モドル 

■眠れぬ夜の


”前線の白狼軍が敵に包囲され、連絡が途絶えました!”

 その知らせに右翼の第三軍の将、キバとクラウスは動揺した。白狼軍が潰されれば、伏兵たる自分らの存在意義はなくなってしまうこともさることながら、それを率いるハイランドの皇子の安否も気にかかる。キバは第三軍の軍師にして、息子であるクラウスを振り返った。クラウスの頭脳は、三軍中自他共に認めるものである。しかし、その息子の様子がおかしい。

「クラウス?どうした?」

 問われて、弾かれたように頭を上げるクラウスの顔は、血の気がひいていた。

「は、はい?」
「我らの進退をいかにすべきか、だ。」

 キバは、内心失望していたのだ。軍人ともあろうものが、簡単に恐怖をみせるべきではない。まして、将軍である自分の息子がそうだなんて、兵士に示しがつかん。キバは単純にそう思った。息子が何を考えていたかなどと、実直な彼には想像もつくまい。
 父の一言で、一瞬の躊躇いの色は、あっという間に拭い去られ、いつものクラウスに戻る。
 都市同盟の兵士数を読み違えたか?いや、そうではあるまい。お互い、長年の戦によって疲弊しているはず。余剰の兵などあるはずもない。とすると、市の守備兵を戦場に狩り出しているのだろう。しかも、この時点で戦に守備兵を割くことのできる市はどこか?それは、主戦派のミューズ、あるいはティント。ティントは距離的に無理がある。とすると、ミューズ市。今から、ミューズを強襲して、敵を脅かすか。それとも、ルカ皇子救出の為に乱戦に乗り込むか。
 クラウスが考えをまとめ上げるのに、一分もかからなかった。
 自分の考えを父に告げる前から、クラウスには父がどの選択をするのかわかってはいた。さらに、その選択が自分ならするであろう選択とは違うということも理解している。

「…ルカ皇子をお助けせねばなるまい。」

クラウスの言葉に対するキバの返事は、あまりにも予想通りでありすぎた。

「ミューズを落とせれば、都市同盟は瓦解します。父上、戦争を終わらせられます。」

 無駄なせりふと思いつつも、クラウスはそう伝えた。

「…ハイランドの皇太子を失う危険を犯すわけにはいかん。」

 キバの返事はにべもない。仕方ありませんね、と呟くクラウスの心にルカに対する懸念はない。キバの心配をよそに、あの皇子が敵にやられるわけなどないと、なぜかクラウスは確信のようにそう思えたのだ。無論、何の根拠もない。


 彼にしては珍しく乱暴に、皇子のテントの入り口をはね上げる。いつもの冷静なクラウスにあるまじき様子だ。顔色も悪い。ルカが負傷した、という知らせを聞き、いてもたってもいられなかった。想像力過多な彼の頭の中では、血の気もひいて、青ざめた青年が。血に染まる包帯も痛々しいルカの姿が浮かんでいる。

「ルカ様!!」

テントの中に入った瞬間に、自分の心配がまったくの杞憂であったと分かった。左の二の腕に包帯を巻いて、簡易寝台に腰掛けたルカはいつも通り。多少、クラウスの闖入に驚いてはいたようだったが、それ以外はなにも変わらぬ。心配して慌てていた自分を振り返り、顔が熱くなった。ルカと目があい、たまらなくなって、クラウスは目をそらす。我を忘れた自分が恥ずかしく、しかも、ルカが自分の動揺に気づいていることもクラウスを居たたまれない気持ちに追い込む。

「どうした、クラウス。顔色が悪いな。」

 笑いを含んだ皇子の言葉。何もかも分かっていても、こうしてクラウスをからかわずにはいられない、ルカの性格である。

「いえ…お怪我をなされたとお聞きしましたので…」

 すぐさまその場に跪き、クラウスは答えた。ルカとは目を合わせない。どうせ皇子は勝ち誇った笑みを浮かべているに決まっている。自分の敗北を認めたくはなかった。

「心配したのか、俺の怪我と聞いて?」
「してません!」

 ひっかけと気づくより先に、口から言葉が転がり出す。しまったと思うより先に、ルカを見てしまった。慌ててうつむくより先に、腕を捕らえられた。非力なクラウスは軽々とルカの腕に抱きこまれる。戦場から帰って間もない体からは、まだ血のにおいがまとわっているかのようで。ルカの腕の中に引っ張り込まれたクラウスは、厭わしささえ感じている。

「おまえが俺を案ずるなんて、珍しいじゃないか?」
「先ほどもいいましたが、心配などしておりません。」

 ルカから離れようと、クラウスはできる限りの努力をしていた。こんなところを誰かにみられたら…考えるだけで血が凍りそうだ。

「ハイランドの、自国の皇子が怪我をしたと聞いて心配しない臣下がありましょうか?皇子にもしものことがあったら、ハイランドは多大なダメージを…く…ん…っ!」

 クラウスの蕩々たる弁舌も、終わりにたどり着くことはできなかった。ルカの手がじれたようにクラウスの頤をさらうと、口付けで彼の言葉を止めてしまう。重なり合った部分から、相手の熱が伝わってくる。温かさではなく、燃え尽きそうな熱さを感じるいつものルカのキスだ。

