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井深 大

井深大の教育論 ② 井深大氏は、なぜ『赤ちゃん教育』を絶賛したのか?


手元にある本は

   幼稚園では遅すぎる  ゴマブックス  S.61. 78刷 \.730
   0歳からの母親作戦   ゴマブックス  S.54. 2刷 \.650
   0歳 教育の最適時期 ごま書房  S.61. 初版 \.980
   あと半分の教育     ごま書房  S.60. 初版 \.980
   子育て母育て      東洋経済新報社  S.61. 初版 \.1000

ぺーじを開いて見ると、S.61.に買った「幼稚園では遅すぎる」と「0歳 教育の最適時期」は書き込みがよくしてあるのだが、よくは憶えていない。 すんなり了解はできるのだからいいとしておく。

ソニーを創りあげた人だとは知っていたから、どうして赤ちゃんの早期教育に興味を持つのか疑問はあった。 あとになって判ったのが、 井深の次女に知的障害があったからだと思う。

障害を持つ親がどれほど悲しみが深いものか、言葉として理解してもその心根はわかりません。 井深さんの心の葛藤はどれほどだったのだろうか。 娘の幸せを願うとき、人の幸福とは何かを幅広くそしていろいろと深く思い悩んだでありましょう。

そして愛する娘に送る唯一の発想が教育だったと思います。 それが幾多の書物として出版されたものです。

Google で井深大と入力して検索してみると、

祖先は会津藩の家老であり、親戚には飯盛山で自刃した白虎隊の井深茂太郎や明治学院総理を歴任した井深彦三郎、ハンセン病に一生を捧げカトリック看護師協会の会長を歴任した井深八重がいる。 井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日 - 1997年(平成9年)12月19日)は、日本の電子技術者および実業家。 盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人。 2歳の時、青銅技師で水力発電所建設技師あった父、甫の死去に伴い、愛知県安城市に住む祖父の基に引き取られる。

母と共に5歳から8歳まで東京に転居、その後は再び愛知県へ戻り、安城第一尋常小学校(現在の安城市立安城中部小学校)卒業。のちに再婚した母に従い、母の嫁ぎ先の神戸市葺合区(現在の中央区)に転居。兵庫県立第一神戸中学校、第一早稲田高等学院、早稲田大学理工学部卒業。学生時代から奇抜な発明で有名であった。

敗戦翌日に疎開先の長野県須坂町から上京し、2か月後の1945年(昭和20年)10月、東京・日本橋の旧白木屋店内に個人企業東京通信研究所を立ち上げる。後に朝日新聞のコラム「青鉛筆」に掲載された東京通信研究所の記事が盛田の目に留まり、会社設立に合流する。翌年5月に株式会社化し、資本金19万円で、義父の前田多門(終戦直後の東久邇内閣で文部大臣)が社長、井深が専務(技術担当)、盛田昭夫が常務(営業担当)、増谷麟が監査、社員20数人の東京通信工業(後のソニー)を創業。(抜粋)

ということが分かる。



① 井深大の教育論
ソニーの創業者の隠れた素顔

ソニーの創業者井深大(いぶかまさる)さんが、知的障害児の親だったことは、ほとんど知られていない事実だ。1946年(昭和21年)の東京通信工業株式会社(ソニーの最初の社名)設立以来、仕事一筋に励んでいたため、家庭はほとんど奥さんに任せきりで、生まれたお嬢さんは、知的障害児だった。その為か、間もなく井深は離婚をしている。 彼の経済力からすれば、我が子の為に、専属のスタッフをつける位は訳のないことだった。しかし彼はそれをしなかった。知的障害児のための学校を見つけ、社会的に一人で生きていける人間に我が子をする道を選んだ。忙しい中をぬって父兄会にも積極的に参加し、その学校が資金面で息詰まれば、新たな障害児の学校設立にも積極的に関与し、資金面や人事の面で努力を惜しまなかった。

彼は教育の大切さを痛感し、1969年(昭和44年)幼児開発協会を設立し、自らその理事長に納まった。特に彼は、幼児・胎児教育の大切さを強調し、次のように言っている。

「母親の役目は何にもまさる貴重なものです。母親こそ子どもをどんな人間にでも育てることができるのです。言葉をかえれば母親は偉大な芸術家であり、医者であり、牧師でもあります。そして何よりもすぐれた教育者であってほしいものです。母親は子どもを授かった瞬間からその子の人間形成にしかっりした目的意識を持ち、できるだけの環境を整えて子育てを実行することが大切なことと言えましょう。次の世代を担って立つ子どもたちがすぐれた人材に育つよう、世の中の母親一人ひとりに胎児から始まっている幼児教育の重要性をよく知ってほしいと思います」


