モドル

■夜の影

 ロックアックス城が、その魁偉な容貌を闇に横たえる頃。青騎士団長マイクロ トフは、白騎士団長ゴルドーの私室へ向かって、階段を登っていた。岩山を切り 開いて築かれたロックアックス城の石段のきつい勾配を、息一つ乱さず登ってい くのは彼の日頃の修練の賜物といえよう。白騎士団長の私室は、ロックアックス の最上階にあった。黙々と上を目指すマイクロトフに、数日前に恋人と交わした 会話が蘇る。


「2週間、会えないからね。」
 というのを言い訳に、散々好きなように扱われたマイクロトフは、 ようやくカミューから解放されてぐたりと枕に顔を伏せた。やるだけ やってすっかり満足したカミューは、そんなマイクロトフの隣にごろ りと横になる。指を頭の後ろで組んで天井を見上げるカミューは、す っかりご満悦であった。
「…ズルイぞ、カミュー。」
 枕に顔を押し付けたまま、マイ クロトフはそう言うのが精一杯だ 。カミューのお陰で、体中が重いわ、息は絶え絶えだわ。なんてったっ て、二週間分である。そんなマイクロトフに視線を走らせると、カミュ ーは愛しくてたまらない恋人の短髪を撫でた。そして、不意に真顔になる。
「…私がいない間、大丈夫か?」
 カミューの真剣な声の調子にマイク ロトフは、思わず顔を持ち上げた。カミューの言葉の意味 がよくわからないのだ。カミューがいないと何もできない ほど、マイクロトフは子供ではないつもりなのに。ポーカ ーフェイスが苦手なマイクロトフに、さらにカミューは笑 顔を深めた。
「ゴルドー様と上手くやれってこと、さ。」
「あ…」
 気が合わない相手というものは、誰にでもいる。 マイクロトフにとってのゴルドーが、まさにそのも ので。やること為すこと気に食わない、のはお互い 様。しかし、ゴルドーはマイクロトフの上官であり 、その命令には彼は服従しなければならない。カミ ューという緩衝材をなくして、あまり我慢強いとは 言えないマイクロトフがどこまで辛抱できるだろう か。カミューの案じるところは、そこであった。
「大丈夫だ、たった2週間くらい。」
 おお真面目でそう言い放つ、マイクロト フの素直な目の輝きに、何故とは知らずにカミューは不安を感じたのだけれど。
「マイクロトフ…」
 指先でマイクロトフの顎を捕えて、優しく口付ける。好き な相手と離れることが、訳もなく不安にさせるのだ、とそう 納得して、カミューはマイクロトフに肌を寄せた。
 別れを惜しむ時間は、もう残り少ない。その時間をカ ミューはギリギリまでマイクロトフのそばで過ごした。


 そして、何事もなく2週間が過ぎ去ろうとしていた。明日にはカミューが国境 警備から帰ってくる。カミューが心配したようなマイクロトフとゴルドーの深刻な衝 突もなく、静かに日々は過ぎていく、はずだったのだが。しかし、今夜の急なゴルド ーの呼び出しの意図が掴めない。
 出来るだけおとなしくしていたつもりだったが…。
 もやもやした不安を抱えたまま、階段を上りきったマイクロトフの目に、ゴルドー の部屋の重い扉が映る。踵を返してしまいたい気持ちを押さえ込みながら、彼はそれ に近づいた。

