「0歳教育」の概要

は じ め に

 有線本部から 「0歳教育シリーズ」 の放送を受持ってほしいと話があったのは、62年の10月でした。 個人的には、0歳教育に身も心も投入するつもりでいたので、非才を顧みずお引受けしました。

 教育の荒廃が、家庭の親子関係に端を発しており、且つまた、教育が行なわるべき時期というものは、実は0歳に近いほどよいという科学的研究の結果もあり、そうしたことから私はおこがましくも、喬木村有線放送引受けを 「可」 とする判断をしたわけです。

 引受けた限り責任があり、話の内容は充分な根拠に基ずく必要もあったので、それから急ピッチで資料としての書籍の収集と読解が私の課題となりました。

 驚いたことに、調べれば調べるほど人間の <mind-brain,mind-brain-body>「心脳」 或いは 「心脳体」 の恐ろしいほどの能力にぶちあたり、吾を忘れて没頭することとなりました。

 受胎から6歳まで、誰でもが持っているという、その不可思議な超能力 <ESP=Extra Sensory Perception> を活動させ、一人一人の幼児に、素晴らしい能力や、素敵な人格や、逞しい心身を、どう身につけていったらいいか、それこそが 「0歳教育」 が取組む課題にちがいないと思いました。

 じっと考えていると、なにか頭の中がぞくぞくしてくるような、未来へ電気がほとばしるような、次々に新しいことが生まれでるような、そんな感じがしました。

 さて、一つの幼い生命体がそんな素晴らしい能力・エネルギーを持っていることとは別に、どんな親でも、生まれながら幼い子供に対して、命を賭ける一途な本能を持っていることを自覚しなければなりません。

 親というものは、水火も辞せぬ激しい愛情と、静かなそれとはわからない温かい愛情を持っています。

 ここに0歳教育が完全に成功する基盤があります。

 私は、この放送原稿を書いているうちに、親の愛情とは何か、という課題の答えに気がつきました。 それはこういう言葉でよいと思います。
 
「親の愛情とは、わが子のしあわせを願って、何かを、してやること」

 この冊子は、放送原稿をまとめたものです。 ですからこの内容をよく読みとって、具体的な仕事にとりかかって頂きたいと思います。 この素晴らしい子育ての仕事に命をかけてください。

 昭和63年10月19日                         下 平 好 上


第一回 0歳教育の概要 (昭和62年12月3日)

 皆さん今日は、話の広場 「0歳児教育」 の時間になりました。

 有線本部では、12月から 「0歳児教育」 いわゆる 「0歳教育」 という番組を始めるように、決めたそうです。 それで、その番組を担当するように依頼をうけました。

 いろいろ考えましたが、引き受けることにしました。 「0歳教育」 ということは、今日的な課題として、全国各地、真剣に取り組まれていることの一つでありますので、お引き受けした限りは、精いっばいの努力をしてまいりたいと思っております。 どうぞ、よろしくお願いします。

 この番組は、有線放送でございますから、一方的な話になるわけでございますので、質問やご意見がございましたら、遠慮なく連絡いただきたいと思っております。

 今日は、第一回でございますので、0歳教育の概要について、いくつかの資料を選んで、お話したいと思います。

 「0歳教育」 といいますと、赤ちゃんが生まれてから、およそ一年間の教育、ということになりますが、実は、そういうとらえ方ではなくて、就学前の教育とか、幼児教育といういい方でもよいのではないかと思います。 もっとわかり易くいえば、赤ちゃんがこの世に生をうけたとき、いいかえれば、受胎したときから始まって、小学校入学までを考えてもよろしいわけです。

 従来でいえば、赤ちゃんが言葉をいえるよになって、親子の意志疎通ができるようになってから、教育があるんだ、という考え方が一般的であったと思います。

 ところが、赤ちゃんは何もしゃべれないが、生まれた時から、もっといえば、お母さんのお腹の中にいるときから、言葉や感情から健康にいたるまで驚くほどの力で、それらいっさいを身につけていることが、わかってきたのです。

 ですから、受胎したときから就学前の教育を始めることが、とても大事だという考え方ができあがってきたんです。 そんなわけで 「0歳教育」 という言葉が、一般的に使われるようになったわけです。

 言葉はことばとして、まあどっちでもいいわけですが、では赤ちゃんはいったい、どんな能力をもっているんだろうか、それをはっきりさせることが、実は 「0歳教育」 の大切さを理解する手がかりになりますので、例をあげて、考えてみたいと思います。 まず初めに、胎児教育、いわゆる胎教を実践したジツコ・スセディックという人が書いた本の一部を紹介します。

あれはちょうど、スーザンが1歳の誕生日を迎えて、間もない頃でした。 もうすぐ2歳半になる子供をつれて、近所の母親がうちに遊びにきていました。

その時、スーザンは 『ロビンソン一家』 という本を、開いて見ていました。 ゆっくりとぺージをめくっていくスーザンを見て、その母親は、彼女がただ絵本を見ているだけだと思ったんでしょう。 『スーザン、そのご本にはどんなことが書いてあるの』 こう聞かれたスーザンは、その母親に本の内容を読んで聞かせました。

彼女を知らない人なら、誰でも跳び上がるほど驚いたことでしょう。 一緒につれてきていた2歳半の子供は、スーザンの隣で、まだ片言しかしゃべれなかったんです。 そして、その母親は、信じられないというより、何か奇妙なものを見たときのような動揺をかくせず、自分の子を抱きかかえると、あわてて家に戻っていきました。

 この子を育てた母親は、アメリカ人と結婚した館林実子という日本人なんですが、実子さんは、妊娠5ケ月目から、6つの指導目標をたてて、胎児教育を始めております。

 例えば、具体的にいうとこうなんです。 「あ」 という字の、読み方や綴り方を教える時に、縦14センチ横15センチのカードに、色あざやかに書かれた 「あ」 という字を、何度も何度も、正しく発音しながら、その字を指でなぞるんだそうです。

 そして、こういうんだそうです。 「これは 『あ』 という字よ。 赤いきれいな字よ。 ほら、あなたにもあるでしょ、頭の 『あ』 という字よ。 そしてまた、足の 『あ』 という字よ。 あいうえおの 『あ』 という字よ」 こんなふうに話しかけるんだそうです。

 このとき気をつけることは、自分で 「あ」 という字の形や色や意昧を頭に焼き付けるようにイメージ化し、そのイメージを頭からだんだんおろして、へその緒から赤ちゃんに伝えてやることだといっております。

 さて、こんな話を聞きますと、「うっそー」 「ほんと?」 と自分の耳を疑わざるを得ません。 でも、これは事実なんです。

 生後2週間で単語を話し、3ケ月目には会話が始まり、9ヶ月目で歩き始めるという、見事な発達を示しているといいます。 この子は5歳の時幼稚園からいきなり高校へいって勉強をし、11歳のスーザンは今、マスキンガム大学で生活しているといいます。 友達との遊びも大好きで、運動も音楽も、みんなと一緒にやっているといいます。

 以上は胎教についてでしたが、次にお産の話の例に移ります。 こんどは 「マジカル・チャイルド」 という本に書かれている、アフリカのウガンダという国の赤ちゃんについて、の一部を紹介します。

ウガンダの母親は、赤ちゃんが生まれる直前まで、日常の仕事を普通にこなしています。 それから一人になれる場所へいって、自分でしゃがんで、時には母親のたすけをかりて子供を産みます。

約1時間後には、生まれたばかりの赤ちゃんをだいて、近所の人や親戚の人に見せてまわります。 そして生まれた子は、母親の胸に下げられた吊り帯の中に裸で入れられ、眠る時でさえ、母親から離れることなく育てられます。

母親といつも一緒にいるので、赤ちゃんはいつでも欲しいときに乳を飲み、母親も布1枚を通して、赤ちゃんの要求を感じとり、それに応じている。 こうして生まれ育つ赤ちゃんは、どこでも観察されたことのないような赤ちゃんに育っていきます。

生後6週から7週目の赤ちゃん300人を調べたところ、全員が上手にハイハイをし、自分でお座りができます。 さらに鏡の前で、長時間自分の姿を、あきることなく見ていられる。

この能力は、欧米の子供では、6週や7週ではなく、24週(6ケ月)たたないと見ることはできない。

また、6ヶ月から7ヶ月の間に、ウガンダの子供達は、おもちゃの取り返しテストができるようになる。 子供に、あるおもちゃを見せ、次にそのおもちゃを部屋の反対側のおもちゃ箱の中にいれてしまいます。 つまり、一辺見せたおもちゃを、今度は見えない所へかくすわけです。 ウガンダの子供はすぐ立ち上がって部屋の中を走っていき、おもちゃを取り返すのです。 同じテストを、欧米の子供にさせると、15ヶ月から18ヶ月にならないと、うまくできない。

 このウガンダの赤ちゃんの話は、実はお母さんと赤ちゃんの絆を作る上では、欠くことのできない、ほかの時期ではどうしても取り返しのできない、重要なことなんだそうです。

 最近テレビで紹介されていますように、もともと自然界の動物の出産と産後の親子のかかわりは、その時期にしかできない重要なことのようです。 ウガンダの赤ちゃんの話は、親子のあり方の重要性を象徴しているものです。

 情緒や能力を伸ばしていく上で誕生直後からの、親子の肌の触れ合いが、いかに大切なものであるかを、象徴しているものなんです。

 人間の頭脳と心の発達を、豊富な資料、学問の裏づけによって、ピアスという人は、人間の成長の仕組みを1冊の本にまとめています。

 かわいい赤ちゃん、よわよわしい、その赤ちゃんが、想像もできないような、すばらしい仕組みによって、どんどん成長していることをピアスは説明し、教えています。

 それで、その本を読んでいますと、0歳教育の中でも殊に、この出産のあり方と、お母さんと赤ちゃんのあり方、というものを、大事に考えなくてはいけないんだ、ということを教えられます。

 いいかえてみますと、赤ちゃんの性格や心ばえ、能力や体力は、どのようにして伸びるのかということをよく理解し、自然出産という方法が、赤ちゃんの心や体の発育に、どれほど重要な意味をもっているのか、ということを理解し、具体的には、時間の経過とともに、どのような触れ合いの仕方を必要とするのか、ということを、大事に考えなくてはならない、というわけです。

 ちょっと理屈っぽくなって、ごめんなさい。 では最後に、いろいろの能力はどのようにして伸ばしていったらいいんだろうか、どのように教育したらいいんだろうか、ということですが、これはいろいろありますので、後てだんだん取り上げようと思います。

 そこで今日は、鈴木鎮一という先生の 「どの子も育つ、育て方ひとつ」 という本の一部を紹介したいと思います。 鈴木先生は、ご存じのように、バイオリン教育で、世界中からその教育の仕方を注目され、その教えを広めている方です。 ではその本の一部を読んでみます。

「人間が環境の子である以上、才能教育はより早くから、できれば0歳からやることがよいのはいうまでもありません。

しかし更に重要なことは、よい才能は、よい努力のもとに常に育つ、ということです。

私自身、能力の開発を遅く始めたため、私の能力の育ち方が大きくマイナスをうけたことは確かです。 かといって、私は自分自身に失望することはないのです。 「年齢の如何にかかわらず、よい方法の下で訓練し努力するところには、必ず能力が育つ」 ということがあるからです。

現に、誰でもが日本語を立派に使いこなしているのですから、他のことについても、同じレベルの能力を示すことのできる、頭脳的な基盤はあるわけです。 つまり、能力の芽はすべてにわたって育てられている、といえるのです。

よく、うちの子はもう中学生になってしまっている、高校生になってしまっている、それでも才能教育は可能なんだろうか、という質問をうけます。

そんな時、私はいつも次のように答えることにしています。

『私は17歳から始めました。 この程度までなら誰にでもなれるという見本が、ここにあるのです。 重要なことは、苗を育てることなんです。 そして、花を咲かせ実を結ばせるまでの栽培が、肝心なことなんです』

というのです。 言葉を自由にしゃべれる限り、あとは、よき条件の下に努力すれば、必ず人間として立派な能力の持ち主になることができます。

問題は、よい努力です。 その努力の内容いかんで、育ちの大小も決まってきます。 15歳からでは駄目だとか、20歳からではもう遅いとか、そういう愚かな判断は、一切私たちにはありません。 どんな年齢からでも、よい努力の下に能力は育つんです。

努力のないところに能力は育たないことを知ると共に、自分が無駄な努力をしていないかどうかを、よく検討しなくてはなりません。 無駄な努力はよくありません。 今の自分をかえりみて、自分には能力がないと嘆き、あきらめてしまう人は、ほんとにあわて者だと思うんです。

「努力をすれば知らない間に能力が伸びる」 これが能力の正体です。 そして、その努力の内容、即ち訓練の方法によって、能力というものは、ガラスともなり、ダイヤモンドともなるものです。

 初めに申しましたように、今日は第一回ですので、0歳教育の概要について、話したわけです。 既に子供さんが、大きくなられた方もおられるんですが、やがての孫子のために、どう心掛けていったらいいんだろうか、という角度で考えていったらいかがでしょうか。

 次回の1月には、概要ではなく、各論に移りまして、胎児教育、いわゆる胎教について話したいと思っています。

 仏教では、受胎のときを人の誕生として、まだ人間としての姿かたちもはっきりしない胎児のうちから、一個の人間として認めておるんです。

 人の生涯のスタート、それは受胎に始まるわけです。 親が可愛いわが子に注ぐ愛情の、その望ましい伝え方の具体的方法について話したいと思います。

 今日は以上て終わります。


第二回 胎児教育・その一 (昭和63年1月12日)

 今日は胎児教育いわゆる胎教について、お話したいと思います。

 その話に人る前に、皆さんと一緒に、お祈りについて考えておきたいと思います。

 私たちは、家の仏壇や神棚に、手を合わせてお祈りをすることがあります。 昔は今のように水道がなくて、どの家でも、井戸水やかけいの水で、毎朝顔を洗ったものです。 そんな時、お年寄りが顔を洗ってから、東のほうへ向いて手を合わせ、合掌している姿を目にしたものです。 そうした姿は、とてもすばらしいものでした。