井深の教育の根幹は、今日の知識偏重の教育とはまったく、違うものである。彼の強調したことは、幼児の時期から始まる心の面の教育だった。彼の持論は「心は頭になんかない」ということだった。そして親たちには「育児教育ほど崇高で素晴らしい仕事はない」と説き続けたのであった。

やがて彼の娘も立派に成長し、ソニーが知的障害者を雇用する専門の工場「ソニー太陽」の食堂で働くようになった。そこで井深は、娘を特別には扱わなかった。あくまでもその工場に働く一人の労働者として、井深は陰から娘さんを見守り続けた。知的障害者の親の心配は、親が歳をとって、「この子の面倒をみれなくなったら、この子がどのように生きていくだろう」ということである。

井深はその答えを、自分のお嬢さんを一人の社会人として、見守ることでりっぱに示した。彼のお嬢さん(現在58歳)は、今も先の工場で元気に働いている。ある時、井深さんは、数も数えられない我が子が、みんなの食事の世話をてきぱきとこなしている姿を、そっと見た時、娘をかわいい、そして誇らしいと、と思ったと、述懐している。


誰もソニーが、知的障害者の為の工場を持っていることなど、知らないはずだ。このあたりがソニーが、単なる日本の中の大企業としてではなく、世界のソニーと言われる所以(ゆえん)なのである。つまり井深の精神を企業化したのがソニーなのである。この文化がある限り、ソニーという企業は、ますます発展するに違いない。

1997年12月19日、井深大は、天国に召された。享年89歳。見事な人生であった。井深の墓石には、戒名はなく、ただ井深大とあり、そしてその横に自由闊達(じゆうかったつ)という言葉が掘られている。もちろんこの言葉は、井深がソニーの設立趣意書に書いた次の言葉から採られている。

「真面目なる技術者の技能を最高度に発揮せしむるべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」

この言葉の意味をよくよく噛みしめよう。ソニーだって、50年前は、20名足らずの品川の町工場に過ぎなかった…。


② 井深大氏は、なぜ『赤ちゃん教育』を絶賛したのか?

ソニーの創業者の隠れた素顔

当時のベストセラーとなり、名著『幼稚園では遅すぎる』の著者でソニー創業者の井深大氏も絶賛した、久保田競+久保田カヨ子著 『赤ちゃん教育』 (1983年刊、その後絶版)。
アマゾンマーケットプレイスでは、10,056円のプレミア価格がつき、あまりに貸出が多いために本がボロボロになり、国立国会図書館からも消えた。
そんな “0歳からの伝説の育児バイブル” が、このたび、脳科学データをアップデート、190点近いイラストも一新して、完全リニューアルした。
脳科学の世界的権威である久保田競氏と『中居正広の金曜日のスマたちへ<金スマ>』(TBSテレビ系)などで“脳科学おばあちゃん”と紹介された久保田カヨ子氏だが、クボタメソッドの原点は 『赤ちゃん教育――頭のいい子は歩くまでに決まる』 にあるという。
このたび、脳科学の権威である久保田競氏に、偉大なるソニー創業者で、幼児教育にも深い見識のある、井深大氏との知られざるエピソードを聞いた。

※ ソニー創業者の名著『幼稚園では遅すぎる』

久保田 競 (Kisou Kubota)

1932年生まれ。 医学博士、京都大学名誉教授。 世界で最も権威がある脳の学会 「米国神経科学会」 で行った研究発表は日本人最多の100点以上にのぼり、現代日本において 「脳、特に前頭前野の構造・機能」 研究の権威。 2011年、瑞宝中綬章受章。 『ランニングと脳』 『天才脳をつくる0歳教育』 『あなたの脳が9割変わる!超「朝活」法』 など著書多数。

 ソニー創業者で、子育ての名著として名高い井深大さんの 『幼稚園では遅すぎる――人生は三歳までにつくられる!』 は、1971年に出版されました。
 井深さん(1908~1997)が、なぜ 「幼稚園では遅すぎる」 と考えられたのでしょうか。

名著の 「まえがき」 に、はっきりとこう書いておられます。

 ――最新の大脳生理学は、 「人間の脳細胞の発達は三歳までに七〇~八〇パーセントを終える」 という衝撃的な研究結果を報告しています。――


 脳を刺激したりしながら脳の働きを調べる研究分野が 「大脳生理学」 で、1870年ごろからはじまっています。

 脳の働きを、神経線維や神経細胞の働きから調べて明らかにする研究分野が 「神経生理学」 で、1935年ごろからはじまっています。

 井深さんの名著が書かれたころの私は、前頭前野のワーキングメモリーのメカニズムを細胞レベルで明らかにして、それなりの神経生理学者になっていました。

※ なぜ、 「衝撃発言」 が生まれたのか?