「来たか、マイクロトフ。」
 珍しく上機嫌なゴルドーの態度に、マイクロトフの警 戒心が反応した。マイクロトフがゴルドーの部屋に入っ た途端にゴルドーの笑顔。マイクロトフを歓待している つもりなのかは知らないが、はっきり言って逆効果だ。 マイクロトフは自分の顔が強張っていくのを止められない。
「ゴルドー様、こんな夜分に一体何の御用でしょうか?」
「そう、固くならんでもいい。」
 そうは言われても無理だろう。今まで、どれだけゴルドーとマイク ロトフは対立してきたことか。二人の間にカミューの存在がなかった ら、マイクロトフはとっくの昔にマチルダ騎士団を辞めているか、あ るいはゴルドーに更迭させられていたろう。それほどまでに二人の仲 は最悪だった。それなのに、今夜のゴルドーの態度は不審すぎる。
「呼んだのは他でもない。今夜はお互いに歩み寄るいい機会だと思ってな。」
 そう言いながら、ゴルドーはサイドテーブルに置かれた2つのグラスにワインを 注ぐ。
 もしも、ここにいるのがカミューであったなら。おおよそゴルドーの悪意を 悟り得たろう。しかし、マイクロトフという人間は、時折そういった人のマイ ナス感情に呆れるほど鈍感になりえるのだ。突然のゴルドーの態度の豹変に対 して、あまり警戒心を抱かなかった辺りはマイクロトフらしいと言えるし、純 粋で素直な性格の証とも言えるのであろうが。
 ランプの光にゆらゆらと揺らめく深紅の色が目に入り、マイクロトフ がふっと気を抜いた。マイクロトフも、自分とゴルドーの仲がよくない ことは改善すべき事だと感じている。こうやってゴルドーの方から手を 伸ばしてくれているのは、いいチャンスだとも思った。彼の表情が柔らかくなる。
「今までの経緯は水に流して、これから二人、マチルダ騎士団の一員に相応しく行動し ようではないか。」
 差し出されたグラスを、拒む理由はない。カミューの心配は杞 憂だったのだ。ゴルドーはやはり白騎士団長だけのことはある。 マイクロトフは躊躇いなくグラスを受け取り、
「有難く、いただきます。」
 許可を求めるように、それを少し持ち上げるとゴルドーは鷹揚に頷 く。そして、マイクロトフは一気にそれを飲み干した。
 アルコールを嚥下していく彼の喉元を見つめながら、口の端を歪めているゴ ルドーにマイクロトフは気付かない。
「…ところで、マイクロトフ。今日少し小耳に挟んだのだが…」
「はっ?」
 気付かなかったが、意外と強いワインだったらしい。カミュ ーには劣るものの、マイクロトフも決して酒に弱いわけではな いのに。眩暈のようなものを感じて、マイクロトフは両足に力 を込めた。白騎士団長の前で、無様に醜態を見せるわけにはい かない。拳を握り締め、ゴルドーの次の言葉を待つ。
「おまえとカミューの関係について、のことだ。」
 くら…り、とマイクロトフをまた襲う眩暈のようなもの。そ れは、ゴルドーの口からカミューの名が出たせいではない。体 の深淵から、全神経を麻痺させるような熱がこみ上げてきた。 言葉を続けるゴルドーの言葉の大半は、マイクロトフの耳には 届かない。それでも、床に蹲りたい衝動を必死で堪え、ゴルド ーを見つめつづけた。
「…騎士団の両団長がそういう関係とは、 な。よくも今までわしに隠しとおしてきた…。」
 ゴルドーの声が近付いては遠くなり、踏みしめている床が心もとなく歪 み出す。そこまでが、マイクロトフの限界だった。がくりと膝を折り、そ れでも、立ち上がろうとするマイクロトフを見下ろすのは、ゴルドーの冷 たい視線。白騎士団長の顔には最早、明らかにマイクロトフに対する嘲笑 が浮かんでいた。
「なんとも効く薬だな…おまえを跪かせられるとは…」
 頭上から降るゴルドーの言葉が、マイクロトフには理解できな い。自分の体の変調がさっきのワインによるものだということだ けは分かったが、まさか一服盛られたのだとは思いいたるはずもない。