 そこで、この合掌する心、お祈りをする心とは、一体何なのか、互いに考えておきたいと思います。 お祈りには、神仏の恵みに対する感謝とか、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、希望の実現など、それはそれは、いろいろあると思います。 私たちは、ある願いとか希望とかを、合掌してお祈りするのですが、例えば、

 「私も、一生懸命やりますので、どうかこんなふうになって欲しい …… 。 或いは、どうかこんなふうになりたい …… 。 ぜひお願いします」 というような心も、はたらくものだろうと思います。 その一生懸命という中味は、労働であったり勉強であったり、親孝行や子孝行であったり、わが子の成長であったりします。 よくよく考えてみますと、合掌の心っていうのは、謙虚な心の願いでありますし、自分を無にした愛情でありますし、誠にすばらしい、美しい心であると思います。 そして、この祈りというのは、自分へのいい聞かせであるとか、命令であると、いえるんではないかと思います。

 実は胎教についての、基本的な心構えというのは、このような祈り、合掌の心であると思います。 ですから、お腹に赤ちゃんができたお母さん、ぜひわが子の幸せを願って毎朝、仏壇でもいい、神柵でもいい、それに向かって手を合わせて下さい。 祈ってください。

 赤ちゃんがお腹の中にいるその夫婦は、いったい何をしたらいいのでしょうか。 夫婦のいたわり、子供への愛情 …… 。 それらを、具体的な日常生活の中で、どうしていったらいいのでしょうか。 夫婦の愛情や親子の絆が叫ばれますが、聞きっぱなしでは、なんにもなりません。

 私は、お腹の中の赤ちゃんにしても、生まれてきた赤ちゃんにしても、親が子に愛情をもつということは、子どもの幸福のために、子どもに何かをしてやることだと思っております。

 お祈りのなかで、合掌のなかで、何をしてやったらいいのかを毎日反省をし、計画をたてて、自分のあり方を求めてほしいと思います。 合掌については、以上にしたいと思います。

 では続いて、胎児教育の話にうつります。 それでは最初に、胎児医学・生理学・心理学の進歩を取り上げます。

 今から10数年前になりますが、超音波電子スキャナーの発明によって、胎児がどのように成長するか、明らかになってきました。 そのことを理解したいんです。 大人の声は、200へルツから1000ヘルツと言われております。 一秒間に200から1000の振動をするのですが、超音波では25000へルツを使いますので女の人の高い声の25倍くらいの、音波を妊婦のお腹にあて、それによってお腹の中の断層の映像を、テレビ画面に映しだす仕組です。 この装置を使うようになって、胎児の発達はどのように進むのか、母親の情緒によって、胎児がどのような影響を受けるのか、そうしたことが、ものの見事に画面でとらえることができ、母親の精神状態のあり方や、食物による影響が、だんだんと解明されてきました。 NHKテレビでも放送されましたし、多くの本に書かれるようになりました。

 次に理解しておかなくてはならないことは、赤ちゃんはその生命が始まった時から、独立しているということです。 赤ちゃんは、神秘的な不思議な細胞の力によって、自分の意志で成長し、人間としての35億年の長い進化の過程を、10ヶ月で完了します。 この生物プランは遺伝子に仕組まれているといわれております。 お産の仕組みをみても、お母さんが産むのではなく、赤ちゃんが生まれる時を決め、母親にすべてホルモンで連絡し、自分で生まれてくるといいます。 赤ちゃんが健やかに、そしていろいろの能力を身につけ、生まれてくるのを、お母さんは100パーセント応援し協力して、この世に生まれるよう手助けをしなければならない、といいます。 昔の言葉にあるように赤ちゃんは、授かったものだ、という考えが正しかったんです。 ですから、妊娠した直後から、赤ちゃんをはぐくみ育てるという考え方を、しっかり持たなくてはなりません。

 続いて赤ちゃんの成長を大雑把につかんでおきましょう。

 妊娠5ヶ月目から、赤ちゃんは、知情意すべてを身につけ始めるということです。 35億年の長い進化の過程を、赤ちゃんは一気に胎内で処理しているわけですが、妊娠5ヶ月目というと、既にツワリは過ぎ食事は量より質が大事になり、そのバランスに心を配らなくてはならないようになります。 それは、脳細胞の発達に始まり、内蔵諸器官は、完成に近づいてくるからです。 8ヶ月目には、胎児の胎内成長はほぼ完成し、生まれても生きていく力を備えているといいます。

 従って、妊娠5ヶ月目あたりから、胎児は母親のお腹の中で、知的なもの、情緒的なもの、健康に関するものすべて、いいかえれば、大人のもっている、知・情・意いっさいをどんどん取り入れ始めます。 胎児教育の大事な時期が、今日でははっきりしてきたといえるわけです。 5ヶ月目頃から、胎児教育の具体化は、スター卜してよいのです。

 さてつぎに、生まれてから満3歳までの4年間の赤ちゃんは、ESP(Extra Sensory Perception) といわれる超能力を誰でも持っていることを理解しておきたいことです。

 速読術という言葉を、お聞きになったことがあるでしょうか。 「君にもできるスーパー速読法」(読売新聞社)とか、「実践スーパー速読術ー1冊を1分の方法」((祥伝社)など市販され、日本速読協会という会があって、人間の潜在能力をどう活用したらいいか、ということで取り組んでいます。 これは一度見たものを、そのまま感覚的に脳細胞にインプットするという、そういう訓練を重ねて、1冊の本を1分で読めるようにする、という方法です。 この方法は脳細胞のアルファー波(Alpha 8~13Hz)を活用し、潜在能力を引き出そうとする考え方によるものです。

 ところが、胎児は、このアルファー波が働いておって、一切の知情意に係わる刺激を、何の苦もなくそのまま取り入れ、大人が理解できないほどの、素晴らしい処理能力のある、脳細胞コンピューターによって、分類処理されているといいます。 12月お話しました、ジツコ・スセディックの胎児教育は、この胎児の能力を信じ、のめりこんで実践した結果です。

 この胎児、幼児の超能力を信じ、わが子への愛情を、子供への働きかけを通して、与えていかなければなりません。 私が話しているこのようなやり方は、知能を高めることに片寄ると心配される方があると思いますが、子供の能力というものは、知能や情緒や言葉や動作が、ばらばらで伸びるものではなく、人柄や、健やかな健康も、相関しており、知徳体すべてにわたり、両親の愛情を、伝えてやることができるのです。 以上で今日の話を終ります。 今日は、お祈りについてと、赤ちゃんの持つ驚くべき能力についてお話しました。

 今日の話は、次の本を参考にしました。

 高橋悦二郎著   「胎児からのメッセージ」 
 夏山 英一著    「二八〇日の胎教」 
 大島  清著    「胎児からの子育て」
 七田  真著    「胎児からの子育て」
 トーマス・バーニー 著     「胎児は見ている」
 ジョセフ・チルトン・ピアス 著 「マジカル・チャイルド」

 次回は 「胎児教育の第二回」 として、健康とお腹の中の赤ちゃんに何をしてあげたらいいか、という内容でお話したいと思っています。


第三回 胎児教育・その二 (昭和63年2月3日)

 1月の放送では、胎児教育その一として、祈りについてと胎児の驚くべき能力について、お話申しあげました。 親の愛情ということは何かというと、子供の幸福を願って、 「子供のために、何かをしてやること」 だと申しあげ、毎日手を合わせて自分達の言葉、行ないを反省し、またいろいろ計画し実践したい、と申しあげました。

 一方お母さんのお腹の中にいる赤ちゃんは、わずか10ケ月で35億年にわたる長い進化の過程を一気に自分で処理し、その間、私たちが想像もできないほどの能力で、人のもつ知情意すべてを身につけ始めることをお話申しあげました。

 今回は、お母さんの健康についてと、お腹の中の赤ちゃんに何をしてあげたらいいかについて、お話いたします。 では最初にお母さんの健康についてのお話です。

 お腹に赤ちんがいるお母さんにとっては、明るい平穏な心と正しい食生活による健康な体で、夫婦仲よく、こまめによく動くことが何より大切です。

 夫婦が仲よくなかったり、怖いテレビを見たり、思わぬ強い衝撃を心に受けたりしますと、胎内の赤ちゃんはそれらのストレスを敏感にうけとり、ヒックヒック、しゃっくりをするような、痙攣するような状態になります。 この様子は、NHKの 「0歳からのメッセージ」 というテレビ放送ではっきりとわかります。 このような心の平穏を乱すことは決してお腹の中の赤ちゃんにとってもよい筈はありません。

 次に、食生活についてですが、食事のとり方によっては、取り返しのつかない結果になりますので、充分勉強していってほしいのです。

 具体的にどんな食生活がよいか申しますと、主食としては精白しない米、玄米が一番よいのですが、そうでないとしますと5分搗きの米か自宅で精米できる方は3分搗きの米くらいがよいのです。

 3分搗きといいましてもわかりませんので、何しろ胚芽がそのままついている米でいいわけです。 家によってはお年寄りの方もおいでになりますから皆で相談して考えて頂きたいと思います。

 7分搗きの米や精白した米の場合には、玄米と較べて不足しやすいもの、殊にリノール酸やリノレイン酸などの植物性不飽和脂肪酸とか、フィチン酸、ビタミンB群、ビタミンE、ミネラル、酵素などを補うことが必要となってまいります。

 さて、副食には何をとればいいのかと申しますと、野菜、海草類、小魚でよいといわれています。

 野菜では殊に、葉緑素をもっている青い葉っぱは一年中絶やさないことがいいし、各種根菜類、葉菜類、いも類は欠かせない大事な食品だといわれます。

 海草類といえば、わかめ、ひじきは食べやすいものです。

 小魚は、頭ごと骨ごと食べれるものです。 煮干しや目刺は手頃な小魚で、ちょっとあぶって1日5匹くらいは毎日食べたいものです。

 副食として挙げたもの以外では、野菜ではありませんが豆はよいようです。 煮たものもいいし、加工食品にしてもいいし、玄米につぐ大事な食品です。

 先日も南信州に、小川の原野さんが、食生活を自然食主体に切りかえることがよいと主張されていましたが、そういう考え方の切りかえが、とにかく大事です。

 何故主食に玄米、副食には野菜、海草、小魚がいいのか、という理由根拠については最新の学問研究の成果としていろいろの本に書かれていますので、読んで頂くとよいと思います。

 私は私なりに、食事が胎児や乳児、幼児に与える影響について、何冊かの本を読んでいるんですけれど、美食をご馳走と思っていた私たちの誤りがはっきわかりました。

 例えば、胎児に関しては 「胎児からの子育て」 「自然食による育児教室」 「幼児から老人までの頭をいきいきとさせる食品レシチン」 「0歳からの英才食」 「IQ食品レシチンの驚異」 「今の食事が子供を狂わせる」 「酸素が頭をよくする」 「砂糖が体も心も狂わせる」 「母乳主義・あなたの子供は牛ではない」 など読んで頂くと、自然食主体の食事のよさがよくわかります。

 以上望ましい主食と副食について、かいつまんで話しましたが、続いて殊に気をつけたいことを挙げてみます。

 まず動物から得られるもの、いいかえれば、肉、牛乳、および酪農製品はよくありません。 徹底するとすれば、とらないほうがよいと書かれております。

 次にインスタント食品、具体的にいえばいっぱいになりますが、とにかく科学的処理をしてありますインスタント食品は避けたほうがよいのです。

 次に砂糖を使ってあるもの、これも具体的にいえばいっぱいになりますが、とにかく砂糖もよくありません。 つまり動物から得られるものと、インスタント食品と、砂糖類は、私たちの食卓には載せないほうがよいといえるのです。

 食事についてはもっと考えるところがあるんですが、栄養学の方向もあり何ともいえません。 しかし、一般に子供を育てる場合、知育、徳育、体育といいますが、現在とても大事にされているのが、この食事についてであり、知育、徳育、体育と並んで、食育という言葉を取り上げるべきだといわれるようになってきました。

 知育も徳育も体育も、それらを支えているのは、毎日食べている食事によっているのですから無理もありません。 食事は大事なことですから、いろいろ調べて頂きたいと思います。

 では次に、お腹の中の赤ちゃんに何をしてやったらいいのか、ということに移りたいと思います。 前にも申したように、親の愛情というのは、子供の幸せのために、子供に何かをしてやることです。 ですから是非ともわが子のために、次のようなことをやって頂きたいと思います。

1 毎朝手を合わせて祈るとき、自分がお腹の中の赤ちゃんのために 「今日も一生懸命頑張る」 という気持ちでいることを、赤ちゃんに話してください。

2 毎朝手を合わせて祈るとき、昨日の反省と共に 「今日は赤ちゃんに何をしてやるか、これこれしかじかするつもりです」 と、自分にいい聞かせてください。

3 赤ちゃんが明るい心になるため、明るい何々をしてください。

 例えば、明るい挨拶、明るい話、明るい微笑み、明るい返事、明るい仕事、明るい歌、明るい行動など、赤ちゃんが明るい心になるために、明るい何々をしてください。

4 赤ちゃんにいろいろの話をしてやってください。 これはお母さんの日常生活に関することでいいのです。

 例えば、起きた時、顔を洗う時、お勝手の仕事、その片付け、お掃除、洗濯、自分の仕事、外の様子、自然の姿、いろいろの出来事などどんな事でも話してください。 声に出さない場合は頭の中の言葉でよいのです。

 例えば風呂たきのとき 「さあ、みんなが帰ったら風呂に入れるように風呂をたきましょうね。 この薪はね、お祖父ちゃんが12月の寒いときにね、頑張って作ってくれたのよ。 ああ、この薪箱がいたんできたのね。 お父さんに頼んで直してもらいましょうね。 あなたも大きくなったら手伝ってね」 などとどんなふうにでもお話してあげてください。

