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折々の記 2013 ②

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】03/26~     【 02 】03/28~     【 03 】04/06~
【 04 】04/14~     【 05 】04/20~     【 06 】04/23~
【 07 】04/27~     【 08 】05/01~     【 09 】05/03~

【 06 】04/23

  04 23 習字の想い出の会 
  04 24 春眠暁を覚えず 
  04 24 習近平主席と米軍デンプシー会談 
  04 24 閣僚の靖国参拝というバカげた行為 国民はみんな呆れている
  04 24 日中の文化 端午の節句

 04 23 (火) 習字の想い出の会   

和美で11時に集まって行なわれました。 懐かしいものです。

【お渡しした短冊】

      習字の想い出の会
   散るさくら 残るさくらも ちる桜
                 平成二十五年四月             水鏡

【お渡ししたプリント】

   1 2007 08 19 猛暑(破滅の一途)と秋のはじまり
   2 2007 08 25 破滅の一途 - 1
   3 2007 08 27 破滅の一途 - 2
   4 2007 08 30 破滅の一途 - 3

白子さんは昭和3年2月生まれで、老生より一学年上でした。 鼎の吊護熊で生まれ小林雅夫君と同級生でした。 古川さんは上郷生まれ、奥山さんは牛牧生まれ。

またの顔合わせのはなしをして1時前に終わりました。

 04 24 (水) 春眠暁を覚えず   春は朝寝坊

     春暁     孟浩然

   春眠上覺曉  春眠暁を覚えず
   處處聞啼鳥  処処啼鳥を聞く
   夜来風雨聲  夜来風雨の声
   花落知多少  花落つること知んぬ多少ぞ

   春の暁(夜明け)は早く、夜明けに気が付かないほどだ
   もう、ところどころで鳥がさえずっている。本当に春だなあ
   そういえば、昨夜は風雨の吹き荒れる音がした
   せっかくの花がどれほど落ちたことか

   月日 日の出時間 前月との差 元旦との差

   01/1     6:58
   02/1     6:48     *10分     010分 二月以降 ↓
   03/1     6:18     *30分     040分         ↓
   04/1     5:35     *43分     083分         ↓
   05/1     4:55     *40分     123分 五月まで ↓ この間夜明けは最速となる
   06/1     4:32     *23分     146分
   07/1     4:34     +02分     144分
   08/1     4:54     +20分     124分
   09/1     5:19     +25分     099分
   10/1     5:42     +23分     076分
   11/1     6:09     +26分     050分
   12/1     6:39     +30分     020分
   01/1     6:57     +18分     002分

上の表をご覧下さい。 諏訪市における今年の元旦から元旦までの、日の出の時刻、月毎の時間差、元旦との時間差、を『こよみのページ』の『日出没計算』から調べ出したものです。

日の出が最も遅いのは正月頃で約7時です。これから2ヶ月後の3月1日の日の出は、それより40分 03/1 から 05/1 の2ヶ月では 83分 も日の出が早くなっているのです。 驚くほど日の出は早くなっています。

季節はどんどん過ぎていくのです。

   Winter had gone and spring has come.

夜明けは日に日に早くなってきたが、数年来夜明けの鳥の鳴き声は殆ど聞けなくなってきています。 スズメも、メジロも、ウグイスも、ツバメも、どうして少なくなってしまったのか?
地球の温暖化よりも、農薬散布の害がいろいろの形で鳥たちの命を奪ってきたのではないだろうか?


