モドル

■赤の綾糸

「ゴルドー様!しかし、それは騎士のやり方とは言えません!」
「…ほう、なら貴殿はわしのやり方が間違っているというのか?」
「いえ…そんなわけでは…しかし!」
「とにかく、これはもう決定事項。いまさら変更はできかねる。」
「ゴルドー様!今一度…!」
ロックアックス城、謁見の間。玉座に座る白騎士団長ゴルドー、彼の 前に跪いて進言する青騎士団長マイクロトフ。一触即発の空気の中、 赤青白の各騎士団員がはらはらしながら二人のやり取りを見守ってい る。赤騎士団長カミューの目の前で繰り広げられているこの光景。 今まで数え切れないほど同 じ様な経験をして、カミューは自分の出番が来たのを知る。
「いい加減にしないか、マイクロトフ。ゴルドー様 は、もう決まったこととおっしゃられているのだぞ。」
 カミューは優雅に前に進み出て、マイクロトフの前に立った。とりあえ ず、マイクロトフがこれ以上余計なことを言って、ゴルドーを本格的に 怒らせる前にマイクロトフを押さえる必要がある。その為に、まずは マイクロトフの視界から、ゴルドーを外さなければならない。
「カミュー、しかし、これではあまり…!」
 相変わらず単純明快なマイクロトフは、すぐにカミューの思うとおりの 反応をしてくれた。素直なマイクロトフが 見せたその隙を見逃さず、カミューはとどめの一撃を放つ。
「主君の命に逆らっては、騎士とはいえまい?マイクロトフ。」
絶句して黙り込む青騎士団長。次にカミューはゴルドーの方に向き直り、
「ゴルドー様。マイクロトフも納得してくれたようです。 我ら騎士団一同、ゴルドー様にお任せいたします。」
ゴルドーの不愉快気な表情は、自分の思うとおりにことが 運んだ満足に取って代わった。マチルダ 騎士団の首魁は、なんとも単純な思考の持ち主である。
「よかろう。二人とも下がるがよい。」
「はっ。」
不満そうなマイクロトフを担ぐようにして、カミューは謁見の間より退室する。 そのカミューの後姿に、ゴルドーの声が追いかけてきた。
「カミュー。」
「分かっております。ゴルドー様のお心のままに。」
カミューは振り返りもせずそう答える。ゴルドーの 下卑た笑い声が、後ろ手に閉じられたドアに消えた。
「カミュー?どうした、顔色が悪いぞ。」
「いや…なんでもないよ。ただ…。」
 ただ、今夜のことを考えると寒気がするだけだ。しかし、これは マイクロトフには、関係のないことだから。ゴルドーに名前を 呼ばれたことが何を意味するのか、今夜も、自分が何をしなければ ならないか、マイクロトフには知られるわけにはいかない。
「ただ…なんだ?」
 きょとんしているマイクロトフ。カミューはにやりとして、
「いつまで、私におまえをかつがせるつもりかなあ、とね。」
がばっ。
動揺したマイクロトフがカミューから離れる。
「すっ、すまん!カミュー!べっ、別にずっと乗っかっているつもりはなかったんだ!」
「いいさ。私が倒れたときは、おまえに担いでもらうよ。」
「勿論!」
間を入れずにマイクロトフが言った。そういう彼の真っ直ぐなところが、 カミューは好きだ。自分がマイクロトフのような純粋さを得ることは、 一生あるまい。
 だから。
 だから、マイクロトフを傷つけたくない。世間 の汚い部分は、彼の分まで全部自分が引きうけてもいい。マイクロトフ が今のままでいられるのなら、喜んで汚れ役を引き受けよう。それが、 カミューの騎士の誓い。他の誰に剣をささげようとも、この誓いだけは カミューの中で永遠なのだ。 どんなことでも耐えて見せよう、マイクロトフの為に。


 部屋はその持ち主の鑑と言われるが、もしそれが本当なら、この部屋の主の 性格は最低レベルだろう。薄暗い部屋の中の調度品それ自体は、ロックアック スで望みうる限りの高価な品々であるというのに。そもそも、配置が雑然とし すぎて、センスのかけらも感じられない。更には、部屋に漂う酒気。騎士だか らという理由で禁酒を押しつけるつもりはカミューには毛頭ないが、まがりな りにもマチルダ騎士団の筆頭、白騎士団長である。自室にいるとき、大概 が酒浸りでは有事の時に対応できないのではないだろうか。