 慣れてまいりますと、いろいろ話の世界を広げることができるといいます。

 実際に赤ちゃんが生まれますと、お母さんはいろいろと話しかけをしなければなりません。 ですから生まれてからの練習のつもりで、是非やってください。

 お腹の赤ちゃんとの対話は、妊娠5ヶ月から始めてください。

5 早寝早起きを心掛け、赤ちゃんのため生活のリズムを固めてください。

6 気にいった子守唄、童謡、歌などを口づさんでください。

 それからジャズや歌謡曲ではなく、明るくて穏かで優しい、素敵な音楽を聞かせてください。

7 お伽噺の練習をし、自信あるものを五つか六つはもち、話してあげてください。

8 北原白秋の詩集とか百人一首とか一茶の俳句とか、何でもいいわけですが、自分の気にいった詩をはっきりした声で読んでやってください。

9 色彩豊かな楽しく夢のある絵本を買ってください。

 童話の世界のもの、自然に関するもの、動植物のもの、科学ものなど、1冊1冊手に取って選んで準備してください。 そしてそれらを説明してあげてください。

10 フラッシュカードを作り、言葉や数を教えてやってください。

 カードは表紙がみを6等分したものがよいと思います。 4等分ならもっとよいと思います。 平仮名、片仮名、濁音も半濁音もつくります。 それに、漢字は200~300語はほしいと思います。 それから数字は100まで、アルファベットは大文字小文字、それにドッツカードを使いたい人はドッツカードを作ってください。 それからいろいろの絵力-ドも是非作ってください。

 作り方は、例えば 「あ」 なら片面に色鮮かに 「あ」 だけを大きく書きます。 そして裏には 「あ」 のつく気にいった言葉、例えば 「あたま」 「あし」 「あり」 を書き、できれば切り絵を貼るか、手書きしていきます。

 扱い方は、前にもちょっと触れましたが、例えば 「あ」 の字をお腹の中の赤ちゃんにどう伝えるかといいますと、「あ」 の字の形、色、筆順を自分の頭の上の方にはっきりとイメージ化し、そのイメージをだんだんお腹の方に下ろしていき、へその緒から赤ちゃんの頭に、そっくり伝えてやるのです。

 慣れてくればだんだん気軽にできるようになるといわれています。

 これらのカードは赤ちゃんが誕生してからも、そのまま使うようにします。

 フラッシユカードの準備は早めにしておいて、妊娠5ヶ月になりましたら、1日の中のどこか時間を決めておいて、赤ちゃんが生まれるまで、計画的に進めてください。

11 お腹の中の赤ちゃんに、お父さんから声をかけるようにしてやってください。

 例えば 「やぁ、おはよう」 「行ってくるからお母さんと元気でね」 「ただいま帰ったよ、いい子だったかい」 「今お父さんはこんなことをしているんだよ」 「おやすみ、いい夢を見るんだよ」 など優しく、赤ちゃんに話してください。

12 最後に、両親と赤ちゃんのコミュニケーションの記録として、胎児日記を書いていってください。

 これは赤ちゃんへの、かけがえのない愛のプレゼントです。

13 赤ちゃんはお腹の中でどのように成長するのか、本を読んで理解しておってください。

 例えば夏山英一の 「二八〇日の胎教」 という本をお薦めします。 この本は手にはいる本では、一番具体的に書いてあってよいと思います。

14 もう1冊、胎児教育についての本を読んでください。 そしてその内容を要約してまとめてください。

 例えばジツコ・スセディックの 「胎児はみんな天才だ」 という本をお薦めします。

 以上で今日は終りますが、赤ちゃんへ何をしてあげるのがいいかといいますと、食事を通しての場合と、いろいろ話しかけてやる場合と二通りあります。

 どうぞ赤ちゃんの素晴らしい能力を信じ、赤ちゃんへの愛をこめて、食事を正しくし、いろいろ話しかけてください。

 次回は 「誕生と乳児」 について話したいと思っています。


第四回 誕生と乳児・その一 (昭和63年3月3日)

 今日は誕生と乳児についてお話いたします。 今日 「誕生と乳児」 という題でお話しますのは、実は0歳教育とか幼児教育の、とても大切なことが誕生直後に秘められているからです。

 私達の大脳は、古い大脳と新しい大脳の二つに分かれており、それぞれの役目を担っております。 そこで古い大脳は、この前お話したような35億年にもわたる人間の進化の過程がプログラムされていて、僅か10ヶ月の間に立派な人として誕生するという、そういう役目をもっております。

 一方新しい大脳は全くの白紙状態で、赤ちゃん自身が自分で周囲からの情報とか刺激によって、大脳を発達させていくという自主的な役目、いいかえると、人柄や知識技能など身につけていく役目をもっておるといわれております。

 さてそこで大事なのは、このニューブレインといわれる大脳新皮質の発達についてであります。

 このニューブレインといわれる大脳は、われわれの想像を遥かに越える能力をもっておって、あらゆるデーターをインプットし、その情報を組織化し、認識を深め、思考し、判断し、行動する、というようになるんだといわれています。 全くの白紙状態の大脳に、ある情報が入ってきたとき、脳細胞は他の脳細胞にその情報を伝え、同じ情報が何回か入ってきますと、細胞間にはニューロンとよばれる神経繊維がのびて連結回路ができ、情報伝達がたやすく行なわれるようになるといわれております。

 多いものでは1つの脳細胞から1万の連結回路が他の脳細胞との間にでき、間接的には60万にもなるんだそうです。 そしてこの脳細胞は140億あるといわれています。

 ニュートンとかアインシユタインとか大脳に多量のインプットをした人達ですら、脳細胞全体の4~5パーセン卜しか使っていないといいますから、まさに想像を絶する能力をもっているわけです。

 このニューブレインのスタート時点では、すべてのものをインプットすることから始まります。 赤ちゃんがあらゆるものをインプットするというのは、いいかえれば、赤ちゃんの周囲のものをすべてインプットすることであり、具体的には母親から受け取る情報はすべて脳細胞へインプットしていくわけです。

 生まれてから3歳頃までは、基本的に赤ちゃんは自分のまわりのものを無批判・無抵抗に素直に真似をしていくものであり、善いこと悪いことすべてを受け入れることが赤ちゃんの特性です。 私達が一番気をつけたい赤ちゃんの特性です。

 赤ちゃん時代はとにかく自分を作りあげる時期で、自分のものにする力はものすごいものです。この時期の親子の相互作用の、知徳体にわたる質と量によって赤ちゃんはどのようにでもなっていきますので、親の責任は重大といわざるをえません。 挨拶から始まって優しさ、もの覚えから健康にいたるまで、すべてにわたるのです。

 まず第一に、心づくりについて考えてみたいと思います。 ここ数年、青少年の親子の問題や学校での問題は気にかかることが多くあります。 新聞紙上やラジオの 「こどもと教育相談」 番組の中身とか、先日の掛川市長さんの親孝行のお話など胸を痛める課題があれこれとあります。

 そこで私は親子の絆という面から考えたいと思います。

 小学館の国語辞典をひらいて見ますと、絆とは 「たちきりがたい気持」 と書いてあります。 親子の絆といえば親子のたちきりがたい気持だというわけです。 たちきりがたい気持といえば、他郷にあって故郷を思うたちきりがたい気持とか、親兄弟とのたちきりがたい気持とか、幼少の友達や心をゆるしあった友達とのたちきりがたい気持など誰もがあるものです。

 こういうたちきりがたい気持というのは、自分とは何で結ばれているんだろうかと考えてみますと、キリスト教では 「愛」 かも知れません、仏教では 「慈悲」 かも知れません。 もっと具体的にいえば、いとおしい眼差しとか、優しい心配りとか、温かい言葉づかいとか、思いやりのある行動とか、そういうものが生まれてきてから大脳にインプットされていたのだろうと思います。

 そこには学問とか技能といった類のものはありません。 そこには心の相互反応があります。 愛があります。 儒教でいうところの恕があります。

 ことに親子のことを考えてみますと、出産直後の母子相互のいつくしみは、かけがえのないものといわれております。 母親のいたわりに満ちた優しい目、そのほほえみや言葉がけ、なでたりさすってやる、いとおしい所作、これらは何と素晴らしい姿でしょうか。 それはそのまま優しい心の相互反応であり愛であり恕であります。 赤ちゃんは目醒めているときの80バーセントは母親の顔に釘付けだと報告されています。 これは素晴らしいことであり、子供の素晴らしい成長につながっております。

 それは素晴らしい幼児教育、教育というそんな言葉ではなく、もっと、生物としての本能的な、感情をもっている親子の自然そのものに寄り添った姿ではないだろうかと思いますし、これが絆の原点だと私は思います。

 もとに戻って、親子の絆を問題として、「今の(あるいは現代の)子供はよくない」 という言葉を聞きますと、実はそういうことをいう人自体の心の持ちようがよくない、と考えざるを得ません。

 私がこんないい方をするのは、そういう言い方をする人が悪いというのではなくて、ほんとは誰でも親を有難く思い、親に心の中で感謝し、親にいつも済まないという気持を持っていると思うからなんです。 それでいて、今の子供はよくないというのは、他人ごととしての評価であり論理的にも矛盾しているわけで、私はそう言わざるを得ないと思うのです。 自分の愛情を注いだその子供達を、もっと信頼してあげなくてはいけないと思います。

 吉田松陰という人は投獄され、29歳で処刑されましたが、そのときこんな歌を遺しています。

  親おもう心にまさる親ごころ、今日のおとずれなんと聞くらん

と、切々として親への思いを吐露しております。 吐きだして言っております。 この歌には、ほかの要素はなんにも入っておりません。

 また、あえなく自殺した子供たちが、どんなに親とわだかまりがあったとしても 「お父さん、お母さん、ごめんなさい」 といっております。 人の子として誰でも持っている心情であります。

 ともあれ、絆づくりは出産直後に始まります。 人づくりは出産直後に始まりるわけであり、出産直後の親子のかかわりが、重大な問題をもっていることが科学的な検証によってもわかってきたのです。

 そこで、日本やアメリカ、ヨーロッパなど多くの研究者は、誕生直後の母親と赤ちゃんの係わりあいを問題として、大事なことを指摘しています。

 いろいろみておりまして、つまるところ何かといいますと、人以外のあらゆる動物は自分で子供を生み自分だけで育てているのです。 そこには母親以外の動物はいません。 それと同じように、人は人なりきに、自分で子供を生み、自分で育てることを大事にしないと、大変なことになる、ということにまとめることができます。

 もっと具体的にいいますと、昔から行なわれてきたように自宅で生み、昼夜いつも一緒にいて赤ちゃんを育てるようにすすめています。

 病院出産の場合は、感情障害や知能障害がおこりやすいということと、充分な望ましい親子関係を築きにくいということです。

 このことについては多くの調査があり、その主張の細かいことは、ここでは時間がないので省くことに致します。

 私達の多くは万一のことを考えて病院を選ぶわけですが、分娩室は白壁に囲まれ、産婦は寝台にのせられ、いろいろの道具が準備され、医者がマスクをかけ…… というような環境であり、産婦は大なり小なり緊張してストレスをうけ、またそうした緊張ゆえの陣痛促進剤の注射などあって機能的処置をされるわけですけれども、産婦の精神的なそして情緒的な安堵感は、ある意味では確保できない状態におかれます。

 また未熟児とか酸欠の場合には、保育室に入れられ出産直後の母子接触が一番必要なときに、それは殆ど望めないのです。

 こんなときこそ母親に抱かれ精神的な安堵感でかかえてやる必要があります。

 また、へその緒を切る時間がはやく酸欠を生じやすく、ことにこうした酸欠は出産の時間が長引いたとき、脳障害を引き起こしやすいのです。

 そしてもう一つは、自宅ならば産湯以外母子はいつも一緒におれるのに、病院ではそれが出来にくいのです。

 わが子の誕生という感激の一瞬をリラックスしてゆっくり言葉がけしたり愛撫したりすることが、病院では出来にくいんです。 これはその子の将来にわたって大きな影響を残すといわれています。

 昔は、実家へ戻って、いいかえれば気兼ねも何もないところで、座敷ではなくどちらかといえば奥の方の少し暗い、お客様がきても邪魔にならない部屋で、優しい慣れた助産婦さんの励ましのもとでお産をしたものです。

 そして、産湯をつかったあと親子はいつも一緒でおれたのです。

 今でも産屋あけというしきたりは残っているのですが、ほんとの意味の産屋で生まれる赤ちゃんは少なくなってきております。

 出産直後からの母子相互の係わりを強めてこそ、赤ちゃんは胎内にいた時にもっとも近い状況におかれ、感情的不安もなくすくすくと伸びることができるわけです。 母子相互の絆もしっかりでき、細かな愛情も伝わり、知能の発達もすくすく伸びるのです。

 ですから、昔のように産屋をきめて、そこで赤ちゃんの誕生を迎え、親子水いらずの素晴らしい相互関係をつくりあげたいのです。

 それが今日的な大きい課題だというのです。 是非そんな方向を目指したいものだと思います。

 来月は 「誕生と乳児・その二」 として、赤ちゃんが生まれた時の望ましい働きかけを、まとめてお話したいと思っております。

 今月は以上で終ります。


第五回 誕生と乳児・その二 (昭和63年4月3日)

 「誕生直後の親子の在り方の中に、親子の絆づくりの大切なものがある」 ということで、前回では、誕生直後の赤ちゃんとお母さんについてお話いたしました。

 赤ちゃんは生まれるまでに、第1にお母さんのお腹の中という安全な場所で、第2にあらゆるエネルギーを与えられ、更に第3に妊娠5ヶ月目あたりから自分の大脳の発達に即して、お母さんからあらゆる情報を提供してもらって自分のいろいろの能力の基礎を大脳にインプットするという、3つの環境を与えられて成長してきたわけであります。

 お母さんが経験するお産という極めて大変な過程は、赤ちゃんにとっても極めて大変な過程であります。

 誕生直後というのは、お腹の中のとても安全な場所から、それこそ未知の、初めての世界での生活が始まるわけでありますから、その不安というものは大変であり、「この世に生まれてもお母さんのお腹の中と同じように安心して生活できるんですよ」 という環境を誕生直後つくりだしてやることが、一番大切なことになります。

 今月は赤ちゃんが生まれた時の望ましい働きかけについてお話します。

 この前お話したように、人以外のあらゆる動物は母親がひとりでお産をし、その子供をいとしんで育てあげるというその姿を基本にして、お話申しあげます。 勿論人間の場合助産婦さんなり、その道の慣れた方に一緒にいてもらってよいわけでございます。

[誕生直後の親子]

