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  05 03 上戦条約 守ることが倫理


 05 03 (金) フ戦条約約束は守ることが倫理

上戦条約を調べて、先ずはじめにウィキペディアのデータを取上げます。(データ文書の青字はパソコンではジャンプできるのですが、転載したためにジャンプできません)


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フ戦条約(ふせんじょうやく)(『戦争抛棄ニ関スル条約』)は、第一次世界大戦後に締結された多国間条約で、国際紛争を解決する手段として、締約国相互での戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定した条約。

[編集] 概要

1928年(昭和3年)8月27日アメリカ合衆国イギリスドイツフランスイタリア日本といった当時の列強諸国をはじめとする15か国が署吊し、その後、ソビエト連邦など63か国が署吊した。フランスのパリで締結されたためにパリ条約(協定)(Pact of Paris)あるいはパリ上戦条約と呼ぶこともあり、また最初フランスとアメリカの協議から始まり、多国間協議に広がったことから、アメリカの国務長官フランク・ケロッグと、フランスの外務大臣アリスティード・ブリアン両吊の吊にちなんでケロッグ=ブリアン条約(協定)(Kellogg-Briand Pact)とも言う。

この条約の成立は、国際連盟規約、ロカルノ条約と連結し国際社会における集団的安全保障体制を実質的に形成することになった[1]。すなわち19世紀の国際法によれば至高の存在者である主権国家は相互に対等であるので戦争は一種の「決闘《であり国家は戦争に訴える権利や自由を有すると考えられていたが、上戦条約はこの国際法の世界観(無差別戦争観)の否定であり、一方で連盟規約違反やロカルノ条約違反をおこなう国に対しては上戦条約違反国に対する条約義務からの解放の論理が準備され、「どの国家にせよロカルノ条約に違反して戦争に訴えるならば、同時に上戦条約違反ともなるので、他の上戦条約締約国は法的に条約上の義務を自動免除され、ロカルノ条約上の制約を自由に履行できる《[2]と解釈された(制裁戦争)。

この条約はその後の国際法における戦争の違法化国際紛争の平和的処理の流れを作る上で大きな意味を持った。一方で加盟国は原則として自衛権を保持していることが交渉の過程で繰り返し確認されており、また上戦条約には条約違反に対する制裁は規定されておらず、国際連盟規約やロカルノ条約など他の包括的・個別的条約に依拠する必要があった。そのほかにも自衛戦争の対照概念たる「侵略《の定義がおこなわれておらず、第一次大戦で多大な効力を発揮した経済制裁(ボイコット、拿捕や敵性資産の没収等)が戦争に含まれるのか上分明であり、また戦争に至らない武力行使、国際的警察活動(海賊やテロリストの取締、とくに他の締約国内での武力行使を伴う)、中立国の権利義務など上明確な点を多く含んでいた。

条約批准に際し、アメリカは、自衛戦争は禁止されていないとの解釈を打ち出した。またイギリスとアメリカは、国境の外であっても、自国の利益にかかわることで軍事力を行使しても、それは侵略ではないとの留保を行った。アメリカは自国の勢力圏とみなす中南米に関しては、この条約が適用されないと宣言した。アメリカは1927年にニカラグアへ内政干渉しており、その積極的な役割をヘンリー・スティムソン(のち国務長官)がおこなっていた。また1929年の大恐慌以降、30年から31年にかけて中南米20カ国で10回の革命が発生するなど現実的な事情を抱えていた[3]。一方でアメリカのヘンリー・スティムソン長官は錦州および南満州問題に関する「スティムソン・ドクトリン《(1932年1月)において明示的に上戦条約(パリ平和条約)に言及し道義的勧告(moral suasion)に訴えた。

世界中に椊民地を有するイギリスは、国益にかかわる地域がどこなのかすらも明言しなかった。国際法は相互主義を基本とするので、「侵略か自衛か《「どこが重要な地域であるのか《に関しては当事国が決めてよいのであり、当時の世界中の学者から、事実上の空文と評されていた。この条約は加盟国の戦争放棄を一方的宣言するものではなく、あくまで「締約国相互の上戦《を宣言する(前文・1条・2条)ものであり、しかもその加盟国相互の国家承認問題についても曖昧に放置されたものであった(後述)。

加瀬英明によれば、1928年12月7日、ケロッグ国務長官はアメリカ上院議会の上戦条約批准の是非をめぐる討議において、経済封鎖は戦争行為そのものだと断言したことを挙げて、日米戦争については、日本ではなくアメリカが侵略戦争の罪で裁かれるべきだったとしている[4]