久保田カヨ子 (Kayoko Kubota)

1932年、大阪生まれ。脳科学の権威である京都大学名誉教授・久保田競氏の妻で2人の息子の母。 長男が一級建築士、次男が東京大学に合格。 約30年前に、日本における伝統的な母子相伝の育児法を見直しながら、自身がアメリカ在住時と日本で実践してきた出産・育児経験をもとに、夫・競氏の脳科学理論に裏づけされた “0歳から働きかける” クボタメソッドを確立。 テレビなどで 「脳科学おばあちゃん」 として有名。 『カヨ子ばあちゃん73の言葉』 『カヨ子ばあちゃんの男の子の育て方』 『カヨ子ばあちゃんのうちの子さえ賢ければいいんです。』 など著書多数。ズバッとした物言いのなかに、温かく頼りがいのあるアドバイスが好評。全国からの講演依頼もあとをたたない。

 井深さんの上記の衝撃的な発言が出てくる原因を探ることはできました。
 脳の発達を書いた教科書(小児科学や育児学など;生理学や脳科学では見たことがない)に、「スキャモンの発達・発育曲線」が描かれていることがあります。
「スキャモンの発達・発育曲線」
ここをクリックし、
「スキャモンの発達・発育曲線 - So-net」をプッシュ、下部に現れる『ファイルを開く(O)』を更にプッシュすると「スキャモンの発達・発育曲線」が現れます。

 0歳から成長期の身体の発達を、4つの型<(1)身長・体重や肝臓、腎臓の内臓器官の一般型、(2)神経系の型、(3)睾丸、卵巣、子宮の生殖器官系の型、(4)リンパ節、扁桃のリンパ型>を、20歳の値を100%として、1年ごとの割合を示しています。

 そして、「神経系」は3歳で60%、4歳で70%、5歳で80%になる速度曲線が書かれ、脳の重量や頭周囲の距離を測っています。

 スキャモンは米ミネソタ大学人類学教授でした。1930年に出版された『ヒトの測定』(ミネソタ大学出版会)の一章を分担執筆。「子どもの身体の測定」を書きましたが、このデータはそこに書かれた図に書いてあるものです。

 スキャモンが「神経系が4~5歳で70~80%」とした考えを、おそらく誰かが「脳の細胞のうち3歳で70~80%」に言い換えて、井深さんに伝えたのでしょう。

 脳細胞のうち、神経情報を伝える働きをしているのは、神経細胞(ニューロン)で、胎児期の後期に分裂して数が増えますが、生まれたときには大脳皮質に140億個ほどあるといわれています。

※ 井深さんとの対談時の印象的なひと言

 井深さんは、(財)幼児開発協会を立ち上げられ、幼児教育を進めるために、「幼児開発」という雑誌を創刊されました。  いま思えば、非常に貴重なひとコマとなりましたが、「幼児開発」(1984年3月号)に、私と家内(久保田カヨ子)と井深さんの対談「赤ちゃんのみがき方教えます」が掲載されました。

 対談冒頭で、井深さんは、こうおっしゃいました。

「心理学者や生理学者が書いた育児書には脳のことが正しく書かれていないが、『赤ちゃん教育』では、お母さんが創造性を出せるのが育児だと書いてあるのがいい。この重要さにふれている育児書は、一つもないんですよね」

 井深さんとは、育児について、いろいろ論じ合う機会があり、そのあと親しくお会いするようになりました。 恐縮ながら本記事では、「井深氏」とせずに「井深さん」と書いていることをご理解いただけると幸いです。

※ 井深さんの「心を育てる」幼児教育への想い

 インターネットで、「井深大の反省」という記事を見ると、亡くなられる7年前に書かれた記事があります(1990年4月28日<土>の「朝日新聞夕刊」に「心を育てる」と題して下記の談話を載せています)。

「0歳児から教育を」

 理科教育の振興を通じて、私は教育そのものに目を向けるようになった。バイオリンの早期教育「鈴木メソード」の鈴木鎮一先生とも親交を持った。

四、五歳児が大人もやれないようなメンデルスゾーンのコンチェルトを弾きこなすのを目の当たりにし、すべての教育は生まれてから一日も早くはじめなければいけない、という考えにすっかり共鳴した。

私自身も知的教育を早くからはじめることがいかに有効であるかを知ってもらうため、六九年には幼児開発協会という団体を設立した。

 幼児教室を各地に設け、お母さんにお願いし、ほかではやらない実験的な教育をくり返してきた。

 いろいろやっているうちに、本当に必要なのは知的教育より、まず「人間づくり」「心の教育」だと気付いた。学校では落ちこぼれ、暴力、いじめが頻発している。

「心を育てる」には、学校教育だけでなく、母親の役割がなによりも大切であり、子どもの方も幼稚園どころか0歳児、いや胎児期から育てなけれはならないという考え方に変わってきた。

