モドル
 ■頬にかかる雨

「おまえは何度、俺に抱かれても慣れないんだな。」
 情事の後のけだるい時間。ルカの腕に抱かれながら、ぼんやり とクラウスはその言葉を聞いている。
「まるで、男を知らない生娘のような反応をするじゃないか。」
 その唇を奪う度に、指先が触れる度に。常日頃、隙のないこのハイ ランド第三軍の軍師殿が、痛々しいほど体をこわば らせる。それが余計にルカの興味を誘うのだろうか 。クラウスには気の毒なことではあるけれど。
「まあ、俺にはその方がいいがな。」
 ぬけぬけとそう言い放ち、また、クラウ スのうなじに唇を這わせてくる。もう、抵 抗する気も、その力も残っていないクラウ スはされるがままだ。ただぼんやりとルカ の愛撫を受け入れる。日頃、武術の鍛錬を 欠かすことのないルカの体は、彫刻家が喜 んで飛びつきそうなフォルムをしていた。 武の道に自分の才能を見出し得なかったク ラウスにとって、ルカはそういった意味で 憧れではある。だからといって、こういっ た関係になりたいとは望んだこともなかっ たのだが。クラウスは苦笑する。体はルカ に反応しているのに、頭は妙にさめていた。
 あとどれくらいで終わるのかな…。
 体中を這い回る指先の感覚に耐え ながら、クラウスは思考の中に埋没していく。


 例えば…例えば初めて会ったとき。
 あれは、クラウスが第三軍の軍師として赴任 した日。いくらキバ将軍の息子とはいえ、弱冠17歳の青年がハイランド軍の要の一つである三軍 の軍師を務めることに抵抗を示すものは多かった 。情実登用だと囁かれ、顔には出さなかったが、 クラウスもずいぶん悔しい思いをした。そして、 都市同盟の砦を攻略するための軍議。参加者は白 狼軍から第四軍までの幹部達。そのとき、第四軍 の将軍、ソロン・Gとクラウスの意見が真っ向か ら対立したのだ。


「失礼ながら都市同盟相手に、そのような 小細工を労する必要があるとはとても思えぬな。」
 ソロン・Gは、言葉の裏にクラウスに対す る軽侮を隠そうともしない。若造は引っ込んでろ、 目がはっきりとそう言っている。そのあか らさまな目つきが、クラウスに火をつけた。
「……他軍の方々に軍勢を割いてもらう必要はあ りません。三軍の正規兵を動かそうとも思ってお りません。別働隊は、私の手兵のみで結構です。」
 キバが自分の後ろで目を剥いているのを感じていた。 が、ここで後に引くわけにはいかない。自分がハイラン ド軍のなかで認められるには、武勲がなによりも必要な のだ。ここで引っ込めば、親の七光りで軍師に登用され たという汚名を一生着ることになってしまう。
「本気で言っているのだな?」
 今まで軍議の行方を黙って見守っ ていた青年が口を開いた。ハイラン ドの皇太子にして、第一軍、通称白 狼軍を率いるルカ皇子。酷薄な瞳が じっとクラウスを捉える。
「分かっているとは思うが、失敗は許さぬぞ?」
 ルカの顔は笑ってはいるけれど、目は決して笑って はいない。本気だった。もし、自分の策が失敗すれば 、皇子は間違いなく自分を殺すだろう。クラウスは背 中に冷たい汗を感じた。しかし、もう後には引けない。
「私も武門の家に生を受けたもの。償いの方法は心得ており ます。」
 クラウスは真正面からルカを見据えた。不遜 ともとれるそのクラウスの態度に、ルカは倣岸な笑みを返す。
「よかろう。やってみるがいい。成功すれば 、おまえは名実ともに三軍の軍師だ。」


 そして、クラウスは賭けに勝った。手兵のみで 砦を背後から襲い、敵が動揺した隙をついて、本隊が その砦を落とした。そのときからクラウスは真実、 三軍の軍師となったのだ。

 ルカがクラウスを初めて抱いたのは、その勝利の日の夜だ。

 初勝利の喜びと興奮。そして、飲みなれない 酒がクラウスの警戒心をすっかり奪ってしまっていた 。本来の彼なら、果てかけた宴の場でルカについてこ いと言われた時、皇子の意図に気づかない訳がないの だから。しかし、流石の彼も連れて行かれたのが、ル カの私室であるのに気づくと血の気がひいた。酔いは あっという間に四散し、やっと自分の置かれた状態を 認識する。逃げ出したくても、ここまで来るともう逃 げ場もない。身をこわばらせているクラウスを軽々と 抱き上げると、ルカは彼をベッドへと運んだ。ベッド に下ろされても、座り込んだまま身動き一つしない彼に、
「もしかして、こういった経験は初めてか?」
 当たり前です!と思わず口に出しそうになるのを 飲み込んで、クラウスは黙って頷いた。
「それにしてはえらく落ち着いて見えるが?」
 ルカはクラウスの顔を覗き込むようにし て、意地悪く笑う。
「止めてくださいと頼んだら、ルカ 様はやめてくださるのですか?」
 それは絶対にあるまい。クラウスが 拒絶すれば、かえって喜んで彼を抱 くだろう。皇子はそういう人間だ。 確信のようにそう感じる。
「…残念ながらやめる気はない な。俺はおまえが乱れるところ を見てみたい。」
 しかも、悪趣味だ。抗議の言葉を投げつけ ようとしたクラウスの口が、ルカの唇で塞が れる。不意をつかれたせいで、舌の進入を許 してしまう。生暖かくて柔らかい物体に口腔 を嬲られ、舌を絡めとられた。いきなりのデ ィープキスに息が詰まりそうになる。唇をは なし、クラウス軽くベッドに押し倒すと、ル カは彼にのしかかるようにして、
「何も心配しなくていい。黙って俺 に任せるんだな。その方が痛い思い をせずにすむ。」
 やっぱり、私は軍隊に入るべきで はなかったのかもしれない!!後悔 先に立たず!!蝋燭の火が消され、 部屋が闇に沈む。クラウスは観念し てぎゅっと目を閉じた。