・ まず初めに、赤ちゃんの頭が現れ、誕生の長い旅は完了します。

・ 赤ちゃんは呼吸をし、初めて肺に空気がはいった驚きの泣き声をあげます。

・ 母親は赤ちゃんの脇の下に指をすベリこませ、体が出てくるのをたすけてあげます。

・ 母親は急な動きをさけ、静かに赤ちゃんをとりあげ、ゆっくり上体をそらし、腹を下にした赤ちゃんを優しく自分の胸に抱きあげます。 赤ちゃんは今出てきたばかりの腹の上にぴったり寄り添います。子宮の世界を離れ、新しい世界にはいった赤ちゃんは今までと違った形だが、ここで母親の温かい肌の世界に戻れるわけであります。

・ それから両手で赤ちゃんをゆすってあやし、言葉がけをし、メロディーを口づさみ、そのまま子宮の中と同じようにしてあげます。 2~3分のうちに呼吸は安定します。 赤ちゃんは血液と酸素を母親からもらっているので、急ぐ必要は全くありません。 赤ちゃんの心臓は、まだ完全に肺に血液を送れるようになっていません。 この移行に数分かかりますが、赤ちゃんに備わった機能は間違いなく働くようになります。 酸素の供給元が二つあることにより、移行は静かで緩やかにおこなわれます。

・ 赤ちゃんは母親のお腹の上にのせられて、次第にリラックスしはじめます。心臓の音に気づき、聞き覚えのあるハミングや歌や言葉をききます。 胎内との類似点がわかってきますとリラックスできます。

・ 赤ちゃんは注意深く、ためらいがちに息をし、馴染みのなさに少し泣いたりします。

・ 数分にして、呼吸は一息ずつ楽になり、規則的になってきます。

・ 赤ちゃんが母親の乳首に触れることがひきがねになって後産がはじまります。

・ 胎盤を排出する収縮が最後に残っていた血液と酸素を赤ちやんに送るのを助けます。

・ この時点で他のものは部屋をでます。

・ 人生でもっとも大切な、出産後の一時間、この間に、不思議で測りしれない神秘的な形で、絆が確立されていきます。

・ 赤ちゃんの腕が動きます。 手をのばし、足がのびます。 除々に全身が動き始めます。 赤ちゃんと母親の誕生直後の相互作用が始まります。

・ 母親は、優しく緩やかにマッサージをはじめます。 先ず背中から、始めは、緩やかなリズムで軽く愛撫し、やがて全身を剌激してあげます。 そして、厚い胎脂を皮膚にすりこむようにします。 この絶え間ない剌激は、消化、排泄、感覚プロセス、網様体の形成などの数多くの身体プロセスを活性化させます。 これはとても大切です。 動物の出産を見ていても、赤ちゃんが生まれると母親はしきりに生まれたばかりの赤ちゃんの体じゅうを舐めまわしています。 動物は教えられなくても、赤ちゃんへの愛撫と感覚機能の活性化という大事なことをしているのです。 驚くべき事実です。

・ 赤ちゃんは誕生に備えて、分娩ストレスで剌激ホルモンが満たされ、脳の中には大量の新しい神経連結がつくり出されていますが、母親の愛撫が、そのストレスを静め、ホルモンの生産量を引き下げて、心身の隅々まで活性化の基礎を与えていきます。 赤ちゃんは、既知の世界から未知の世界へと移っていくことが、楽しいことだということを、こうした過程で身につけていきます。

・ 母親は赤ちゃんにしてあげることが多いので、胎盤の排出に注意を払う必要はありません。 へその緒を焦って切らなくていいのです。 血管は自然に役目を終え、とじられているからです。

・ 母親は、自分で用意したたらいの湯に、赤ちゃんを入れてあげます。 石鹸は使いません。 産湯は赤ちやんに、出てきたばかりの子宮と似た環境を与えることになります。

・ 赤ちゃんは子宮の世界と同じような環境を与えられ、子宮の世界と新しい世界との適合をし、ストレスとリラックスの周期が完成されていきます。 赤ちゃんは感覚的な負担に苦しむことなく、ショック症状の中に置かれることもありません。

・ 赤ちゃんは、母親の手と、聞きなれた声に支えられて、温かい湯に浮かびます。

・ ここで、赤ちゃんは、本当に目を醒まします。 液状環境は馴染みがあり、大脳システムは新しい環境に素早く転換していきます。 赤ちゃんは目を見開き、見ることに専念します。 「ここはどこなの?」 「どこにいるの?」 といった精力的な探求による知識の吸収が始まります。

・ 全感覚にわたつて目醒めた赤ちゃんは、ゆったりと産湯につかります。 母親はそれまで薄暗くしてあった部屋のあかりを少し明るくしてあげてもいいでしょう。 カーテンを少し開けてやってもいいでしょう。 赤ちゃんは明るい方に顔をむけ、長いこと眺めるでしょう。 蛍光燈は感覚の負担になるので初めは使いません。 湯の中で、母親の優しいマッサージを受けながら、赤ちゃんは絶えず動きます。 赤ちゃんが少しでも不快な素振りをみせたら、母親はその体をふき、自分の体に戻します。

・ 赤ちゃんに乳首を含ませてもいいでしょう。 授乳によって母親の腹部の筋肉がしまっていきます。 この時点での母乳には、絆づくりの行為を促し、出産ストレスを散らせる役目をするホルモンが含まれているようです。

・ 母親は、赤ちゃんの体を自分の体に密着させ、目と目を合わせ、微笑み、歌い、話しかけます。 自分の祈りや願いを語り、自分の楽しいことを語り、一生懸命育児にかかわることや育児記録の計画を語り、返事を待ち、あやし、愛を限りなく伝えてあげます。

・ それが夜明けなら、窓を開けて小鳥の嘲りを聞かせてあげてもいいでしよう。

・ 二人は寄り添い、自然の設計通りに温め合い、愛しむようにします。

・ 母親は、自分の鼓動や声以外の音を聞かせるために、静かな音楽をかけてやってもいいでしょう。

・ 母親は、ゆっくりと、一度に1つずつ、赤ちゃんにとっての初めての世界の構成要素を、生まれる前にしていたように赤ちゃんに紹介していきます。 そのために、赤ちゃんの諸感覚は、胎内にいたと同じように、たやすく軽やかに活動を始めます。 赤ちゃんの中脳にある網様体も完全に活性化し、誕生直後の、固有の独特の成長プロセス、成長過程は、すべて予定通り機能を開始いたします。

・ このような過程を通していくと、数時間のうちに、赤ちゃんは笑うようになります。 誕生直後の緊張・興奮が喜びに変わってくるからです。

 赤ちゃんは自分が何処にいるのかわかります。 即ち、安全な場所である母親の胎内と同じ環境にいることを知るからであり、それは喜びであることを知るからです。

 赤ちゃんの新しい感覚器官系統への刺激は、すべて順序よく、静かに穏かに、しなやかに優しく、絶え間なく行なわれてきますと、赤ちゃんは人生最大の節づくりを体験し、既知から未知への最も大きな移行を見事に果たすことができます。


・ 母親は赤ちゃんと常に一緒にいることがいいのです。

 母親は、赤ちゃんを帯で胸にだき、いわばカンガルー方式のカンガルー服を使い、起居寝食、終日行動を共にするようにします。 このスタイルなら常に赤ちゃんと目と目を合わすことや言葉がけができ、触れ合いは持続され、適温が保たれます。 母親が何をしていようと、赤ちゃんは好きなときに必要なだけ眠り、1日に50~60回、乳房をしゃぶることができます。

 母親は赤ちゃんが眠っていても気にしません。 赤ちゃんは静寂や完全な沈黙より、胎内にいた時と同じように動きや騒音のほうがずっと慣れており、母親が仕事で動き廻っていても簡単によく眠ります。

 この子育ては驚くほど少ない睡眠量でたり、そして充分なのです。 このカンガルー式子育ては、いろいろの学問や研究の結果での具体的方法の最上なものであり、赤ちゃんの情緒とか知能とか絆とか、完全な形で発育し、素晴らしい成長がみられる方法だといわれております。

 もう少し時間を欲しいのですが、時間になりました。

 次回は 「0歳児の年間計画」 についてお話いたします。


第六回 0歳児の年間計画 (昭和63年5月3日)

 小学校や中学校では、文部省によって一定の教育計画が決められていて、それに準拠して教育活動がおこなわれております。 小中学校は義務教育であり、国に責任があります。

 それ以前の子供の指導は何を目指し、どのようにおこなっていけばよいのでしょうか。 それについては、公的機関からは何も示されておりません。

 これは理屈の上からいって当り前といえば当り前のことになります。 子供のために一体何をしてやればよいのでしょうか。

 幼児教育にとって、それが実は一番の課題であるし、幼児教育の根幹に係わる課題です。

 私たち親は、学校に入る前に、教育などという言葉を使わずに、その子の可愛さゆえに、その子の将来のことがうっすら頭にあったりして、言葉を教えたり、数を教えたりおもちゃのお遊びをしたり、絵を描かせたり、行儀作法を教えたり、歌をうたったり、自然について話したり、絵本を読んだり、お伽話をしたり、実にさまざまなことをしてまいりました。

 そしてその分野は、生活全般にわたりました。 ところが、熱心な人々の努力・実践によって、それぞれの発育年齢に合わせて、幼児に何をしてやっていったらいいのか、そうしたことがだんだんとわかってまいりました。

 たとえば、カール・ヴィッテという人やストーナー夫人の言葉の教育、鈴木鎮一先生の音感教育、ドーマン博士の数学教育や語学教育、或いは最近多くの本を出版している七田真先生の幼児教育理論など、これらには教えられるところが沢山ございます。

 その人達によれば、愛情とか、礼儀作法とか、連想する力とか、推理する力とか、物事を思い浮かべる想像力とか、思考力とか、集中力とか、記憶力とか、そういう力はどうすれば身につくのか、はっきりしてまいりました。

 それは、子どもが或る条件の環境の中で生活していると、もともと持っている超能力に支えられて、その環境に適応し、それらの力はぐんぐん身につく、というのです。

 そこで、子供のいろいろな力が、やりようによって、どのようにでもなっていく、というのであれば、もし、そうだとすれば、私たちは就学まえの子供たちになんとか力一杯のことをしてあげなければならないと思います。

 幼児教育は大切であるとわかりきっているにしても、それでは両親が具体的に 「我が子に対して何をしてやればいいのか」 ということについては、出版物にはまとめられたものがあまりありません。

 私は何とかして、生まれてからの月別のプログラムを作り、誰でもそれを参考にしていけば、一応手落ちのない幼児への対応が出来るという、そういうものを作ろうと思いました。

 それからいろいろと材料を集めて、やっと満4歳までの月別計画をつくりました。

 まだまだ不十分なものでありますから、これからもいろいろと資料を追加して、だんだん良いものにしていかなければなりません。 現在のところ90頁くらいのものにまとめてあります。

 考えてみますと、このプログラムだけではまだまだ足りません。 いわゆる躾といわれる分野のこと、いいかえますと、心の持ち方や礼儀作法、言葉づかいや他の人との言葉や行動の在り方などの、いわゆる 「躾」 に関することを、子供にどう身につけさせたらいいのか、という課題があります。

 それからまた、言葉を多く使えるようになるために、そして理解力をつけ、コミュニケーションがうまくいくために、言語活動をどのようにして高めていってやればいいのか、具体的には、絵カードを利用するとすれば、どのような物を何時、どのように扱ってやればいいのかとか、同じように石井式の漢字教育をどう進めるのかとか、文宇カードをどう準備し、どう使ったらいいのかとか、お伽話をどう考え、どう扱ったらいいのかとか、絵本を読むのにどのようにしてやっていけばいいのか、どうすれば、自分で読むようになるのかとか、言語活動だけでもいろいろと考えなくてはならないことが、沢山あります。

 また、数に関しては、何時ころからどのようにして教えていったらいいのかとか、ドーマン博士のドッツ・メソッドをやるとすれば何時ころから、どのようにしたらいいのかとか、教える系統はどうなっていればいいのかとか、自然の中から数に関する興味関心を、どのように育てていったらいいのかとか、数の関係でも沢山の課題が出てまいります。

 或いはまた、外国語や音楽を習うには、小さい時からがよいといわれるのに、一体何時から何を、どのようにしていったらいいのかとか、誰がやってくれるのかとか、自分でそれらができるのかとか、いろいろと考えさせられることがあります。

 この他考えてみますと、畠や堤に生えている草や、山の木や庭の花や道端のちいさい虫など、その名前を教えたり、その生活についてお話をしてあげたりとか、雲をみて自然の力を感じとらせたり、飛行機やテレビについて、どのように係わって文化の姿を理解させるのかとか、幼児との生活を考えてみますと、それはそれは沢山のことが出てまいります。

 これらのことは、学校へ行ってからでよいという人はもういないと思いますが、学校へ入るまでに、自分と周囲との係わり方や基本的な知識は、身につけなければなりません。 早い話、「これ、なーに?」 とか 「どうして雲は動いていくの?」 とか、幼児の独特な問いかけに対し、私達は誠意をもって答えてやらなくてはいけません。 幼児の好奇心は、幼児の感覚の世界や幼児なりの自然認識の世界を自分の中に一生懸命築こうとしているわけです。 それに対してほっておいてよい筈がありません。

 私がいままで長々といいましたようなことについて、実は親としては、おおよその計画とか、範囲とか、見通しとか、を持っていなくてはならないと思います。 そうしますと、先に話しました 「幼児教育プログラム」 だけでは、実はまだまだ足りません。

 ですから言葉、数、音楽、絵、英語、生物、植物、地理、歴史、地域、衣食住、運動、遊びなど、いろいろと私達は勉強していく必要があります。

 小さな子供に、遊びの中とか、散歩の時とか、なにか自分にできることはないのかと考えてみますと、いっぱいあるように頭では考えているのですが、実際には子供への係わり方について、如何に自分が無力なものであるかを、私は痛感するのです。

 親子の文化遺産のバトンタッチは、学校だけに任せておいていい筈はありません。 子供の吸収能力の高いときに計画をたて、大事な内容については手際よくバトンタッチしていくことが大事なんです。

 今月は、以上で終わります。

 「幼児教育プログラム」 については、連絡して下さればご返事いたしますので、よろしく願います。

 来月はいわゆる 「躾」 について、その考え方と親の責務についてお話いたします。


第七回 躾・その考え方と親の責務 (昭和63年6月3日)

