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折々の記 2013 ①

【心に浮かぶよしなしごと】

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【 05 】02/19

  02 19 『日本も人が住めない廃墟に』金正日、卒業式での言葉
  02 19 党内で評判急落の金正恩 核実験の真意は国内の信頼回復?
  02 24 秩父ワイン と 「イチローズ・モルト《
  02 24 SANAA 妹島和世と西沢立衛
  02 24 ウィキペディア索引による日本の領土問題

 02 19 (火) 『日本も人が住めない廃墟に』金正日、卒業式での言葉  〈AERA〉-朝日新聞出版|dot.

※AERA 2013年2月25日号
  『日本も人が住めない廃墟に』金正日、卒業式での言葉

 北朝鮮がまたも核実験を強行した。昨年12月に米本土に到達可能な事実上の長距離弾道ミサイル発射が成功して2カ月後、この2月12日に強行した3度目の核実験。

 核ミサイルの脅威を米オバマ政権に見せつけ、核保有国と認めさせたい北朝鮮は、ミサイル搭載可能な核弾頭の小型化・軽量化を急ぐ。標的は米国だけではない。

『金正日はこう言った。いったん戦争が起きたら南朝鮮(韓国)だけでなく、日本も人が住もうにも住めない廃墟にしてしまわなければならない、と』

 9日、北朝鮮強制収容所問題を追及する市民団体が都内で開いた集会に招かれ証言したのは李英秀(イ・ヨンス)氏(仮吊、40代)。朝鮮戦争で捕虜にされ北に連行された韓国軍捕虜の息子として北朝鮮に生まれ、07年に脱北、いまは韓国に住む。

 李氏は90年代半ばから脱北までの10年余り、北の工作機関の資材調達部署で働いた。98年6月ごろ、慰労の意味で仲間たちと十数日間の平壌観光が許された。最後に工作機関や招待所の集まる地区で、幹部用の記録映画を見せられた。映画の最後、工作員を育成する金正日政治軍事大学の卒業式映像が出た。軍の大物で金正日総書記の長年の側近、呉克烈(オ・グンニョル)・作戦部長が卒業生らの前で、金総書記にこう報告した。

『将軍さま、軍の世話にならなくても、この工作機関の力だけで十分、祖国統一を果たすことができます』

 金総書記が満足げな様子で言い放ったのが、『日本も廃墟に──』の発言だった。北のテレビで一般国民向けに流される記録映画に金総書記の肉声が出ることはまずないが、幹部対象の映画は別だ。

『我々の作る核兵器は、広島、長崎に落とされた原爆の数十倊、数百倊の威力を持つものにしなければならない』

 軍や工作機関に、こんな金総書記の『お言葉』が文書となって下りてくることもよくあったという。

 02 19 (火) 党内で評判急落の金正恩 核実験の真意は国内の信頼回復?  〈AERA〉-朝日新聞出版|dot.

※AERA 2013年3月1日号
  党内で評判急落の金正恩 核実験の真意は国内の信頼回復?

 3回目の地下核実験を『成功』させた北朝鮮に対し、政府は2月12日、朝鮮総連の副議長5人を新たに北朝鮮への渡航制限対象に加える独自制裁を決めた。

 核戦争などという最悪の事態はなんとしてでも避けなければならない。そのために大切なのは外交の強化だ。北朝鮮の本音はどこにあるのか。内情に詳しいジャーナリストの石丸次郎氏はこう語る。

『核実験強行の背景には、金正恩が第1書記となった昨年4月以降、国内統治に失敗したことがあります。労働党幹部の間ですら正恩の評判は急落している。だからこそ、父・金正日の遺訓貫徹を掲げてロケットとミサイルと核実験の強行を続けてきたのです』

 内政最大の失敗は経済政策だ。父の死後、正恩氏は住民監視と統制を強化するために人々の移動を厳しく制限し、経済活動が著しく沈滞してしまった。また、軍隊や平壌市民のために、北朝鮮の大穀倉地帯である黄海南道で生産された食糧を無理に徴発したため、昨年4月から6月にかけて大飢饉が発生したという。

 北朝鮮の軍事力は、額面上は相当なものだが、装備の老朽化などで実戦では役に立たないものが多いとも指摘されている。だからこそ、核武装による一点突破で国内外に圧力をかける姿勢は、今後も続く公算大だ。

 日本を含む関係国は、経済制裁の強化などを軸に、北朝鮮封じ込めを目指す意向だが、核開発の抑止にどれぐらい効果があるかは未知数との指摘もある。まずは『撃たせない』ための一手を模索していくことが重要だ。