 カミューはノックの後、答えを待たずに部屋に足を踏み入れた。部屋の 真ん中に据えられた、大きなベッド。その中で、我らが主はまた淫猥な楽しみに耽って おられたようだ。カミューの眉がわずかに顰められる。
 ゴルドーの巨大な体躯に組み敷かれた、小さな白い姿。ゴルドー が動くたびに痛々しげな悲鳴をあげる。
「ゴルドー様。」
 カミューは出来るだけ、静かにベッドに向かって声をかけた。驚 かさないよう気をつけたつもりだった が、ゴルドーの下にいる少年の身体が哀れにも縮み上がる。
「おお …カミュー。来たのか。」
 白騎士団長ゴルドーは悪びれもしない。カミューを認めると、 ようやく少年から身体を離した。怯えた小動物のごとくに、服を 身に付けるのもそこそこにしてゴルドーの部屋を飛び出す少年。 おそらく騎士見習いであろうその小さな後ろ姿と泣き声と、そして扉の閉まる 激しい音を見送ってから、カミューはゴルドーに向き直った。
「どうやら、お待たせしてしまったようですね。」
「お前を待つ間の戯れに…な。」
 ゴルドーが野卑に笑う。彼のこんなところが、カミューには許せないのだ。 ”戯れに”とはよくも言ったものだ。十代半ばの、おそらく 騎士見習いの少年に、あれがどれだけ屈辱的なものか知ってい るのか。今頃きっとどこかで泣いている、その少年のことを思うと胸に痛みが走る。
 カミューはベッドに半裸で座り込むゴルドーに、 するりと近づいた。肩に手を置き、唇を耳元へ寄せ、
「私以外をお抱きになるなんて、妬けますね。」
「ならば、これから控えよう。」
 ゴルドーが不器用にカミューの軍服に触れる。僅かに恥らって見せるのは、 それが相手をより興奮させると分かっている、カミューの媚態。すんなりと した肢体がゴルドーの前に晒され、 カミューの微笑みは一層妖しくゴルドーの視線を奪う。
「ゴルドー様…」
 潤んだ瞳、濡れた囁き。自分の姿にゴルドーがどれだけ引きつけられるか、 カミューはちゃんと知っている。強く腕を引かれ、倒れるようにベッドに引きこまれた。 塊のようなゴルドーが、カミューにのしかかる。
「今からおまえを楽しませてもらおうか。」
 酒くさい息が、荒くカミューにかかる。脂ぎった鼻先が、 唇がカミューの項に押し付けられた。嫌悪感で体が震える。
「夜は長いですから…ゆっくりと…ゴルドー様…」
 それでも、自分の声は媚を失わない。ゴルドーを欲しがるふりを忘れない。 何時の間にか身についた処世術。移民の子供であった自分を、 今の地位までのし上げた最も効果的な手段。 それが、時折自分をいたたまれなくさせるのだ。
「ん…っ…」
 荒荒しいゴルドーを受けとめる、カミューの脳裏に浮かぶ誰かの笑顔。 見知ったそれに恐怖すら感じる。責めるでなく、問いかけるでもなく、 ただカミューをじっと見つめているそれから目を そらして、カミューはその行為の中に没頭していった。

 三日月の、ぼんやりとした月光を浴びるカミューの姿は、まるで 一幅の絵のように見える。ロックアックス城の西側テラスは、 いつもカミューの特等席になっていたが、夜に来たのは初めてだ。 と、カミューは部屋に帰れない原因の一つを、苦笑と共に見下ろした。 袖を軽く捲り上げると、そこには夜目にも紅い跡が見える。ゴルドー と情を交わした明らかな証拠は、腕だけにではなく、体中にまだ残っていた。 この跡がある間は、部屋に帰れない。今夜は、マイクロトフがどうしても部屋 に来るといったのだ。 その時のマイクロトフとの会話が耳に蘇る。

「今夜は、お前の部屋に飲みに行く。」