 今回は躾について、その考え方と親の責務ということを中心にして、お話し申しあげたいと思います。

 躾という言葉を広辞苑で調べてみますと、礼儀作法を身につけさせること、または、身についた礼儀作法、と説明しております。 そして礼儀というのは、敬意を表わす作法とありますから、人を大事にする作法、思いやる作法であります。 作法というのは所作であり、それは立居振舞や言葉がけでありますから、人を大事にし思いやる立居振舞や言葉がけということになります。

 人を思いやるというのは、儒教でいうところの恕でありますから、人の心の、一番大事な心の持ち方であります。 そんなわけでありますから、礼儀作法を身につけるということは、大変良いことであります。

 礼儀作法を身につけるということは、一つは人を大事にする心を身につけることであり、もう一つはその心を人に伝える立居振舞や言葉がけを身につけることであるといえます。 まず人を大事にする、そういう心を磨いていくことが大切であり、その心が言葉や体を通して外に現われる、いいかえますと、いろいろの言葉づかいや立居振舞として現われるようになる、ということになります。

 それは朝夕の挨拶 「おはようございます」 「お休みなさい」 であり、丁寧語であったり、敬語づかいであったりするわけであります。 また 「すみません」 「有難うございます」 「お蔭さまで」 という言葉と共に現われる、会釈や礼であります。

 履物をそろえてぬぐことは大事な礼儀作法であり、お掃除や整理整頓もまた大事な礼儀の心構えの一つであります。 花をつくり花をかざり、書をかいて書をかざり、お茶を栽培してお茶をいれる、こうしたことは昔から一つの芸術にまで高められており、茶道、花道、書道という言葉で位置づけられております。 或いは武道などは礼に始まり礼に終わるといわれます。 「三尺さがって師の影をふまず」 という言葉は、ちょっとおおげさかもしれませんが、今では話だけの心掛けになっているものもあります。

 こんなふうに躾、礼儀作法ということを考えてみますと、実はとても幅広い分野にまたがっておることがわかります。 躾というよりも、人柄づくりといっても差し支えありません。

 それで幼児期の躾について考えてみたいと思います。 親がきちんとしつけないから、あの子供はどうも…… とか、親が甘いから子供がどうの…… とか、そういう言葉をよく耳にします。 ほんとにそうなんでしょうけれども、ただそういう言葉づかいのニユアンスから受ける感じでは、親がきちんと言葉で指導する必要があるとか、何か躾の型とか、或いは礼儀作法の型に、なかば強制的でもいいからはめこむ、というか、親の扱い如何によって子供の躾ができるようなニユアンスを、よく感ずることがあります。 親の扱い如何によって、子供が躾を身につけていくと考えますと、それは大きな思い違いがあるんです。

 私はこんなふうに考えたい。 しつけるとか、躾教育というような、そんな難しい言菓を使わずに、親自身が明るい気持で、温かい思いやりの気持で、ものごとに接しながら、幼児にそれを伝えてやっていく、そういうことが基本だと思います。

 例えばすがすがしい晴れた朝など、子供と一緒に外に出て、「ああ、気持がいい朝だなあ、深呼吸しようかな」 といって両手を高く上げて大きく息を吸いこみます。 子供はそれをまねて、手をぎこちなく上げて、息をフーと出します。 それから花畠にいき 「この花は大きくなったなぁ、今日も暑くなるだろうから、水をかけてやろうね」 と子供に話しかけ、一緒に花に水をやります。 お隣のおばさんがやってきたら 「おばさん、おはようございます」 と挨拶するようにします。 「さあ、手を洗ってごはんにしようね」 と一緒に手を洗い 「はきものは、おとうさんのように、ぬいだら揃えておこう」 など、このような生活場面で子供に係わってまいりますと、どの幼児でも、具体的な生活の中で、まわりの人々の言葉がけとか、日常生活の行動の仕方、思いやりのある所作、敬意を現わす作法など、それらを通して、すべてのパターンをまねてまいります。

   このまねが何回も繰り返されることによって、幼児の心の中に、生活の仕方や人に接したときの係わり方の、その基礎が築きあげられます。 親の礼儀作法とか、家の人の礼儀作法など、それらを幼児はまねて、自分の礼儀作法というものを、自分で築きあげていくものであります。 これが、躾や礼儀作法を身につける、原理であります。

 親が 「ああしなさい」 とか 「こうしなさい」 とか指示をして、幼児に礼儀作法をしつけようとするのは、幼児の本来の心の働きに添ってはおりません。

 幼児は親をまね、家の人のまねをして、自分で礼儀作法の在り方を、自分の心の中に築きあげていくのです。 幼児は素晴らしい働きをもっています。 「親が教えてやったから出来るようになったんだ」 という考え方は、親中心の一方的な考え方であり、幼児のほうから見れば、勿論親が係わってくれたから出来るようになるわけですが、実は人は本来一人の人間としての独自性をもっており、幼児はいろいろの材料を取捨選択して、自分独自の生きざまを、自分で築いているのであります。 幼児の素晴らしさを、充分わかって頂きたいと思います。

 ですから親がよりよい礼儀作法を身につけ、またよりよい生き方を求めて、幼児と一緒に生活し、幼児に係わってやるならば、幼児もまた良い礼儀作法を身につけるようになります。

 親の愛情とは、できるだけ良い環境を、子供の周りにしつらえて、子供に係わってやることです。

 こうした原理がよくわかったとすれば、すてきな躾の在り方はただ一つ

  「親自身、よりよい躾・礼儀作法を求めて生活すること」

しかありません。

 幼児はそれをまねたり、参考として、自分の世界を築いていくからです。 更にすすめていいますと 「親自身、よりよい躾・礼儀作法を求めて生活すること」 そのことは、子供に対する親の責務なのです。 私は、躾について以上のように考えております。

 さて、躾についての基本的在り方をこのように考えてまいりますと、今度は、親というものは、どのような躾・礼儀作法を求めたらいいのか、ということが課題になってきます。 そこで、心のいろいろの状態っていうものは、言葉や、表情や、所作になって現われるということから、先ず、みていきたいと思います。

 例えば、日常使う短かい言葉一つにしても、それがちょっとした話の仕方とか、返事の仕方とか、そんな簡単なこと一つにしてみても、心の現われ方は非常に多いのであります。 声の面からみても、声の早さ、高さ、強さ、明るさ、などによって、温かさ、思いやり、真剣さなど、挙げれば限りないほど、一つの言葉づかいの中に、あらゆる心の状態を私たちは感ずることができるわけであります。

 心の持ち方は、言葉だけでなく、話すときの目とか顔の表情にも現われ、あるいはまた仕草とか動作などにも現われて、千差万別の心の状況を他の人に伝えてまいります。 ちょっとした言葉がけや返事の仕方一つとってみても、このようなことが言えるのです。

 目の見えない人は耳で、耳の聞こえない人は目で、ちょっとした話の内容から、温かい思いやりがあるかどうか、真剣な内容か単なる伝達か、威張った気持からか、親切な気持からか、或いは、明るい気持か沈んだ気持かなどなど、すべてわかると思います。

 このように、ちょっとした話一つにしても、その話を通して、その人の心の状況は、声や表情や動作などを窓口にして、他の人に向かって、すべて明らかにされるわけであります。 極端にいえば、その人の躾に係わる考え方、礼儀作法に係わる考え方などすベてが、ちょっとした話一つから明らかにされてくるのであります。 歩き方一つでも、その人柄が察っせられるとか、5分間の座り方一つでも、その人柄が察っせられる、と聞きます。

 躾とか、礼儀作法というのは、実は生活すべてに現われてきております。 頭の下げ方、挨拶の仕方、のし袋の書き方、などなど細かくいえばいろいろあるでしょう。 でも、そんなことは心の世界のほんの一部であり、試行錯誤しながら、だんだん身につけていけばいいと思います。 大事なのは躾・礼儀作法を生み出してくる、もとになる心の世界を、どのように広げ、深め、豊かにしていくか、ということにあるのです。

 「心の世界をどのように広げ、深め、豊かにしていくか」 それは、私たちが赤ちゃんの時からしてきたように、あらゆる情報を、自分のまわりから取捨選択して、自分の中に取り込み、自分で築き上げることにあります。

 目の前の人からいいものを取り込むこと、本を読んで体系的な考えを持ったり、一つ一つの情報を取り込むこと、取り込んだ情報を取捨選択して自分で自分の考えを組み立てていくこと、これを繰り返し進めていきながら、心の世界を広め、深め、豊かにしていくようにする、こんなふうに考えていけばいいのではないでしょうか。

 ですから、夫婦喧嘩はやめて、人の悪口もやめて、子供を叱かることもやめて、明るい話をし、夢をもち、学ぶ心をもち、本をよみ、たえず計画を立て、ものごとを作り出していく、そういう生き方をしたいものだと思うのです。

 鈴木鎮一先生は、子供の教育についての質問を受けたとき、こう答えています。

 「子供の姿、それは、あなたが育てた姿です」

 私はその答に接したとき、暫くはその活宇に釘づけになりました。 子は親を見て育ちます。 それが原点であります。 今日只今の、その今の環境に適応して子供は育っていきます。 躾教育も全く同じことだと思います。


 以上で 「躾・その考え方と親の責務」 ということについての話を終ります。次回は 「能力を育てる・その一」 という内容でお話申しあげます。


第八回 幼児の能力を育てる・その一 (昭和63年7月2日)

 さて、今日は 「幼児の能力を育てる・その一」 ということで、お話申しあげたいと思います。 赤ちゃんの能力の特長について、まず私達が知っていないといけませんから、赤ちゃんの能力の特長、基本的なこと、ということで話したいと思います。

 先ず第一に、赤ちゃんはすばらしい潜在能力、いいかえますと、超能力をもっているということです。

 従って赤ちゃんの育て方、接し方によっては、どんなことでも赤ちゃんは身につけることができるんだ、ということになります。

 その例として、言葉と数について話したいと思います。 先ず最初、言葉では、日本語については誰でもが日本語をしゃべるようになるわけですが、数カ国語ですら赤ちゃんは同時にマスターすることができるといいます。

 従って、英語にしても韓国語にしても中国語にしても、そういう環境においてやれば、何の苦もなく同時にそれらをマスターすることができるんだということです。 ウエブスターという辞書がありますが、この辞書を編纂したウエブスターという人は、両親が英語ドイツ語をそれぞれ話し、同時に他の二カ国語が耳にはいる環境にあったそうで、小さい時から四カ国語を同時に聞き、話をしたといいます。 そして後に、辞書編纂を立派にやってのけた人でございます。 そんなわけで、言葉については幾つかの言葉を同時にマスターできる能力を、赤ちゃんは持っているのです。

 それから数については、アメリカのグレン・ドーマンという人、この方は脳障害児の治療に当たっている先生でございますが、その人の考案したドッツという方法で数について教えていくと、その脳障害児が数についての能力をどんどん身につけていくといいます。

 正常な子どもがそのドッツ方式に基づいてやっていると、数についてのすばらしい力がつくといいます。

 例として5つの問題をいってみたいと思います。

  599 - ( 38 + 409 ) + 3216 ÷ 67 =
  4099 - 67 × 58 + 90 × 43 - 81 × 43 =
  290 - 5265 ÷ 45 + 1848 ÷ 7 + 6 =
  100 - 6 × [ { 70 - 2 ( 150 - 30 ) } ÷ 8 ] =
  121 - 2 × [ 11 - { ( 16 + 12 ) ÷ 7 - 3 } ] =


 こんな問題が出されて、2歳6ヶ月の子供が、僅か20秒たらずで正解をいえるという事実があります。 こうして4歳、5歳になった時には、高等学校でやる微分積分の問題をやっていく、といわれております。

 このように、数ヵ国の言語を同時にマスターできる能力や、4~5歳で既に微分積分まで解く能力を、幼児はもっているということ、自分達の幼児はそういう力をもっているんだということを、第一に承知しておきたいのです。

 さて、第二に、そのすばらしい潜在能力は、いつまでも働くのではなくて、ある臨界期があることを理解しておかなければなりません。

 人間の場合、7歳あたりまでが、その潜在能力が働くのであって、生まれたばかりが100%であったとすると、7歳あたりになると0%になる、小さいうちのほうがその潜在能力、いいかえると、超能力をもっているんだといわれております。 これは、「能力逓減の法則」 といわれています。

 例えば、絶対音感についていえば、ハ調のドはどういう音程なのかわかるということなんです。 この絶対音感を身につけるということについて、実は6歳児以下の子供を対象にいろいろ研究された結果がございます。 国分さんと木下さんという音楽家でございますが、4年間の実際の訓練の結果、年齢別絶対音感の習得能力というものは、5歳児の1ヵ年の習得能力を1とした場合、4歳児は約2倍であり、3歳児は3倍近く、年齢がさがるほど習得能力が高く、逆に6歳になると、5歳児の習得能力の半分になって、7歳児までになると、もうすっかり絶対音感は身につかなくなってしまう、と、こういうことを指摘しております。

 臨界期というのは、そういうことなんでございますが、これは絶対音感ばかりではなく、英語など言語にしても、数にしても、色彩にしてもあるのです。

 猫の場合には、例えば生後2~3週間、縦縞模様だけの箱に飼っておいてから、その後箱から出して観察していると、縦縞模様の線はわかるんだけれども、横の模様つまり階段などにはつまづいて昇れなくなるんだといいます。 網膜には横縞模様の線を識別する力がなくなってしまうという実験であります。

 これが臨界期でございます。 すばらしい潜在能力というものも、幼児のうちに働きかけてやればぐんぐん伸びるが、臨界期に達っしてしまうと潜在能力は影をひそめてしまうのです。

 さてそこで、第三番目に、能力が伸びていくそのスタイルを知っていなくてはいけない、ということを理解していなければなりません。

 それは、どの赤ちゃんでも身の廻りの環境に正確に適応して、自分で大脳システムを作りあげていく、ということでございます。

 逆にいいますと、私達大人というものは、赤ちゃんの環境をどう作りあげてやったらいいのか、そして、どう働きかけてやったらいいのか、どう支えてやったらいいのか、ということになるわけです。