 私はいま、妊娠した時からの母親の心構えが、その子の一生を決定すると確信している。

 幼児開発協会でいろいろやってみた結果、母親の愛情によってはぐくまれる赤ちゃんの温かい心づくりと、生まれた時からの体づくりが、なによりも重要で、知的教育は言葉が分かるようになってから、ゆっくりでよい、という結論になった。

「言葉を覚える前に」

 言葉を覚える前に教育をする、というと不思議に思われるかもしれないが、五感、運動や芸術の能力、信仰心、直感力などは、限りなく0歳に近い段楷から養われる。

 言葉を話すようになると、幼児でも頭が理詰めになる。直感力などは育ちにくくなるのだ。

 言葉を覚える前に人間的なことを植え付けなければ、これからの日本は、心の貧しい人間が大勢を占めてしまう。そんな観点から、0歳児教育をなんとか定着させたいものだと思っている。

 戦後の焼け野原から盛田昭夫氏とともに、世界企業ソニーを創業された偉大な経営者であり、井深さんはまさに『赤ちゃん教育』を貫く考えを強くもたれていたのです。

※ ベストセラー“0歳からの伝説の育児バイブル”がついに復刻!

 このたび、1983年の発売で長らく絶版となっていた、私と妻の『赤ちゃん教育』を、計25万部超の「カヨ子ばあちゃんシリーズ」を刊行したダイヤモンド社から出版しました。

 刊行に際し、190点近いイラストと本文をリニューアルし、最新の脳科学データを満載にしています。

 1983年発行書籍は、一時期、ネット書店の中古書籍をあつかうアマゾンマーケットプレイスでは、10,056円の値がつきました。国会図書館からの貸出も多くて本がバラバラになり、貸出ができなくなった“0歳からの伝説の育児バイブル”です。

 2009年に『中居正広の金曜日のスマたちへ<金スマ>』 (TBSテレビ系)や『エチカの鏡』(当時、フジテレビ系)などで“脳科学おばあちゃん”と紹介された妻の久保田カヨ子と一緒に実践してきたクボタメソッドの原点はすべて『赤ちゃん教育』 にあります。

 2人の息子も東大&一級建築士に合格。この20年で3000人超の赤ちゃんと接してきた我々の知見と経験をすべて書籍にとじこめました。一読いただければ、サブタイトルの「頭のいい子は歩くまでに決まる」の意味がご理解いただけるかと思います。

“クボタメソッド”が長年有効とされている秘密は、最新の脳科学データに基づき、前頭前野を鍛え、ワーキングメモリーの能力を高め、海馬を使う記憶の能力を高めるからです。

 よろしければ、ぜひ一度、お読みいただけると幸いです。


<著者プロフィール>
久保田 競
(Kisou Kubota)
1932年生まれ。医学博士、京都大学名誉教授。世界で最も権威がある脳の学会「米国神経科学会」で行った研究発表は日本人最多の100点以上にのぼり、現代日本において「脳、特に前頭前野の構造・機能」研究の権威。2011年、瑞宝中綬章受章。『ランニングと脳』『天才脳をつくる0歳教育』『天才脳を育てる1歳教育』『天才脳を伸ばす2歳教育』『赤ちゃんの脳を育む本』『あなたの脳が9割変わる!超「朝活」法』など著書多数。

久保田カヨ子(Kayoko Kubota)
1932年、大阪生まれ。脳科学の権威である京都大学名誉教授・久保田競氏の妻で2人の息子の母。長男が一級建築士、次男が東京大学に合格。約30年前に、日本における伝統的な母子相伝の育児法を見直しながら、自身がアメリカ在住時と日本で実践してきた出産・育児経験をもとに、夫・競氏の脳科学理論に裏づけされた“0歳から働きかける”クボタメソッドを確立。テレビなどで「脳科学おばあちゃん」として有名。『カヨ子ばあちゃん73の言葉』『カヨ子ばあちゃんの男の子の育て方』『カヨ子ばあちゃんのうちの子さえ賢ければいいんです。』など著書多数。ズバッとした物言いのなかに、温かく頼りがいのあるアドバイスが好評。全国からの講演依頼もあとをたたない。
【脳研工房HP】http://umanma.co.jp/

「赤ちゃん教育」――頭のいい子は歩くまでに決まる
  著者 久保田競 [京都大学名誉教授・医学博士]  久保田カヨ子 [脳科学おばあちゃん]