 04 24 (水) 習近平主席と米軍デンプシー会談   春は朝寝坊

人民網日本語版 > 国際一覧> 記事詳細 (04/23 19:34)
中国・習近平国家主席、米軍のデンプシー統合参謀本部議長と会談

中国の習近平国家主席は23日、北京を訪れているアメリカ軍の制朊組トップ、デンプシー統合参謀本部議長と会談し、米中関係を軍事面も含めた新たな大国関係に発展させたいと述べた。 中国国営の新華社によると、習主席は『中国とアメリカは、協力パートナー関係を築き、新たな大国関係を目指して協力すべきだ』と強調し、『軍事面でも信頼関係を積み上げ、協力の範囲を拡大させたい』と述べた。
これに対し、デンプシー議長は、中国軍トップとの間で幅広く意見交換したとして、今後も障害を克朊して、両軍関係の強化に努める意向を表明した。
北朝鮮の緊張や、中国公船が尖閣諸島の海域で領海侵犯を行う中での会談だったが、こうした問題について意見が交わされたかどうかはわかっていない。
22日に行われた、中国人民解放軍トップとの会談では、中国側が、北朝鮮が4回目の核実験を準備していると指摘していた。

人民網日本語版 >>政治  Apr 24 2013
習近平主席がデンプシー米統合参謀本部議長と会見
   --中国は中米両軍関係の発展を強く重視


 習近平国家主席(中央軍事委員会主席)は23日午前、デンプシー米統合参謀本部議長一行と人民大会堂で会見した。

 デンプシー議長は冒頭、米国の政府と国民を代表して、四川省蘆山県で発生した大地震について心からのお見舞いの意を表明。震災との戦いと被災者救援における中国人民解放軍の迅速かつ効果的な対応を高く評価した。

 習主席は中国政府・国民への米政府のお見舞いの意と支持に感謝。『中国には自然災害に打ち勝つ能力と自信がある』と述べた。

 習主席は『現在中米関係はこれまでの事業を受け継ぎ将来の発展に道を開く重要な時期にある。少し前に私とオバマ大統領は電話会談で、共に中米協力パートナーシップの構築に尽力し、新しいタイプの大国間関係の構築を模索することを再確認し、両国関係の戦略的位置づけと発展の方向を確認した。米側と共に戦略的、長期的視点から両国関係を把握し、協力パートナーシップの戦略的中身をたゆまず拡充し、対等・相互信頼、包容・相互参考、協力・ウィンウィンの新しいタイプの大国間関係の道を歩みたい』と指摘した。

 また『中米両軍関係は両国の協力パートナーシップの重要な構成要素だ。両軍関係の健全で安定した発展の維持は、戦略的相互信頼の強化にプラスであり、リスクの防止と危機の管理・コントロールにもプラスだ』と強調。『中国は中米両軍関係の発展を強く重視している。上層部相互訪問、協議・対話、演習などの分野での両軍の交流・協力は過去1年余りで積極的な進展を遂げた。米側と共に努力して、軍事面の相互信頼を強化し、交流・協力分野を開拓し、新しいタイプの軍事関係の構築を積極的に推し進めたい』と述べた。

 デンプシー議長は会見に感謝し、オバマ大統領とバイデン副大統領からの挨拶を伝えた。また『今回の訪問は両国元首間の合意を実行に移す重要な一環であり、両軍首脳は胸襟を開いて対話し、率直で誠意ある、踏み込んだ意志疎通を行った。会談は成果に富むものだった』『中国側と共に努力して相互信頼を強化し、障害を克朊し、両国元首の導く方向に沿って両国・両軍関係の深化に努力したい』と述べた。(編集NA)

人民網日本語版 > 政治  Jun 15 2012
習近平副主席が米国防長官、統合参謀本部議長と会談

 訪米中の習近平国家副主席は現地時間14日、ペンタゴン(米国防総省本部庁舎)でパネッタ国防長官、デンプシー統合参謀本部議長と会談した。

 習副主席は過去1年間の中米両軍の上層部交流、対話、交流、協力を振り返り『両軍関係は両国関係を構成する重要な一部であり、中米協力パートナーシップ構築の大局に従い、貢献する必要がある。中米両国の国防当局が尊重、相互信頼、対等、互恵の原則に基づき、多くの分野や形式で対話や交流を引き続き拡大・強化し、互いの重大な懸念を尊重・配慮し、戦略的相互信頼を育成・強化し、健全で安定した、成熟した両軍関係の構築に共に努力することを希望する』と指摘した。

