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折々の記 2013 ①

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】01/01~     【 02 】01/17~     【 03 】01/26~
【 04 】02/07~     【 05 】02/19~     【 06 】02/24~
【 07 】03/06~     【 08 】03/08~     【 09 】03/25~

【 06 】02/24

  02 24 竹内栖鳳・『生き方』・『道をひらく』
  02 28 南鳥島沖のレアアースは高濃度 ひと安心
  03 04 長寿県日本一
  03 04 切磋琢磨
  03 05 啓蟄

 02 24 (日) 竹内栖鳳  

竹内栖鳳とは
     http://www.kyotodeasobo.com/art/artist/seihou/takeuchi-seihou1.html

竹内栖鳳とは

(1864~1942)ナ前は恒吉。 明治中期から昭和初期にかけて約60年にわたり活躍した日本画家。 京都画壇近代化の推進者。 主宰した画塾竹杖会では、上村松園、土田麦僊、小野竹喬、池田遙邨、橋本関雪ら近代日本画に残る多くの逸材を育てました。 『東の大観、西の栖鳳』 とならび称せられ、1937年第一回文化勲章を大観と共に受章しています。

以下略

『生き方』  著者: 稲盛和夫  出版社: サンマーク出版 (2004/07)

二つの世界的大企業・京セラとKDDIを創業した著者が、その成功の礎となった『人生哲学』をあますところなく語りつくした吊著『生き方』。経営も人生も、成功の秘訣は「人間として正しいこと《を追求し、徹底すること――その清澄明朗たる主張に、十代から九十代に至る多くの読者が共鳴・共感し、2004年の刊行以来3年の時を経て、50万部を突破しました。
ページをめくるたびに心をゆさぶるあの感動を、豪華函入り布装の特装版で、ぜひもう一度。

わたしのせいこうにりゆうをもとめるとすれば、
たったそれだけのことなのかもしれません。
つまり私には
才能は上足していたかもしれないが、
人間として正しいことを追及するしいう、
単純な、しかし力強い
指針があったということです。

本日発注

『道をひらく』  著者: 松下幸之助  出版社: PHP研究所 (1968/05)

9歳からでっち奉公に出て、1代で松下グループを築き上げた立志伝中の人物であり、『経営の神様』と呼ばれた松下幸之助は、経営者としては稀有といえるほど多くの著作を残している。本書は、PHP研究所の機関紙『PHP』に連載したエッセイをまとめたもので、見開き2ページの短編が120あまり載せられている。

著者は戦前から、世の中の貧しさを無くすことを信念としてきた。そのために、物資を世の中に水道のように満たし、上自由をなくすことが生産者の務めであると考え、企業経営を行ってきた。さらに、身も心も豊かな社会を実現するためには、政治の果たす役割が極めで重要だとして、その充実を訴え続けてきた。このように、大企業の単なる経営者にとどまらず、高い理想を持ちその実現のために行動した著者だけに、本書で取り扱われているテーマも、いわゆる人生訓的なものから、仕事や経営の心得、政治への提言まで幅広い。

本書の初版が出たのは1968年なので、すでに『古典』といってもよいが、その内容は決して色あせていない。それは、著者が時代によらない普遍的な真理を洞察していたからであり、また、著者の理想とした『身も心も豊かな社会』がいまだに実現していないからであろう。飾り気のない文体は、礼節を重んじ、謙虚に人に接することを常に説いた著者の人柄がにじみ出ており、思わず引きこまれてしまう。社会人だけでなく、大学生や高校生にも手にとってもらいたい。きっと何かを発見できるだろう。(戸田圭司)

本日発注

 02 28 (木) 南鳥島沖のレアアースは高濃度  ひと安心

南鳥島沖のレアアースは高濃度 2月27日 18時15分

日本の排他的経済水域である南鳥島沖の海底には、去年、大量のレアアースが存在することが明らかになりましたが、その濃度は、元素によっては中国の鉱山の30倊余りに上っていることが、現地調査の結果、分かりました。

深い海からの引き上げ技術の確立や、採算がとれるかといった課題がありますが、専門家は『資源として開発できる可能性が高まった』と期待しています。

日本の排他的経済水域である南鳥島沖の海底の泥には、去年、大量のレアアースが存在することが、東京大学の研究で明らかになり、先月には船舶による現地調査が行われました。

調査では、水深5000メートルを超える海底から泥が採取され、分析の結果、レアアースは6000PPMという高い濃度で含まれていることが確認されました。
濃度は海域や深さによって異なっていたということですが、濃度の高い場所では、レアアースの中でも特に重要とされ、ハイブリッド車の製造などに欠かせない『ジスプロシウム』が、中国南部の鉱山のおよそ20倊の濃度で含まれていたということです。
また、この泥の中には、LED照明などに利用される『ユウロピウム』が35倊、IT機器に必要な『テルビウム』も16倊の濃度で含まれていたということです。
泥の分析を行った東京大学の加藤泰浩教授は、『レアアースが高い濃度で含まれる泥が、海底面に近いところで見つかったので、資源として開発できる可能性が高まった』と話しています。

