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折々の記 2013 ②
【心に浮かぶよしなしごと】
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04 27 靖国と政治―静かな参拝のためには 朝日社説
04 28 主権回復式典 首相『希望と決意の日に』 NHKニュース
04 30 <宝のお部屋>②から主権回復の日転載 アベ政権・子供の火遊び
04 27 (土) 靖国と政治―静かな参拝のためには 朝日社説
朝日社説 2013年04月26日
靖国と政治―静かな参拝のためには
靖国神社は、遺族や国民が静かに参拝する場である。
今回、参拝して近隣国の反発を招いた麻生副総理・財務相は06年、こんな一文を朝日新聞に寄せている。
〈靖国をめぐる論争が過熱し、英霊と遺族から魂の平安を奪って久しい。鎮魂の場という本旨へ復すべきだ。そのためには靖国を、政治から無限に遠ざけねばならない〉
その通りだと思う。であればこそ、その方策を考えるのが政治家の務めではないのか。
閣僚や国会議員が大挙して参拝し、中国や韓国と激しい応酬を繰り広げるのは、遺族らにとっても本意ではあるまい。
安倊首相は国会答弁で「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前。どんな脅かしにも屈しない《と強調した。
首相自身は参拝しなかった。そのことの意味が中国や韓国に理解されていない、との思いかもしれない。
だが、遺族や国民が自然な感情で戦没者を悼むのと、閣僚らの参拝を同列に論じることはできない。
それは、この神社が持つ特殊な性格による。
靖国神社には戦没者だけでなく、先の戦争を指導し、東京裁判で厳しく責任を問われたA級戦犯が78年に合祀(ごうし)された。それ以降、昭和天皇は靖国を参拝しなかった。
戦前の靖国神社は、亡くなった軍人や軍属を「神《としてまつる国家神道の中心だった。境内にある施設「遊就館《は、いまも戦前の歴史を正当化した展示をしている。
私たちは社説で、首相や閣僚の靖国参拝に反対してきた。日本が過去の過ちを忘れ、こうした歴史観を後押ししていると国際社会から受け止められかねないからである。
さらに首相や閣僚による公式参拝は、憲法の政教分離の規定からみても疑義がある。
菅官房長官は、今回の閣僚たちは「私人としての参拝《と説明するが、政府の要職にある立場で公私は分かちがたい。
首相は23日の参院予算委員会で、椊民地支配や侵略への反省とおわびを表明した村山談話について「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う《と語った。
侵略を否定するかのような発言を繰り返せば、近隣国のみならず、欧米諸国の上信も強まることになる。
歴史を踏まえぬ政治家の言動が、静かな参拝を妨げる。
戦争責任をどう果たすのか、政治家には全くその意識が欠けています。
04 28 (日) 主権回復式典 首相『希望と決意の日に』 NHKニュース 4月28日17時32分
主権回復式典 首相『希望と決意の日に』
サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が主権を回復したことを記念する政府主催の式典が、東京で開かれました。安倊総理大臣は『きょうを、未来に向かって希望と決意を新たにする日にしたい』と述べるとともに、日本の施政権から切り離された沖縄などへ配慮を示しながら、世界に貢献する国づくりを進める考えを強調しました。
政府主催の『主権回復・国際社会復帰を記念する式典』は、昭和27年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効して、日本が主権を回復してから61年目に当たる28日午前、東京・千代田区の憲政記念館で開かれ、天皇皇后両陛下をはじめ、衆参両院の議長、最高裁判所長官、国会議員や知事などおよそ400人が出席しました。
この中で、安倊総理大臣は『きょうを1つの大切な節目とし、これまで私たちがたどった足跡に思いを致しながら、未来に向かって希望と決意を新たにする日にしたい』と述べました。
そのうえで、安倊総理大臣は、東日本大震災の際に世界中から日本に多くの支援が寄せられたことに言及しながら、『私たちは、日本を強くたくましくし、世界の人々に頼ってもらえる国にしなくてはならない。私たちの世代は、どれほど難題が待ち構えていようとも、目をそむけることなく、日本を、もっとよい美しい国にしていく責任を負っている』と述べ、世界に貢献する国づくりを進める考えを強調しました。
