■不可視領域
ユウの指先は、くるくると器用に動く。針金状の医療器具の先端で脱脂綿はさながら綿菓子のように巻き取られていく。彼は一体何を作っているのだろうか。
自分の病のことならばとにかく、一般の医療知識には疎いトリスタンが判るわけもなく、手っ取り早く聞いてみることにした。
「ユウ先生。」
「はい、なんですか、トリスタンさん。」
「それは、一体何を作っていらしゃるんですか?」
ああ、これですか?と、言いながらもユウの手は止まらない。先っちょに白い飾りのついた針金が、コップにどんどんたまっていく。
「船の住人が増えたし、子供さんも多くなりましたから。」
針金を一本手にとって、先端に消毒液をしみこませてみせ、ユウはふ、と顔をほころばせた。
「転んですりむいたとか、ひっかいて血が出たとか。その程度ならこれくらいで十分ですからね。」
「なるほど…ゴホ、ゴホッ。」
納得した途端に、トリスタンの咳が再開した。そう、彼は病気だった。だからこうやって医療室に通わねばならないわけだ。
「で、トリスタンさん、今日はどうなさったんですか?診察もすみましたし、薬は先ほど渡しましたから…。」
そういわれると非常に返答に困る。なぜならトリスタン自身、どうしてこんなに立ち去りがたいのかがよくわからない。あえていうならば、ユウの傍にいると心安らぐのだ。ユウは憎らしいほどにいつもと変わらないのに。
だが、先生の顔を見ていたかったんです、と面と向かって言えるほどには、トリスタンは図太くはなく。かといって、とっさに上手く答えられるほどには要領もよくなく、結果としてあーとかうーとか言葉を濁して黙り込む彼に、ユウは肩をすくめてみせた。
「まあ、別にいいですけど。今のところ次の患者もいませんから。」
「すいません。」
「何故謝るんです?病人を治療するのは私の役目ですよ。」
そうだった。トリスタンは病に冒されていて、ユウはそれをじっと看てくれた医者なのだ。だけど。だけど、最近ついにトリスタンも気づいてしまっている。病気がずっと治らなければ、ずっと医療室に通って、ユウの治療を受けていられる。彼の手が動くのを、見ていられる。声が聞ける。だって、ユウはいつもは仏頂面なのに、病人に対してだけはこの上なく優しくて、笑顔だって大安売りしてくれるのだ。
(ああ、俺は一体何を考えているのだろう。)
ユウの傍にいたいから、病気がずっと治らなければいい、なんてそんなことを考えてしまう自分が最近よくわからない。
「先生、俺もそれお手伝いしますよ。」
「おや、ありがとうございます。」
「いえ、ゴホッ、先生にはいつもお世話になっていますし。」
山ほどある針金を手に取ると、トリスタンはとりあえず目の前の作業に没頭することにした。こうしているうちは、ユウの傍にいられる。余計なことも考えなくてすむではないか。不可解な自分の心のことは、いつかまた時間があるときに考えよう。
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