モドル

■それに名前をつけるなら

 

 「誕生日おめでとうございます。」
 まっすぐにヤマトに向けてそう言った、彼の笑顔が忘れられない。
 

 夜の森を、二人の暗部がゆく。先行は狐面、後ろにつくのは猫面。カカシとヤマトだった。久々の暗部の任務。ナルトたちの指導に入ってからはめっきり少なくはなったけれど、木の葉の里の人手不足のせいか、思い出したようにお呼びがかかる。暗部の仕事だけに大抵がロクでもないものが多く、今回もごたぶんにもれずそのパターンで、気は進まないがそんなことは言えない。
 深夜2時の集合時間まで、まだだいぶ時間がある。木々を渡る二人のスピードがそれほど切羽詰まってはないのは、時間に余裕があるせいもあったが、むしろ行きたくないという後ろ向きな理由が大半だった。
 そのせいではないけれども、さっきからヤマトはカカシの後ろでくだらないことばかりを考えていた。ちょうどこの任務に出かける二日前の出来事、ほんの五分かそこらの経験を何度も何度も繰り返し反芻する。何度思い返してみても、自分のとった行動の理由がわからない。自分がしたことであるにも関わらず、だ。理性派を自ら任ずる彼にとっては、それがどうしても許せないのだ。

「先輩。」
「ん、何よ?」
 狐面の男は振り返らない。
「僕はこの間、”誕生日おめでとう”って言われたんです。」
「あ、そ。俺にも言ってほしいわけ?」
 そんな恐ろしいこと、絶対にお断りだ。が、当然そんなことは言えるわけもない。
「いえ、そうではなくて。というより、僕の誕生日は8/10です。」
 そう、今はまだ8/9。とはいえ、8/10まではもういくばくも残ってない。
「誕生日を間違って覚えられてたのが嫌だったって言いたいの?」
「いえ、そうではなく。」
「言ってきた相手が、お前の好みのタイプじゃなかった、とか?」
「違いますよ、好みとか好みでないとかじゃなくて。」
 ヤマトはカカシをとっても尊敬しているが、こういうところにはイライラする。話が全然進まないではないか。
「じゃあ、何なの?お前、話が回りくどいよ。」
「誕生日じゃない日におめでとうと言われたのに。僕は、その時それを相手に言えなかったんです。」
 それが、先ほどからヤマトの考えているくだらない出来事だった。あの日、偶然にあの中忍先生に出会って。満更知らない相手でもないから、ちょっとした世間話を交わして。別れる間際に、彼は笑顔で言ったのだ。

―ヤマトさん、誕生日、おめでとうございます。

 訂正するなら、すぐにできたはずだ。だって、その日は8/7だった。誕生日は3日も先だ。覚え間違いに腹が立ったわけではない。間違った情報は気付いたときに訂正するのが筋だ。そうしなくてはならない、それが正しいことだから。
 でも、そのときヤマトはそれが出来なかった。イルカの言葉に、ただありがとうございますと返して別れた。そして、そんな自分が理解できずに、今この瞬間にも悩んでいる。
「わざわざお祝いを言ってもらったのに、こんなことをいうのは何ですが。でも、やはり間違いは間違いですから。僕はあの時、きちんと訂正すべきでした。」
「ふぅん。」
 カカシからは、どうでもよさげで適当な相槌が降ってくる。実際、ヤマト自身、今更こんなこと言ったってどうしようもないことは百も承知だ。カカシから適切なアドバイスが貰えるとは思ってもいない。ただ、どうしようもなく胸の奥がもやもやする。気持ち悪くってしょうがないのだ。
「……ですが、あの時、とても嬉しそうな笑顔でそう言われたので。」
 はじめて彼の笑顔を見たときから感じていたが、イルカという人は実に屈託なく笑える人なのだった。両親ともども忍びだったのなら、ましてやナルトの面倒を見てきたのなら、決して笑っていられないようなことも今まで多々経験してきたろうに。そんなことを微塵も感じさせないで、イルカは笑う。誰に対しても、きっとそうだ。
 そういえば、ヤマトが元暗部と知ってもイルカは自分に対する態度を変えなかった。そもそも初っ端初対面から裏表なくイルカはヤマトに接していたように思う。素直に認めなくてはならない、自分にとって彼のその態度が、とても心地よいものであったということを。七班の世話をずるずると続けているのは、決して任務だったから、カカシの頼みだったから、だけではないことを。
「ここで間違いだと言えば、笑ってくれなくなるんじゃないかと思ったんです。」
 今となって考えれば、自分がそういったところでそんな事態になるはずもない。とにもかくにも、その時の自分の心境は不可解極まりなかった。
「お前さ。」
 気づけば、狐面がヤマトを見ていた。
「そっち方面に疎いとは知ってたけど、まさかここまでとは知らなかったよ。」
 心底馬鹿にした口調が腹立たしい。面に隠れてるのをいいことに、ヤマトは顔をしかめた。
「どういう意味ですか、先輩?」
「どういう意味って、そういう意味。」
「そういう意味というのは、どういう意味でしょうか?」
「どういう意味って…そんなこと、何でイチイチ言わないといけないの?」
「はっきり言ってもらわないと、僕には分からないからです。」
 お互い暗部面をかぶっていて、本当に幸運だった。今、二人が顔を合わせたら、恐らく喧嘩の一歩手前までいってしまうに違いない。
 嫌な沈黙が続いた後。流石に年の功といったところか、先に折れたのはカカシのほうだ。苛立ちを隠しきれずに、舌うち一つして、それでもストレートにこう言った。
「お前が、その誰かさんに惚れてるってことだよ。」

