モドル


■もしも願いが叶うなら


  女が、いた。

 夜の中にゆるりと立つ長いローブの女。目深にかかるヴェールからのぞく、黒い髪。闇の中はっきりとはわからないが、その容貌はきっと美しかろう、とそう思わせる空気を持っている。

そんな女だ。

 が、そんなことはルカにとってはどうでもよいことであった。
自分の寝間に佇む見知らぬ女。こんなそばに近寄られるまで、自分が全く彼女に気づかなかったことの方が問題だった。

 斬れるか?

 彼は、もっとも彼らしい剣呑な考えを抱いた。床につく前に外した剣は、手の届く場所にあるはずだ。自分ならば、一呼吸で相手を切ることができる。

 女は動かない。

 だが。息を詰め、剣に手を伸ばしたルカの手は。

「あなたの願いは何ですか?」

 あまりにも唐突な、女の言葉によって呆気なく動きを止めた。

「なんだと?」
「あなたの願い事を、ひとつだけ叶えましょう。」

 大抵の事柄には動じない自信はあった。尚武の国ハイランドの皇子であり、一武将でもあるルカは、今まで何度となく修羅場をくぐり抜けてきたのだ。
 だが、これは…この状態は一体??

 女は何も言わず、ただルカの答えを待っている。

「願い事など、ない。」
「本当に?」
「他人に叶えてもらう願いなぞ、俺は持たぬ。」
「………。」
 女が笑ったように思え、苛立ちがまた蘇る。相手を斬らねばならない、その気持ちも戻ってくる。剣は最早すぐ手の届く位置だ。
 寝台の上、体勢は悪いが剣さえ手にすれば…。


 女はそこにいる。

「……!」

 前触れなくルカの振るった剣が、女を横なぎにした。腹を割られた女は血飛沫と共に声もなく大地に崩れ落ちる…ように見え。

「白狼、無粋なところはいつまでも直らぬものですね。」
「!!」
「あなたの願いを叶えられなかったことを、私もあの青年もきっと残念に思うことでしょう。またお会いしましょう、ルカ皇子。」

 確かに斬ったはずだ。死んだはずだ。だのに、女の声がする。気づけば、慣れた血臭もなく、醜く転がる女の死体もないではないか。先ほど確かに斬ったはずの女はどこだ?いや、あの女は一体誰だ?

冷たく凍えた寝室で、ルカは一人吠えた。


暗転。


じじじ。
ルカが身を起こした拍子に、手燭の炎が揺れた。そこはルカの寝所で、目に映るのは先ほどと同じ景色。違うものがあるとすれば、頼りなく灯る蝋燭の炎、それを灯りに本をたどる青年の姿、それくらいだった。
 勢いよく起き出したルカを、クラウスが怪訝そうに見つめている。

「ルカ様?」

 先ほど、確かに女を斬った。”白狼”とルカを呼んだ女、”願い事を叶える”と言った女。そして、ルカには、全く見覚えのない女。
 だが、死体はない。あるのは、クラウスの姿だけだ。いつものように。
 ルカは大きく息をつく。

「何かよいことでもあったのですか?」
「そうみえるか?」
「いいえ、残念ながら。」

 青年の、仄かな笑顔が返ってきた。さざなみすらたたない、その面がルカには気にくわないが、それよりなにより天恵の如くに閃いたことがある。あの女がいいのこしたあの言葉が、ふいに戻ってきたのだ。

「お前、願い事をひとつ叶えてやると言われて、一体何を願った?」
「……。」

 質問ではなく、単なる確認に過ぎないルカの言葉。クラウスは答えず、ただ微笑む。それが、つまり答えだった。

(2004/02/15)

※もしも願いが叶うなら、ルカクラ版です。それだけです。
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