 前回は 「躾・その考え方と親の責務」 という題でお話いたしました。 赤ちゃんや幼児というのは、周囲の環境、いいかえると、両親や家族の人達の言葉づかいや、行動の仕方、礼儀作法や挨拶など、そういったものを毎日、目で見、耳で聞くことによって、それを繰り返し繰り返し見たり聞いたりすることによって、自分の中へとり込んで、自分で躾について、礼儀作法についての、行動の仕方や感情の表し方を身につけていくんだということを話いたしました。

 それで、その他の能力についても同じことがいえるわけです。 これが、能力が伸びるスタイルです。

 そういう意味では、植物を育てるのととても似ていると思うわけです。 ずっと前にお話しましたように、筑波博のトマトの栽培、ハイボニカの栽培でもって、一本の木で1万3千個のトマトを作った例がありました。 これは、ごく普通のトマトの小さい種を播いたもので、人為的に、土の栽培ではなくて水気耕栽培という方法で、トマトが必要とするあらゆる条件を、理想的なところまでもっていくと、1本の木で1万3千個もトマトがなるというのです。 あの小さいトマトの種ですら、ある環境のもとにおいてやれば、すくすく成長してすばらしい実をつけるという、そういう力をもっているのです。

いいナスを収穫するには、いい苗を作らないとできません。 いい人材になってもらうには、いい赤ちゃんを育てることに成功しなければなりません。

 そういう意味で、赤ちゃんや幼児が伸びていくスタイルというのを充分に理解し、私達としては環境をどのように作ってやったらいいのか、どのように働きかけてやったらいいのか、このことが極めて大事な課題だと思うのです。

 以上三つの、大きな承知していなければならない特長を、申しあげました。 これは、私なりに三つに要約したものです。

 実は、私は学校をやめてから2年余りたちますが、その間いろいろ本を集めて読みました。170冊余になりましたが、いろいろな本を見ておって、兎に角、思いますのは、社会に役立つ人を教育しようとするなら、幼児期を逃してはならないんだということを、痛感したわけでございます。

 従って、幼児期を逃してはならないんだということはわかるんですけれども、それじゃあ一体何をしてやったらいいのか、っていうことで、今いろいろ調べたりまとめたりしている最中です。

 そこで、あまり幼児期に力を入れるっていうことは、頭でっかちを作ってしまうんで困るんだっていう、そういう批判もございます。 しかし、そういう批判っていうものは自分でいろいろのものを調べてみなんで批判だけをいっていても駄目なんで、いろいろのものを見て、本当のものは何かということを掴んでもらいたい、と思うのです。

 私は、吉田松陰っていう人は、日本を育ててきた人の中では、非常に大事な立場にあった人だと思います。 実は昨年の秋、広島に研修会があったとき、萩まで足をのばして、松下村塾を自分の目で見てまいりました。

 その時に、実は、玉木文之進という松陰の叔父さんにあたる人なんですが、こういうことをいっていることが、印刷したものの中にあるのを見つけました。

 吉田松陰が11歳で、藩主の毛利公の兵学講義をしたわけですけれど、他の人から、玉木文之進は松陰に対して度が過ぎた詰め込み教育をしているんではないか、という批判をうけました。 その時、彼はこういっています。 「それは馬の調教を知らないものがいう言葉だ」 というんであります。 馬の調教ができない人だ、というんです。

 そこで、吉田松陰のことを思いますと、実は、昭和40年ちよっと過ぎあたりに、教育の爆発時代という言葉が教育界では使われておったんです。 実は日本の経済の発展というものは、教育に負うところが非常に大きいということで、日本の教育は何故そんなに力をもってきたのかを調べるために、アメリカの調査団が日本に調査にきたことがありました。 その調査団がいろいろ調べ最後にみつけた結論…… それは、日本の教育の原点は、庶民の寺小屋教育と、武士の藩学、塾にあった、というのでした。

 教育っていうものを兎に角大事にということでは、現在のアメリカの父親が育児の権利ということで休暇の要求とか残業廃止の要求をして、家で自分の子供の面倒をみる、そういう風潮が強まっている、ということがテレビに出ていました。

 或いはマレーシアをみますと、マレーシアが大事にしているのは、実は小さい子供の教育で、それをとても大事にしているようです。 彼ら政治家の教育政策がそのようであるから、テレビでも取材したのでありましょう。 あとで解かったのですが、マハティールという政治家が ‘Look East !!’ という言葉で、日本に学べという基本方針を掲げていたからでした。

 小さい時からの教育、幼児期の教育は、極めて大事だということで、今日は三つの話をしたわけであります。 赤ちゃんや幼児の能力、その特色は三つばかりではなくて、考えてみますと数えきれないほど沢山あるんです。 けれども私なりに三つにしぼって、きょう話したのです。

 そこで具体的に能力を育てるには、先ず第一に言葉を取り上げなければならないと思います。

 次回は、言葉の能力をどうのばしたらいいのか、そのノウ・ハウについてお話したいと思います。


第九回 幼児の能力を育てる・その二 (昭和63年8月18日)

 お盆が過ぎて、コオロギが鳴きスズムシが鳴く、涼しい秋が近づいてまいりました。 0歳教育の有線放送は、今月九回目を迎え、あと三~四回を予定しております。

 今回は 「幼児の能力を育てる・その二」 として、具体的に言葉の能力、いいかえると言語能力をどう高めていったらいいかについて、お話したいと思います。

 何回かにわたって話してきました通り、胎児・赤ちゃん・幼児というのは、みんなすばらしい潜在能力をもっており、周りの刺激に対して確実に反応し、自分の脳細胞にインプットしてまいります。

 そして、自分の力であらゆる力を、知的なもの、情意的なもの、或いは健康・体力的なものにいたる、あらゆる力を自分で築きあげてまいります。 このことは基本的なこととして理解しておって頂きたい。

 さてそこで私は、結婚した方、お腹に赤ちゃんのいるご夫婦、幼児をもっているご両親、そしてまた、幼児をとりまく家族の方々、兄弟やお爺ちゃんお婆ちゃんにも、次のことも聞いて頂きたいと思っています。

 先ず赤ちやんが生まれるまでについて、次の2冊の本を是非買って読んで頂きたい。

  ジツコ・スセディック「胎児はみんな天才だ」  祥伝社
  夏山英一        「二八〇日の胎教」    フレーベル館

 これらの本を読んで、生命の発生から生まれるまで、その成長過程の仕組みを知ること。

 胎児や赤ちゃんの成長環境として、夫婦或いはまわりの人達の言葉づかい、いたわりあい、励ましあいなど、その人達の人としての在り方が、非常に大切であることを知り、お互いに協力すること。

 いわゆる胎教の中で、ことばの育て方、そしてその計画実践について知り、いろいろと準備をし、また実践していくこと。

 できれば先程の2冊の本を読んで、三つの観点からその概要をまとめて頂きたいと思います。 赤ちゃんが生まれるまでについては、以前話しました胎教の話とともに、今話しましたようなことをして、一応卒業して頂きたいと思います。

 次に赤ちゃんが生まれてからについてお話申しあげます。 これも次の本を是非用意してください。

  三石由起子  「天才児を創る』  フォー・ユー

 さて、乳幼児の育て方として、こんな方法が考えられます。

   カール・ビッテやストーナー夫人の教育法にそって育てる。
   ドーマン方式にそって育てる。
   ジツコ・スセディック方式にそって育てる。
   三石由起子方式にそって育てる。

 最後の三石さんのものでは、その本を読んで、レポート式にその概要をまとめていくといいと思います。

 いま四つの方法を挙げましたが、これは説明しきれませんので、私なりの簡単なまとめをしていきます。

 親の愛情とは、わが子のしあわせを願って何かをしてやることだ、ということを前に申しあげました。 そして、合掌とか祈りとは、自分への約束であり、謙虚な心の願いである、ということも前にお話しました。

 赤ちやんや幼児への限りないしあわせを祈って、愛情をそそいでやっていきたい、そういう立場で、赤ちゃんや幼児の、言語能力の発達を考えております。

 先ず第1番目に、自分の心の中にある、赤ちゃんや幼児への限りない愛情を、顔とか言葉に、豊かに現わしてやっていくことです。

 例えば、顔の表情といえば、ほほえみ、笑いかけ、楽しい明るい温かい言葉がけなど大事であります。 また赤ちゃんや幼児には必ず話し相手になってやること、例えば、喃語の 「アーアー、ウーウー」 に対しても必ず返事をし、話しかけをしてやり、幼児のちょっとした話しかけにも、全面的に受けてやり、よく聞いて、応じてやることが基本的に大事であります。 こうした愛情のある言葉のやりとりの中で、赤ちゃんや幼児の言語をつかさどる脳細胞の配線は豊かになっていきます。

 2番目に、生まれた直後から、いろいろと話しかけてください。

 「こんにちは 赤ちゃん あなたの笑顔 ……… 」 こういう歌もありました。 こういう歌や朝の挨拶から始まって、体の名前、家の中のいろいろな名前、草や木や自然の形や色や名前、お父さんのこと、家の人々のこと、仕事のこと、季節のこと、気持ちのいい風のことなどなど、こうした話しかけは多くの若い母親がよくしており、よく目にするわけでございます。

 こうしたことを続けてください。 2~3歳になっても、衣食住にかかわる他地域とのつながり、人々とのつながり、昔の人々とのつながりや歴史、或いは、文化にかかわってのいろいろな話など、その気になれば、話の種はいくらでも出てきます。 生まれた直後からいろいろと話しかけてあげてください。 とても大切なことで、大脳の活性化を進めていくうえで基本的にすぐれた良い方法なのです。

 3番目に、自分の気にいった童謡を歌って欲しいと思います。

 殊に外へ出たとき、状況に応じて歌ってやることがいいし、家の中の仕事中に楽しそうに歌ってやるのがいいと思います。 文部省唱歌にはたくさん季節や場面に即した、誰でも知っている歌がありましたね。 レコードもいいが、ほんとはレコードよりも、母親の声、その気持が大切なんです。 歌に困ってしまう方は、次のような本がありますから、参考にするといいと思います。

 ・ 「0歳からの歌あそび」  全音楽譜出版社
 ・ 「歌あそび100」      明治図書
 ・ 「生活の歌200」      明治図書

 4番目に、絵本を読んでやること。

 生まれて間もなく、単純な絵本をつかい、絵の中の物の名前を指さしていってあげます。 0歳のうちから赤ちゃんはわかります。 赤ちゃんを信じて続けてください。 絵本を読んであげると喜ぶようになります。

 1歳過ぎてからは殊に、次の点に気をつけ、自分も本にのめり込んで読んでください。

 読むときは、その本の中に、その内容に没入し、感動するところはその思いを込め、おかしいところはケラケラ笑い、悲しいときは涙をながし、そうして読む姿、そのものを赤ちゃん・幼児に伝えてやることが一番肝心なことなのです。

 少なくとも赤ちゃんや幼児に、私が読んでもわかるかしら、余り聞いてないから適当に、という自分が本の内容にどっぷりつからず、感情の起伏もない読み方は決してしないようにして頂きたい。

 夏休み中、公民館の図書委員の方が童話の朗読をしてくださいましたが、あれはとてもいい参考になりました。 ああいう調子が大切です。

 5番目に、どういう本を選んだらいいか。

 本は沢山出ていますから困ると思います。 でも年齢とその子の様子によって、就学前に数百冊読んだほうがいいといえば、一安心かもしれません。

 一声社で出している 「こどもの本900冊」 という推薦本を紹介したものが出ていますが、そうしたものは後のことでよいでしょう。 ですから、親しい人に聞いたり、自分で調べたりして、最後は自分と子供で選ぶことがいいと思います。

 絵本によって言葉の世界を広げることは、一つのよい方法であり、更に表現を豊かにしていくために、次の本は一つの参考になります。

 偕成社という出版社から 「言葉図鑑」 というイラスト入りの絵本が出ています。 これは次のような内容であります。

 ・偕成社 「言葉図鑑」

  1 うごきのことば(動詞)  570語
  2 ようすのことば(副詞)  470語
  3 かざることば1(形容詞) 256語
  4 かざることば2(形容動詞)256語
  5 つなぎのことば(助詞)   47語
  6 くらしのことば(感動詞・接続詞)
  7 ………(今後名詞纒を続刊する予定)

 これらの本は、1つ1つイラスト入りになっていますので、ドーマン方式に従って、カードに書いて学ぶ方法とか、カードにしておいて口頭作文方法をとるとか、ずくを出してやるには、大助かりの絵本だといえます。

 6番目に、お伽噺を大切にしてやってほしいと思います。

 殊に幼児は、同じ話を何回でもせがみます。

 幼児はお伽噺のその中に入りこんで、周囲の状況を頭に浮かべ、想像力をはたらかして、話の中で楽しく遊ぶことがてきるのです。 そして、その中で親の心情もとらえ、ピアスのいう一番安心できるマトリックスに帰っているのです。

 ですから、自分としての寝物語やお伽噺のレパートリーをしっか掴んでふやして頂きたいのです。 それは何でもいいのです。 ただ怖い話は、絶対しないようにしてください。

 昔からの桃太郎や花咲爺、一寸法師、浦島太郎、かぐや姫などありますし、文学作品の中から、短編に自分でまとめてもいいのです。 椋鳩十全集の中からお気にいりのストーリーを作り出すのもいいアイデアです。

 最近の研究によりますと、レム睡眠といって、睡眠に入ってから20~30分の間は脳細胞がよくはたらいていて、その間に、その子の良い面をほめてやったり、その日の出来事で楽しかったことを話したり、自分は限りない愛情で包んでやっているとか、あしたの生活の計画を話してあげるとか、そうしたはたらきかけをすることがいいという主張が出てきています。

 これも本当のようです。 お伽噺のあと、いろいろやって自分の心の整理をしてみるのもいいと思います。

 7番目に、外へ散歩に出たとき、すばらしい自然の状況や
 変化について、お母さんの口から 「詩」 を作りだしてください。

 自然を目の前にしたときの詩は、絵画や音楽の心と芸術の心をすくすくと育てるのです。 美的感覚と、すてきな表現力を育てるのです。

 それは、雨降りでもいい、野良仕事でもいい、川の流れでもいい、夜の星でもいいんです。 自然の姿は、あらゆるものを目の前に見せています。 例えば、「雨という題で作ります」 といって、