 いきなり断定口調で言われたものだから、いささかカミューも焦った。 今夜は、ゴルドー様の 部屋を訪ねねばならない。いつ帰れるかも分からないのだ。
「いきなりだな、マイクロトフ。私の都合はどうなる?」
「何か用事があるのか?」
 まさか、本当の用事を言うわけにはいかない。だが、マイクロトフと違って、 偽りの言葉を口にするのに、 カミューは躊躇いを全く感じない人間だった。
「今夜は女性に奉仕するという、騎士の務めを果たさなければならないんでね。」
 そう、カミューが言ったときのマイクロトフの顔ときたら。耳まで紅く染めて、 何度も何度も瞬きして。それでも、
「も、もしかしたら、帰ってるかもしれないから、部屋を覗きに行くからな。」
そう言い残して、踵を返す親友を。自分の言うことを、全く鵜呑み にするマイクロトフを。カミューは楽しげに見送ったのだ。

 マイクロトフの事だから、部屋の前で待っている可能性も十分あった。 真面目な男なだけに、融通がきかないのだ。こんな状態で、マイクロトフに会 いたくない。体の異常に気付かれたくないというよりも、こんな気分の時にマ イクロトフに会ってしまうことが、心底恐ろしい。自分が自分でいられなく なってしまいそうな気がする。マイクロトフの知るカミューは、常に冷静で 穏やかで、誇り高くて。今のように自己嫌悪にかられた自分は、 マイクロトフに絶対見られたくない姿だった。
 テラスに力なく背を預けて。月光は惜しみ無く、清らかな光をカミュ ーに注ぐ。しかし、月の光は決して自分を清めてはくれない。自 分はマイクロトフにはなれない。彼のようには、笑えない。
「…カミュー?」
…空耳?…じゃない、この声は。カミューの背がずるりとテラスを滑った。 力なく俯いていた顔を上げた先には、誰かの影。廊下の闇に紛れていても、こ の声は紛いようがない。首を傾げて自 分に近づいてくるその姿に、カミューは曖昧に笑いかけた。
「やあ…マイクロトフ。」
「カミュー、どうしてこんなところに?」
 マイクロトフの接近に、カミューの体が無意識に逃げた。 いつもなら太々しく平然とのりきってしまえるはずが。 今日に限っては、マイクロトフの存在を何かが拒んでいる。
――拒んでいる?本当に?
「カミュー??どうした?何かあったのか?」
 怪訝そうなマイクロトフの声に答えるのすら、疎ましい。視線を逸 らそうとしても、マイクロトフは自分の正面にでんと立っているのだ。しかも、 手を伸ばせば容易にその体を奪えそうなほど近くに。
――今は、傍にいて欲しくないのに…
「体の調子でも悪いのか?」
 肩を掴んで、カミューの目を覗きこむマイクロトフ。どんな時にでも、 ただ一途な感情を持つことが出来る親友が、カミューにはとても羨ましか ったのだけれども。この世はマイクロトフのような人間にとっては生きにく い世の中と、誰よりも知っているから。出来ればずっと守ってあげたかった のだけれど。優しくしてあげたかったのだけれど。
――でも、時々…どうしようもなく…
 誰よりもきっと、マイクロトフのことを大切に思っている。でも、 マイクロトフの瞳に映る自分は、 いつまでたっても親友を越えることはない。しかし、その ”親友” という地位さえも、砂上の楼閣の如くに危ういのだ。マイクロトフが 万が一、カミューとゴルドーの関係のことを知ったなら。自分が赤騎士団長の地 位を得る為に、ゴルドーに身を投げ出したと知ったなら。
「マイクロトフ…」
 ようやく声を発したカミューに、心底嬉しそうにマイクロトフ が微笑う。その笑顔が、辛い。こんなに近くにいても、どこまで も遠い。カミューの思いはどこまでいっても、マイクロトフ に届くことはないと思い知らされる。だとしたら、今までカ ミューのやってきたことは一体なんだろう?そばにいら れるだけでいい。だけど、その為にやってきたことは。
――どうせ手に入らないものなら…
失ってしまうことを、恐れる必要なんてどこにある?