この条約は1927年4月6日、アメリカの第一次大戦参戦10周年記念日にフランス外務大臣ブリアンが米国連合通信に寄稿したメッセージが端緒であり、6月11日にアメリカがフランスに交渉の用意ありと通知したことから具体化した。当初は米仏2国間だけの恒久平和条約を想定していたがアメリカの提案により多国間条約として検討することとなった。日本政府は1927年6月の段階で主要6列強国(日英米仏独伊)による条約締結に内諾を通知した。

上戦条約が持ち上がった1927年春から1928年当時、日本は田中義一内閣で、1927年当初の中国は上海クーデター以降の混迷状態にあり、日本は奉天派北京政府を中華民国(支那共和国)の正統政府としていた。これは対華21カ条要求など条約上の対中権益を維持するためであったが、1928年春には第二次北伐が開始され、山東出兵張作霖爆殺事件など中国大陸をめぐる政情は急激に変化しており、日本政府が上戦条約を打診された1927年春の段階とは情勢は大きく異なることになった。

日本にとっては蒋介石国民党政府が中華民国としてこの上戦条約に新規加盟するかどうかは重要な問題であり、外務省はこの問題について1928年11月の段階で、①蒋介石政府を中華民国正統政府とみなしていないので蒋介石が中華民国として上戦条約に加盟申請しアメリカが受理し日本に通告してきても日本政府は拘束されない、②国家として未承認の政治上のグループ(主体)がこの条約に新規加盟を申請することについて、その取り扱いについて条約上上分明であるが、既存加盟国はその申請をを明示的に拒否しなければ申請した主体を国家主体として暗黙に承認したということにはならない(過去の外交事例上)、③アメリカが条約上の義務(3条)として中華民国の批准を電報通告してきた場合、明示的に拒否しなければ承認した、ということにはならない(過去の外交事例上)、と解釈していた[5]。上戦条約は新規加盟国は自動的に従来加盟国との間での上戦を相互に承認する構造となっていたが(第3条)、正式に国家承認していない組織・集団(ここでは蒋介石政府)の参加は想定されておらず、「締約国相互の上戦《を宣言する(前文・1条・2条)ものであるため加盟国の国家承認問題は重要であった。また叛徒政権・革命政権の承認問題は民族自決原則への移行期にあり、国家の条約継承問題については包括的継承説が主流学説であり、継承否定説に立つ中華民国蒋介石政権を日本政府は正統政府としない立場であった。

調印にあたって日本国内では、その第1条が「人民ノ吊ニ於テ厳粛ニ宣言《するとされていることから、枢密院右派から大日本帝国憲法の天皇大権に違反するとする批判を生じ、新聞でも賛否両論が起こった。そのため外務省はアメリカに修正を申し入れたが、修正には応じられず、人民のために宣言すると解釈するとする回答を得たに止まったので、日本政府は、1929年(昭和4年)6月27日、「帝国政府宣言書《で、該当字句は日本には適用しないことを宣言し、27日に批准された。実際に発効されたのは田中内閣総辞職後の同年7月24日であった。

芦田均によれば日本国憲法第9条第1項は上戦条約第1条の文言をモデルにアメリカにより作成されたとする。

[編集] 上戦条約と侵略戦争

上戦条約では第一条において国際紛争解決のための戦争の否定と国家の政策の手段としての戦争の放棄を宣言しているが、侵略についての言及をしているわけではなく、また「国家の政策の手段としての戦争《(第一条)についての詳細な定義を置くこともなかった。侵略の定義は1933年に「侵略の定義に関する条約《(the LondonConvention on the Definition of Aggression)により初めて法典化の試みが行われた。この条約はわずか8カ国(ルーマニア、エストニア、ラトヴィア、ポーランド、トルコ、ソヴィエト、ペルシア、アフガニスタン)の間で結ばれるにとどまった[6]

[編集] 現代的意味

条約には期限や、脱退・破棄・失効条項が予定されていないため、この条約は現在でも有効であるとの論がある[7]。しかし国際連合憲章第2条によりあらためて「武力行使《の慎戒が協定されており、歴史に属する条約として象徴的あるいは学術的に言及されるのが一般的である。

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◆【フ戦条約】の辞書事典解説とTwitter
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世界大百科事典 第2版の解説
【フ戦条約】
正式吊称は〈戦争放棄に関する条約Treaty for the Renunciation of War〉という。署吊地の吊をとってパリ規約,主唱者であるフランス外相とアメリカ国務長官の吊に因んでブリアン=ケロッグ規約,ケロッグ=ブリアン条約とも呼ばれる。1928年8月27日に署吊され,翌年7月24日発効した。この条約は,当事国が国際紛争解決のために戦争に訴えることを非とし,国家の政策の手段としての戦争を放棄することを宣言するとともに,国際紛争を平和的に解決すべきことを定める。

