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一万年の旅路
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一万年の旅路 <ThE SEVEN DAUGHTERS OF EVE>
著者 ポーラ・アンダーウッド <BRYAN SYKES>
・(表帯書) 一万年間語り継がれたモンゴロイドの大いなる旅路
人類ははるか一万年前ベーリング陸橋を越え、アジアから北米へ渡った
イロコイ族の血をひく女性が未来の世代へ贈る
・(裏帯書) この本をはじめて手にしたときも、それから二年半ほどたって邦訳を
終えた今も、不思議な胸騒ぎがする。ひょっとしたら途方もないもの
に出会っているのではないかという驚きと、ありうるはずがないという
疑い――その二つが入り混じって、なぜか心臓が高鳴るのだ。
・ 表紙カバー裏書き(表紙裏)
アメリカ大陸に住む、インディアンとも呼ばれるネイティヴ・アメリカンの人々はその昔ベーリング海峡が陸続きだったころ、すなわちベーリング陸橋を渡り、アジア大陸からアメリカ大陸へやってきたモンゴロイドの子孫だという説が定着しつつある。
「一万年の旅路」は、ネイティヴ・アメリカンのイロコイ族に伝わる口承史であり、物語ははるか一万年以上も前、一族が長らく定住していたアジアの地を旅立つところから始まる。彼らがベーリング陸橋を越え北米大陸に渡り、五大湖のほとりに定住の地を見つけるまでの出来事が綿密に描写されており、定説を裏付ける証言となっている。
イロコイの血をひく著者ポーラ・アンダーウッドは、この遺産を継承し、それを次世代に引き継ぐ責任を自ら負い、ネイティヴ・アメリカンの知恵を人類共有の財産とするべく英訳出版に踏み切った。
・ 表紙カバー裏書き(裏表紙裏)
Paula Underwood (著者近影)
・ 裏表紙内側への書き込み
2014/03/27
この前購入した本は下平涼羽に読むことをすすめ贈呈した。 口承史として驚くのは、この本が0歳教育そのものの方法が冒頭に書かれていたことでした。
“献辞”
あらゆる火の端に座り
辛抱強く一つひとつの歌を学んだ
すべての先人たち
これから歌う歌がおさめられたページを
一枚一枚、辛抱強くめくるであろう
すべての読者たち
それらすべての人びとへ
けれども、とりわけ私の祖父の祖父――
子どもたちの子どもたちの子どもたちが
なおも学べるよう
大いなる変化の時代に
自分の一族から歩み去った女へ
<古(イニシエ)の物語>によって
辛抱強く織り上げたこの書を
心からの感謝をこめて捧げます
“はしがき”
子どものころの父が、とてつもない長い距離を歩き、さまざまな難関を切り抜け、成功と失敗を繰り返しながらも、とにかくえんえんと生きながらえてきた一族について、果てしない歌を歌ってくれました。
私は父からそれらの歌を学びました。するとある日、私は何を知っているかと父が聞きます。
「決まってるでしょ」私は言いました。
「何千年もずっと生きながらえてきた、ある一族の遠大な物語よ」
「本当かい?」父は問い返します。
「しかし、どうしてお前はそれを知っているとわかるんだね?」
私は長い間このことについて話し合い、会話や思索に耽りました。これこれの起こったことを知っていると言うたびに、父はその“知っている”というのはどんな意味かと問い返された私は、最後にこう答えました。
「私は父が顔をあげて歌ったのを知っている。私は父を知っている。これらが父の歌だと知っている。私はそれらの歌がとても正確だと思うけど、それは言葉の裏にある現実を感じるからだし、父がそういう務めをいいかげんにする人ではないように見えるからだし、その父親もきっとそういう人だったと思うからよ。
たぶん私も一生のあいだに、これらの言葉の正確さを自分で確かめに行くことになるのでしょう。でもそれまでは、私も父の務めを、父がその父から引き継いだように引き継ぎます。私はこれらの言葉を伝えていきます。それを英語に直すという余分な務めも引き受けます。いつも正確に、できれば美しく――。
でも、これ以上のことは言えないわ。
父が顔を上げて歌った。私はそれを聞いた、と」
……ポーラ・アンダーウッド
“はじめに”
これは古来の方法で伝えられた口承史です。
口承で受け継がれるほかの多くの伝統や歴史と同様、いつか自分がその責任を負うかもしれない話を聞かせてもらえるようになるだけでも、たくさんの試験と訓練が必要です。
物心がつくかつかないかのころから、父は私の記憶力を試し、鍛えました。一番単純な例をあげると、私が見ていたものから別の方向へ体を向けられ、それまで何が見えていたかを言わされるというようなことをやりました。これを何の前触れもなく何度も何度もやらされるうちに、人によっては、そのとき見ているすべてを頭に焼きつけると、その脳内写真のようなイメージを、たった今見ているように再現するコツが身についてきます。
ただし、これはけっして合格・不合格を決めるテストではなかったし、 うまくやらないといけないというプレッシャーをかけられたこともありませんでした。もし私がこの務めにふさわしい器でないとしたら、父はあえてそれを私の肩の預ける必要はなかったのです。けれど、それはただの遊びでもありませんでした。それは学びであり、生きるということをよりよく理解するための機会だったのです。