 その気になれば、マイクロトフはすぐ傍にある。カミューが肩に手を回しても、何 の警戒もしない無邪気なマイクロトフ。薄い笑みを浮かべて見つ めるカミューの表情は、今まで絶対にマイクロトフには見せたことのない物だったのに。
「マイクロトフ、私のことをおまえはどう思っている?」
 突然の質問に、マイクロトフが戸惑うのは当然だ。だが、 カミューはマイクロトフの答えを待たない。
「私は、お前のことが好きだ。」
 カミューよりもほんの5センチほど、マイクロトフは上背があった。 それでも、少し背伸びすれば十分、口付けするに足りる。
 カミューの唇が己のそれにふれあう瞬間まで、マイクロトフには何が起こ ったのか分からなかったに違いない。反射的に後退す る体を逃さぬように、カミューは首に腕をまきつけた。お互いの視線が絡む。 驚きと嫌悪と怯えと。マイクロトフの目に映るのは、カミューの見たくもない ものばかり。マイクロトフも、自分を受け入れてくれるかもしれない。それは 、カミューの儚い希望で終わった。乱暴にカミューを払いのけたマイクロト フの仕草は、なによりの拒絶の証。
「カミュー…何のつもりだ?」
 怒気を含んだ、押し殺した声。信じていたものに裏切られて、 傷ついて怒っている。そう、マイクロトフは被害者で、悪いのは在る べからざる思いを抱いた自分。思い の行き場はどこにも無かったことに、改めて気付かされた。
「おまえは、私のことをどんな奴だと思っていた?」
 マイクロトフの問いに答えずに、逆に問い 掛けてみる。吐き捨てるように、返事が返ってきた。
「俺は、誰よりもお前のことを信頼してた。俺のこと、よく分かっ てくれていて、俺なんかよりずっと騎士に相応しくて…」
「それは、本当の私じゃない。」
 お前の笑顔が好きだから、お前に嫌われたくないから。重ねてきた嘘の自分。
「本当の私は、お前が思っているような人間じゃないんだ。」
 騎士に相応しいだって?こんなに汚れた自分が?騎士団に入るために、 昇進のために、使えるものは体しかなかった自分が?
「今夜、私が何をしてきたか、お前は知ってるか?」
 カラーを引き千切るようにして、くつろげた胸元に飛び散っ た情事の名残。マイクロトフが息を飲むのが分かった。
「私は、ゴルドー様と、寝てきた。」
 その言葉の意味がわからぬほど、マイクロトフは初心ではない。
「今夜が初めてじゃない。抱かれたのもゴルドー様だけじゃない。私 のような移民が騎士団で地位を得るためには、そうするしかなかっ た。己の知恵と才覚だけで乗り切ってい けるほど、ここは甘い場所ではなかったのでね。」
 笑う。月の光のもとで、その笑顔は壮絶に美しく、凄惨で。呼吸を忘れてしまうほ ど、ただマイクロトフはカミューを見つめていた。
「お陰で、今では赤騎士団長だ。意外と簡単だったよ… ベッドの上でちょっと我慢さえしていれば、向こうが何でもしてくれる。 頼まなくても、出世できたさ。… 信じられないって顔してるな、マイクロトフ?お前には分かるまい、 幸せな青騎士団長殿。生まれと育ちによってもたらされたも のを、享受しているだけのお前。自分がどれだけ恵まれているか、わ かっていないお前には。世の中には、努力では決して越えられないも のがたくさんある。私は、今までそれを思い知らされてきた。な らば、利用できる物は何でも利用すべきじゃないのか?そうだろう、マイクロトフ??」
 何も言えない。マイクロトフに何も言えるはずはなかった。
 マイクロトフが悪いのではない。だが、カミューにはもうすべてがどうでもよかった。 何もかも壊れてしまえばいいのだ。マチルダも、ゴルドーも、マイクロトフも。 何より自分自身が。
「今夜のことも、寧ろ礼を言われてもいいくらいなんだがね。 私がゴルドー様の機嫌をとっておかなかったら、 お前は青騎士団長の地位からとっくに追われていた。 自分がどんなに危うい橋を渡っていたのか、お前は本当に知らなかったのか?」
「!俺は…!」
「それを知らないってこと自体が、もう既に許されざる罪悪じゃ あないのかな。そもそも、お前は知ろうと努力したことがあったのか?」