―そんなこと、あり得ません。
 
 そう即答したつもりなのに、何かがペタリと貼りついて声が出ない。

「大体、お前アレでしょ?相手に気を使ったりしないでしょ?いつも効率とかそっちを優先するし、潔癖症だから間違ってることをそのまま流したりしないでしょ?それなのに、笑っててほしいからとかそんな理由で、何も言えなかったってあり得ないでしょ。第一、笑顔が見たいとかなんとかって、惚れてる以外のなんだっての?友達にそんなこと普通思ったりしないよ?少なくとも、俺は好きでもない相手の笑顔見たいなんて思わないし。そんなこともわからなくて、仕事途中にも悩んでるってどうよ?しかも、逆切れってあり得ない…。」

 カカシは、まだ何か喋っている。が、それはもうヤマトの耳には意味のない言葉の羅列になっていた。

―馬鹿な。そんな馬鹿なこと、あるわけないです。先輩は間違ってる。僕はそんなつもりで、そんなつもりで言わなかったんじゃなくて。いや、そもそもイルカさんは男だから、僕が彼を好きなんてありえない。

 でも、もし、彼に恋人がいるとしたら、自分はがっかりしてしまうかもしれない。寂しいと思うかもしれない。
 別に恋人がいたとしても、ヤマトには何の関係もない話であるはずなのに。もう二度と笑顔が見られなくなるはずもないのに。不可解さはさらに募ってヤマトを苛む。イルカのことが好きなはずがない。だけど、どうしよう、どうなんだろう。

「ちょっと、テンゾウ?」
 
 胸のもやもやは、もうとっくに我慢できる限界を振り切りっぱなしだ。恋だって?そんな馬鹿な。

「おーーい、テンゾウくーーん。」

 そんなはずはない。そんなはずは、ないと思う。そんなはずは、ない、だろう? 

「テンゾウっ!ちょっと、聞いてるの!?」
「先輩!!」
 確かめなきゃならない、このもやもやの正体。だが、悲しいかな、己の幅の狭い人生経験では、これの正体を暴く方法が見つからない。なれば、尊敬する先輩にその方法を求めればいいのだ。大丈夫、自分はまだ冷静だ。合理的な思考を失ってはいない。
「恋かどうかわからないときは、どうしたらいいんですか?」
「ハァ?」
「だから。惚れてるかどうか確認するためにはどうしたらいいんですか?」
「……」
 狐面はふいに地面に飛び降りた。わけも分からぬままに、ヤマトもそれに従う。暗部面を外したカカシは何かいいたそうに、口を開けては閉じ、開けては閉じを二回繰り返した後に、大きくため息をついた。相変わらずわけは分からないが、馬鹿にされているようでヤマトとしては非常に気分が悪い。
「お前が惚れている相手はさ。」
 呆れを通り越したカカシの声は、いっそ優しくヤマトに届く。
「目を閉じて、一番最初に浮かぶ笑顔の人だよ。」
 ヤマトはカカシの指示の通りに目を閉じ、そして開けた。浮かんだ笑顔は最早説明の必要もない相手であったのだが、ヤマトとしてはそれが事実であるのなら受け止めるほか、選択肢はありえない。そして、もう悩む必要もないことが分かった。
「自分が誰が好きか、分かった?テンゾウ?」
「はい、わかりました。」
「じゃあ、集合場所に向かうから。」
 暗部面を付け直して、また飛び上がる寸前のカカシにヤマトは声をかけた。
「あ、先輩。」
「何?もう疑問は解けたんでしょ?」
 いいや、まだだ。相手の気持ちはとにかく、自分の気持ちは理解できた。で、それから?
「好きな人には、どんな風に接したらいいんでしょう?」
 返事はなかなか返ってこなかった。が、またもや大きなため息とともに、カカシは一言。
「…この任務が終ったら教えてあげるよ、テンゾウ。」

 


 草の根運動のヤマト隊長誕生日おめでとう企画に投稿した作品でした。別にヤマトさん、女性と全く経験がないわけではなくて、感情を伴ったお付き合いが未経験というだけですので…。

アップ日:11/08/29
モドル