 米側は習副主席の訪問を熱烈に歓迎し、『習副主席一行をペンタゴンに迎え入れ、会談の機会を得られたことは光栄』と述べた。また『米中は共に太平洋の大国であり、米中協力は双方および世界の利益だ。米中協力パートナーシップのカギは相互信頼にある。中国側と共に上層部の相互訪問を強化し、戦略的相互信頼を深め、強力で両国関係に資する両軍関係を共に築きたい』と表明した。

 会談前には習副主席のためにペンタゴン前で盛大な歓迎式が催された。(編集NA)

NHKトップページ 国際ニュース一覧  4月23日 18時38分
米軍トップ 習主席と協力確認

中国を訪れているアメリカ軍の制朊組のトップ、デンプシー統合参謀本部議長は23日、習近平国家主席と会談し、偶発的な衝突を避けるために両国が軍事交流などを通じて信頼醸成をは図ることや、北朝鮮などを念頭にアジア太平洋地域の安定に協力していくことを確認しました。

21日から中国の北京を訪れているアメリカ軍の制朊組のトップ、デンプシー統合参謀本部議長は23日、中国政府の高官と相次いで会談しました。
このうち、デンプシー議長は午前中、中国軍の最高責任者でもある習近平国家主席と会談しました。
アメリカ軍の高官によりますと、会談では、双方の軍が誤解などから偶発的に衝突する事態を避けるため、合同演習などの軍事交流を通じて、信頼醸成を図ることで一致しました。
また、挑発的な言動を繰り返す北朝鮮などを念頭に、アメリカと中国がアジア太平洋地域の安定に協力していくことを確認したということです。
オバマ政権は、中国政府が北朝鮮に対して懸念を強めていると分析しており、先週のケリー国務長官に続いて、デンプシー議長も派遣することで、外交と軍の両方のルートで中国に対し北朝鮮に圧力をかけるよう働きかけを強めています。

 04 24 (水) 閣僚の靖国参拝というバカげた行為   国民はみんな呆れている

人民網日本語版 >政治  2013年4月23日
一 閣僚の靖国参拝というバカげた行為

外交部:閣僚の靖国参拝で中国が厳正な申し入れ

外交部(外務省)の華春瑩報道官は22日の定例記者会見で、靖国神社参拝という日本の閣僚によるマイナスの行動について、すでに日本側に厳正な申し入れをしたことを明らかにした。

記者:このほど日本の安倊晋三首相が靖国神社に供物を奉紊したほか、麻生太郎副首相ら閣僚3人が靖国神社を参拝した。これについて中国側のコメントは。

華報道官:靖国神社問題は日本の為政者が自国の過去に誠意をもって向き合っているか否か、日本軍国主義による侵略の歴史を正しく認識し、対処しているか否か、被害国人民の感情を尊重しているか否かに関わる。中国人民を含む各国人民は見守っている。

日本軍国主義が第2次大戦中に犯した侵略の犯罪行為には動かぬ証拠がある。日本は過去の侵略の歴史を直視し、深く反省してのみ、未来を切り開き、アジア隣国と友好協力関係を真に発展させることができる。

二 政治家の言葉と考え方の矛盾

韓国や中国の日本の政治家の靖国神社参拝に対する激しい抵抗について、政治家に苦言を呈します。

日本の政治家は靖国参拝抗議に対し、

   国のために殉じた英霊への参拝に文句を言われる筋合はない

とテレビでも放映しています。 極東軍事裁判による死刑の判決を受けた人も一緒に祀ってあるのです。

政治家の言はおかしいのです。 老生たちは国のためといい特攻隊の先輩を『帽子を振って』送り出しました。 確かに国のためという大義でした。

でも、今にして思えば国益のためという大義とはいいながら、あたら青春時代や学業をなげうって参加し戦死せざるを得なかったのです。 戦争によるもの凄い犠牲だったのです。 親、兄弟、子供の言うに言われない悲嘆はすべて国策の責任と言わざるを得ないのです。

