エリオットの 『サイラス・マーナー』

 ジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』(岩波文庫・土井治訳)には、純な愛情には縁のないような男が愛によって一変する劇的な姿が描かれます。その有名な話は英語の教科書で読まれた人も多いのではないでしょうか。

 サイラスは亜麻糸を織る織工ですが、十年来の親友に裏切られ、謂れのない窃盗の疑いを着せられ、婚約者にも去られて、人間不信の世捨て人になり、故郷の町を去って、ラヴィロウという村の外れで織工として細々と生計を立てています。彼の唯一の慰めは金を貯めることで、毎晩仕事の後に床下に隠してある金貨の袋を取り出しては一枚一枚数えているのです。ところが、ラヴィロウに引っ越してから15年の歳月が経った頃のある晩、ふと家を空けて帰ってくると、金貨を入れた袋をすっかり盗まれているのでした。言いようのない落胆、失望。サイラスは茫然と金貨を納めてあった場所を見つめたまま動きません。そんな時、行き倒れになった母親の手を離れてよちよち歩きをしてきた幼児が偶然サイラスの家に入って来ます。その金髪の巻毛が金貨を思い起こさせたのでしょうか、サイラスはその女の子を育てようと決意します。

 人生は一変します。冷たい金貨と違って、小さい子どもはサイラスの言葉に反応し、いたずらし、呼びかけます。サイラスはその子(エピーと名付けました)を連れて、野原で花を摘み、動物と遊び、小鳥の声を聞きます。彼はエピーをどこにも連れて行きました。織り上がった亜麻布を届けに行く時、楽しそうに二人で田舎道を歩く姿がラヴィロウの人々の目に留まるようになりました。それまで、人々はサイラスを気難しく無口でつきあいにくい男と思ってきたのですが、エピーの存在が彼をラヴィロウの社会に溶け込ませるようになったのです。サイラスがあまりにエピーを可愛がるので、隣家のウインスロップ夫人は「そんなに甘やかして育てるとエピーのためにもよくないんだから、いたずらをした時はもし叩けなかったら石炭置き場にでもいれてやればいいんですよ」と諭すのでした。

 ある日、サイラスは織機で織っている時に、いつものようにエピーが勝手に動き回って怪我をしないよう麻布の紐をエピーにつけてその先を機械に結んでいたところ、不用意にサイラスが置いてあったままの鋏をエピーが取って、その紐を切ってしまいました。しばらくしてエピーの気配が感じられないことに気付いたサイラスは、開け放された戸を見て驚きました。彼は我を忘れて、外に飛び出しましたがエピーの姿は見えません。いつも二人で行く野原にもエピーは見えず、さらに次の野原にもいません。サイラスの心臓は焦りと心配で止まりそうになりました。その野原の先には泥水の池があります。サイラスは気も狂わんばかりにエピーの名を呼びながら草をかきわけて池にたどり着きました。すると、その池の岸でエピーが小さな靴をバケツ代わりにして穴ぼこで作った小さな池に水を運んでいるのです。サイラスはエピーをひったくるように抱き上げると泣き出しそうになって接吻を浴びせかけました。家に連れて帰ってはじめて、いたずらしたらお仕置きしなければと気付いて、体を洗って着物を着せ変えた後で石炭置き場に閉じ込めたのですが、エピーはそれも遊びだと思ってキャッキャッと喜ぶだけでした。そんな風にわがままし放題で育てたものの、エピーは親思いのやさしく慎ましい少女に成長しました。最後はエリオットの作品にはめずらしく、すべてが幸福のうちに物語が終ります。その美しい結末の故に彼女の小説の中では、最高傑作といわれる『ミドルマーチ』(1872)やプルーストが「その2頁を読めば目に涙が浮かぶ」と評した『フロス河の水車場』(1860)などの長編に比べると見劣りがしますが、しかし、おそらく力を入れ過ぎずに書かれた『サイラス・マーナー』にはエリオットの主要な思想、素朴な感情の優位、社会と調和して生きることの理想、分け隔てのない人間への共感、などがよりわかりやすい形で描かれています。