 02 24 (日) 秩父ワイン と 「イチローズ・モルト《 MapFan.net

秩父ワインの歴史
     http://www.aa.alpha-net.ne.jp/enhi01/saitama/chichibuwine.html

秩父ワインの創始者、浅見源作は明治二十二年に奥秩父に誕生。秩父は山々の峰が厳しく、水田すら作るのが難しいという貧しい土地柄であったため、成人した源作はブドウ栽培を思いつきます。気候の似通った山梨で栽培しているのならいけるのではないかと考え栽培をはじめたものの、生食葡萄は当時の秩父は輸送の良い場所ではなかったこともあり、あまり儲からないことが判明。そこで、加工商品であるワイン造りをはじめようとします。しかし、ワインを飲んだことすらもほとんどなかったと思われる源作が醸造ができるはずもなく、山梨のワイナリーにも技術提供を断られたため事業はスタートからつまずきました。そこへ朗報が届きます。川上善兵衛の集大成といえる著作『葡萄全書』が東京の神田の古本屋にあるという。その価格は現在の価値でいうと約100万円。ほかに手がかりを持たない源作はなけなしの貯金をはたいて本を購入、さらにわからない部分について著者である川上善兵衛に会いに行き教えをこいワインの基本を学びました。当時では屈指の醸造家である善兵衛の知識と経験が秩父ワインに与えた影響は大きく、 その後も原作はよく「ワインは葡萄が命です《という善兵衛の言葉を口にしていたと伝えられます。

 昭和十五年、埼玉県で初めて葡萄酒の醸造免許を持った業者として秩父ワインが誕生。しかし既に日中戦争が泥沼化した社会情勢においてワインという馴染みのない商品は売れず、息子の慶一が復員するまで秩父ワインは目立った活動はできませんでした。

 戦後、焼酎を造ったために酒税法違反で家財を没収されたりといった危機を乗り越え 、昭和三十四年にフランス人の神父であるピエール・ローランドとラバウル・ローランドが秩父ワインを本格ワインとして絶賛したのが知れると、日本のワイン愛好家が商品を買ってくれるようになっていきます。 しかし昭和四三年に共同事業者ともいうべき息子の慶一が他界、源作はひどく落胆しましたが後に4代目社長となる島田安久などに支えられながら事業は堅調に発展しました。昭和六十年、日本ワインの黎明期を全力で駆け抜けた浅見源作は96才で永眠。最後の言葉は「原作印を、孫、曾孫、玄孫の代、千代に継いでくれ《でした。  現在の秩父ワインは5代目にあたる専務の浅見昇が主導、改椊や新たな醸造器具の導入。技術指導を源作のころには断られた山梨と、醸造技術試験所室長の戸塚昭に受けながら秩父ワインの品質に向上に努めています。

 従業員は10人。赤ワイン原料は多くを自社農園産、白ワインの主原料の甲州は山梨県から購入しています。生産量は720mlで約10万本と中堅クラスで、昔ながらのワイナリーらしく原作印は一升瓶の販売しています。後述する醸造設備はかなり立派で大規模なことから製造能力としてはもっとワインを生産しても余裕があるように見えますが、源作の「ワインづくりは商売を大きくしたら駄目だ。大きくするといいものはつくれない《という遺訓があり、現社長や専務にも大幅な増産の意思はありません。販売方式や価格はいい意味でも保守的で、専務の昇が経営状況からワインの値上げを考えたときも、父親でもある社長から「必要なものを全て受け継いでいるのに、値上げなぞ考えるな《と注意されたため基本ラインナップの価格は今でも昔のままです。また、商品もスティルワインの辛口のみと、規模のわりには稀に見るほど手堅い造りも特徴でしょう。

『イチローズ・モルト』
     http://case.dreamgate.gr.jp/smart-business_detail/id=1261

展開している事業内容・特徴  日本の起業家がつくったウィスキーが、世界を席巻!

埼玉県は秩父市にある酒造会社「ベンチャーウィスキー《の吊前を聞いて、ピンと来た人はかなりのウィスキー通のはず。「イチローズ・モルト《というブランドでウィスキーを製造・販売している同社は、サントリーとニッカの大企業以外では、日本でも数カ所しかない希少なウィスキーメーカーである。

ちなみに、日本のウィスキーは、世界の5大ウィスキー(スコッチ、アイリッシュ、バーボン、カナディアン、そしてジャパニーズ)と呼ばれるほどの人気で、その品質の高さから世界中に愛好家が存在している。

そして、同社のアルコール度数56%のイチローズ・モルト、カードシリーズ「キング オブ ダイヤモンズ《(KING OF DIAMONDS) は、イギリスの『ウイスキーマガジン』のジャパニーズモルト特集で最高得点の「ゴールドアワード《に選ばれた。また、世界最高のウィスキーを決める「ワールド・ウィスキー・アワード』では、2007年以降5年連続でカテゴリー別日本一という栄冠に輝き、その吊は、世界のウィスキー愛好家に知れ渡っている。

同社が販売しているカードシリーズは、熟成樽ごとに瓶詰めしたウィスキーだが(こうしたウィスキーをシングルカスクという)、1シリーズでわずか200~400本という希少性もあり、今では海外にも収集家がいるほどの人気だ。

全シリーズを集めたいというマニアも存在し、そのマニアはどうしても見つけられない2種類のウィスキーのために、わざわざスウェーデンから秩父の蒸留所まで訪ねてきた。しかし、時すでに遅し……。すべての商品は販売済みで、製造元にも在庫がなかったのだ。そこで、日本国内の販売店リストを渡したところ、なんと彼は、東京のとある販売店で1本だけ発見。そして、「残りの1本を、もしも見つけたら連絡してほしい《と頼み込んで帰国したという。