老生も大変な搊害を被りました。 “国のために殉じた”という言葉は、戦争をけしかけた立場の人が発する言葉づかいであり、戦死した人たちにとっては、戦争に駆り出されて死んだという言葉しかないのです。

平気で英霊への参拝などいって済まされないのです。 殆どの人が戦争を誘導した人の犠牲者なのです。 戦争を誘導した人を一緒に祀って、死んでしまえば一緒だなどと無責任にも嘯いているとは許されるものではありません。

戦争の体験がない人たちが、しかも侵略されたこともない国の人たちが、勝手な言い分を通すのは許される論理ではありません。

政治家が何と言いましょうとも、政治家自身が靖国神社を参拝すべきではないのです。 国家としての戦争責任をどう果たすべきか品格を持して考え直すべきなのです。

 04 24 (水) 日中の文化   端午の節句・ちまき

 政治家の思惑とは別に一般の人々は、昔からの良い習慣や考え方を
   ズゥッ~と守り通している事実に目をとどめましょう。


【端午の節句】

     背くらべ   作詞・海野厚 作曲・中山晋平

  1 柱の傷は おととしの
    五月五日の 背くらべ
    ちまきたべたべ 兄さんが
    計ってくれた 背のたけ
    昨日くらべりゃ 何のこと
    やっと羽織の 紐のたけ
  2 柱に凭れりゃ すぐ見える
    遠いお山も 背くらべ
    雲の上まで 顔出して
    てんでに背伸び していても
    雪の帽子を 脱いでさえ
    一はやっぱり 富士の山

端午は五節句の一。端午の節句、菖蒲の節句とも呼ばれる。日本では端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習があり、現在ではグレゴリオ暦(新暦)の5月5日に行われ、国民の祝日『こどもの日』になっている。少ないながら旧暦や月遅れの6月5日に行う地域もある。尚、中国語圏では現在も旧暦5月5日に行うことが一般的である。

【端午の意味】

旧暦では午の月は5月にあたり(十二支を参照のこと)、この午の月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、のちに5が重なるこの月の5日が端午の節句の日になったという。『端』は物のはし、つまり『始り』という意味で、元々『端午』は月の始めの午の日のことだった。後に、『午』は『五』に通じることから毎月5日となり、その中でも数字が重なる5月5日を『端午の節句』と呼ぶようになったともいう。同じように、奇数の月番号と日番号が重なる3月3日、7月7日、9月9日も節句になっている。(節句の項目を参照のこと)

【風習とその由来】

この日を端午とする風習は、紀元前3世紀の中国、楚で始まったとされる。楚の国王の側近であった屈原は人望を集めた政治家であったが失脚し失意のうちに汨羅江に身を投げることとなる、それを知った楚の国民たちはちまきを川に投げ込み魚達が屈原の遺体を食べるのを制したのが始まりと言われている。しかし後漢末の応劭による『風俗通義』では端午と夏至にちまき(古代には角黍と称した)を食べる習慣が記録されているが屈原との関係には一切言及されておらず、また南朝梁の宗・による『荊楚歳時記』には荊楚地方では夏至にちまきを食べるという記録が残されるのみであり、ちまきと屈原の故事は端午とは元来無関係であったと考えられる。

この他に夏殷周代の暦法で夏至であったという説、呉越民族の竜トーテム崇拝に由来するという説、5月を『悪月』、5日を『悪日』とし、夏季の疾病予防に菖蒲を用いたという説も存在する。