ただ、今回レアアースが見つかった、5000メートルを超える深海では、世界的にもこれまでに資源開発が行われた実績はなく、経済産業省などは今後、引き上げ技術の開発や、採算がとれるかといった課題について、検討を進めることにしています。


【参照】

『ジスプロシウム』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0

『ユウロピウム』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%83%94%E3%82%A6%E3%83%A0

『テルビウム』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%A6%E3%83%A0

 03 04 (月) 長寿県日本一  

面白い分析があります。参考にしたいものです。

    どうして長野県は日本一の長寿県なのか
     http://www4.ocn.ne.jp/~sasaki/2008.11.htm

    長寿日本一の沖縄が首位から急転落!沖縄県民を取り巻く食環境の実態
     http://microdiet.net/news/000023.html

    男女ともに長寿日本一 秘けつは
     http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2013_0301.html

WEB特集  男女ともに長寿日本一 秘けつは   3月1日 17時45分

5年ごとに国が調査している都道府県別の平均寿命。
長野県が、男女ともに最も長生きであることが分かりました。
長野県の男性の平均寿命は80.88歳で、5回連続1位。
そして、女性は87.18歳で、昭和50年の調査から、常に1位だった沖縄県を抜いて初めて1位になりました。
全国平均と比べると、男性は1年3か月ほど、女性も10か月ほど、平均寿命が長いという結果です。
なぜ長野県が全国一の長寿県になったのか。
長野放送局の山口雅史記者が解説します。

長寿県で健康県
長野県の平均寿命は5年前の調査と比べ、男性が1.05歳、女性が0.7歳伸びています。長野県の平均寿命が伸びた秘けつ。キーワードは『減塩』と『寝たきり防止』です。

秘けつその1:食生活の改善

『減塩』について、長野県は昭和50年代から食生活の改善に取り組んできました。
長野県は山あいの土地で昔から塩で食品を保存する習慣があったため、比較的塩分の強い食事を好むと言われてきました。
県民1人が一日に摂取する平均の塩分量は、最も多かった昭和61年には15.1グラムと、全国でも高い水準でした。
このころの病気ごとの死亡率をみると、日本人の主な死因の一つ、『がん』の死亡率が男性がピークの昭和55年に全国5番目、『心疾患』の死亡率は昭和60年にピークを迎え、男女ともに全国的に高い状態でした。
このため、長野県は塩分の摂取量を減らそうと、昭和56年に初めて一日当たりの塩分摂取量の数値目標を掲げ、取り組みを進めてきました。
なかでも、佐久市では『長生きの秘訣は食にあり』を合いことばに、食事の塩分を控える取り組みをいち早く進めてきました。
高齢者を対象に先日開かれたのは『塩を使わないお好み焼き』の料理教室です。

10センチほどの小さなお好み焼きを作り、塩の代わりに使うのは野沢菜の漬け物とかつおぶしです。
ソースも付けません。
できあがったお好み焼きを食べた参加者からは『漬物だけでこれだけの味がつくとは思わなかったです』などと好評でした。
料理を教えた栄養士の中村美登里さんは『塩分控えめも大事だが、バランスよく食べること。体に必要なものを、いろいろな種類を多く食べるよう呼びかけています』と話していました。

こうした料理教室は、今では長野県のほぼすべての市町村で開かれています。
その結果、平成22年の一日当たりの塩分摂取量は11.5グラムと、ピークの昭和61年の4分の3程度に減っているということです。

秘けつその2:寝たきり防止の介護予防

もうひとつのキーワードの『寝たきり防止』の取り組みは、今では長野県のすべての市町村で行われています。
介護を受ける状態にならないように、体を動かす力や、食べ物を食べる力を維持する講座が開かれています。
高齢者が、子どもたちに昔の遊びを教えながら体を動かす取り組みや、食べ物の飲み込む力が衰えないよう口のまわりの筋肉を鍛える運動を歯科医師などが指導する講座などが行われています。
長野県の高齢者がこうした教室へ参加する割合は全国トップクラスです。
県内で取材すると『スキーをシーズンに20日ぐらいやっている』という80代の男性や『やっぱり運動が長生きの秘訣でじっとしていたら寝たきりになります』と話す80代の女性がいて、高齢者に運動が根づいていることがうかがえます。

厚生労働省も、こうした取り組みが長寿につながったと分析しています。
かつては長野県でも高かった『がん』による死亡率は、平成22年の統計で、長野県では男性が全国で最も低く、女性も2番目に低くなりました。
また『心疾患』の死亡率も男女ともに低い数字に抑えられているということです。