    雨が降っています
    今まで こつぶの雨だったのに
    急に ザァーザァー降り始めました
    木の葉が 雨にうたれてゆれています
    すこし風もててきました
    地面には 水が流れはじめました
    くもの巣がゆれて
    くもはつめたそうに じっとしています


 思いつくまま、目に映ったままを、いろいろな表現を使って、形容詞や副詞、動詞など使って、目の前のものの表現の仕方を豊かにしてやっていって欲しいのです。

 赤ちゃんや幼児の脳細胞には、その時の自然の情景・変化とともに、豊かなことばの表現がインプットされていきます。

 いろいろな場面での詩のイメージを繰り返し貯えることによって、言語脳はぐんぐん伸び、言葉とともに表現の力が身につくようになるのです。

 十数回も詩を聞かせたのに、ちっとも変化がないなど、おためごかしな考え方をしないことです。

 今まで詩を作ったことがない人なら、その日に作った詩を、幼児記録のノートに書きとめて、詩の勉強のつもりで積み重ねていくのがいいでしょう。

 お母さんが、或いはおとうさんや家の人が詩を口にするように、幼児はそうした習慣が身について、やがて文字が書けるようになると、立派な詩や日記を書くようになります。

 詩を作るということは、言葉の能力を高める方法の一つとして、殊に大切なものの一つであります。

 片言をしやべるようになったら、簡単な詩を復唱させる方法もよいと思います。 それでも、すべて復唱させるやり方をとらず、歌や本を読むときと同じように、自分の感覚表現に熱中する姿のほうがもっと大切であることを心得ていたいと思います。

 さて最後の8番目に、平仮名や片仮名や漢字などの文字は、どのように
 身につけさせたらいいのか、という課題に移ります。

 一番参考になりますのは、先程あげました三石由起子さんの本です。

 この本の内容については、放送では時間がなくて話せませんから、是非購入して頂きたいと思います。

 なお、鳳鳴堂書店から出ている 「奇蹟が起きる七田式0歳教育一」 とかジツコ・スセディックさんの 「胎児はみんな天才だ」 祥伝社なども、具体的方法がのっていてとても参考になりますから、購入してください。

 言葉と文字について、何時から始めたらよいかと言いますと、胎児や乳児や幼児の優れた大脳の能力から言えることは、胎内5ケ月から始めてよいはずだということです。

 しかし、生まれてからでもあわてたことは一向にありません。 生後から言葉がけが始まりますが、文字についても同じことがいえます。

 模造紙には五十音表を書いておいて利用するのがよいでしょう。 つづいて単語力ードをつくります。 この単語カードは画用紙四分の一の大きさに黒の太マジックで書くのですが、この単語カードを使って、文字にふれさせます。 6ヶ月の赤ちゃんは文字を読めるようになります。 わかるといったほがよいかもしれません。 書けるようになるのは、2歳半ば過ぎです。

 子供さんが3歳でも構いません。 5歳でも構いません。 カード方式で文字を取り入れるようにしてください。

 3~4歳は、言葉の学習の成熟期といわれ、漢字にしても、1日5枚、1枚に1字又は2字3字などの熟語があるので、1日5枚で漢字8字ずつ習得できるとしますと、1年間に365倍の2920字が扱えます。 常用漢字は1945字ですから、1年間で軽く突破できます。 是非頑張って頂きたいと思います。

 幼児の潜在能力には、計りしれないものがあります。 グレン・ドーマンなどは 「いかなる大学者でも、幼児にはかなわない」 といっているくらいです。 つまり、結論は一つ、親がやるかやらないか、ただそれだけのことです。

 以上 「言葉の能力を育てる」 ということで、その要点をお話しました。

 次回は 「算数の能力の育て方」 について、お話いたします。

 もういちど是非備えてほしい本を紹介しますので、メモをとってください。

 ・ ジツコ・スセディック「胎児はみんな天才だ」       祥伝社  700円
 ・ 夏山 英一     「二八〇日の胎教」      フレーベル館  880円
 ・ 三石由起子     「天才児を創る」      日本実業出版社 1100円
 ・ 七田  真     「奇蹟が起きる七田式0歳教育1」鳳鳴堂書店 1100円


第十回 幼児の能力を育てる・その三 (昭和63年9月2日)

 さて今回は 「幼児の能力を育てる・その三」 として、主として数能力を、幼児時代にどのように育てたらいいのか、ということについてお話したいと思います。

 子供はほおっておいたんでは、数能力も決して育ちません。 言葉と同じように、教えてやれば、ぐんぐん数能力は育つのです。

 それで、数能力は、言葉の能力と深く相関しておりますので、前回申しあげました言語能力を高める触れ合い、実践は、ずーっと続けていって欲しいと思います。

 それではいつから始めたらいいかといいますと、胎教から始めたジツコ・スセディックの例がありますし、早ければ早いほどよいといわれてもおります。

でも、2歳でも、3歳でも、4歳でもいいから、ぜひ始めてください。 人がやったやり方を学んで、私達も実践すればいいわけです。

 それでは次に、私達は一体何を、どうやっていったらいいのでしょうか。 高校でも、大学でも、現在のところそういうことについては、全く教えてはおりません。

ところが嬉しいことに、そうした中でも、幼児への数教育を実践してきた人達があり、そして、その実践結果をまとめたものが、本として出されるようになりました。

 そこで、次の三冊の本をお薦めします。ぜひ買ってください。

 ・ 「幼児は算数を学びたがっている」ドーマン サイマル出版会
 ・ 「二歳からのラクラク算数」   公文 公 学習研究社
 ・ 「奇蹟が起きる七田式0歳教育2」七田 真 鳳鳴堂書店

 以上の3冊ですが、最初紹介しました 「幼児は算数を学びたがっている」 という本を書いたのは、グレン・ドーマンという方であります。

 おそらくこの人は 「幼児は高度な能力をもっている」 という立場からの、幼児の数能力開発の、世界的先駆者であります。

 ジツコ・スセディックにしても、三石由起子さんにしても、先程いいました公文公さんや七田真さんなど、皆グレン・ドーマンのカード方式を学び、まねをし、利用しております。

 ドーマン方式といいますのは、すべてカードによって学ぶ方式であります。 ことばも、数も、英語も、生物も、地理も、歴史も、すべて28センチ四方のカードによって学ぶという、そういうやり方を基本にしております。

 殊に数能力を高める 「ドッツ法」 といいますのは、独特な方法であり、何故ものすごい数能力を幼児が獲得するのか、私達大人には全く想像も理解もできません。

 そのドッツ法について具体的にいいますと、コクヨから20ミリ径の赤の丸シールが出ておりますから、それを買ってきて、表紙紙を28センチ四方に切ったその紙へ、この赤のシールを貼りつけます。

 1枚ずつ、1個から100個まで貼りつけます。 つまり、カードは1から100まての100枚できるわけです。

 これを使って、1日3回、合わせても10分たらずで扱う方法をとります。 兎に角、ドッツ法は独特な方法ですけれども、実践している方もいますので、いどんでみてください。

 私は 「ドッツの効果的教え方」 をワープロで複製し、その 「はじめに」 として、次のようなことを書きました。 私の驚きを書いたといってもいいのです。 では読んでみます。
  「はじめに」

幼児の直観像認識はものすごい。 瞬時にしてドッツが幾つあるか認識し、インプットできる。 私には、理解しようがないし、不思議でならない。 例えば、

  10 + 9 - 7 + 8 ÷ 2 - 2 =
  300 - 150 × 3 + 50 =
  5 × 3 + 5 - 8 × 4 - 12 =
  64 ÷ 4 + 3 × 12 + 18 =

こんな問題を出されて、我々大人は1分以内に出来るだろうか。 恐らく普通の人では誰一人として出来る人はありません。

ところが何と、問題を読む時間を別にして、2歳6ケ月の子供が、僅か20秒もかからず正解をいえるという事実。 一体これは、どういうことなんだろうか。

ドッツについては、その説明書を読んで、ノウハウをよくよく身につければ、上のような子供を育てることが可能なんです。 そんな時代になったんです。 幼児の潜在能力はものすごいんです。

能力の開発如何によっては、はかり知れないおびただしい量の知識が、子供の頭脳にいとも簡単にインプットできることが、わかってきたんです。

人間の生涯において大切なものは、その人の人柄であるが、人の品性とか洞察力なり見識というものは、深い知識の裏付けがあってこそ値打もでてきます。

知識だけが先行してしまわないかと、懸念する人もいます。

しかし、人の成長は、知徳体、ばらばらに成長することはなく、知と徳は本来相関して伸びるものであり、もしそうでない人がいるとすれば、それは、その人を育てた親の責任が一番大きいといわなければなりません。
 以上が序文の一部でありますが、数能力の開発については、グレン・ドーマンの研究に教えられることが、とても大きいと思います。

 さて次に、公文公さんと七田真さんの本についてお話いたします。 二人ともグレン・ドーマンのカード方式を取り入れ、従来からの方法と組み合わせて、数能力を伸ばそうとしております。

 従来の方式といいますと、おはじきやさいころ、お手玉、碁石、みかんなど、昔から使われたものを始めとして、ソロバン玉、図形、数唱遊び、対応遊び、数構成遊び、演算遊び、たし算九九、などがありますが、こうした優れた遊びの中へ、先程いいましたカード方式を取り入れているのです。

 幼児のすばらしい能力を信じて、数の扱いも遊びの一つとして取り入れ 「決して教えようとせず、叱からず、焦らず、遊びとして繰り返す」 ということは、幼児に対する一般的な、そして基本的な心構えであります。 先ず本を手にいれ、教材を手にいれ、遊び方を工夫して、子供に接してください。

 能力を育てる原則というものは 「比べず、焦らず、休まず」 の三つといいます。

 「比ベず焦らず休まず、理屈で教えず、事実を繰り返す」、 これが大脳インプットの方法てあります。

 それともう一つ、決して叱かってはいけません。 リラックスした楽しそうなとき、大脳インプットは正常に順調に行われるといいます。

 叱かると外部への拒否反応が現れ、インプットは妨げられるようになるといわれております。 いつも叱かられていますと、やがて親そのものへの拒否が強くなり、自閉症に通じるようになります。

 ですから楽しい遊びを通して 「比べず焦らず休まず、理屈で教えず、事実を繰り返す」 ようにします。 そうしますと、インプットは増大倍加し、記憶量は増大倍加し、全体の能力はぐんぐん伸びてまいります。

 私の話が引き金になって、本を購入し実際に取り組んでくださるようになれば、先ずは数能力の教育はスタートできます。 数能力の伸ばし方についての話は、以上で終わりたいと思います。

 次回は 「幼児の能力を育てる・その四」 として、英語をどう身につけたらいいかについてお話申しあげたいと思っております。


第十一回 幼児の能力を育てる・その四 (昭和63年10月3日)

 今回は 「幼児の能力を育てる・その四」 として、幼児の英語能力を育てるにはどうしたらよいか、ということについてお話申しあげたいと思います。

 幼児というのは、言葉にしても数にしても、躾にしても、素晴らしい吸収能力をもっております。 その幼児期こそ、幼児のためにいろいろと環境を整えてやらなくてはならないのです。 これが幼児教育でございます。

 このことは、いろいろの形でお話してまいりました。 0歳教育の中では、音楽については特別取り上げて話をしませんでしたが、音楽にしても、鈴木鎮一先生がいっています通り、早い時期からの良い環境が音感教育の上からは是非必要でございます。

 英語についても、言葉や数や音楽と同じことがいえるのです。

 今のところ、中学生になって始めて英語を習うことになっていますが、この時には既に音声認識・音声発声の臨界期、それは6歳でございますが、その臨界期を過ぎているため、日本語にない母音や子音を聞きとるのが難しくなっております。

 例えば ( l ) と ( r ) の区別や、thの ( θ ) と ( ð ) とか ( æ ) と ( a: ) と ( ∂: ) などの音素に同化する力もなくなっており、これらの音を聞いても、これらの音素が日本語にはなく、大脳にインプッ卜てされておりませんので、外国人が話す英語を聞いても、聞きとりにくかったり、発音できにくい状態になっておるのです。

 言語の性質上、中国や韓国の人達よりも、聞いてわかる力、いわゆる聴解力が劣っているというのも、こうした言語の特性があるからです。 そんなふうですから、中学へ入ってから英語の勉強を始めた人で、英語を聞いて大筋がわかる人は、1000人に2人だといわれているのです。

 こんなわけですので、どうしても音声の臨界期の前、いいかえるとお腹の中にいるうちから、或いは生まれてから6歳までのうちに、英語についての良い環境を作ってやることがいいのです。

 赤ちゃんの時から英語の真似ができる環境に置かれた場合、10人なら8人まではみんな、みやましい英語が話せるようになるといわれております。

 0歳から6歳までの子供というものは、声を出す発声器官ができあがっていく時期にあり、非常に感受性に富んだ、耳や、舌や、口の働きがあるといわれております。

 幼児の聴覚及び発声器官には、私たち大人にはない優れた特性があります。 英語の或る音を聞いただけで、その音と同じように発音できる、対応能力をもっているのです。

 東北弁にしても、幼児期を過ぎてからではもはや矯正が困難となる事実をみると、音の聞きとりと発声能力の時期がいかに大事なものでるかわかるのです。

 ですから幼児期こそ、英語の環境をふんだんに、幼児の周りにしつらえてやる必要があるわけです。

 幼児は超能力をもっている、ということは、今までも何回もお話してまいりました。

 この超能力というものは、

 第1に、今話してまいりました絶対音を聞きとり、それをその通りに発音できる能力をもっていることです。

 第2に、幼児は一目で全体像を網膜に写しとる能力があります。

 これはバターン認識といわれ、見たままを、そのまま大脳にインプットするという、すばらしい知覚認識の力があります。 どの赤ちゃんも備えている能力です。

 第3に、赤ちゃんの大脳は 「α(アルファー)波」 が出やすいということです。

 これは、前にも話しましたが、普通大人がめざめているときの脳波は 「β(べーたー)波」 と呼ばれ、14ヘルツから30ヘルツの波長ですが、α波は8へルツから13へルツの波長で、潜在意識が最も働く波長であり、ものごとを記憶したり想起したりする、学習に最高の波長です。

