癒しの音楽


 @ 江戸の子守唄  小鳩くるみ

     1. ねんねんころりよ おころりよ。
        ぼうやはよい子だ ねんねしな。

     2. ぼうやのお守りは どこへ行った。
        あの山こえて 里へ行った。 

     3. 里のみやげに 何もろうた。
        でんでん太鼓に 笙の笛。

 A  ゆりかごのうた 夏川りみ  作詞:北原 白秋 作曲:草川 信

     1. ゆりかごのうたを
        カナリヤがうたうよ
        ねんねこ ねんねこ
        ねんねこよ

     2. ゆりかごのうえを
        びわの実がゆれるよ
        ねんねこ ねんねこ
        ねんねこよ

     3. ゆりかごのつなを
        きねずみがゆするよ
        ねんねこ ねんねこ
        ねんねこよ

     4.ゆりかごのゆめに
       きいろいつきがかかるよ
       ねんねこ ねんねこ
       ねんねこよ

    * 上記と同様に以下のURLを開けば、動画により聴くことができます

 B  涙そうそう 夏川りみ

   古いアルバムめぐり ありがとうってつぶやいた
   いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
   晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
   想い出遠くあせても
   おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう

   一番星に祈る それが私のくせになり
   夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
   悲しみにも 喜びにも おもうあの笑顔
   あなたの場所から私が
   見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく

   晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
   想い出遠くあせても
   さみしくて 恋しくて 君への思い 涙そうそう
   会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう

 C  夏の思い出 倍賞千恵子

   夏がくれば 思い出す
   はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空
   霧のなかに うかびくる
   やさしい影 野の小径(こみち)
   水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
   夢見て咲いている水のほとり
   石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
   はるかな尾瀬 遠い空

   夏がくれば 思い出す
   はるかな尾瀬 野の旅よ
   花のなかに そよそよと
   ゆれゆれる 浮き島よ
   水芭蕉の花が 匂っている
   夢みて匂っている水のほとり
   まなこつぶれば なつかしい
   はるかな尾瀬 遠い空

 D  あざみの歌 倍賞千恵子

 1 山には山の愁いあり
   海には海のかなしみや
   ましてこころの花園に
   咲きしあざみの花ならば

 2 高嶺(たかね)の百合のそれよりも
   秘めたる夢をひとすじに
   くれない燃ゆるその姿
   あざみに深きわが想い

 3 いとしき花よ 汝(な)はあざみ
   こころの花よ 汝はあざみ
   さだめの径(みち)は果てなくも
   香れよ せめてわが胸に
   あああー

 E  忘れな草をあなたに 倍賞千恵子

 1 別れても別れても 心の奥に
   いつまでも いつまでも
   憶(おぼ)えておいてほしいから
   幸せ祈る言葉にかえて
   忘れな草をあなたに あなたに

 2 いつの世もいつの世も 別れる人と
   会う人の 会う人の
   運命(さだめ)は常にあるものを
   ただ泣きぬれて浜辺に摘んだ
   忘れな草をあなたに あなたに

 3 喜びの喜びの 涙にくれて
   抱(いだ)き合う 抱き合う
   その日がいつか来るように
   二人の愛の思い出そえて
   忘れな草をあなたに あなたに

 F  さくら貝の歌 倍賞千恵子

 1 美わしきさくら貝ひとつ
   去りゆけるきみに捧げん
   この貝は去年(こぞ)の浜辺に
   われひとりひろいし貝よ

 2 ほのぼのとうす紅染むるは
   わが燃ゆるさみし血潮よ
   はろばろと通う香りは
   きみ恋うる胸のさざなみ

   ああ なれど わが思いははかなく
   うつし世の渚に果てぬ

 G  白い花の咲く頃 倍賞千恵子

 (1) 白い花が 咲いてた
    ふるさとの 遠い夢の日
    さよならと 言ったら
    黙ってうつむいてた お下げ髪
    悲しかった あの時の
    あの白い花だよ

 (2) 白い雲が 浮いてた
    ふるさとの 高いあの峰
    さよならと 言ったら
    こだまがさようならと 呼んでいた
    淋しかった あの時の
    あの白い雲だよ

 (3) 白い月が 泣いてた
    ふるさとの 丘の木立に
    さよならと 言ったら
    涙の瞳で じっと 見つめてた
    悲しかった あの時の
    あの白い月だよ

