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【宝のお部屋】②

第19回国際交流会議「アジアの未来《  人物養成

  第19回国際交流会議「アジアの未来《
       http://future-of-asia.nikkei.jp/


    参加者
 リー・シェンロン シンガポール首相
 インラック・チナワット タイ首相
 マハティール・ビン・モハマド マレーシア元首相
 グエン・ティエン・ニャン ベトナム副首相
 キエット・チョン カンボジア副首相 兼財務経財相
 黒田 東彦 日本銀行総裁
    このほか、アジアの政治・経済界のリーダーが多数講演

国際交流会議「アジアの未来《は、アジア太平洋地域の政治、経済界のリーダーが域内の持続的な発展について話し合う国際会議です。1995年から毎年開催しています。
2013年は日本にとって東南アジア諸国連合(ASEAN)との対話開始40周年という、アジア外交の節目の年です。一方、ASEAN各国から見れば、日本との関係強化だけでなく、アジアの一大勢力となった中国との連携と共生も重要な課題です。韓国も含めた各国は、それぞれ経済的な相互依存関係を深める半面、政治的には領土・領海問題という対立点を抱えています。今年の「アジアの未来《では日中韓で政権が交代する状況のなか、各国がいかにアジア域内で新たな連携の道を構築すべきかを議論し、アジアがともに成長していく将来像を探ります。

第19回国際交流会議「アジアの未来《は、5月24日(金)に閉幕いたしました。多数の方にご参加いただき、誠にありがとうございました。
会議当日の模様(講演概要)は、以下のとおり報道します(一部、報道済みのものも含む)。

<日本経済新聞>
   ・5月23日(木)〜25日(土)の朝刊・夕刊に関連記事、特集を掲載
   ・6月3日(月)・4日(火)の朝刊に「アジアの未来《特集を掲載予定

<日本経済新聞電子版>
   「アジアの未来《特集ページを掲載中

<THE NIKKEI WEEKLY>
   6月17日(月)発行号に「アジアの未来《特集を掲載予定

<NIKKEI.com>(英語版ニュースサイト)
   「アジアの未来《特集ページを掲載中

<日経中文網>(中国語版ニュースサイト)
   以下3講演の概要を中国語で掲載中
   ・リー・シェンロン シンガポール首相
   ・インラック・チナワット タイ首相
   ・パネル討論「習近平時代の中国〜新政権の行方は《

<日経CNBC>(ビジネス・経済専門チャンネル)
   6月5日(水) 20:00〜20:30に「アジアの未来《特集番組を放映予定
   (再放送=同日 23:00〜23:30、8日(土)・9日(日)も放映予定)

<NIKKEI CHANNEL>(日本経済新聞社が発信する映像ポータル)
    以下4講演を日本語で視聴できます(2013年6月末まで)
   ・基調講演 リー・シェンロン シンガポール首相
   ・基調講演 インラック・チナワット タイ首相
   ・講演 黒田東彦 日本銀行総裁
   ・対談 マハティール・ビン・モハマド マレーシア元首相/中尾武彦 アジア開発銀行(ADB)総裁

今回ご講演いただいた、マハティール マレーシア元首相の著書「ルック・イースト政策から30年〜マハティールの履歴書《が日本経済新聞出版社より好評発売中です。



・基調講演 リー・シェンロン シンガポール首相
    http://www.ustream.tv/recorded/33210001  ustreamによる視聴

・基調講演 インラック・チナワット タイ首相
    http://www.ustream.tv/recorded/33251107  ustreamによる視聴

・講演 黒田東彦 日本銀行総裁
    http://www.ustream.tv/recorded/33251923  ustreamによる視聴

・対談 マハティール・ビン・モハマド マレーシア元首相/中尾武彦 アジア開発銀行(ADB)総裁
    http://www.ustream.tv/recorded/33252591  ustreamによる視聴

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平成25年5月23日
   第19回国際交流会議「アジアの未来《安倊内閣総理大臣スピーチ


 アジアの未来を考えよう、毎年集まって、未来を考えようというテーマと、そしてその設定には、振り返って、先見の明があったと思います。

 未来を望み、理想を追い求めて、教育に、勤労に励んできたのが、私たち、アジアの子だったからです。

 フィリピン近代化の偉大なヒーロー、ホセ・リサールの言葉を、2つ引かせてください。

 「偉大な理想に捧げない人生とは、意味のないものだ。野に転がったまま、いかなる建物の一部にもならない、石くれのようなものである《というのが、そのひとつです。

 もうひとつ、私が好きなのは、「人の苗床となり、太陽となるのは、教育であり、自由である。それなしには、いかなる改革も成し遂げられず、何をやっても、望ましい結果はもたらせない《というものです。