 震えが止まらない。体が熱い。一体自分の体に何が起こ っているのか、マイクロトフには全く見当がつかない。
「ほう…」
 薬は確実にマイクロトフに効き目をあらわしていた。ゴ ルドーの眼下で己の体を抱くようにしゃがみこみ、襲って くる震えを必死でこらえるマイクロトフの様子はゴルドー の嗜虐心を大いに満足させてくれた。今までは、自分に逆 らう生意気なやつという印象のみだったが、自分を楽しま せてくれそうな相手とわかると、ゴルドーの欲望はむくむ くと頭を擡げてくる。
「これは思わぬ拾い物だ…」
 体の中から湧き上がる断続的な震えをこらえようと、唇をかみ 締めるマイクロトフの頤を、ゴルドーの指が捕まえる。そして、 そのまま上向かせた。意思の強い瞳の光も、今回ばかりはとろけ んばかりに潤んで、ゴルドーの目を釘付けにする。
 薄く桜色に染まった頬や、熱い息を吐く唇。やや開いた 口から舌が覗いているのも、なんともゴルドーをときめかせた。
…これは、意外と楽しませてくれるかもしれん。
 マイクロトフは、ゴルドーの指を厭うて首を弱弱しく振るものの、薬に犯された 体は自分の物でないように重く、意思のない人形のようにゴルドーの手に従うのみ 。これからわが身にふりかかるであろう恐るべき災厄を避けうる方も見つけられない。
 ゴルドーの手が、マイクロトフの胸元に伸びる。手際よく軍服を脱がしていくゴルドーの行 動は、彼がこういった事に慣れていることを示していた。上半身を剥かれ、マイクロトフは床 に押し付けられる。
「は…!離せ…っ!」
 いつもの彼なら、ゴルドーに力負けすることなどありえない。だが、 自分の意思には関係なく、肌に感じる他人の感触が彼の体から力を奪っ ていくのだ。それは、カミューに抱かれる時の感覚に似ている。そして 、鈍いマイクロトフも、ようやく自分がゴルドーに何を飲まされたのか に気づいていた。
「三日前にグラスランドから、交易商人が到着してな。」
 ゴルドーは片手でマイクロトフの両手を拘束し、粘つく視線 でマイクロトフを萎縮させる。
「献上品として、面白い薬を持って来てくれたのよ…」
 片手に収まるくらいの小さな小瓶を、マイクロトフの目の前で振ってみせた 。ソノ気にさせる薬だ、とゴルドーはにやりと笑い、まさかお前に使うことに なろうとはな、と呟く。
「初めてでないのなら、わしも遠慮する必要はないだろう?」
 勝手なことを、と睨みつけるマイクロトフの怒りの視線すら、ゴルドーには 艶かしい誘いとしか映らない。いつか自分にひれふせさせたいと思っていたマ イクロトフを、こんな形で屈服させることができることがゴルドーの歪んだプ ライドを満足させていた。
 歯を食いしばって、舌の進入を防ぐマイクロトフに口付ける 。首を振って逃れようとする彼の抵抗も何もかもを奪うように 、激しく唇を重ねた。
「く…ンッ!」
厭わしい筈なのに、キスが拒めない。ゴルドーから逃れられ ない。頭の芯から襲ってくる重い心地よさは、強制的に彼を 支配していった。何度も重ねられたキスの前に、マイクロト フの理性は徐々に崩れ落ちていく。
「んっ…ふ…」
 ゴルドーの指が胸の飾りをもてあそぶたびに、否応なく高まって いく体。抵抗できなくなっているのを見抜いてか、白騎士団長は彼 のベルトに手をかけると、それを抜きとり、ズボンを膝までずり落とす。
 露になったそこは薬のせいか、すでに立ち上がりかけている。ゴルドーはさも楽しげに喉をなら すと、マイクロトフの敏感な部分に爪を立てた。仰け反って首を振るマイクロトフには一向に構わ ず、手で包み込んだそこを扱く。
「っ…ん…あ…あっ…?」
 薬の効き目とゴルドーの慣れた愛撫に、マイクロトフは 一分ともたなかった。小刻みに震える体が大きく跳ねた、 かと思うとゴルドーの手の中に白い液体を吐き出す。