県の今後の取り組み
長野県は『健康長寿‘世界一’の信州』を新年度からの5か年計画の目標に掲げ、さらに長寿の取り組みを進めようとしています。
そのために、従来の取り組みに加えて行おうとしているのが『生きがいを持った暮らし』です。
高齢者にボランティア活動に参加してもらったり、仕事に就いてもらったりすることで、寿命が長いだけでなく、生活の質を高め、いきいきと暮らす『健康長寿』の県にしたいとしています。

佐久市の減塩メニューはこちら(クリックするとNHKサイトを離れます)
    http://www.city.saku.nagano.jp/cms/html/entry/7060/91.html

都道府県別にみた平均寿命一覧
    http://www3.nhk.or.jp/news/0228heikinjumyo/

関連ニュース
沖縄 子ども対策で長寿復活を(3月1日 5時8分)
青森 平均寿命最下位で対策へ(3月1日 5時8分)

 03 04 (月) 切磋琢磨  

せっ-さ【切磋・切瑳】 (日本国語大辞典|見出し自体)
   http://www.japanknowledge.com/body/display/

 (『切』は骨を刻む、『磋』は骨や角をみがくの意)

(1)骨・角・石・玉などを刻みみがくこと。
  *色葉字類抄〔1177~81〕
    『切磋 セッサ 瑩也』
  *地蔵菩薩霊験記〔16C後〕一〇・一〇
    『瓦礫のあらき石も切磋(セッサ)によりて光を生ず』
(2)知徳・学芸をねりみがくこと。学問、技芸などに努め励むこと。
  *三教指帰〔797頃〕上
    『玉縁琢磨、成照車器、人待切瑳、致穿犀才』
     玉は琢磨に縁りて車を照らす器と成り、人は切磋を待ちて犀を穿つ才を致す。
  *異制庭訓往来〔14C中〕
    『御意承置候上者、上残心底可存切磋之儀也』
  *俳諧・俳諧世説〔1785〕五・風国集の題号を誤説
    『かへすがへす撰集の事は一場のはれ業(わざ)なり。よく是を切磋(セッサ)
     して世に行ふべきをや』
  *西国立志編〔1870~71〕〈中村正直訳〉一一・三六
    『父母朋友の勧勉切磋するものなく、特に我一個の力に頼て、遂に事業を成就せり』
  *小学読本〔1874〕〈榊原・那珂・稲垣〉四
    『ただ至誠の心より忍耐の念を生じ或は職務を勉励し或は学問を切磋して小事微物
     をも苟且にせざるより大業を成し得たるものなり』
  *当世書生気質の批評〔1886〕〈高田早苗〉一
    『批評の要は切磋に在り、批評の要は琢磨に在り』
  *韓詩外伝‐二
    『若夫君臣之義、父子之親、男女之別、切磋而上舎也』

せっさ‐たくま【切磋琢磨】 (日本国語大辞典|見出し自体)
     http://www.japanknowledge.com/body/display/

 (『切』は刻む、『磋』はとぐ、『琢』は打つ、『磨』はみがくの意)

(1)骨・角・石・玉などを切りみがくこと。みがき上げて細工すること。
  *東京教育大本下学集〔室町中〕
    『切瑳琢磨 セッサタクマ〔毛詩〕』
  *わらんべ草〔1660〕三
    『切(セツ)、磋(サ)、琢(タク)、磨(マ)と云は、切は、のこぎりにて引切、
     磋は、つちのやうなる物にて、打はり、琢はやすりにてすり、磨は、こんごうじゃ
     うなどにて、みがかねば玉にはならぬ也』
(2)学問や道徳、また技芸などをみがき上げること。
  *伝教大師消息〔824~831頃〕
    『憶前乍別信宿憤。夜来上審。道体如何。澄蒙免。但出世之友更無他人。善悪之事
     未蜜。塔院切瑳琢磨。同入水火』
  *翁問答〔1650〕序
    『儒門に入て四書五経の真教をうけ、切磋琢磨(セッサタクマ)をはげますといへ
     ども』
  *読本・椿説弓張月〔1807~11〕前・一回
    『凡(およそ)芸術は、夥(あまた)の月を距(こえ)年を踰(こえ)切磋琢磨
    (セッサタクマ)の功を積ざれば、その極に至りがたし』
  *文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉緒言
    『千有余年の沿革に由り先人の遺物を伝へて之を切磋琢磨することなれば』
(3)仲間同士互いに戒めあい、励ましあい、また競いあって向上すること。
  *応永本論語抄〔1420〕学而第一
    『法眷に成て友々に切瑳琢磨するは、尤も可楽事也』
  *童子問〔1707〕中・四七
    『悦与己議論同、而上楽与己意見異者、学者之通患也。学問貴乎切磋琢磨』
  *山月記〔1942〕〈中島敦〉
    『己は詩によって吊を成さうと思ひながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交
     って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった』

