山の地形に合わせて石垣を積んだので菱形になった、山城特有のものである。 この上にあった建物も菱形であったので菱櫓と呼ばれた。 菱櫓は全国城郭にもその例はあまりなく、中世期の山城を近世城郭に改修した、城郭の貴重な歴史的遺構である。 菱櫓の前に俄坂門(櫓門)があり、番所・多門があって、大円寺、水晶山方面を遠望監視した。 中世の頃はここが大手門(正門)で大円寺城下町説もあり、大円寺へ通ずる険しい急坂も残っている。 実際は裏手の門で、普段は使わないが落城等の非常口として用いられることになっていた。 俄坂もその意味がある。 俄坂の途中に中世城の遺構である東曲輪があるが、天然の峻険を利用し敵の来襲に備えていた。 |
AG-09 霧ヶ井 霧ヶ城と言われるもととなった井戸。 敵が城を急襲したとき、この井戸へ城の秘蔵の蛇骨を投げ入れると、忽ち霧が立ちこめ城を覆いかくしたという、伝説があります。 この水は今も絶えることなく湧き出し、昭和六十二年に岐阜県の名水五十選に認定されました。 岩村町 |
AG-10 霊泉 霧ヶ井 霧ヶ井は鎌倉時代から清らかな水を湛(タタ)えている。 この井戸は城主専用のもので、お堂の中にあった。 岩村城の別名を霧ヶ城というが、それは非常に霧が発生しやすい地勢にあることから名づけられた。 伝説によると敵が攻めてきたとき、城内に秘蔵していた蛇骨を霧ヶ井へ投入すると、忽ちにして雲霧が湧きだして全山をおおい、敵兵は地形が見えなくなって攻めあぐみ、そこへ城兵が突入して勝利をえた。 これは山霊の加護によるもので、依って霧ヶ城と呼ばれる天下の名城と伝えられている。 霧ヶ井はどんなに日照りが続いても、決して水の涸れない不思議な井戸で、江戸時代に百日余り続いた日照りにも水は豊富であったと伝えられている。 |
AG-11 岩村城跡 霧ヶ井 八幡神社 八幡神社は岩村城創築と同時に、誉田別命(ホンダワケノミコト)を祭神として城内鎮守の神社とした。 岩村城創築の祖加藤景廉(カゲカド)が承久三年(1221)に没したので、すぐ配神として祀り座像を納めた。 城主はかわっても、歴代城主及び家中の崇敬は篤く、社殿の修理などを記録した棟札は永正五年(1508)のものから現存し、岐阜県文化財に指定されている。 武並神社に祀ってある景廉の長男、遠山景朝が御輿に乗って八幡神社の父景廉に会いに行くという岩村町秋祭り行事は岐阜県重要無形民俗文化財に指定されている。 棟札、絵馬などは岩村町郷土館に展示されている。 明治五年(1872)に神社は大路に移築された。 |
AG-14 竜神の井 この井戸は、岩村城のうち最大規模で、昭和六十年に創築八百年を記念して復元しました。 昭和六十二年に岐阜県の名水五十選に認定されましたが、今も絶えることなく、味は天然のうまさがあります。 |
AG-16 大手櫓門址 岩村城の正門 城中最大の門である。 本丸まで 二百米 |
AG-17 大手門、三重櫓、畳橋 畳橋は敵が攻めてくると橋板をとってしまうのでその名がある。 大手門(追手門)は正門のことで、城門の中で最も重要な門であるから、その防備は厳重を極めている。 大手門は二つあり、ひとつは櫓門、ひとつはその前面の枡形へ入る平重門である。 枡形も大手櫓門をかばう防御施設である。 空掘にのぞんで三重櫓(三階建)があった。 岩村城は山城で |