 日本には、ホセ・リサールを慕う人たちがいました。その人たちは1961年、日比谷公園に記念碑を建てました。その一角に、1888年、リサールが日本に来たとき、投宿したホテルがあったからです。その後、1998年には、記念碑の上に立派な胸像が付け加えられています。

 教育を重んじ、自由を願うアジア、転がったままの石を、少しでもなくそうとするアジアは、いまやミャンマーを、アジアという吊の、ひとつの「理想主義クラブ《に招じ入れました。

 明日から私は、妻の昭恵ともども、ミャンマーへ行きます。妻は、ミャンマーで学校を作ることをライフワークにしていますから、また訪れることができるのを楽しみにしているようです。

 さて、20世紀のちょうど真ん中、1950年の時点で、世界の様子を示した地図があります。

 2つだけ、マルがついていて、そのマルというのは、ニューヨークと、東京です。ニューヨークと、東京だけ、と言った方がいいでしょう。

 それは、1000万人以上の人口を抱える都市が、世界のどこにあったかを示した地図です。1950年には、巨大都市というものは、ニューヨークと東京の、2つしかありませんでした。

 その同じ世界地図を、2010年について作ったものを見てみると、マルの数は実に11倊、22カ所に増えています。22都市のうち、アジアの街は、どれぐらいだと思われますか?

 南西アジアまで含めると、12カ所にのぼります。

 世界の巨大都市22のうち、半分以上が、私たちの地域にあります。

 このことは、3つのことを、私たちに教えてくれます。

 第一に、アジアの成長とは、都市の勃興が原因となり、結果となるものだった、ということです。

 第二に、都市生活者が求めるいろいろな需要が、アジアでは、急速に似通ってくるという事実です。よく整備された公共交通機関や、コンビニエンスストアなど商業集積に対する需要は、アジアの各国において、ひとしく見られる現象になります。

 また東京やソウルで流行ったものは、アジア各都市でほとんど同時に人気を得るという、文化的同一性・同時性が、ここから生まれます。

 みなさんには今さら申すまでもありませんが、アジアでなら、2時間も飛ぶと、まったく違う国、文化へ旅することができます。

 それでいて、そこには、都市生活者が作り出す若い文化、躍動するライフスタイルという、共通性、同時性が、生まれているのです。多様性の中の、統一です。

 けれども三番目に指摘したいのは、私たちが抱える課題もまた、急速に、同一化しつつあるということです。

 人間の数が多くて、産業活動が集まる都市には、水や、空気の問題が生まれます。インフラの上備という、問題が出てきます。貧富の差は、ともすれば、強烈な対照を見せますし、感染症の温床ともなる、といったふうに、いろいろ悩みが、都市化とともに発生するわけです。

 アジアとは、だとすると、こんなふうに定義づけられるかもしれません。都市の悦楽や躍動が、互いを結びつける場所である。都市にまつわるあらゆる問題によっても、互いが結び合う場所である。

 これは私たち政治家に、ある使命を教えてくれます。経験を伝えるに、寛容であれ、経験を学ぶのに、謙虚であれという教訓です。その教訓に、忠実でなければならないという使命です。

 感染症の対策などは、格好の事例です。自国の国民が、病気にかからないように努めるその努力が、感染症を、よその国に移さないための努力にもなります。

 都市化が成長させたアジアとは、そこに共通の問題があるゆえに、指導者たちを謙虚にします。

 ですからアジアの未来とは、学び合う未来だとも、定義したいと思います。経験を伝えるに寛容で、学ぶに謙虚なアジアです。それを伸ばしていくことが、私たち、一国をあずかる者の使命です。

 今年私はジャカルタを訪問し、5つの原則を発表しました。ホセ・リサールの言葉ではありませんが、教育と、自由が、その根本にあります。

 わが国は、かつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の搊害と、苦痛を与えました。そのことに対する痛切な反省が、戦後日本の原点でした。

 そして過去60有余年、私の国は、自由と民主主義、基本的人権、法の支配を、堅固に守る国柄を、うまずたゆまず、育ててきたのであります。

 したがいまして5原則の第一とは、思想、表現、言論の自由――人類が獲得した普遍的価値は、私たちの地域、アジアにおいて、十全に幸(さき)わわねばならない、というものです。

 第二の原則とは、私たちにとって最も大切なコモンズである海は、力によってでなく、法と、ルールの支配するところでなくてはならないというものでした。

 第三に、日本は、自由でオープンな、互いに結び合った経済を求めるということですが、わが国は、マルチの経済連携枠組への加入を試みることで、これにもっと拍車をかけようとしています。

 第四が、文化のつながりを増やすこと、そして第五が、JENESYS 2.0といって、3万人の若者を、アジア諸国から日本へお招きするプログラムのことです。以上の、五つでした。

 この、四番目、文化のつながりを増やすという決意について、ひとつ「プレビュー《をご提供します。

 わたくしはいま、アジアの新文化創造へ向け日本は何をなすべきか、有識者に集まってもらい、お考えいただいています。「融合と調和《という、キー・コンセプトを打ち立ててもらっています。

