動く。
 だが、違う。レナートが望んだものは。これは彼の望んだモノではない。取り戻したかったのは友だった。そして、デニングの死によって永遠に失われてしまった友の中にある自分自身だった。それはいかなる秘術によっても、取り戻せるものではなかったのだ。こんな簡単なことにどうして今まで気がつかなかったのか。

 自ら多くの代償を払い、人の命をも差し出したレナートに対する、これが報償だった。

 もう一度やり直したかったのだ。途切れた糸を継ぎ直し、あのときあの場所からもう一度だけ、違う道を選びたかった。不自然な欲望、一瞬の妄想として消えてしまうはずだったそれは、ネルガルによって現実の色を持ってレナートの前に現れた。あまりにも優しい妄想だったが故に、レナートはそれが歪んでいることにずっと気づかない振りをしていた。その報いが、今、レナートの目の前に形となってある。

 泣かない。笑わない。デニングであって、デニングでないもの。愚かな夢のために生み出された不自然な命は、レナートの指示を待っている。

「レナート。」

それはもう一度、彼の名前を呼んだ。目を閉じ、心を閉じれば、その夢に酔うことができるのに。無表情に、レナートを見つめる相手には罪はない。

 罪があるとするならば。それはレナート自身にだ。

「おれは間違っていたんだな。」

 答えはない。もう、返事はいらなかった。

 レナートの手には、ネルガルより与えられた剣があった。ネルガルによって与えられた、沢山の人を殺めた剣は、レナートの手にもうしっくりと馴染むのだ。

 レナートは片腕を伸ばして、デニングの体をしっかりと抱いた。剣もろとも抱きしめた、彼の体は暖かかった。

 泣きも笑いもしないデニングの顔を見ず、それでも剣は正しく友の心臓を貫きとおす。レナートの身勝手が生み出した命を、身勝手に滅ぼす代償は、いつか彼自身に降りかかるかもしれない、そんな予感もレナートの剣を止めることはできなかった。散々罪を重ねてきた。今更それが増えたところで、何を気にする必要があるのかと。もはや引き返すことなどできるはずもないのに。
 動かなくなった体が塵と消えるまで、レナートはしっかりと彼の体を抱いていた。モルフの体は塵となり、宙にとけ、剣だけが地に落ちる。ネルガルからもらった剣だった。そして、もうそれは必要のないものだった。彼はもう二度とネルガルの元には戻るつもりはなかったのだ。
 
 死に神と呼ばれた傭兵の噂は、そのときからふっつりと聞かれなくなった。


(2006/01/31)