■愛。それは地上の光…

「ディアドラ…美しい人だった…。」
 陶然とした面もちで、シグルドは誰言うとなく呟く。
「もう一度あいたい…ディアドラ…。」
 一睨みで蛮族を震え上がらせ、一撃でガンドルフをあの世へと送った凛々しきシアルフィの公子も、恋の前では一人の男性。憂鬱気に物思いに耽るその姿は、マーファ城下で女性ファンがつくほどであったが、恋煩いにかかった指揮官を抱える軍ほど辛いものはない、とノイッシュは思う。ましてや、軍略会議の席上で恥ずかしげもなく思い人の名を呟かれては、部下としてはどう対処していいものやら。
 シグルドの醜態にアゼル公子は申し訳なさそうに俯き、レックス公子はあからさまに面白がっている様子。アイラ王女はすでに席を立ち、キュアン王子は…いや、もう止めておこう。バイロン卿が遠きイザークの戦地にいらっしゃることが、せめてもの慰めだ、そう思おう。健気にそう考える忠臣ノイッシュであった。


 オイフェは子供心に考えていた。このままではシグルドが指揮官として役に立たないのは明らかだ。平時ならとにかく、戦時下に恋の病だなんて、いやいや、軍師として何とか解決策を考えなければ。稀代の名軍師、スサール卿の孫として。必死に自分を奮い立たせる少年オイフェ。なりは子供でも、彼はもう立派な大人である。

 オイフェは考える。シグルドの思い人、ディアドラという女性は精霊の森の巫女らしい。世人と交わることを禁じられた巫女に惚れるなんて、なんともシグルドらしいというかなんというか。それはさておき、巫女であるならこの恋の行方は絶望的だ。

 とすると。オイフェの腹案の一つ。ディアドラをつれてきて、シグルドとくっつけてしまう作戦はいきなりアウト。代案としては、ディアドラをつれてきて、シグルドをこっぴどくふってもらう…のも考えたが、今のシグルドの様子では、それこそ世を儚んで自殺でもしかねない。

−−なにせシグルド様はこれが初恋だから…。扱いには気をつけないと…。

 20過ぎての初恋は、症状が重いのだ。麻疹と初恋は十代に済ませておくべきだ。ちなみにオイフェの初恋は10歳の時。エスリンに抱いていた淡い思いは、彼女の結婚とともに雪の如くに消え去っていた。

 とにかく。オイフェはなおも考える。目先のヴェルダン城の攻略だけでもなんとかしなければ。サンディマの魔法と王子ジャムカのキラーボウは厄介な相手だ。何が何でも、回避と攻撃を兼ね備えたシグルドに本調子を取り戻してもらわねば。

 ここで、オイフェは策を一つ思いついた。かなりの効果が期待されるものだ。が。この策には後がない。ヴェルダンを攻略するのは可能だが、その後がどうなるか。

−−ま、後のことは後で考えればいいかな。

 楽天的にそう結論づけたオイフェ。人はそれを行き当たりばったりという。



「ああ、ディアドラ…。愛している…。」

 シグルドの病は、もはや誰にも手の届かない領域へ進んでしまったようだ。虚ろな瞳が映すのは、出会ったときの彼女の姿、声、仕草。妄想の中で作り上げられた都合のいい幻が、シグルドを支配しているのは明白だった。ユングウィをまもらんと立ち上がった青年貴公子の姿は、もう欠片も残っていない。

 シグルドの部屋に足を踏み入れたオイフェは、そんなシグルドを見て決意を新たにした。後々のフォローは後まわしにして、なんとしてもヴェルダン攻略まではシグルドにかつての彼に戻ってもらうのだ。

「シグルド様!」
「…ディアドラ…ふふふ…。」
 情けない主の姿にこみ上げる涙を堪えつつ、オイフェはシグルドの耳元で怒鳴った。
「シグルド様!!ディアドラ様の行方が判りました!ヴェルダンの城に囚われているそうです!!」
 この言葉の効果ときたら!オイフェの予想を遙かに超えていた。その瞬間、シグルドの眼は光を取り戻す。すくと立ち上がって、アルヴィス卿から拝領した銀の剣を壁掛けから取ったシグルドの、
「オイフェ、すまないが全軍に進軍の用意を指示してくれないか。我が軍は一時間後にヴェルダン城へ向けて出発する!」
 その姿は、間違いなくかつての彼そのものだった。内心、オイフェは自分の作戦を少々危ぶんでいたが、こんなに上手くいくとは…。軍師としての能力も、捨てたものではないらしい。全軍に進軍の連絡を伝えに部屋を飛び出したオイフェは、すっかり己の才能に自信をもった。祖父スサール卿と同様、いやそれ以上の名声を自分が得る日も、そう遠い日ではないかもしれない。



「ディアドラ…私は…君を愛している。どうか結婚して欲しい。」
「はい…シグルド様…。」
 シグルドは馬上にディアドラを抱き上げ、熱い抱擁を交わした二人はそのまま唇を重ねる。

 まさか、こんなオチが待っているとは…。精霊の森の巫女が己の職分を捨てて、シグルドとの愛を選ぶとは、さすがのオイフェも読み切れなかった。

 しかし。

「おい、シグルド。濡れ場はそれくらいにして、とっとと彼女にサンディマを何とかしてもらってくれ。」

 士官学校で同級生であったキュアン王子も、目の前で繰り広げられる砂を吐きそうなシーンの連続に、食傷気味なのが声にでている。

「あ、はい。ちょっと待ってください。」
 我に返ったディアドラがサイレスの杖を掲げ…るのは別に構わないけれども、シグルドの腕は彼女の腰に回ったままなので、ひどくやりにくそうだ。
「シグルド様…ごめんなさい…少しだけ放してください。」
「この手を離したら、君がどこかに行ってしまいそうに感じるんだ…もう二度と君を失いたくない…」
「シグルド様…。私はもうシグルド様のものです…どこにも行きませんわ。」
「ああ、ディアドラ、愛している…。」

 ………。

 ………………。

 ……………………。

 ………………………………。

 二人をのぞいた全員が、なんともいえないやるせない思いを抱いたのは、人間として正しい感情だと思われる。
「私は……それでもシグルド様に…騎士として一生お仕えするつもりだ…。」
 忠臣ノイッシュの言葉だけが、むなしく精霊の森の静けさに吸い込まれていった。

(2002/06/02)