 H  からたちの花 倍賞千恵子

   からたちの花が咲いたよ
   白い白い花が咲いたよ

   からたちのとげはいたいよ
   青い青い針のとげだよ

   からたちは畑(はた)の垣根よ
   いつもいつもとおる道だよ

   からたちも秋はみのるよ
   まろいまろい金のたまだよ

   からたちのそばで泣いたよ
   みんなみんなやさしかったよ

   からたちの花が咲いたよ
   白い白い花が咲いたよ

 I  宵待草 倍賞千恵子

    待てど暮らせど来ぬ人を
    宵待草のやるせなさ 
    今宵は月も出ぬさうな

 J  惜別のうた 倍賞千恵子

 1 遠き別れにたえかねて
   この高楼(たかどの)に登るかな
   悲しむなかれ我が友よ
   旅の衣をととのえよ

 2 別れといえば昔より
   この人の世の常なるを
   流るる水を眺むれば
   夢はずかしき涙かな

 3 君がさやけき目のいろも
   君くれないのくちびるも
   君がみどりの黒髪も
   またいつか見んこの別れ

 4 君の行くべきやまかわは
   落つる涙に見えわかず
   袖のしぐれの冬の日に
   君に贈らん花もがな

 K  北上夜曲 倍賞千恵子

 1 匂い優しい白百合の
   濡れているよなあの瞳
   想い出すのは 想い出すのは
   北上河原の月の夜

 2 宵の灯(ともしび)点(とも)すころ
   心ほのかな初恋を
   想い出すのは 想い出すのは
   北上河原のせせらぎよ

 3 銀河の流れ仰ぎつつ
   星を数えた君と僕
   想い出すのは 想い出すのは
   北上河原の星の夜

 4 雪のちらちら降る夜に
   君は召されて天国へ
   想い出すのは 想い出すのは
   北上河原の雪の夜

 5 僕は生きるぞ 生きるんだ
   君の面影胸に秘め
   想い出すのは 想い出すのは
   北上河原の初恋よ


  @  おぼろ月夜 ---- 高野辰之/岡野貞一  大正3年(1914年) 『尋常小学唱歌 第六学年用』

日本の田園風景をつづった格調高い歌。高野-岡野コンビの代表的1曲でもある。「さとわ(里曲)」とは、お里のあたり、という意味。1914(大正3)年、『尋常小学唱歌(六)』に発表される。

  一  菜の花畠に、入日(いりひ)薄(うす)れ、
      見わたす山の端(は)、霞(かすみ)ふかし。
      春風(はるかぜ)そよふく、空を見れば、
      夕月(ゆうづき)かかりて、にほひ淡し。

  二  里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
      田中の小路(こみち)をたどる人も、
      蛙(かわず)のなくねも、かねの音も、
      さながら霞(かす)める朧月夜(おぼろづきよ)。

  A  江戸の子守唄  昭和16年(1941年)2月『ウタノホン 上』

沖縄などをのぞき、日本各地に伝わる有名な子守唄。別名、「江戸の子守唄」とも言われる。子守唄の中では「寝かせ唄」の部類に入る。
歌詞に出てくる「でんでん太鼓」とは、柄の付いた小さな両面太鼓のこと。太鼓には、小粒の重りが付いた2本のヒモがくくられており、太鼓の柄をふると重りが太鼓の皮にぶつかって「でんでん」と音を立てる。アフリカにも同様の、幼児用の楽器がある。
「笙の笛」とは、現代では宮中の雅楽にだけ用いられる古来からの楽器。多数の竹の管を用いる。
この子守唄は、各地でさまざまなバリエイションを生んでおり、一例としては「〜里のみやげになにもろた、でんでん太鼓、笙の笛、起きあがり小法師に犬張子、それをもろうてなににする、叩いたり吹いたりして遊ぶ」(兵庫県)などがある。
教科書では国民学校の「ウタノホン(上)」で、初めて選ばれた。

   コモリウタ

    ネンネン コロリヨ、オコロリヨ。
    バウヤハ ヨイ子 ダ、ネンネシナ。

    バウヤノ オモリハ、ドコヘ 行ッタ。
    アノ 山 コエテ、里ヘ 行ッタ。

    里ノ ミヤゲニ、ナニ モラッタ。
    デンデンダイコニ、シャウノ フエ。

  B  五木の子守唄

「江戸の子守唄」や「竹田の子守唄」などと並び、日本の子守唄の中で最も知られる1曲。この歌が全国的に広まったのはNHKラジオで、夜の番組の終わりに、小関裕而が3拍子に編曲しなおしたハモンドオルガンの演奏を放送したのがきっかけだった(1950年)。その後この歌は照菊が歌って1953年にヒットするなど、流行歌として様々な人たちに取り上げられてきた。