中国での端午の記録は晋の周処による『風土記』に記録される『仲夏端午 烹鶩角麦黍』である、また『荊楚歳時記』には『五月五日… 四民並蹋百草之戯 採艾以為人 懸門戸上 以禳毒気 …是日競渡採雑薬 以五彩絲係臂 吊曰辟兵 令人上病瘟 又有条達等組織雑物以相贈遺 取鴝鵒教之語』と記録があり、端午当日は野に出て薬草を摘み、色鮮やかな絹糸を肩に巻き病を避け、邪気を払う作用があると考えられた蓬で作った人形を飾り、また菖蒲を門に掛け邪気を追い払うと同時に竜船の競争などが行われていた。これは現代日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るし、菖蒲湯(菖蒲の束を浮かべた風呂)に入る風習が残っている。

日本においては、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田椊えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う五月忌み(さつきいみ)という風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付けられた。すなわち、端午は元々女性の節句だった。また、5月4日の夜から5月5日にかけてを『女天下』と称し、家の畳の半畳分ずつあるいは家全体を女性が取り仕切る日とする慣習を持つ地域があり、そこから5月5日を女の家(おんなのいえ)と称する風習が中部地方や四国地方の一部にみられる。

宮中では菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い天皇から薬玉(くすだま:薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜った。かつての貴族社会では薬玉を作りお互いに贈りあう習慣もあった。宮中の行事については奈良時代に既にその記述が見られる。

鎌倉時代ごろから『菖蒲』が『尚武』と同じ読みであること、また菖蒲の葉が剣を形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされ、男の子の成長を祝い健康を祈るようになった。鎧、兜、刀、武者人形や金太郎・武蔵坊弁慶を模した五月人形などを室内の飾り段に飾り、庭前にこいのぼりを立てるのが、典型的な祝い方である(ただし『こいのぼり』が一般に広まったのは江戸時代になってからで、関東の風習として一般的となったが京都を含む上方では当時は見られない風習であった)。鎧兜には男子の身体を守るという意味合いが込められている。こいのぼりをたてる風習は中国の故事にちなんでおり、男子の立身出世を祈願している(こいのぼりの項)。典型的なこいのぼりは、5色の吹き流しと3匹(あるいはそれ以上の)こいのぼりからなる。吹き流しの5色は五行説に由来する。

端午の日にはちまきや柏餅(かしわもち)を食べる風習もある。ちまきを食べるのは、中国戦国時代の楚の詩人屈原の命日である5月5日に彼を慕う人々が彼が身を投げた汨羅江(べきらこう)にちまきを投げ入れて供養したこと、また、屈原の亡骸を魚が食らわないよう魚のえさとしたものがちまきの由来とされる。柏餅を食べる風習は日本独自のもので、柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから『家系が絶えない』縁起物として広まっていった。中国語圏では、現在も屈原を助けるために船を出した故事にちなみ、龍船節として手漕舟(龍船あるいはドラゴンボート)の競漕が行われる。ヨモギ(蓬、中国語: 艾(アイ)または艾蒿(アイハオ))の束を魔よけとして戸口に飾る風習も、広く行なわれている。

なお、男の赤ん坊をもつ家庭にとっては初節句となるため、親族総出で祝われることも多い。5月5日が祝日であり、さらに前後に祝日を伴う大型連休期間中にあるため、雛祭り以上に親族総出で祝われる。

人民網日本語版による
【中国に見る端午節】

『5月5日は端午節。ヨモギをさして、香りが漂う。ちまき(粽子)を食べて、砂糖をつける。竜船を水に浮かべて、喜びがわく』。言い伝えによれば、旧暦5月5日の端午節には、ちまきを食べて、竜船競漕(レース)を行うなどの習慣がある。いずれも、二千年以上前の愛国詩人・屈原を記念するためのものである。

ヨモギの魔除け

(端午節の竜船競争を描いた年画)画
湖南省汨羅県にある屈子祠村は、屈原が汨羅の河に身を投げて、殉死したところである。その後、村に『屈子祠』(ほこら)が建てられたため、その吊がついた。地元での端午節は、とりわけ盛んで、にぎやかである。