 口にするセリフはマイクロトフを傷つけて。そして、 なによりも己自身を傷つける。
差し伸べた指先が、マイクロトフの頬を捕えた。冷たくて凍えそうなのは、 体よりも心の方。カミューがキスしても、もうマイクロトフは拒まなかった。

 マイクロトフの体を、冷たい石畳に組み敷く。縺れ合う二人が、 月の光に照らし出されて晒された。経験の差、とでも言おうか、カミュ ーに呆気なく押し倒され、服をはだけられたマイクロトフは悲しいほど に何もできなくなっていた。逃げ出そうとすればするほど、かえってカ ミューの罠にはまっていく。
 耳朶に感じた舌の感触。初めて味わうそれにマイクロトフは狼狽するしかない。
「…ぅぁ…」
 自分を女のように抱こうとするカミューと、今まで信じていた彼の姿 とのあまりのギャップにマイクロトフは混乱の極地にあった。このままでは、 自分は何をされてしまうのか分かってもいる。しかし、あのカミューのセリフ はマイクロトフの抵抗を封じこめていた。お前の為に、とカミューは言ったの だ。マイクロトフの為に、ゴルドーに抱かれた、と。
 マイクロトフの抵抗がないのをいいことに、カミューは更 に無遠慮に触れてくる。胸元に雨のようにキスを降らせば、ただ それだけでマイクロトフの体は震え、内股に指を這わせれば体を固くし、 全身でカミューを拒む。そんなマイクロトフに優しくして あげたいのは山々でも、カミュー自体にそうしてあげる余裕 がもうなかった。顔を赤 らめて首を振るばかりのマイクロトフには、カミューを止める方法が分からない。
「く…やめ…!カミュー…!」
 両足を無理矢理に開けさせられた。見ら れること自体、耐えきれないほど恥ずかしいのに。 先ほどのカミューの行為で、マイクロトフのその部 分はしっかり反応してしまっている。
 しかし、カミューの目的はマイクロトフが羞恥を憶える そこではなかった。太腿を抱えるように腰が持ち上げられ て。その奥の部分がカミューの目的地だと知ったとき、マ イクロトフは情けないほどうろたえるしかない。そこに感 じた生暖かいものは…。
「いっ…やだ!…やぁ…っ」
 恥も外聞もない。こんなことは嫌だ。親友だと思っていた のに。お互いにそう思っていたはずなのに。
 そのカミューは、何も言わず舌でマイクロトフの奥を探 る。受け入れられるはずがない。舌が指に変わっても、マ イクロトフは訳も分からずに泣くばかり。それでも、漏ら す吐息はまるですすり泣くかのように。掠れた拒絶の泣き声も喘ぎに変わる。
「あぁ…ううっ…んんっ!」
 目じりに溜まった涙が、マイクロトフの視界を覆い隠した。 頭も体も動かない、何も考えられない。どうしてカミューは何 も言わない?まるで他人のように、マイクロトフの体を責め苛むだけで。
 自分の中で指先が動くたびに、膝が震える。入っては出ていく指の刺激に、 吐息が甘く零れ落ちた。
 騎士の誇りも、ゴルドーのことも。石畳に縋る 指先の冷たさも、カミューに体を開いている自分 のことも。何もかも忘れて。
 快楽の余韻を残したまま、カミューの指がマイ クロトフから出ていく。体中が熱を帯びてどうしよ うもなくなって、マイクロトフの体は石畳に力なく 伸びた。そんなマイクロトフの首筋に唇を寄せ、
「………」
 カミューが囁いた言葉は、自身の熱を堪えるの に必死のマイクロトフには届かなかった。再び、 腰を上げられて。奥の場所に熱いものを入れられ て初めて、己の身に起こった事を理解する。
「…っっああああぁぁ!!」
 驚愕に目を見開いて、マイクロトフ の体が反り返った。カミューの動きに 合わせて、溜まった涙が零れ落ちる。 救いを求めることも忘れた唇から、掠 れた悲鳴。血の気の失せた頬を絶え間 なくつたう涙。それらを尽く無視して 、カミューはただ自分の快楽だけを追い求めた。守りたい人であったはず のマイクロトフを、自ら傷つけているという矛盾。それがさらにカミュー を駆り立てて、追いたてる。
 妙に冷めた、実感のない行為が 信じられない。マイクロトフが好きで、大切で、彼が彼ら しくあれるのならそれでいい、と思っていた。しかし、こ れは本当に自分が望んだことなのか?