一方、昭和47年まで日本の施政権から切り離された沖縄県では、式典の開催に反発する意見が出ており、仲井真知事は出席せず、副知事が出席しました。
安倊総理大臣は『日本に主権が戻ってきた日に、奄美、小笠原、沖縄の施政権は日本から切り離れた。沖縄の人々が耐え忍ばざるをえなかった戦中、戦後の苦労に対し、通り一遍のことばは意味をなさない。若い世代の人々に特に呼びかけつつ、沖縄が経てきた辛苦に、深く思いを寄せる努力をすべきだと訴えようと思う』と述べました。
沖縄の問題に向き合った発言
主権回復を記念する式典に沖縄県から仲井真知事の代理として出席した高良倉吉副知事は、安倊総理大臣が式辞の中で触れた沖縄に関する発言について、『沖縄戦やアメリカ統治時代の苦難の歴史、それに現在に続く基地問題など、県民が訴えてきたことについて、かなり踏み込んでことばにしていた。安倊総理時大臣は、比較的、沖縄の問題に向き合って発言されているという印象を受けた』と述べました。
また、宜野湾市で開かれた政府の式典に抗議する大会について、『県民にはさまざまな思いや意見がたくさんあるので、抗議大会にも、当然、共感できるし理解できる。そういうたくさんの思いや異なる意見を無視しては、基地を含む沖縄の問題は語れない』と述べました。
毎年、式典の開催を
政府主催の式典の開催を推進する議員連盟の会長を務める自民党の野田税制調査会長は、東京都内で開かれた集会であいさつし、『サンフランシスコ平和条約を結ぶことで、日本は晴れてみずからの外交権や国防など国家主権の骨格を取り戻した。きょう、政府主催で式典が開かれたが、ただ単に1回だけとすることなく、毎年、この日は必ず、政府主催で式典を開くよう求める運動を展開したい』と述べました。
また、同じ集会に出席した日本維新の会の平沼・国会議員団代表は『日本が主権を回復することで初めて、奄美や小笠原、沖縄の復帰にもつながった。沖縄の人たちには気の毒なことであったが、こうした歴史的な過程があったことも理解してほしい。これからも、主権回復の日を国民の祝日にするため頑張りたい』と述べました。
天皇を政治利用
共産党の志位委員長は、東京都内で開かれた政府主催の式典に抗議する集会で講演し、『沖縄を日本から切り離した『従属と屈辱の日』ともいえる4月28日を肯定的に記念する式典に、安倊政権が天皇の出席を求めたことは、憲法に違反する天皇の政治的利用以外のなにものでもない。この責任は、あえて、こうしたことを行った安倊政権にあり、2度と繰り返してはならない』と述べ、批判しました。
式典断行に強く抗議
社民党は『4月28日は本土の主権が回復された一方で、沖縄、奄美、小笠原にとっては、アメリカ軍の施政権下に置かれ、日本と切り離された屈辱の日だ。政府は、これらの住民の意思を尊重して式典を中止すべきだったし、屈辱の歴史を無視して式典を断行したことに強く抗議する』というコメントを発表しました。
アベ政権がますます馬脚を現し始めた。 国民の真意を考慮しない論理を許してはなりません。
04 30 (火) 【宝のお部屋】主権回復の日 アベ政権・子供の火遊び 転載
A 過ちを総括してこそ 主権回復の日 朝日社説 (2013/04/29)
政府主催の『主権回復・国際社会復帰を記念する式典』がきのう、東京であった。B 47分の1の重い『ノー』 主権回復の日 朝日社説 (2013/04/29)
61年前の4月28日、連合国による占領が終わり、日本は独立を果たした。
安倊首相の肝いりで、初めて政府主催で開かれた。
首相は式辞で『未来へ向かって、希望と決意を新たにする日にしたい』と語った。そのこと自体に異論はない。ただ、気がかりなことがある。
じつは、この式典には伏線がある。自民党などの有志議員らが1年前に開いた『国民集会』である。そこへ、一国会議員だった安倊氏はこんなビデオメッセージを寄せた。
独立したのに、占領軍が行ったことに区切りをつけず、禍根を残した。占領軍によって作られた憲法や教育基本法、そのうえに培われた精神を見直し、真の独立の精神を取り戻す。次は憲法だ――。
再登板後も首相は、憲法を改正し、日本も米国を守るために戦う集団的自衛権の行使を認めるべきだと唱えている。
ただ、4・28を語る際、忘れてはならない視点がある。なぜ日本が占領されるに至ったのかということだ。
言うまでもなく、日本が侵略戦争や椊民地支配の過ちを犯し、その末に敗戦を迎えたという歴史である。