 赤ちゃんがいろいろ覚えていくのは、このα波をもっているお蔭であります。

 第4に、0歳に近いほどコンピューター能力が高い、ということであります。

 これは一口に、「才能逓減の法則」 といわれております。

 以上のような理由により、できる限り早い時期から、赤ちやんに英語環境をしつらえてやるようしたいものだと思うのです。

 さて、そうしましたら、何をどのようにしていったらいいのか、ということに移ります。 先ず英語の環境を3つに分けてまとめたいと思います。

 第1は、英語の詩や歌をきくこと。
 第2は、絵本とテープを用意すること。
 第3は、絵と文字の単語カードを作ること。

先ず第1の詩や歌についてお話します。

 まず詩と歌については、マザーグースの本とテープを準備してください。 これは洋販出版から出ておりますし、他の出版社からも出ています。 マザーグースは、欧米では昔から子供たちに歌いつがれている歌です。

 それから歌としてはNHKから出ている 「英語の歌」 「続英語の歌」 とか、マグロウヒルプックから出ている 「Sing it」 など、その気になって探せばいろいろとあります。 こうした単独のものでなくて、月刊誌などにもよいものが載っておりますので、それらを使うのもいいと思います。

 これらは、普段の生活のバック・ミユージックとして流してもいいし、「さあ、お歌を聞きましょうね」 といって決めた時間に聞いてもいいと思います。

 音楽を聞くのと同じようにまず馴染みやすいようなものから、1日2~3回、3つくらいの歌を1週間くらいは続けたほうがよいようです。

 歌の効用については、くもん出版から出ている 「歌がわが子の頭をよくする」 という本の中で、いろいろと紹介しておりまので、読んでもらうといいと思います。

 さて次に第2の、絵本とテープについてお話します。

 これについてはいろいろと出版されていますので、自分で選んで考えた方がいいかもしれません。 幾つか手元にあるものから紹介します。

 アルクという出版社から 「Kiddy Cat」 という、おかあさんと子どもが楽しく学ぶ英語絵本、という触れ込みで、月刊の絵本とテープが出ています。 月に2380円ですから、割安の教材だと思います。

 今年の10月下旬には 「えいごではなそう」 という名前で、幼児向けの絵本とカセットが、同じ出版社から出ます。 VHSのビデオも出ますが、これらはお薦めしてもいいものです。

 次に、絵本とテープだけではありませんが、幼児の英語教材としてよいと思われるものに、児童英語研究所から出版されている 「パル・イングリッシュ」 という教材がございます。 そして同じところから 「幼児と母親が一緒に学ぷ英会話」 という教材も出ています。

 この研究所では、幼児英語通信コースも開いております。 教材ニユースもいろいろと紹介しておりますから、幼児の英語環境を整えようとしますと、この幼児英語研究所の方向はとてもいいと思います。

 次にNHK関係の教材をみておきたいと思います。 先に紹介した幼児向けの教材も親が一緒に勉強していけばよいわけですが、更に親も多少忘れかけた英語を取り戻すものとして、むしろ値段のやすいNHKの教材をお薦めいたします。

 いろいろとございますが、復習用として考えますと、基礎英語や続基礎英語または上級基礎英語を始めて頂くとよいと思います。

 そして、同じNHKから幼児向けとして、日曜午後5時から 「セサミストリート」 が、教育テレビから放送されています。 これはテープが出ていませんから、録画しておくとよいと思います。 テキストは出ていますから手に入れておき、子供がVTRで利用できるようしてあげればよいのです。

 最後に第3として、絵と文字を書く、単語カードについてお話します。

 カード利用は、大脳への大量インプット方法として、最もよい方法と考えられ、現在ではあらゆる分野で使われるようになっています。

 幼児英語の分野としても、このカードのフラッシユを利用しない手はありません。 何回か話していますが、カードの作り方はこんなふうにするとよいのです。

 文房具店へいって、先ず表紙紙を500百枚単位で買ってきます。 1枚を4枚に切断します。切断の仕方は、ねんごろにハサミで切ってもいいし、切断機を買ってきて切断してもいいわけです。

 そうしますと、約26センチと9センチの長四角の紙ができます。 このカードヘ黒の太マジックで単語を書いていきます。 そしてそのカードの裏には、その言葉の意味を、はじめはできるだけ絵で描くようにします。

 だんだん進んできたら、絵でなくて文字を書くようにしてもよいと思います。

 さて以上で、英語環境をどのように整えていったらいいのか、ということで、三つに分けてお話したわけです。

 そこで具体的には、親子はどのように振舞っていったらいいのか、まだ不安になるところがあろうかと思いますので、次のように考えたらいいと思います。

 教材によっては、その扱い方をこまめに説明していますから、そのようなものは、その指示によっていけばよいのです。

 そうでないもの、といいますと、例えば、歌の扱い方とか、単語カードの扱い方などは、日経通信社から出ている 「奇蹟の幼児英語教育法」 とか、くもん出版から出ている 「歌がわが子の頭をよくする」 とか、グラフ社から出ている 「三つ児の英語百までも」 などが参考になります。

 カードの見せ方一つをとってみても、いろいろと気をつけることがありますので、親も勉強していくことが、どうしても必要になってきます。

 どうぞみなさん、実践していってください。

 それでは、幼児の英語能力の育て方についての話は、以上で終わりにいたします。


第十二回 幼児の能力を育てる・その五 (昭和63年11月2日)

 今回は 「幼児の能力を育てる・その五」 として、総合的な立場から話をすすめたいと思います。

 結婚・妊娠・出産・育児・教育、という一連のながれの中で、やはり一番大事なのは人の生涯をどう考えるか、という命題です。

それは自分の生涯という意味もありますし、わが子の生涯という意味もあります。 いわゆる、ハウ・ツー・リプ、如何に生きるべきか、という命題は、絶えず求めていい課題であり、わが子が自立するまでは、子どもになり代わって、子どもが自分で自分の世界を築きあげていくお手伝いをしなくてはなりません。

 その願いや目標は高く大きくなくてはなりません。

 赤ちゃんの時には五体満足ならいいなどと言いながら、小学校や中学校の頃になると、もっと勉強が出来てほしいとか、もっと素直になってほしいなどと、後になって、願いや目標を加えていっても 「あとのまつり」 になってしまうのがオチであります。 こうしたズレを幾つもみてまいりました。

 子どもは、胎内にいる時から6歳くらいの間、今までにも話しました通り、ものすごいエネルギーを持っておって、あらゆる能力や性格を身につけてしまいます。 ですから、子どもになり代わって、より高い、より大きい願いや目標を、親は持たなくてはならないのです。

 親次第で、子どもはどの様にでもなるのです。 親に似るのでございます。 親の感情が不安定ならば、子どもの感情も不安定になります。 親がより大きい願いをもっておれば、より大きい願いをもった子供が育つのです。

 0歳教育にはそれなりの方策がありますが、その根幹になっているものは親の願いと目標のとらえ方にあるといっても過言ではありません。

 子どもは、6歳頃までに自分というものを殆ど築いてしまいます。 自分のまわりの環境にはすべて対応し、自らの能力を養い自らの世界を築きあげます。  自分の生き方や価値観を築きあげます。 そしてそれが、生命体の本来の姿でございます。  幼児の能力や性格は、幼児自身が築きあげたものであります。 そういう意味では、幼児時代ほど適応能力の優れている時代はほかにはありません。

 大脳旧皮質の時代と大脳新皮質の時代のバトンタッチは、見事に完了するのです。 そして一人歩きの第一歩がスタートするのです。 自我の意志に従って歩きはじめるのです。

 ここに到って0歳教育の時代はみごとに終わり、少年時代の歩みに移っていくのです。

 日本教文社から出ている 「マジカル・チャイルド」 という本は、誰も知らなかった脳発達のプログラムを展開し、親子の係わりから生ずる様々な様相について述べ、これからの育児の方向をあきらかにしています。

 将来の教育を考える場合、親も教師も一度は読んでおきたいものです。 赤ちゃんがいるいないは別にして、是非一読したい本でございます。

 以上幼児教育の中で、親の願いや目標がとても大事であるということと、その裏付けとして、そうした親の願いや目標の通りに、子どもは伸びる力を備えているということについてお話申しあげました。



 ところが、言われた通りやったんだけれど、ちっとも思うようにいかないとか、書いてあった通りやったんだけれど、ちっともうまくいかなかった、といった、思うようにいかない、という言葉を耳にします。

 それで言われた通りにやり、書いてある通りにやる方法はないのか、ということで話したいと思います。

 いわれた通りにやったとか、書いてある通りにやったとか、そうはいってもそれは、一人よがりの、自分勝手の、頭の中の考えの場合が殆どであることが多いのです。

 それは当たり前なんです。 私もそうでした。 それだけに、いわれた通りやるとか、書いてあった通りやるとかいうことは、そう簡単なわけにはまいりません。 ちょっと聞いて、その通りにやって、うまくいくなんていうのは、話がうま過ぎるんです。

 いわれた通りとか、書いてあった通りとかいう、その中身というものは、いろいろの考え方やいろいろの接し方など、中身は沢山ある筈であります。

 ですから、ある一つの考え方とか、ある一つの子供への係わり方とかいうものは、話は簡単にしても、自分でどれだけその意味がわかり、自分がどれだけいろいろの考えや子供への対応の仕方を考えていたのか、そんなことを考えてみますと簡単には、いわれた通りにやったとか、書いてある通りにやったとか言えないようになります。

 では、どうしたらいいのでしょうか。

 やっばりそれは、よおく聞き、よおく読むことから出発します。 言外の言を聞き、紙背の文字を読む、と言われるように、話そのものの奥にあるものまで聞き取っていくとか、活字にしてある表現以外の考えまで読み取るとか、そういう聞き方や読み方をしたいのです。

 私たちは、なかなかそれができないので、私はこんなようにすればいいと思います。

 それは、人が1回でできることを3回聞いたり読んだりを繰り返すのです。 ほんとに聞きたいことは録音します。 そして2度3度聞きながら、その要点や疑問になること、自分としてのアイデアや考えなど、できるだけ書き出していくのです。

 本を読む場合も、書いた人は相当の時間をかけて文章表現をしている筈ですから、立ちどまり、立ちどまりして読んでいきます。 大事だと思うところは傍線をひいたり、書き出したり、要点を自分なりにまとめて整理したり、自分の意見を書き加えたり、自分のアイデアを書き込んだりするのです。 こうした方法とは別にノートを作ってまとめていく方法でもいいのです。

 このように聞いたり読んだりした内容について、人の3倍の時間をかけて、頭を使うようにします。

 そうしているうちに知らず知らず、その人の考えの世界に仲間入りして、自分の考えのようになってくれば、もう占めたものだと思います。

 それに従って計画をたて、人の考えではなく自分の考えとして、わが子に接していけばいいわけでございます。 そうすれば、聞いた通りやってみたとか、読んだ通りやってみたとか、いえるようになるわけでございます。


 さて、幼児教育の中で親の願いや目標がしっかりでき、聞いたこと読んだことなどから、子供の環境をどのようにしていったらいいのか、自分の考えが熟してきましたら、次に大事なのは、計画と実践でございます。

 この計画と実践では四つの分野に分けて考えていくのがいいと思います。

 それは、知的能力の分野としての、<言葉>と<数>と<外国語>であり、
 身体的能力の分野としての<健康>であります。

 言葉と数と外国語の3分野については、有線でお話いたしました。

 もう一つの健康の分野でございますが、高橋悦二郎さんの一連の育児書や、七田さんの考え方や、森下敬一さんの指導とか、蓬田さんの科学的考え方など、参考にされるとよいと思います。

 ともかく、計画と実践では、この4つの分野に一応分け、いろいろと資料を整えなくてはなりません。 私が紹介した本だけでも10数冊になると思いますが、金と時間はかかります。 金と時間は充分かけてください。

 金も時間もかけずに、よい結果だけ期待しようとするのは、とても無理でございます。

 私は、この計画と実践のところが一番弱くなりやすいと思います。 あらすじの計画と共に、子供の変化や発達に応じた毎日の計画を、みんなで相談して立ててほしいと思います。

 そして、前に言いましたように、毎朝神柵とかご先祖様に向かって手をあわせ 「今日はかようしかじかの計画でやります」 と約束してください。

 或いはまた、子供にそれを誓ってください。 それはほんとに、いい方法だと思います。

 さあ、資料を整えてあらすじの計画ができ、時間をかけて具体的プログラムができましたら、今度は実践であります。

 実践に移ったら 「あせらず・くらべず・くりかえす」 この三つの心構えを忘れないようにすることであります。 「あせらず・くらべず・くりかえす」 この心構えは、紙に書いて壁に貼っておいて、折りにふれ自分を見つめることがいいと思います。 この三つの心構えは、大事な意味を含んでおるからです。

 以上で、能力を育てるという場合の、基本的チェックポイントについてお話申しあげました。

 これで0歳教育シリーズの話をすべて終わりたいと思います。

 どうか皆さん、子どもさんのために、できるだけのことはしてあげてください。

 親の愛情とは、子どものために 「何か」 をしてあげることでございます。

 「何か」 とはなんでしょうか。 さあ今度は、聞いていた皆さんが、答えを整える番でございます。


 さて話はかわりますが、私が 「0歳教育シリーズ」 の放送をお引きうけしてから、もう1年たちました。 0歳教育が何故必要なのかという概要を1回、胎児教育を2回、誕生と乳児を2回、幼児期の指導プログラムで1回、躾・その考え方と親の責務で1回、それから、能力を育てるということで、能力を育てる基本的考え方、言葉の能力、数能力、英語の能力、などの内容に分けて5回、あわせて12回、お話してまいりました。 0歳教育のおよその骨組みを一通りまとめたわけでございます。

 話の中身として何を取り上げていったらいいのかとか、どのくらいまで話したらいいのかとか、どういう言い方をしていったらいいのかとか、それはいろいろと考えました。 責任もありますので、なかなか難しいことでございました。 でも途中で、励ましのことばをかけて下さる方もいて、とても励みになりました。 有難うございました。

 それから、いつも明るい声で励まし、連絡をくださいました有線の池田さん、ここでお礼を申しあげます、有難うございました。

 有線をお聞きになられた皆さんには、私の勝手なことばをお耳にいれ、恐縮しております。 長い間ありがとうございました。

 以上で 「0歳教育シリーズ」 の話を終わります。