 ジョージ・エリオット(1819~1880)、本名メアリ・アン・エヴァンス、は大工から土地差配者まで出世した父のもとにイングランド中部ウォリクシャーの田舎に生まれました。母の死後、家事を見るために17歳で学校を退め、自宅で父や兄弟の世話をすることになりました。しかし、メアリ・アンはほぼ独学で仏・独・伊・ラテン、ギリシア、ヘブライ語を学び、さらにミルトン、シェークスピア、ゲーテその他古今東西の書物を渉猟しました。22歳で父とともにコヴェントリーに引っ越し、そこで知り合ったブレイ夫妻の家で、当時の進歩的な知識人たちと交友を始めました。35歳で、妻子のいた哲学者ジョージ・ヘンリー・ルイスと同棲することになりますが、このことが社会的に彼女に抜きがたい後ろめたさを与えたのです。おそらく、ルイスと彼の子どもたちを養うため37歳で小説を書き始め、それが財産と名声を彼女にもたらしました。ルイスは1878年に死亡、メアリ・アンは61歳で25歳年下の崇拝者と再婚しますが、腎臓病でその半年後に亡くなりました。

 ところで、ジョージ・エリオットはたいへんな知識人でした。哲学、宗教、文学、歴史はもちろん、数学の問題を解くのを楽しみ、化学や物理学、博物学にも詳しく、およそ人間社会で重要な事柄には第一級の興味と知識、深い理解力を持っていたのです。ドイツの作家ハンス・カロッサは「人は、彼が十歳までに愛し行ったことを、常に愛し行うだろう」と書いていますが、ジョージ・エリオット、つまりメアリ・アンの生涯もまさにそのようなものでした。「人生の真実とは何であるか」これが彼女の最初期からの問いでした。メアリ・アンは周囲の人の生活や、多くの書物の中にそれを求めようとしたのです。どのように生きることは自分にとって最善なのか、そもそも人間にとって最善のこととは何なのか、こうした問いを抱き、こうした疑問に常に苛まれている少女にとって、読書はそれがなければ生きてゆけない空気のようなものでした。若いメアリ・アンの生活は、母代わりの主婦として、父や兄弟の世話に明け暮れ、自らの頭痛にも苛まれながら、知的探究心をいささかも損なわぬものだったのです。しかも、そうして積み上げられた知識は、しばしば精神だけが分離した男性知識人と違って、日常の細やかな生活と決して矛盾するものではありませんでした。彼女は24歳で、徹底した合理主義の福音書批判であるダヴィッド・シュトラウスの『イエス伝』Leben Jesu を翻訳出版しますが、『サイラス・マーナー』では田舎の素朴な人々の宗教感情に優しい共感を寄せています。サイラスは親代わりにエピーを育てようと決めた時、隣家のウインスロップ夫人の忠告に従ってあれほど敬遠していた教会に行くことを約束するのです。仮借ない懐疑主義の精神は、またすべてを容認する寛容の精神をも有しているのではないでしょうか。

 R.W. エマソンはジョージ・エリオットとの初対面の印象を「穏やかで澄んだ心を持った女性」と書いています。また、ハーバード・スペンサーは「女性らしい性質と素振りを持つ」メアリ・アンについて最大級の賛辞を寄せています。「その微笑には、常にともに頬笑む人間への共感があった」と。彼女は美人ではなく、貞淑さが第一の美徳と思われたその時代でさえ、その容貌の欠点は思春期の少女の心を痛めたかも知れません。しかし、内面の美というものは確かにあるもので、深い教養と寛容の心、弛まぬ好奇心は表面の美を「薄い皮膜」にしかすぎないと思わせるに足るものでした。それは、最も幸福な人間とは、他の人間の悩み、考えを共有できる強さを持つ人間である、というジョージ・エリオットの生涯の心持ちの証明でもあるのです。