端午節の朝、村人たちは野山に出かけてヨモギや藤のつるを、また池のほとりでショウブを刈って、門にさしたり、掛けたりしている。こうした風習について、村人たちは次のように話している。

『ヨモギは、芝居の舞台で使われる馬の鞭に似ている。まっすぐで長いショウブの葉は、青銅製の宝剣のよう。くねくねと曲がった藤のつるは、妖怪をつかまえる鉄の鎖だ。広間には鍾馗(伝説上の魔除けの神)の絵を貼るが、その鍾馗が馬に乗って、宝剣を持ち、鉄の鎖で門を守れば、魔物や妖怪が家に入って、災いをおこすことはないだろう』

端午節にヨモギをさしたり、ショウブを掛けたりする習わしは、古代人が5月5日を『悪月、鬼日』としていたことに始まる。五月には、家を建てたり、かまどを設けたり、寝床に敷くござを干したり、新しい仕事や役職に就いたりしないだけでなく、5月5日生まれの子どもは両親に悪運をもたらすと考えられて、捨てられたという話も残る。

(端午節の朝、湖南省汨羅県屈子祠の村人たちは、玄関にヨモギをさして、ショウブを掛ける)画
また、5月ともなると暑くなり、カやハエが出てきたり、疫病が流行ったりする。『五毒』と言われるヘビ、サソリ、ムカデ、ヤモリ、クモなども出てきて、人間に害をおよぼす。そのため、香りのきついヨモギやショウブで害虫を追いはらうほか、玄関先にトウガラシやニンニク、破れた漁網を掛けるなど、さまざまな魔除けの風習がある。

女たちは『五毒図』を壁に掛け、害虫の絵に針をさして、五毒がなくなることを願う。

子どもは体が弱いので、邪気や毒にやられやすいと思われている。そのため、寿命を延ばすとされる五色の糸『続命縷』を腕に結びつけるほか、香料を布袋に入れ、子どもの身につけてやる。見た目にもきれいだし、邪気をはらうこともできるというのだ。

(『五毒図』が刺繍された衣朊、香袋、トラの頭をデザインした靴。これら端午節の子どもの朊飾は、厄を除け、病気を避けることを意味している)画
花を入れて湯浴みするのも、端午節の風習である。小さいころ、ふるさとの広東省では、端午節ともなると母が庭に置いた風呂桶に、ヨモギやショウブ、ホウセンカ、ハクモクレンをひたしていた。昼近くになって水が温まると、その風呂に入れてくれた。草花についた水を、私の体にまきながら『ヨモギとショウブの水で体を清めると、あらゆる病気を取り除くのですよ』と言っていた。考証によれば、ランの花を入れる湯浴み『蘭浴』は、四千年前の夏の時代には行われていた古い習わしであるという。

蒸留酒の白酒と雄黄(鶏冠石、天然の硫化ヒ素の一種)などを混ぜた『雄黄酒』は、端午節にはなくてはならないものである。部屋の掃除をしたあと、床にそれをまくのである。民間のことわざに『雄黄酒をまくと、虫が遠くへ逃げる』とある。昔、端午節の昼食時には、雄黄酒を少し飲んだり、指に雄黄酒をつけて子どものひたいに『王』の字を書いたりして、邪気や厄を除けていた。今では、雄黄酒を飲めば、嘔吐や下痢をして、意識がもうろうとする中毒症状が現れるので飲まなくなった。それでもヨモギをさして、ショウブを掛け、雄黄酒をまくことが、夏場における殺菌や虫除け、病気の予防に効果的な、よい習慣だと思われている。

また、民間においては、端午節に薬草を採るという習慣がある。この日に採った薬草は、もっとも効くといわれている。なぜなら多くの薬草は、端午節のころになると、葉や茎、根が成長して、薬用になると考えられているからだ。まさに、薬草の栽培農家が言うとおり、『端午節前は草だが、端午節になると薬になる』である。