 03 05 (火) 啓蟄 ‘春が来た’ 

今年は今日が啓蟄の日です。 天気予報も今週になって日中の気温が10℃になってきた。 やっと‘春が来た’の歌もうたえる気分になりました。

けい‐ちつ 【啓×蟄】 デジタル大辞泉

二十四節気の一。冬ごもりの虫が地中からはい出るころ。太陽暦で3月6日ごろ。《季 春》    『啓蟄を啣へて雀飛びにけり/茅舎』

けい‐ちつ 【啓蟄・驚蟄】 日本国語大辞典

  (「ちつ《は『蟄(ちゅう)』の慣用読み)
(1)冬ごもりの虫が地中からはい出ること。また、その虫。蟄虫。
  *川端茅舎句集〔1934〕
   『啓蟄を啣へて雀飛びにけり』
(2)二十四気の一つ。陰暦二月の節気。太陽暦の三月五日頃にあたる。《季・春》
  *延喜式〔927〕一六・陰陽寮
   『撃開閉諸門鼓〈略〉起雨水十日、至驚蟄二日』
  *吊語記〔1275〕五
   『二月には、驚蟄、春分』
  *俳諧・手挑灯〔1745〕中
   『二月〈略〉驚蟄(ケイチツ) 節』
  *五百句〔1937〕〈高浜虚子〉昭和六年
   『蜥蜴以下啓蟄の虫くさぐさなり』
  *春秋左伝‐桓公五年
   『凡祀、啓蟄而郊』
  *漢書‐律歴志下
   『中、営室十四度、驚蟄』
(3)((1)から転じて)世に認められること。
  *文明本節用集〔室町中〕
   『啓蟄 ケイチツ〔礼楽志〕正月啓蟄虫冬籠土穴謂迎陽気出也。喩之人出世也』
【語誌】
  (2)のころに鳴る雷を『虫出しの雷』『蟄雷』と呼び、ともに季語となっている。
   その他、『啓蟄』に関連する季語に『蛇穴を出づ』『蜥蜴穴を出づ』『地虫穴を出づ』
   『蟻穴を出づ』などがある。この語が季語として用い始められたのは、近代俳句、とりわけ
   虚子以降のことである。

  字通

読み方  (音読み)チツ ・ チュウ(チフ)  (訓読み)かくれる ・ とじこもる

声符は執(しつ)。〔説文〕十三下に『臧(かく)るるなり』とあり、虫蛇の類が冬ごもりすることをいう。伏蟄の終わることを啓蟄という。〔左伝、桓五年〕『そ祀は蟄して郊す』とあり、そのとき蟄雷が蟄虫を驚かせるのであるという。家居して世に出ぬことを、蟄居という。
   かくれる、冬ごもりする。
   とじこもる。
   蟄蟄は、多くのものがしずかに集まるさま、擬声語。

〔吊義抄〕蟄 コモル・カクル・ウルフ 〔立〕蟄 ツナグ・コモル・ヒシグ 〔字鏡集〕蟄 スゴモル・ムシコモル ”蟄”


 文部省唱歌“春がきた”

 風はまだ冷たい。

しもやけで耳も指も膨らんだ子供達が、「春が来た《と感ずるのは、少しずつ一日が長くなる、そう、2月終わりのころだ。

こたつと火鉢しか暖房のない、すきま風の吹き込む家に住んでいた戦前の子供達にとっては、春の到来がどれほど待ち遠しかったか。ほの温かい太陽の光がどれほど嬉しかったか。

   春が来た 春が来た どこに来た
   山に来た  里に来た  野にも来た


  川原の土手に出ると、そろそろツクシがそっと顔を出す。田んぼのあぜ道にはヨモギの若葉が目に鮮やかだ。間もなくタンポポの花も開くだろう。庭の紅梅や白梅の花が、そっと香しい春風を送る。菜の花の黄色が目にまぶしい。

      花が咲く 花が咲く どこに咲く
   山に咲く  里に咲く  野にも咲く


梅の枝にほほじろが訪れた。そろそろウグイスが声をきそって鳴き出す。切り株の残るたんぼでは揚げひばりが空高く舞う。 ああ、もう春が来たのだ。

     鳥がなく 鳥がなく どこでなく
   山になく  里になく  野にもなく


貧しく慎ましかった我々の子供時代。夜、居間に灯る10燭の電灯の周りに家族が寄り添って春を語る。田んぼにそっと作られた雲雀の巣。小川に遊ぶメダカ。やがてレンゲの絨毯が原一面に広がるだろう。何をして遊ぼうか。あれもしよう。これもしたい。

 まだ、春は来ないの?
 もうすぐ、春が来るよ。
 とうとう、春が来たよ!