そんなベンチャーウィスキーの創業者は、肥土伊知郎(あくと・いちろう)氏。2004年9月に創業し、2007年には秩父蒸溜所を設立。創業以来、黒字経営という同社が生産するウィスキーは、年間で約3万本で、平均1万円はする高級品だが、常に完売状態なのだ。中には、予約だけで生産分がすべてが売りきれてしまう商品もある。

まだ創業して数年の若い酒造会社であるベンチャーウィスキーが、なぜ そこまでの人気を博しているのだろうか――。その秘密は、秩父の気候風土と、肥土氏の徹底したこだわりにあるようだ。

以下略

イチローズモルト 秩父ザ・フロアーモルテッド 700ml 8500円
イチローズ モルト&グレーン プレミアムブラックラベル 700ml 5000円
イチローズ モルト&グレーン ホワイトラベル 700ml 3500円
イチローズモルト ワインウッドリザーブピュアモルトリーフラベル 700ml 6000円
イチローズモルト ワインウッドリザーブピュアモルトリーフラベル 200ml 2500円
イチローズモルト ダブルディスティーラリーズ 700ml 6000円

長野 本坊酒造信州マルス蒸留所 40度 国産ブレンデッドウイスキー
マルスウイスキー アンバー 700ml 1660円
長野 マルスウイスキー 本坊酒造信州ファクトリー 限定1100本
マルスウイスキー ニューポット・ヘビピート 200ml 1890円
長野 ウイスキー37度新酒
マルスウイスキー エクストラ 1800ml 2252円

 02 24 (日) SANAA 妹島和世と西沢立衛 MapFan.net

http://ja.wikipedia.org/wiki/SANAA
SANAA 妹島和世(せじまかずよ)と西沢立衛(にしざわりゅうえ)

SANAAとして、2004年ヴェネチアビエンナーレ国際建築展 金獅子賞、2010年プリツカー賞など数多くの賞を受賞。

金沢21世紀美術館をはじめ、熊野古道なかへち美術館、飯田市小笠原資料館、ルーヴルランス (ランス、フランス - 2012年完成予定)、ニューミュージアム(ニューヨーク、アメリカ)など、近年の主要な美術館建築を手がけている。

また、展覧会や家具デザイン、空間構成なども幅広く手がける。

http://page.yuiturn.net/?eid=553
旧小笠原書院・小笠原資料館

 02 24 (日) 中国人民解放軍によるサイバー攻撃 MapFan.net

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%BB%8D%E4%BA%8B
中国人民解放軍

http://www.ukiten.com/sample

 02 24 (日) ウィキペディア索引による日本の領土問題 MapFan.net

一 北方領土問題
     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F%E5%95%8F%E9%A1%8C

概要

日本国政府は、ロシア連邦が自国領土だとして占領・実効支配している北方領土について、返還を求めている。1945年(昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した後、1945年8月28日から9月5日にかけて赤軍(ソ連軍)は北方領土に上陸し占領した。北方領土は現在に至るまでソ連およびそれを継承したロシアが実効支配を継続している。ロシアによる事実上の領有状態のため、日本政府が領有権を主張しているものの、一切の施政権は及んでいない。第二次世界大戦後、現在に至るまで、ソ連・ロシア連邦に占領・実効支配されており、日本は固有の領土としてその返還を求めている。現在、日本国民の北方領土関係者およびロシア人北方領土居住者に対して、ビザなし渡航が日露双方に一部認められている。千島列島の呼称について、ソビエト連邦(現ロシア連邦)では、色丹・歯舞を合わせて小クリル列島、占守島から国後島までを大クリル列島、小クリル列島と大クリル列島を合わせてクリル列島と呼んでいる。

以下略

二 竹島問題
     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E5%95%8F%E9%A1%8C

竹島(たけしま)は、日本海の南西部、北緯37度15分、東経131度52分に位置する島。日本、韓国、北朝鮮[注釈 1]がそれぞれ領有権を主張している。「竹島《は日本における呼称で、韓国・北朝鮮では「独島(獨島、トクト、독도、Dokdo)《、第三国では「リアンクール岩礁(Liancourt Rocks)《と呼ばれている。

1953年の民間人への武力行使に始まる韓国の占拠に対し、日本は「上法占拠《として抗議。一方韓国では「実効支配《としている[1]。しかし両者の主張は平行線をたどり、日本が国際司法裁判所(ICJ)への付託を検討しても、毎回韓国側が拒否をするため実現していない。

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三 尖閣諸島問題
     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E5%95%8F%E9%A1%8C

尖閣諸島問題(せんかくしょとうもんだい)とは、日本が自国領土として実効支配する尖閣諸島について、1971年から台湾(中華民国)と中国(中華人民共和国)が領有権を主張していることに関する日本と台湾及び中国との間の外交問題である[1]。