「呆気ないではないか?青騎士団長ともあろう者が。」
ゴルドーの手に白く粘つくもの。嫌がらせのようにゴルドーは、 マイクロトフの目の前に晒す。
吐精の気だるさで何も答えられないマイクロトフも、ゴルドーが服 を脱ぎ捨てるのに気付くと一気に覚醒した。のしかかってくる男を 押しのけようとしたが、すでに遅すぎる。
「いっ、いやだ!!やめっ…やめろ…っ!!!」
 太腿の辺りに熱いものがあたる。恐怖を感じて 、マイクロトフは叫んだ。ゴルドーは笑って答え ない。彼の狼狽も恐怖もゴルドーをいたく満足さ せていた。拒絶は意味をもたない。ゴルドーはマ イクロトフの体が、自分を待ち焦がれているのを知っているから。
 その部分に、ゴルドーは一気に自分を進めた。
「!!うっ…ああぁ…ぁっ!」
 慣らされずに受け入れさせられたそこは、きつく進入を拒む。それ でも情け容赦なく深奥を突くゴルドーに、マイクロトフは痛みに身を 捩った。黒い瞳から、次々と涙の粒が浮かんでは零れ落ちる。しかし 、彼が漏らす声は、交わりのもたらしたものが苦痛だけではないこと を示していた。ゴルドーの動きと共に響く粘つく音、それに合わせる ようにマイクロトフの口から何時しか嬌声にも似た声が上がる。何か を求めて伸ばした腕は、ゴルドーの肩にその居場所を見つけることができた。
「…あっ…ああぁ…ん…んっ…」
 カミューにしか聞かせたことのないマイクロトフの甘い喘ぎが、室内を 満たす。ゴルドーの律動に合わせて無意識に動くマイクロトフの中で、抱 かれているのはゴルドーではなくカミューだという都合のいいすり替えが 行われていた。そうしなければ、この現実はマイクロトフにはとても受け 入れることができない。
ゴルドーを受け入れるマイクロトフの瞳が、何も映さ なくなる。こんなことが現実であるはずがない。こん なことがあるわけがない。自分がゴルドーに抱かれて るなんて、あるわけがない。
 波のように押し寄せる快楽に身を任せながら、マイクロト フはその瞳を閉じた。尽きない涙のみ、彼の眦をしとどに濡 らし続ける。嬌声の中に、求めてやまぬ恋人の名が交じる。 切なげな彼のその呼び声も、ゴルドーを高める呼び水にしか ならない。
「…やだ…あぁ……カミュー…カミューっ…」
 ゴルドーはなにも答えずに、己の欲情に従って動きつづける。思い出したかのよう に、マイクロトフの胸に唇を落とし、繋がっている部分からダイレクトに返ってくる 彼の反応を楽しんで。淫猥な濡れた音とマイクロトフの掠れた泣き声だけが、部屋に ばら撒かれる。
 延々と続くかのように思われたゴルドーの行為にも、終わりが見えてき た。ゴルドーの息が荒くなる。マイクロトフを蹂躙した彼の絶頂が近付い てきているのだ。
「…!」
 弱い泣き声しか出せなくなったマイクロトフに、自分自 身を激しく打ちつける。突き上げられる感覚に、マイクロ トフはゴルドーに縋りつく指に力をいれた。
「あっ…!ああっ!」
 か細い悲鳴と共に、マイクロトフがはぜる。殆ど同時に、ゴル ドーも己を彼の中に解放した。



 あの後、どうやって自分が部屋に帰ったのか、マイクロトフはよく 憶えていない。ボロボロになった体を投げ出すように、ベッドに倒れ こんだのは憶えている。死にも似た眠りに落ちこむ寸前に、ふとカミ ューのことが頭をよぎった。
 彼が帰って来たら、どうなるんだろう。今夜の事を知っ たら、彼はどうするだろう?それに、自分はどうすればい いんだろう?
 しかし、もう何もかもがどうでもよくなるくらい疲れ切っ ていた。目が覚めてから考えよう。朝になって、カミューが 帰ってきてから、全てはそれから考えよう。だから、今は休ませて。
 カミューの顔を思い出しつつ、マイクロトフは夢のない眠りに落ちこむ 。目が覚めたなら、今夜のことがただの悪夢になることを密かに期待しながら。


モドル