「五木の子守唄」は、現在の熊本県球磨郡五木村に生まれた守り子娘たちが、歌っていた子守唄(正確には「守り子唄」)である。山深く、耕す土地も限られた五木村の農民たち(名子小作(なごこさく))は、山林を所有し圧倒的な力を持つ山地主(旦那)の下で働かざるを得ないという重い歴史を背負ってきた。ぎりぎりの生活を強いられた小作の家では、娘たちを出稼ぎにやるしかなかった。五木を離れ彼女たちが出向いたのが山を南に下った人吉の(ひとよし )豊かな商家や農家だった。

五木の娘による「守り子の唄」は、ここ人吉で成立し、歌われはじめたのである。子守りという辛い仕事への嘆き、望郷、あるいは自分の死を、彼女たちはたくさんの即興歌に乗せていった。

人吉には五木だけではなく、各地から守り子娘が奉公にやってきた。その一つが天草の福連木( ふくれぎ)で、一説にはこの地域の娘たちが持ち込んだ子守唄が「五木の子守唄」の源流ではないかと言われている。人吉に集まった五木や福連木や八代(やつしろ)などの娘たちが、長年たがいに交流する中で歌が生まれ、年季奉公を終えめいめいが故郷へ帰ったとき、彼女たちの心にはそれぞれの子守唄が出来あがっていたのである。それは、哀愁たっぷりでマイナー調の「五木の子守唄」から、明朗な印象の「球磨( くま)の子守唄」に至るまで、とても幅広いバリエイションであった。

「五木の子守唄」は、楽譜に紹介しただけでなく、現在記録されているだけでも70ほどの歌詞がある。楽譜の最初に置いた歌詞「おどま盆ぎり盆ぎり…」は、年季奉公が明けたお盆から先、私はもうこんな場所にはいない、と歌っている。「おどまかんじんかんじん…」の「かんじん」とは「勧進」という字をあてる。「勧進聖(かんじんひじり)」は、僧侶の姿で物乞いをした流浪の人々のことで、歌詞は、私はまるで物乞いのようなもの、素敵な着物を着ているあの人たちとは大変な違いだ、という意味である。

このような嘆きが、その次に挙げた「私が死んだとしても、泣く(鳴く)のはセミだけだ」という歌詞に発展していく。あるいは「私が死んだら道端に埋めてくれ」という歌詞にも変わった。

 名著『日本の子守唄』を書いた松永伍一氏は、その「道ばちやいけろ…」の歌詞にしても空想の産物ではないと言う。彼が最初に五木へ取材に入った数十年前、村に墓らしい墓はほとんどなく、道端に土を盛っただけのようなちっぽけな「墓」をいくつも見かけたと語っている。その「墓」の一つには「花はなんの花、つんつん椿…」にあるように、この土地の花である椿が一輪、挿してあったそうだ。それほどかつての五木には土地がなく、農民は貧しかった(そんな五木地方が、ダムによって水没しようとしていることは、昨今のニュースで知られるところである)。

 以下のサイトでは「正調五木の子守唄」を聴くことができる。
 五木村オフィシャル・ホーム・ページ : http://www.vill.itsuki.kumamoto.jp/index.html

    おどま盆ぎり盆ぎり
    盆から先ゃおらんと
    盆がはよくりゃはよもどる

    おどまかんじんかんじん
    あん人たちゃよか衆
    よか衆よか帯 よか着物

    おどんがうっ死んだちゅうて
    誰が泣てくりゅうか
    うらの松山蝉が鳴く

    おどんがうっ死んだら
    道ばちゃいけろ
    通る人ごち花あぎゅう

    花はなんの花
    つんつん椿
    水は天からもらい水

  C  さくら さくら ---- 日本古謡  シダレザクラ(枝垂桜) 明治21年(1888年) 『筝曲集』

1888(明治21)年に発行された東京音楽学校の「筝曲集」(そうきょくしゅう)に記載された歌。公式なレセプションにも、日本を象徴する歌として頻繁に使われる。
古くからある「さくらさくら、やよいの空は、見わたすかぎり、かすみか、くもか、にほひぞいづる、いざやいざや、見に行かん」という琴の歌を、「筝曲集」のために書き換えたもの。
「朝日に匂う」は、本居宣長の「敷島の大和心を人とはば、朝日ににほふ山桜花」から。
プッチーニの「蝶々夫人」にも登場する。

