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【宝のお部屋<その三>へ】

杉原千畝
【教育の淵源は茲にある】




  ①  杉原千畝  google 検索

     Google検索 の結果にはいろいろの多くのURLが出てきます。

  ②  杉原千畝  wikipedia

  ③  海外「実の祖父が救われた」 6千人の命を救った日本人に外国人感動
    【海外の反応】パンドラの憂鬱

  ④  ユダヤ人6000人以上を救った東洋のシンドラーと呼ばれる男!  

     http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog130.html 上杉鷹山

  ⑤  早稲田が生んだ二人の偉人 杉原千畝 と 中村十作   

摘要
内        容
件名 早稲田が生んだ二人の偉人 杉原千畝 と 中村十作
差出人 HroMa
日時 2002/03/10
本文  HroMaです。
先刻、Yahoo!のトピックスに、

> 岐阜県八百津町の町営施設「杉原千畝(ちうね)記念館」の名誉館長を、
> 外務省に絡む数々の疑惑が指摘される鈴木宗男衆院議員が務めている
> ことから、町が揺れている。
> 町民の苦情が相次ぎ、町は館内に展示していた鈴木議員のパネル写真を
> 外すなど対応に苦慮している。
> ・・・・・・・
> 来館者や町民から、鈴木議員の写真を見て「杉原氏のイメージを損なう」などの
> 苦情が町に相次いだ。

という毎日新聞の記事が載っていた、とお伝えしましたが、
その八百津町の風土の名誉のために、、、。

岐阜県八百津町の風景を杉原千畝氏の出自と関わらせながら紹介した

「早稲田が生んだ二人の偉人
杉原千畝 と 中村十作」

というエッセイが、早稲田学報2001年12月号に掲載されていました
ので、杉原千畝氏の部分だけ抜粋して紹介させて頂きます。
(国会議員とは関係ありません)
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   「早稲田が生んだ二人の偉人 杉原千畝 と 中村十作」
      教育学部教授 中島峰広

私は、農林水産省が認定した「棚田百選」の委員の一人でもあったことから、この数年全国の棚田地域を調査して歩いている。その調査行で出会った二人の偉人、杉原千畝と中村十作をここで紹介したい。

杉原千畝は、ユダヤの恩人、六千人の命のビザで知られる外交官、中村十作は、悪政の人頭税で苦しむ宮古島の農民を救った黒真珠の養殖家である。杉原は大正七(1918)年、中村は明治二十(1977)年にそれぞれ早稲田大学、前身の東京専門学校に入学しているが、ともに中途退学して人権擁護のために身を挺した人物である。

・・・(中略)・・・

まず、杉原千畝との出会いは1999年「棚田百選」のひとつ、岐阜県八百津町北山を訪ねた折りのことである。名鉄八百津駅前からタクシーに乗り、「北山まで」と言うと、「杉原さんの取材ですか?」と尋ねられた。
私はすくに杉原千畝であることを思い至った。 後で知ったことだが、北山には杉原の生母の実家があり、ときどき取材のため訪れる人がいるのであろう。この時は、 棚田の調査だけを行い、引き上げた。

東京に帰ってから、杉原千畝の名前が妙に気になるようになった。千畝とは棚田の重なり、生母が目にしていた北山の棚田のことではないかと。それから先は確かめようもなかったが、99年6月の『早稲田学報』に「早稲田の誇り杉原千畝」という記事が巻頭を飾っているのを見た。

記事は、その功績に対して、戦後帰国した杉原を免官した国も、出身者として十分に遇していない大学も、冷たすぎる、という内容。 早速、筆者の大正出版社長・渡辺勝正氏に電話をかけ、名前のことを伝えると、ひどく関心を持たれ、杉原幸子夫人に確かめてみるとのことになった。

しばらくして、執筆中の『真相・杉原ビザ』の草稿と手紙が送られてきた。 夫人に尋ねると、名前の由来はわからないが、十分に考えられるとのこと。草稿には、「千畝というユニークな名前」の見出しで、 税務署員をしていた父・好水が、妻・やつの実家の南側に千畝の名に相応しい立派な千枚田(棚田)が広がっていることにちなんで届け出たのではなかろうか、と書かれていた。

2000年3月、このことを確かめるために北山を再訪し、 千畝の母・やつの実家を訪ねると、納屋で作業されていた当主の岩井錠衛さんと奥さんが応対してくださった。やつは錠衛さんの祖父の妹に当たる、とのこと。 父親の好水も北山出身で、もともとは岩井姓であったが、 町内の杉原家に結婚時に養子に入り、姓が変わった由。名前の由来については新しい情報を得ることはできなかったが、父母が北山の棚田を原風景として育ち、この地で千畝が生れた、とすれば、 推測どおりかもしれない、と思った。

岩井家は集落の西の外れにあり、背後には杉林、前面には棚田が広がっている。玄関前の庭に立つと、北山の棚田がほぼ一望できる。 棚田は、比較的緩い斜面に長い畦を気持ちよく伸ばし、緩やかな曲線を作り出している。その畦は三方から盆地底に向かって収斂し、下の方は折り重なって見える。 背後には杉林、前面に広がる千枚田の景観は、まさに杉原千畝の名前どおりではないか、と改めて思った。

この原風景が杉原千畝の博愛の精神を育て、 六千人を越えるユダヤ人を救ったとすれば、 棚田はユダヤ人の救世主ということになるのではないだろうか、と想像を膨らませ、北山を後にした。

・・・・・・・・・・・・

二人の偉人(杉原千畝と中村十作)は、 共に存命中はエリートとして活躍して脚光を浴びることはなかったが、 後世に光輝いた人である。
エリートであればなし得なかった偉業を、傍流あるいは在野にあって実現した人であり、そこに私は早稲田精神の神髄を見る思いがするのである。


  ⑥ Map Fan.Net を開き、オプションスポットの岐阜県のなかの

     「杉原千畝記念館付近」
     「人道の丘公園付近」   をクリックすると、地図に出ています

  ⑦  杉原千畝領事に助けられ日本を通過した一ユダヤ人
    

  ⑧  杉原千畝神話の虚実  
    日本とナチスドイツを同列に論じる左翼の詭弁を破砕する