この歴史のかなりの部分を学ぶ能力が私にあるというおよその脈がつかめたとき、父はほんの断片を語り聞かせ始めました。映画館でやる「次週の予告」のように、食欲をそそるに足る程度のものです。物語り全体を学ぶには、まずほかにいくつか必要なことがありました。たとえば、完璧な注意力をもって耳を傾けること、ひとつのことに一昼夜意識を集中して目を覚ましていること、歌や詩などほかのものごとを暗記すること、理解力などがあります。
右のような領域のそれぞれに私が多少の能力を持ち合わせていると納得できたとき、父は歴史の全体を聞かせ始めました。一時に少しずつ、なおも理解を試しながらです。私がどこかの一節を憶えたと思うと、聞かせてもらったのとは別な形でそれを“語り返す”ように促されました。そこから二つのことを教えられました。一つは、自分が何かを憶えたなどとせっかちに思い込んではいけないこと。もう一つは、何かを聞くのと、それを理解するのとは二つの別のステップだということです。
最後にようやく、一つの部分を丸ごと父に向かって語り返す勇気ができたとき、また新しいことを学ばされました。三つの違った形で三回、どれも父が語ってくれたのとは別の形で語り返すように求められたのです。
つまり、私はどんな現代語でも語りなおせるくらい完璧な理解を示さなければならなかったわけです。でも単に面白がられるので語り手にそれぐらいの理解が必要なのです。はなく本当に理解してもらうためには、語り手にそれぐらいの理解が必要なんです。父が指摘したように、言葉というのは変化していきます。父の母親が好んで音読したシェークスピアの言葉を解する人は、あまり多くありませんでした。歴史がそれほど眠ってしまったのでは価値がなくなります。
シェークスピアの言葉を解する人
後述のとおり著者が子ども時代に暮らしたのはロサンジェルス郊外で、シェークスピア時代の古典英語に通じた人が少なかったとしても不思議はない。
この学びにどれほど長い年月と忍耐力が注ぎ込まれているかを知ればこそ、私は父から学んだすべての正確さに対して深い敬意を抱くものです。「はしがき」でほのめかしたとおり、ここで語られている内容に当てはまるかもしれない数多くのものごとを、私自身実際に目や耳で確かめてきました。私の聞いた内容には、子どものときには不可能だったり存在しなかったものがたくさん含まれていて、なかにはつい五年前までそうだったことさえありますが、その多くがいまでは実現していたり、最近の研究でわかってきたりしています。私は父から学んだすべての正確さに対して深い敬意を抱くものです。
けれども、父はそういうことをどこで学んだのでしょうか?
いまから五世代前、知恵の道を歩みつつあった一人の若い女性が、この古代の学びの一切に関する責任を引き受けました。彼女はイロコイ連邦結成当初の五つの“国”の一つであるオナイダ族の出身でした。氏族(クラン)は亀。それが私の祖父の祖母です。彼女はこの<古(イニシエ)の知恵>が身の回りから一掃されていくのを目の当たりにして、それを途絶えさせず、一つの新しい世代が耳を傾けることを学ぶときまで、後の世に伝えていこうと決意しました。そのときが来たらこれを、聞く耳を持ったあらゆる地球の子どもたちへの贈り物とすべし――彼女はそう言い残したそうです。
イロコイ連邦
イロコイ連邦(Iroquois Confederacy)は別名「シックス・ネーションズ」のとおり、カナダ国境に近いニューヨーク州北部のオンタリオ湖南岸に沿って点在する近い六つの部族(先住民の部族的・地域的まとまりを「ネーション=国」と呼ぶ場合がある)の連合体で、東から西へホモーク、オナイダ、オノンダーガ、カユーガ、セネカ、タスカローラの順に並ぶ。タスカローラを除く五部族で結成されたのが十~十一世紀に遡ると言われ、十八世紀はじめにタスカローラ族が加盟して現在にいたる。本書の主役である<一族>にも由来の一端をもつかもしれない世界最古の実質的な直接民主制によって平和で平等な社会を営み、十八世紀のアメリカ合衆国建国と憲法制定に大きな影響を及ぼした。その当時の相互協定にもとづいて、いまなお原則的には合衆国から独立しており、独自のパスポートも発行する。くわしくは星川淳著『環太平洋インナーネット紀行』(NTT出版)第3章を参照のこと。
一つの新しい世代
読者を含む現世代をさすものと思われ、後述の通り彼女が学びを授かった人から数えて七世代目にあたる。
彼女はその学びを携えて西のイリノイ州へ移り、そこで私の祖父に伝えました。祖父はそれを、ネブラスカ州の農場で私の父に教えました。そして私が意欲満々でこの責任を引き受けたのは、父がロサンゼェルスに手づくりした家ででした。それにともなって、これら<古(イニシエ)の学び>から献身の何たる下を学び、アメリカ合衆国というもっと大きな“国”の言葉である英語に書き下ろす新しい責任も受け入れたのです。
アメリカ合衆国
United States の訳語としては「合衆国」のほうが正確だと考えるので、本書でもこの表記を使う。
書き言葉というリニアル(直線的)な形に変換することは、今から二百年近く前、私の祖父の祖母と、彼女に学びを授けた<古きものごとの守り手>とのあいだで取り決められたものです。その<古(イニシエ)の守り手>が七世代後に向けて語れるよう図るという特別な責任は、そこで託されて以来、私まで代々引き継がれてきました。
そのとき取り決めたことが、こうして実行されたわけです。
これがイロコイの歴史なのか、そこへ加わった一氏族の歴史なのか、私にはわかりません。けけどもこれが、数えきれぬ世代を通じて、心にとどめるということを決して忘れなかった私の祖先の歴史であることは確かです。
彼らを代表し、またもっとも最近の五世代を代表して、いま私はこれを当初の目的どうり、聞く用意のある耳への贈り物として差し出します。
やさしい想いが訪れますよう……