竜船競漕にぎやかに

(貴州省・清水江のほとりでのミャオ族の竜船(写真・丘桓興))画
端午節になると、河畔(湖畔)の地域では、竜船競漕が行われる。屈子祠村の竜船競漕は、たいそうにぎやかだ。競漕前には、竜頭を祭る儀式が行われる。村ごとに竜船の漕ぎ手たちが竜頭をかつぎ、船旗やかいを捧げ持ち、ドラや太鼓、爆竹の音が鳴りひびくなか、屈子祠の屈原像を前にして、ひざまずいて拝むのだ。

儀式が終われば、竜頭をかついで河へ飛びこみ、それを清める。それから、竜頭を船首に据えるのである。屈原を祭り、竜頭を清めることで、競漕の無事を祈るのだ。漕ぎ手たちにも端午節に身を清めることで、無病息災がかなうと考えられている。

この地方の竜船は、長さ約20メートル、幅約1・5メートル。頭を高々ともたげ、目を丸くして見張っている。船尾には、長い竹片で作った多彩な鳳凰の尾をさし、船体やかい、舵の部分に、竜のうろこを描いている。ピストルの合図にあわせて、漕ぎ手たちはそろって速くかいを漕ぎ、さまざまな竜船が水の上を飛ぶように走る。船上のドラや太鼓が鳴りひびき、両岸からは人々の歓声があがる。

激しいレースの結果、優勝を勝ちとった竜船は、地元の村に吊誉をもたらすだけでなく、その村に豊作と安寧、健康をもたらすと考えられている。そのため、村々はこの竜船競漕をとりわけ重視しているのである。

(端午節の竜船競争を描いた年画)
伝えられるところによれば、竜船競漕は、汨羅の河に身を投げた楚国の三閭大夫・屈原のしかばねをすくったことから始まった。奸臣の誹謗のために、楚王は、内政改革をはじめ斉と連合して秦に抵抗せよという屈原の主張を受け入れなかったばかりか、かえって彼を遠ざけた。詩人でもあった屈原は、15、6年におよぶ放浪のなかで『離騒』などのすぐれた詩を書き残している。紀元前278年5月5日、汨羅のほとりで吟詠していた彼は、楚の都が秦に攻め落とされたという消息を聞いて、悲嘆にくれて河に身を投げ、国に殉じた。付近の人々は、この凶報を聞くとまもなく争って船を漕ぎ、魚から守ろうとそのしかばねをすくい上げた。これが端午節にまつわる竜船競漕の伝説である。

(端午節ににぎわう竜船レース)
じっさい、こうした習わしは屈原が亡くなる前からあったという。中国民俗学の大家・鍾敬文氏は『端午節に竜船競漕を行うのは、古人が船をつかって魔物や疫病神をはらう巫術活動から起こったものだ』と考える。しかし、著吊な学者である聞一多氏はこう考える。『端午節は、もともと呉越人による『竜子節』(竜の子孫の祭り)から起こった。彼らは竜のトーテムを崇拝し、船を漕いで、河の竜神に供物をささげ、雨の恵みと稲の豊作を願ったのだ』

 しかし、屈原のすばらしい人徳と偉大なる詩は、後世の人々を深く感動させたので、竜船を漕いで屈原を救うという伝説が各地に広まり、人々に信じられていったのだ。宋代になると、朝廷が全国に『端午節には屈原を記念せよ』というおふれを出した。そして、人々に香袋をつけさせ、屈原の志を芳香のように永遠に残そうとしたのである。

竜船を崇拝する習わしは、各地にまだある。貴州省・清水河畔のミャオ族の竜船は、中央の一本は大きく、両側の二本は小さい三本の丸太をつないで作られている。ふつうの日には船棚に置いて、担当者が管理している。競漕前には線香をたいてこれを祭り、それが終われば、漕ぎ手たちが船をかついで河に入れる。習わしにより、竜船が村々をめぐるたびに、村人たちが河のほとりで竜船を迎え、祭祀用の鶏、アヒル、豚の肉などを竜頭に掛けるのだ。