「ご大層な説教は、もう聞き飽きた。」

 心ゆくまでクラウスの唇を味わった後に、ルカは彼の耳元でそう囁く。声の低音と、熱っぽい囁きに、クラウスは震えた。いつも皇子によって与えられる快楽を、体が覚えてしまっている。しかし、こんな場所でルカに抱かれるわけにはいかない。テントの外には歩哨がいるだろうし…もし二人がそういうことになったとしたら、気づかれずには終われないだろう。自分とルカの関係は、絶対に知られてはならないのだ、クラウスにとっては。しかし、ルカの腕は隙なくクラウスを閉じこめている。どこにも逃がしてはくれない。

「俺は戦場に出ると、血が燃えるように感じる。敵を殺すことに何よりも喜びを感じるのだが…。」

 冷えたクラウスの体に触れるルカは、確かにどこも熱かった。

「だけど、おまえの身体はいつも冷たいな。」

 抱きすくめられて、型どおりの抵抗をしてみた。本気じゃないのは、ルカにも分かっているだろう。ルカの腕の中で、クラウスはもう火がつきかけていた。服越しのまどろっこしい愛撫にさえ、思わず感じてしまいそうになる。

「人が…来るかもしれません…。」

 ルカの腕に身体を預けながらそう言ったのは、ささやかながらも抵抗を示しているつもりだ。

「…父にも何も言わずに来てしまいましたから…だから…。」
「キバもそこまで野暮じゃあるまい。」

 心配するな、とばかりに唇を寄せ、耳朶に軽く歯をたてる。クラウスが身じろぐ。

「…声が、外に聞こえます。」
「恥ずかしいのなら我慢すればいい。だが、俺は手を抜かんからな。」

 ルカの忍耐も、ここらで終わりだ。軽々とクラウスの身体を抱き上げ、寝台へと運ぶ。血のにおいをいっそう強く感じる。それともこれがルカのにおいなのだろうか。だとしたら、怖いほど似合っている…。


「…んん…んっ…!!」

 クラウスの下で、寝台がぎしぎしと悲鳴をあげている。元来、一人用のベッドだ。それが二人分の体重を受け止めて、危なげな音を響かせる。俯せにされたクラウスの背中には、既にルカの跡が花弁のように紅く散っていた。それでもまだ足りないと言わんばかりに、ルカは抱き込んだクラウスの背にキスの雨を降らす。いつもなら愛撫もそこそこにクラウスを蹂躙するルカだが、今日に限ってひどく優しい。

「あんまり激しくすると、馬に乗れなくなるかもしれんからな。」

 クラウスの疑問に、ルカは独り言の如くに答えた。

「できるだけ優しくしてやる。」

 ぐったりとベッドに体を横たえるクラウスの腰を、両手支え浮かせる。次に来るものを思って身を震わせる青年に、

「声、我慢できるかやってみろ。」

 笑いながら言葉を投げて。ルカは熱いその場所に自分を進めた。

「!…あっ…ああぁっ…くっ!!」

 クラウスの身体が小刻みに跳ねる。まとわりつくような血のにおいが、快楽の呼び水となってクラウスを導く。嬌声が他人に聞かれてしまう、という危惧は一瞬、どこかへと吹き飛ばされてしまった。一旦、引き抜かれかけたルカ自身が、またクラウスを深深と貫く。

「ん…やだぁ…ルカ様…ああっ!」

 シーツを握り締めた手に力が入る。もう何も聞こえない。嬌声と耳元のルカの荒い息遣い、中を往復するルカの物だけが、クラウスの現実。四つん這いになってルカに抱かれている現実より、今のこの快楽だけが全て。

「あうっ…あ…ん…ふぁ…あ…!!」

 誰かに聞かれてしまう、誰かに…思いとは裏腹に感覚の消えた下半身は、ルカの動きに合わせて震えていた。何度、クラウスの中を犯しても、その張りを失わぬルカのそれが、クラウスをさらに高みへとさらっていく。絶頂の近づいたクラウスが、ルカ自身を締め付ける。得たりとばかりにルカもそのスピードを上げた。

「あんっ!……もうっ…駄目ぇ!…あっああああああっ!」

 びくびくと痙攣しながら、クラウスがベッドの上に己を解き放つ。寸前に、ルカもクラウスの中から己を引き抜き、クラウスの上にすべてをぶちまけた。


 結局、クラウスの心配していたような事態にはならなかった。クラウスの行方を案じて、キバ将軍が飛び込んでくることも、兵士が報告にやってくることも。それ以前に、最中には気付けなかったが、テント周辺に人の気配自体がない。
 ルカの腕の中で、クラウスは意地の悪い恋人をにらみ付けてやった。

「おれの部下は気が利く奴らが多い。」

 白々しくそんなことを言われては、怒る気も失せてしまう。どうせ、何もかも計算ずくだったはずだ。クラウスがルカを案じてここに来るまでは予想してなかったろうが、報告や作戦のためにルカのテントに来ることは十分あり得る。その場合、見張りには半刻ほど席を外すように事前に指示してあったのに違いない。それを知らないクラウスが、情事を悟らせまいと努力するのを見るのは、ルカにとってどれだけ楽しい見物だったろうか。

―― 一言、教えてくださればこんな思いをしなくてもすんだのに。

 だが、ルカとしては動揺するクラウスを抱くのも目的の一つだったろうから、大満足だろう。クラウスにはこういうのが精一杯だ。

「もう二度と、ルカ様が怪我をなさったなどという知らせは信じませんから。」

 クラウスの思いを知っているのかいないのか、ルカは笑ってクラウスを抱き寄せた。
 
(2001/09/16)

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