 闇の中にぼんやりと浮かび上がる、絡み合っ た二つの肢体。荒い息遣いと衣擦れの音だけが 、室内に満ちる。クラウスの衣服は、いつのま にかルカに剥ぎ取られていた。ルカの逞しい体 躯に組み敷かれた彼の体の各所には、すでにル カの唇の跡が花びらのように散っている。何も かもがクラウスにとって初めての体験だった。 女性とベッドを共にしたことすらないのに、初 体験がいきなりこんなハードなものになるなん て、いくらクラウスでも思いつくはずもない。 しかも経験豊富なルカの指は、実に的確にクラ ウスを攻めてくる。
「声…もっと出してもい いんだぞ…。」
 声を堪えることだけが最後の抵抗とばかりに、唇を ぎゅっとかみ締めて堪えているクラウスの耳元で、ル カが囁く。そのまま、唇を滑らせて、うなじへと移動 する。そして、先ほど自分がつけた跡の部分をまた吸 い上げた。
「くっ…!」
 クラウスから苦痛の声が上がる。無論、 そんなことにルカは頓着しない。それどこ ろか、彼の体を痛めつけることを楽しく感 じているようだ。ルカの指先がクラウスの 下半身に伸びて、クラウスをかすめる。
「んんっ…!」
「…そろそろ我慢で きないんじゃないのか?」
 唇に噛み付くように、キスを 重ねる。指は先ほどの場所で微 妙な動き繰り返し、その動きに 反応して、クラウスの体は硬直する。
「…ル、ルカ様…!ああっ…ん…!」
 もう駄目だ。そう思った瞬間に全身から 力が抜けた。早々と達してしまったクラウ スのもう一つの場所にルカの手が伸びる。
「!!」
 ルカの意図を察して、羞恥で頬が染まる。 反射的に逃げようとして、失敗した。
「そんな顔もできるんだな…おまえも…」
 可愛いな、と呟いて、ルカの指がそこに入ってくる。 一本…更にもう一本。
「…だめ…です…い…やだ…ぁ!」
 勿論、無視された。指が入ってきては、 又出て行く。何度も何度もそれが繰り返さ れ、体の芯をほてらす。無意識のうちに、 腰が不規則にびくんと跳ね上がる。
「やっ…そんな…あっ!!」
 突き抜けそうな快感に思考力が 奪われ、熱に浮かされるままにあ られもない事を口走ってしまう。自分の体が何 を求めているのか分からないままに、クラウス はルカの思うままにかき乱される。シーツに絡 めた指先は、すでに血の気を失っている。平常 は伏せられている蒼い瞳は、刺激を与えられる たびに宙を泳ぐ。クラウスがルカを受け 入れる準備が整ったことが分かると、ル カはクラウスから指を抜いた。
「そろそろ入れるぞ…」
 クラウスの答えを待たずに 、彼の体を抱き上げるように して中に侵入する。初めての行為のあまりの激痛にクラ ウスは仰け反った。逃れたくても腰をルカに押さえられ ている。悲鳴を堪えるのが精一杯だ。
「んっ!!」
 痛みを堪えようと、ルカの肩に縋りつく 。ルカは瞳の端に涙が浮かべたクラウスの 唇を奪って、舌を絡めた。
「あっ…」
「少しだけ我慢しろよ…」
 唇をはなして、ゆっくりと腰を動 かす。苦痛のあまり、ルカの肩に爪 を立てて体をよじるクラウスを受け とめながら、ルカは自分の欲望を果たした。


「何を考えている?」
「…え?」
 ふいに思考が破られ、クラウスはうかつにも、そのときはじ めてルカが自分を見ていたことに気づく。現実がすぐに彼の中 に戻ってくる。今のクラウスはペーペーの軍師ではない。都市 同盟との戦も何度か経験し、武功もあげている。最早、彼の若 さを後ろ指さすものはいないといっていいだろう。もう、あれ から一年の月日が流れているのだから。
 そして、このルカとの体の関係も途絶える ことなく続いている。どのような現実も、人 はその図太さで消化できるものなのだ。ちょ うど今の自分が、皇子との関係に慣れてしま っている様に。それに、目覚めればすぐに誰 かのぬくもりを感じられるというのは悪くない。
 クラウスは自分に覆い被さるようにしているルカに そっと両手を伸ばして、彼の頬に触れてみた。突然の 行動に面食らった皇子の頬は、冷えた自分に確かな温 みを伝えてくれる。その確かな温みが、クラウスを満 たしてくれているような気がした。安らぎなんていう 言葉、これほどルカに似合わない言葉はないというの に。海色の目をした青年はふわりと微笑む。
「…おまえが何を考えているのか、俺にはさっぱ り分からんな。」
「そうですか…?私はそんなに複雑な人間ではありませんよ?」
 体を少し起こして、ルカの唇に自分のそれを軽く触れさせる。ます ますわからん、と首をかしげるルカに、くすくす笑いながら問 いを投げつける。
「考えてること、分かりませんか?」
 今、私が考えているのはあなたのことだ けですよ。でも、それは言わないでおこう 。その時が来るまで、秘密にしておこう。 それくらいは、私に許してくれたっていい でしょう?


 時間は確実にすぎていく。嵐の前の静かな一時を、それぞ れが思い思いの方法で過ごしている時。都市同盟との全面戦 争の幕開けは、すぐそこまで迫っている。


モドル