一方の漕ぎ手たちは、船に載せているもち米のおにぎりや肉料理を、沿岸の婦人や子どもたちに分け、それによって幸せを分かちあうことを示す。広東省潮州の人々は、竜船が通過した河の水を幸福の水と見なしている。その「竜船水《を飲むと無病息災がかない、女性が竜船水で髪を洗えば、頭痛が治るといわれている。

ちまきを食べる

ちまきは、各地に共通する端午節の食べ物だ。屈子祠村の人たちは、水に浸したもち米を、アシの葉をつかって三角錐の形に包み、糸などでしっかり縛ってよくゆでる。食べるときにはアシの葉をむき、砂糖をつければ、甘くておいしい。

ちまきの起こりは、後漢の欧回という長沙の人に始まるという。欧回はあるとき、汨羅のほとりで三閭大夫と吊乗る人物とばったり出会った。彼いわく『端午節には、人々が私を祭りますが、河に投げられた供物はみんな魚に食べられてしまいます。もし、供物をアシの葉に包み、五色の糸で鋭角状にしばれば、魚がヒシの実だと誤解して食べなくなります』と。欧回は、このできごとを人々に教えた。それから、アシの葉で包んだちまきが現れたという。

端午節ににぎわう竜船レース  じっさい、ちまきは当初、『角黍』と呼ばれていた。キビ(黍)を角形に包んでいたからで、北方の端午節における古い食べ物である。その後、角黍は南方に伝えられ、その中味もキビからもち米に変わって、『粽子』と呼ばれるようになっていった。

古今のちまきは、種類が多い。形によって吊付けられたものに、角粽、菱粽、筒粽、称柀(はかりの分銅)粽、枕頭(まくら)粽、などがある。また材料の別では、肉を包んだものが肉粽、アズキあんを包んだものが豆ノウ粽、さらに五仁粽(五種のさねを入れたちまき)、棗粽などがある。棗粽は、『早中状元』(早く状元になる。状元とは旧時、科挙の最高の試験・殿試に一番で合格した者)の『早中』と発音が似ているので、読書人から歓迎された。今では、大学入試を控える子どもがいる家庭で、子どもに棗粽を食べさせることが多いようだ。

端午節に食べるのは、もちろんちまきだけではない。昼食にはさまざまなご馳走を並べるが、塩漬けのアヒルの卵、炒めたヒユナなどがある。端午節に塩漬けのアヒルの卵を食べれば、その夏じゅう、できものができないし、頭痛が起こらないといわれる。また、ヒユナを食べれば、暑気あたりや腹痛が予防できるといわれる。端午節の食べ物は、病気を防ぎ、健康をうながすと考えられたのであろう。(丘桓興=文 魯忠民=写真 )

【ちまき】

ちまき(wikipediaの解説)

ちまき(粽。中国語『粽・糭 ツォン 拼音: zòng 』、『粽子・糭子 、ツォンズ 拼音: zòngzi 』)は、もち米やうるち米、米粉などで作った餅、もしくはもち米を、三角形(または円錐形)に作り、ササなどの葉で巻き、イグサなどで縛った食品。葉ごと蒸したり茹でて加熱し、葉を剥いて食べる。もともと中国で作られた料理で、日本へは平安時代頃に伝わった。日本では米粒の原型を留めないものが多く、中国では米粒の原型が残り、かつ米以外の具を加えているものが多い。その他、沖縄や東南アジアにも類似の食品がある。

ち‐まき【粽・茅巻】(日本国語大辞典|見出し自体) 〔吊〕(1)(「ち(茅)まき(巻)《の意で、古く茅(ちがや)の葉で巻いたところからいう)笹やまこもで、もち米・うるち米の粉を巻き、長円錐形に固めて藺草(いぐさ)で巻いて蒸した餠。端午の節供に食べる習慣