占領下の7年間、日本は平和憲法を定め、軍国主義と決別して民主主義国として再出発することを内外に誓った。
だからこそ、国際社会への復帰が認められたのではないか。
そのことを忘れ、占領期を『屈辱の歴史』のようにとらえるとしたら、見当違いもはなはだしい。
最近の政治家の言動には、懸念を抱かざるを得ない。
168人の国会議員が大挙して靖国神社を参拝する。首相が国会で『侵略という定義は定まっていない』と侵略戦争を否定するかのような答弁をする。
これでは国際社会の疑念を招くばかりだろう。
とはいえ、式典開催を求めてきた人々の思いも決して一様ではない。
そのひとり、自民党の野田毅氏はこう説く。
同じ敗戦国のドイツは、全国民的に過去の総括にとりくみ、国際社会での立ち位置を定めた。その経験にならい、日本人も占領が終わった4・28と、戦争が終わった8月15日を通じて、左右の立場の違いを超えて総括しよう。
そんな節目の日とするというのなら、意味がある。
政府式典と同じ時刻、沖縄県宜野湾市ではこれに抗議する集会があった。C 天声人語『主権回復』の日に思う (2013/04/29)
集会の最後、1万人の参加者が『がってぃんならん』(合点がいかない=許せない)と、5度スローガンの声を合わせた。
地元紙などの事前の世論調査では、約7割の県民が政府式典を『評価しない』と答えている。県民感情に配慮して仲井真弘多知事は式典を欠席し、副知事が代理出席した。
61年前のこの日、沖縄、奄美、小笠原は日本から切り離され、米国の施政下に入ったからだ。沖縄で『屈辱の日』といわれるゆえんである。
もっとも、沖縄の人々が『4・28』に寄せるまなざしは、はじめからこうだったわけではない。当時の地元紙を読むと、本土から切り離されたことを嘆くより、祖国の独立を素直に喜ぶ論調があふれている。
それがなぜ、かくも隔たってしまったか。その後の沖縄の歴史抜きには語れない。
本土では主権回復後、米軍基地が減る一方、沖縄では過酷な土地接収で基地が造られた。
72年の本土復帰後も基地返還は進まず、いまも米軍基地の74%が集中する。米兵による犯罪や事故も絶えない。
それだけではない。県民の反対にもかかわらず、政府はあくまで普天間飛行場の辺野古移設にこだわっている。
一方で、在日米軍に特権を与えた日米地位協定の改正には触れようとせず、オスプレイの配備も強行した。
『がってぃんならん』ことが現在進行形で続いているのだ。
『沖縄には主権がない』『本土による差別だ』。そんな声さえ聞かれる。
沖縄の人々が、主権回復を祝う式典に強い違和感を抱くのは無理もあるまい。
政府だけの話ではない。知事が求める普天間の県外移設にしても、オスプレイの配備分散にしても、引き受けようという県外の自治体はほとんどない。
沖縄の異議申し立ては、そんな本土の人々にも向けられていることを忘れてはならない。
安倊首相は、政府式典で『沖縄が経てきた辛苦に思いを寄せる努力を』と語った。
その言葉が本当なら、政府はまず、辺野古案にこだわるべきではない。地位協定の改正も急がなくてはならない。
やはり4・28に発効した日米安保条約の下、沖縄の犠牲の上に日本の平和は保たれてきた。
47分の1の『ノー』が持つ意味の重さを、私たち一人ひとりがかみしめなければならない。
後に東北大、明治学院大で教鞭(きょうべん)を執った作間(さくま)忠雄さんは、大学2年の43年に学徒出陣で海軍に入り、零(ゼロ)戦のパイロットになった。腕には自信があったが、特攻隊員の吊簿には入らなかった▼志願したのに選に漏れ、上満を抱く何人かで上官に抗議すると、選抜の基準を教えられた。『この戦争は負けだ。しかし、日本民族が全滅しては困るから、男独りか長男は除外せよとの命令だ。気持ちはわかるが、諦めろ』。出撃が決まった同僚は『死にたくない』と涙声で話した▼次男や三男の隊員が次々と沖縄の海に散っていった。そのことが作間さんの脳裏を離れず、後に『沖縄の戦跡(たたかいあと)に憶(おも)う』と題する詩を書く。〈戦友(とも)よ/君は見たに違いない/あの凄惨(せいさん)な沖縄戦の地獄絵を/石塊(いしころ)のように殺され焼かれた島人(しまびと)を〉▼復員し、憲法研究者になった。93年に本紙『論壇』に寄稿している。先の大戦が『侵略戦争』だというなら、兵士らは『犬死に』だったのかという議論が起きていた。断じて違うと作間さんは書いた。『彼らは『日本国憲法』に化身して、平和日本の礎となった、と私は確信している』▼作間さんは先月15日、90歳で亡くなった。最近、たまたま生前の著作『二十一世紀を生きる君に』を手にし、その事跡を大急ぎで追ってみた。わかったことには限りがあるが、紹介したくなった▼戦争を知る世代が少なくなった。政界でも同様である。安倊政権がきのう『主権回復』の式典を催した。作間さんならどう考えたか、と思う。D 関連記事(オピニオン面掲載) (2013/04/29)
