■お別れの時間
ようやく自分の役目が終わったときに、俺は初めて気がつく。自分と相手をつなぐ糸。それは、この戦いの中にしかなかったこと。帰る場所はお互いに違うこと。”ずっと一緒”が嘘っぱちなこと。
それはつまり。
----俺、失恋ってこと?
ビュッテヒュッケの空の下。戦い終わって、やってくるのはいつもの日常生活。
カラヤの人たちと笑う、ヒューゴの姿を見たとき、そんな現実を認識した。軍師失格?いや、そんなことよりも。
----なんか、あいつ、俺と別れるのちっとも寂しそうじゃないみたいだな。
お別れを言いにきたヒューゴに、ろくな言葉をかけてやれなかったのも。”これから”のことをちっとも約束できなかったのも、 後から考えればはっきりと最後通告をされるのが怖くて、曖昧なままにしておきたかったのだ。
「結局は、俺って単なる臆病者かよ…。」
ゼクセンの騎士団が、ハルモニアの神官兵が、グラスランドの各部族が己のクランへと帰っていく。めっきり人数の減ったビュッテヒュッケの城下町、階段上に腰掛けるシーザーは一人だ。アップルが彼を迎えにくれば、そのまま二人でハルモニアに向かう。次にグラスランドを訪れるのは、きっとずっと先の話になるだろう。
妙に静かで、平穏な城下町。今までずっと忙しなかったから、こんな風にゆっくりとした気分になることもなかった。軍師をやって、事務処理をやって、ゼクセンとの外交をやって。昼寝が心地よいのは、仕事をサボってやるからであって、こうも暇だとする気も失せる。
遠くに見えてる守備隊長の後ろ姿は、微動だにもしないで前だけを見つめていた。その姿が誰かにかぶって、よけいにシーザーの気分をブルーにする。
彼は、ここを出ていくとき振り返らなかった。軍曹、ルシア、フーバーに囲まれて、手を振るヒューゴに、肩をすくめて返事をした。鬱陶しいのはガラじゃないし、涙のお別れをする間柄でもない。第一、二人の関係がなんなのか、彼にもよくわからなかった。
キスしたし、一緒に寝たし、色々人にいえないこともしたように思うけど。だけど、それだけだ。
体の交流はあったけど、心の交流はなかったような気がする。そんな気がした。
「好きとか愛してるとかさ…いっとけばよかった。」
時すでに遅し、の感はあるが。
「言う前にやっちゃったもんな、俺…。でも、ヒューゴが悪いんだ。あいつが可愛いから…。」
ついには責任転嫁まで。もう末期症状だ。
「俺…どうしてあのとき…。」
行くな、っていえなかったんだろう。こんなところで今更女々しくなるくらいなら、いっそのこと目の前でさらってのけるくらいのことをやってみせればよかったんだ。こんな風に自己嫌悪と後悔に埋もれる羽目になるくらいなら。
「…ー…ー?」
「でも、あいつ、少しも寂しそうな顔をしてなかったしな…。」
「…おぉい?」
「…ま、どうせ、俺のことなんて…。」
「??どうせ、俺のことなんて?」
ぎょっとして振り返った視線の先に、ヒューゴを見つけた。人は不意をつかれると、思わぬ失敗をやらかしてしまうものだという。慌てて立ち上がったシーザーが足を滑らせたのも、反射的に手を伸ばしたヒューゴが、自分の体重を全く考慮していなかったのも、だから仕方がないといえば仕方がないのだ。
寸前でシーザーの手を取ったまではよかったが、ヒューゴの体もバランスを崩して引っ張られる。
----しなばもろとも…?
ヒューゴの腕を捕まえて、階段から転がり落ちる一瞬前に、シーザーにふとそんな考えがよぎった。
視界が暗転する。そして、衝撃がやってきた。それから。
「…シーザー?シーザーっ!!」
体中が痛いし、両手両足は動かせないし、気分も良くない。頭も打ったから、きっと脳細胞もたっぷり死んでる。頭のよさだけが取り柄なのに、それがなくなったらどうやって生きていけばいいんだろう。
「シーザー!起きてよ!ねぇ!」
こんなんじゃアルベルトにも勝てない。ヒューゴだって手に入れられない。俺、こんなに情けないやつだったっけ?
「シーザーってば!!」
ああ、頼むから。ちょっと黙っててくれ……。………?
「シーザー!!」
「…ヒューゴ?」
目を開けたなら、視界に大きくヒューゴの顔。緑の瞳がとても綺麗で、思わず見とれた。
「よかった…シーザー、生きてる。」
「…当然。階段から落ちたくらいで死んでたら、命がいくつあっても足りないよ。」
相手に膝枕されててイマイチ決まらない状況で、それでもシーザーは嘯いた。もうちょっと余裕があったなら、”お前を残して死なない”くらいは言ってただろう。
「いくら名前を呼んでも目を開けないから、俺…。」
「あはは…、いや、膝枕が結構、気持ちよかったからさ…はは、は。」
軍師、危うきに近寄らず。相手の目に怒りが閃くのを見て取って、シーザーは即時に方向転換した。
「…ごめん、ヒューゴ。心配かけた。」
ヒューゴの頬に、そっと手を伸ばす。あちこち怪我をしたらしい体は、そんな小さな動きにだって抗議の声を上げたが、根性で無視した。
「シーザー?」
戸惑って揺れてる緑色を、じっと見つめてシーザーは微笑む。今なら、さっきの後悔の一つを解消できるような気がした。キスをするのも、触れるのも、したいからだけじゃない、と。好きだから、相手にもっと触れたいと望むのだと、そう伝えられる。
「なんだか今更だけどさ…俺…お前が好き…みたいだ。」
「……。」
ヒューゴは何も答えないけど、その目は何よりも正直にこちらに気持ちを伝えてくれた。沈黙は肯定の証拠だし、まなざしは嘘をつかない。
自分を覗き込んでいるヒューゴの顔を引き寄せて、情熱的なキスを…と、シーザーが理想的な展開を確信したそのとき。
「……好きみたい…って…。」
「へっ?」
「今になってから好きみたいって、どういうことなんだ?」
「はい?」
風向きが怪しい。そう、シーザーが思ったときにはもう遅かった。
「俺はシーザーのことが好きだから…好きでもないやつとあんなことしないのに…シーザーはそうじゃないのか?」
「え?あ?い、いや…そんなことは…ない、と思う…うん。」
我ながらこの返事はマズイ。
「軍曹に謝り倒して、やっと引き返してきたのに…。シーザーとちゃんと話してないから…俺…シーザーがハルモニアに帰る前にちゃんと話したくて…戻ってきたのに…。」
「ひゅ、ヒューゴ?」
「もういい、俺、帰る!」
「待てよ、ヒューゴ!俺、怪我してるんだぞ…本気かよ?」
膝枕は一瞬で解除。放り出されて、嘘だろ?と目を丸くするシーザーに、ヒューゴの冷たい一瞥が降る。
「…俺には関係ない。」
更にトドメの一撃。憮然として立ち去るヒューゴの後ろ姿を止める策は、もうシーザーの胸には残っていなかった。
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