 恐るべき疑問を封じるように、ただただ カミューは前へ前へと進む。
 凌辱の果てに、マイクロトフの意 識が沈むまで。カミューはひたすら相手を貪り続けた。


 マイクロトフの意識が光を取り戻したとき、最初に飛び 込んできたのは、自分を見守るカミューの顔。血の気の失せ た唇に、怯えた瞳。思いのままにマイクロトフを苛んだ カミューとは、また別の顔。何時の間にか、 互いの服も整えられていた。さっきのことは夢だった と信じたいけれど、下肢の痛みがそれを裏切る。
 テラスの手すりの陰に座り込むような形で、マイク ロトフは動けない。その傍にしゃがみこんだカミュー も、彼を見つめたまま動けなかった。沈黙が耐えきれ ないほどに重く、二人にのしかかってきたその時。ふ いにマイクロトフは、今夜の本来の用事を思い出した 。今夜、あれほどカミューの部屋に行きたがったのに は理由がある。なかなか言うことをきかぬ腕を、ゆっ くりと上着のポケットへと進ませる。激しい運動のせ いで形のいささかつぶれた小さな箱を取り出し、カミ ューの目の前に運ぶ。
 カミューは何も言わず、マイクロトフの様 子を窺っていた。
「…おまえに、やる。」
 だから、無理してでもカミューに会いたかっ たのだ。いつかロックアックス城下で、カミュ ーがふと興味を示した小さな指輪。物に執着の 薄いカミューが珍しく関心を示したのが、マイ クロトフに忘れられなかった。だから、今日、 城下でそれを見つけた時、マイクロトフの頭に 浮かんだのは、カミューが喜んでくれるかもし れないということ。今こんな状態で思い出す自 分も間抜けだが、でも、これはカミューの為に 買ったのだ。
 その箱を受け取って、カミューは何も言えなくな った。中身もなんとなく想像がつく。マイクロトフ のやることなすことが、彼にはわかる。馬鹿みたい に律儀で、真面目で、本当にいい奴で。そんなとこ ろが、カミューにはとても羨ましかった。
 笑おうと思ったのに、上手く笑えない。今更 、後悔してどうする?好きなだけでよかったの だ、と。触れてしまうべきじゃなかった、と。 一時の感情で自ら招いた結末、もはや変えられ るはずもなかった。それでも、カミューはマイ クロトフを失ってしまいたくない。情けなくも 、そう思ってしまう。

…私のことを、憎んでくれても構わないから。 でも、お前がいないと、私は駄目になってしまう…。
 その言葉ともに、マイクロトフの胸にカミューの顔が押 し付けられた。そのカミューの肩が静かに震 えているのを。押し殺した嗚咽が聞こえて、 マイクロトフはカミューが泣いているのを知る。共 に騎士に叙任されてから十数年。こんなにずっと一 緒にいたのに、泣き声を聞いたのも初めてだと気付いた。
 何でも知っているようで、やはり何も知らなかった。カミュ ーのことも、自分のことも、何も分かっていなかった。これか ら、一体どうすればいいのだろう?
 見上げた先に、銀の月。その光の下、 途方にくれた二人を月だけが見ている。 お互いのことどころか、己の行く道も分 からなくなった二人は。このままではど うなる?その問いに答えるものなど誰も いはしない。


モドル