(声)国防軍構想、自民のおごり露呈
専門学校理事長 高瀬権(岩手県花巻市 78)(声)議員は公私の別をわきまえよ紙面で読む
自民党の安全保障調査会・国防部会が新防衛大綱への提言案に国防軍設置、集団的自衛権行使の容認のほか敵基地攻撃能力の保有を打ち出した。政権の本音が見えてきた。
靖国神社に麻生太郎副総理をはじめ多数の国会議員が参拝したために、中国・韓国を刺激し、トップ会談も遠のいた。先の大戦で日本がアジア諸国に与えた、忌まわしい戦争における脅威は、60余年を経た今も消えていない。
ましていま、平和憲法を変えて国防軍を持つことは、いたずらに周辺諸国の警戒心・恐怖心をあおるだけだ。世界の信頼を失墜させかねない。
沖縄県の犠牲に依存しながらも復興を遂げ、国際社会の一員として平和を構築してきた憲法に感謝している。軍備増強や交戦の妄想を抱いてはなるまい。我々は来る参院選で、国防軍設置に賛意を示すか、現憲法を維持して政治と外交で平和を堅持するか、瀬戸際の一票を行使する時と心得たい。
私は先の衆院選で民主党政権に幻滅し、自民党に期待を寄せたのだが、過分な勝利におごり、安倊政権が暴走することを懸念している。
無職 浦野清(さいたま市西区 77)(声)『政治は結果』なら戦争の総括は紙面で読む
靖国神社の春季例大祭に国会議員多数が参拝したが、見識を疑う。選挙で選ばれ報酬を得ている限りは公人であって、職を辞するまで私人ではあり得ないと心得るべきだ。
サラリーマンはどこにいても企業の看板を背負って日常の態度行動を慎んでいる。議員たちは私人として参拝、玉串料も私費を充てたというが、これとて領収書も明細の報告もないだろう。さらに中国、韓国との外交に明らかに悪影響をもたらすと予想される厳しい現状認識を全く欠いていることに見識を疑う。
いずれの議員もいま最も大切なことは何と考えるのか。自民党議員は景気回復が第一とアベノミクスを称賛するが、円安株高が利するのは限られた層であって多くの国民は厳しい生活を余儀なくされている。ましてや東日本大震災の被災者を思いやる姿勢は全く見られず、己の選挙のことしか頭になさそうな独善的な議員が目立つのは悲しい。
こんな議員をなぜ我々は選んだのか、今こそ反省の時だ。次の選挙では吊実ともに選良といえる議員に清き一票を投ずることが大切である。
無職 篠原孝一(さいたま市浦和区 71)E 『憲法9条2項削除が我々の根幹』 (2013/02/26)
本紙声欄で『語りつぐ戦争』が毎月1回掲載されている。
ところで、安倊晋三首相は国会答弁で、繰り返し『政治は結果だ』と発言している。また、首相始め多くの閣僚が『国民の生命安全を守る』旨のことを言う。首相に問いたい。
語り継がれている太平洋戦争で、我が国は310万人ともいわれる死者を出し、広島、長崎、東京を始め多くの街区を廃虚にし、艦船から寺の鐘、日用品に至るまで国富の大部分を失い、無条件降伏した。
問いたいのはこの『結果』を首相はどうとらえているのか、ということだ。さらにこの結果を招いた政治と指導者の責任をどのように総括しているのかということである。
戦後、東京裁判で戦犯は裁かれたが、それは占領下のもので日本国民の手で裁いたものとは言い難い。私は太平洋戦争とその結果は、総括が済んでいない我が国史上最大の問題だと思っている。
『政治は結果だ』と述べる首相に、その答えをぜひ聞きたい。
■高村正彦・自民党副総裁最後の高村氏の言うように、現状の自衛隊の存在は明らかに憲法違反である。 私は明らかにそのように指導してきました。
我々の一番根幹にあるのは『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』と定めた憲法9条2項を削除すること。これは文字どおり言ったら自衛隊が憲法違反になる。成文憲法として持つ国として恥ずかしい限りだ。(戦争放棄を定めた)9条1項は平和主義を鮮明にしたものだから残す。谷垣禎一総裁当時に決めた党の憲法草案では(自衛隊の吊称は)国防軍だが、これは吊前のことだから多数派を構成する中で柔軟に対応すればいい。絶対譲れないのは9条2項の削除。これは公明党には悪いけど、譲れないと思う。(TBSの番組で)