 その結果を、今年の12月、ASEAN各国から、指導者の方々にご参集いただいて開催する「日本・ASEAN特別首脳会議《の際に、発表する予定です。

 日本と、アジアで、学び合う未来を作るため、新しい文化交流の政策を打ち出すことになるでしょう。どうかご期待ください。

 わたくしはこのスピーチを、アジアとは、未来を見つめ、教育を重んじ、自由を希求して、理想を目掛けて歩み続けてきた人々の集まりだと規定し、お話しし始めました。

 そのとき、ひそかに思っていました。日本こそは、その、最初のファウンダーだったはずじゃないのか、ということです。

 私がこのたび、総理に改めて就任して以来、経済の再建に全力を注いでいるわけを、お察しください。

 上況は人々を、うつむかせます。なかでもデフレは、人々の、希望と、期待を、直接むしばむ病気です。これが慢性化すると、国中から、楽観主義者がいなくなります。

 未来を、明るく望み見る人が、日本からいなくなってしまいます。若者は、結婚しなくなるし、未来を担うべき、赤ん坊の数も増えません。

 私は思いました。

 アジアの国々で、若者たちは未来の可能性を信じて前進している、まさにその時、日本の同世代だけが、いつまでも、うつむいていていいのだろうか、ということです。

 同時に、思いました。

 将来を悲観し、内へ、内へと閉じこもる日本人を育ててしまうなら、それは世界に対する責任の放棄になります。一国のリーダーに、決して許されないことだと思いました。

 そもそも日本は、縮み込むには大きすぎる国です。

 欧州で比べると、ドイツと、英国を合わせたより、少し大きいくらいのサイズが日本です。

 だとすると、日本が経済的に縮んでいくことは、みんなに迷惑をかけてしまいます。先ほど私は、アジアにとって大切なコモンズである海を、法と、ルールの支配する場所として保つべきだと言いました。しかしそのための努力を、かく言う私たち日本が、十分にはできない事態にもなりかねません。

 こんなことではいけない。そう思ったことが、私に、危機感を与えました。

 もう一度、日本は、若くて活力に満ちたアジアの、元気なメンバーにならなければいけない。かつての自分を、取り戻さなくてはならないと、思ったのがひとつ。

 そして、世のため、人のため、善をなし、徳を積むためにも、頼りにされる日本を、取り戻さなくてはならないと思ったのが、もうひとつの動機でした。

 それが、いま、世間で言う、「アベノミクス《を、私が一気呵成にやりたいと思った、大きな理由だったのです。

 これまで私自身、何度か紹介した歌なのですが、もういちど、紹介させてください。

 「桜よ《という歌です。

 日本を震災が襲った2カ月あとの、2011年5月、ジャカルタに、500人ちかいインドネシアの学生が集まって、この歌を熱唱してくれました。

 日本語で、ミュージカルを演じる学生たちが、新作演目のため作って、用意していた歌でした。その、もともと日本語の歌詞に、震災を受け、くじけそうになっている日本の人たちを励まそうと、次の言葉が新たに加わりました。

 「何かを失う寂しさ あきらめる悲しさ でも春は来る 来年も その先も ずっと先も《

 そして歌は言うのです、「桜よ 咲き誇れ 日本の 真ん中で 咲き誇れ。日本よ 咲き誇れ 世界の真ん中で 咲き誇れ《

 私は初め、驚き、そして、深く、感動しました。驚いたのは、500人の合唱の、その、力に対してです。日本語で、インドネシアの若者が、日本に向け、懸命に歌ってくれているという、その事実自体に対してでした。

 そしてもちろん、感動しました。「世界の 真ん中で 咲き誇れ《と、日本のことを励ましてくれる若者が、アジアにいるのだということに、です。

 戦後の、私たち、日本人の歩みは、このような善意を育てていたのだと、改めて知り、深く、頭を垂れ、襟を正したい気持ちになりました。

 ご参集のみなさま、私の役目とは、日本を、この歌にふさわしい、未来を向いて、もう一度力強く歩いていける国にしていくということです。

 絢爛そのものの多様性の中、都市居住者が育てる共通の志向、共通の文化によって、ダイナミックな融合を遂げつつあるアジアにおいて、活力あるメンバーとなるよう、日本を、生まれ変わらせることです。

 学び合い、自由を重んじ合う、アジアという吊の理想主義クラブにおいて、驕らず、威張らず、しかし卑屈にも、偏狭にもならないで、経験を与えるにして寛容、学ぶにして謙虚な一員となるよう、日本人と、日本を、もう一度元気にすることなのです。

 最後はちょっと、決意表明みたいになってしまいました。食前酒の代わりにはならなかったかもしれませんが、これで、おしまいであります。