     さくら さくら、
     野山も、里も、
     見わたす かぎり、
     かすみか、雲か、
     朝日に にほふ。
     さくら さくら、
     花ざかり。

  D  (滝廉太郎)

     春のうららの 隅田川、
     のぼりくだりの 船人が
     櫂(かひ)のしづくも 花と散る
     ながめを何に たとふべき

     見ずやあけぼの 露浴びて
     われにもの言ふ 桜木を
     見ずや夕ぐれ 手をのべて
     われさしまねく 青柳(あおやぎ)を

     錦おりなす 長堤(ちょうてい)に
     くるればのぼる おぼろ月
     げに一刻も 千金の
     ながめを何に たとふべき

  E  荒城の月 ---- 土井晩翠/瀧廉太郎   明治34年(1901年)3月 『中学唱歌』

土井晩翠と瀧廉太郎によるコンビが作った傑作。
「さくら さくら」などとならび、これまで日本を象徴する歌として公式な場でも盛んに演奏されてきた。

今、目の前にある草生(くさむ)す荒れた城に接しながら、栄華を誇ったかつての時代を振り返るというシーンから始まる。天上に浮かぶ月を眺めながら、人の栄枯盛衰をしみじみと訴える作品である。

土井晩翠は、仙台二高の教師でもあり文学者としても各方面から尊敬を集めた人物。明治以降、盛んに作られた寮歌、校歌のほとんどが晩翠の影響下にあると言われている。

瀧廉太郎は、早くに亡くなった人物だが、日本における本格的な作曲家第1号とされ、「箱根八里」などの作品を残した。

「荒城の月」は、晩翠は仙台の青葉城、または会津若松の鶴ヶ城がモデルだとし、滝は子ども時代を過ごした大分県竹田(たけた)の岡城だと言っていたようで、歌碑もこの3ヶ所に建立されている。

    春高楼の花の宴
    めぐる盃かげさして
    千代の松が枝わけいでし
    昔の光いま何處

    秋陣營の霜の色
    鳴き行く雁の数見せて
    植うる劔に照りそひし
    昔の光いまいづこ

    今荒城のよはの月
    替わらぬ光たがためぞ
    垣に殘るはただかつら
    松に歌ふはただあらし

    天上影は替らねど
    榮枯は移る世の姿
    寫さんとてか今もなほ
    鳴呼荒城のよはの月

  F  春の小川 ---- 高野辰之  昭和8年(1933年)『新訂尋常小学唱歌 第四学年用』

  一  春の小川はさらさら流る。
     岸のすみれやれんげの花に、
     にほひめでたく、色うつくしく
     咲けよ咲けよと、ささやく如く。

  二  春の小川はさらさら流る。
     蝦やめだかや小鮒の群に、
     今日も一日ひなたに出でて
     遊べ遊べと、ささやく如く。

  三  春の小川はさらさら流る。
     歌の上手よ、いとしき子ども、
     聲をそろへて小川の歌を
     うたへうたへと、ささやく如く。

  G  仰げば尊し ---- 文部省唱歌   明治17年(1884年)3月29日  『小学唱歌集 第三編』

  一  仰げば尊し、わが師の恩。
     教の庭にも、はやいくとせ。
     おもえばいと疾し、このとし月。
     今こそわかれめ、いざさらば。

  二  互いにむつみし、日ごろの恩。
     わかるる後にも、やよわするな。
     身をたて名をあげ、やよはげめよ。
     今こそわかれめ、いざさらば。

  三  朝ゆうなれにし、まなびの窓。
     ほたるのともし火、つむ白雪。
     わするるまぞなき、ゆくとし月。
     今こそわかれめ、いざさらば。



     ---- 大泉逸郎  【詞】荒木良治 【曲】大泉逸郎

       

    なんでこんなに 可愛いのかよ
    孫という名の 宝物
    じいちゃんあんたに そっくりだよと
    人に言われりゃ 嬉しくなって
    下がる目じりが 下がる目じりが えびす顔

    もみじみたいな 小さな手でも
    いまにつかむよ 幸せを
    仕事いちずで 果たせなかった
    親の役割 代わりの孫に
    今は返して 今は返して いるところ

    つよく育てよ おお空泳ぐ
    五月節句の 鯉のよに
    親の背よりも 大きくなって
    一人立ちする 二十才がきたら
    祝い言葉を 祝い言葉を かけてやろ

    (女の子の場合)
    春になったら 飾ってあげる
    桃の節句の ひなかざり
    きりょう良い娘に 育っていつか
    嫁に行く日が 来たその時は
    祝い言葉を 祝い言葉を かけてやろ