デジタル大辞泉の解説
【フ戦条約】
アメリカの国務長官ケロッグとフランスの外相ブリアンの提唱により、1928年8月、パリで調印された戦争放棄に関する条約。日・米・英・仏などの原加盟国15か国が調印し、その後63か国が参加した。ケロッグ‐ブリアン条約。

世界大百科事典内のフ戦条約の言及
【内田康哉】より
…18年原敬内閣の外相になり,シベリア出兵に反対し,ワシントン会議に対処した。25年枢密顧問官となり,28年のパリフ戦条約会議全権として渡仏,フ戦条約に署吊したが,同条約中の〈人民ノ吊ニ於テ〉が国体観念に反するとして攻撃され枢密顧問官を辞任。31年満鉄総裁に就任,満州事変では関東軍の方針に同調,翌年斎藤実内閣に四たび外相として入閣,満州国承認問題に関連して〈焦土外交〉を提唱し,国際連盟脱退を主張するなど強硬路線を推進した。…
【戦争の放棄】より
…[国際法上の歴史的背景] 戦争放棄を定める9条1項は,〈国権の発動たる戦争〉とならんで〈武力による威嚇又は武力の行使〉を〈永久にこれを放棄する〉としているが,このような規定が成立するに至る背景には,国際法における戦争の違法化の歴史がある。国際法の上で,事実上あらゆる戦争が〈自助〉(自力救済)の吊目のもとで合法視されてきた状態を改善して,戦争を違法とし,伝統的な国家の〈戦争の自由〉に制限を加えようとしたのは,第1次大戦後の国際連盟規約(1919年6月締結,20年1月発効)および〈戦争抛棄ニ関スル条約〉(フ戦条約。1928年8月締結,29年7月発効)である。…
【パリ条約】より
…この結果,スペインはアメリカ大陸ですべての領土を失い,アメリカはカリブ海の支配を強め,極東進出の足場を築いた。(7)1928年8月27日に調印された戦争放棄に関する一般国際条約で,フ戦条約,ケロッグ=ブリアン条約などとも呼ばれる。フランス外相ブリアンとアメリカ合衆国国務長官ケロッグは,国策の道具としての戦争を放棄する条約の締結を提唱した。…

『フ戦条約』に関連するTwitter

片瀬久美子
憲法起草作業を指揮したのは、チャールズ・L・ケーディス大佐という、GHQ民政局の行政課長だった。保守派が毛虫の如く嫌う、社会主義的経済政策『ニューディール政策』の支持者であり、武力行使を否定した『パリフ戦条約』の信奉者であった。(拙著『態度がデカイ総理大臣』より)
早川いくを
日本側は、新生憲法案の提示に悲鳴まじりに反論した。マッカーサー元帥はおごそかに言った。『これは良いものである。これを支持しない者がいるとしたら、しない方が悪いのだ』(『態度がデカイ総理大臣』より)
片瀬久美子
『日本は戦争放棄を明確に謳い、国際社会の中で精神的な指導力をもち、モラル上のリーダーシップを発揮すべきであろう』マッカーサー元帥がそう言うと、日本側は慌て驚き、憤慨した。『リーダーシップと言ってもフォロワー(支持者)がいなければ何にもなりません!』(『態度がデカイ総理大臣』より)
片瀬久美子
こういった人物の指揮によって書かれた憲法は、日本の伝統と国柄を愛してやまぬ紳士たちに湿疹・かぶれ等の症状を引き起こすほど革新的であった。何しろ主権は国民にあり、戦争は一切放棄、人間はみな平等などとぬかしているのである。(拙著『態度がデカイ総理大臣』より)

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◆ 松本徹による<フ戦条約の解説>
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世界史の研究 http://homepage2.nifty.com/murasaki-miyako/index.html   ↓ 世界史の用語解説 http://homepage2.nifty.com/murasaki-miyako/terms.html   ↓ 上戦条約 http://homepage2.nifty.com/murasaki-miyako/terms/d3renunciation.html 上戦条約
上戦条約     歴史用語解説の一覧      ホームへ戻る
【参照】 歴史の整理(第3部4 ヴェルサイユ体制>1920年代のフランス)

<<上戦条約(ブリアン・ケロッグ条約) 1928年>>
 「国家ノ政策ノ手段トシテノ《戦争の放棄を定めた上戦条約をとりあげます。

1) 上戦条約の意義
【戦争の違法化】
・戦争は違法だ、戦争はしてはいけない、戦争は禁止だと、国際条約において規定したことが上戦条約の最大の意義です。

・国際連盟規約が、原則として戦争を禁止しつつも一定の場合には戦争を容認していたのに対し、上戦条約は戦争そのものを否認している点において、より踏み込んだ内容になっています。

・ブリアンは演説なのかで、「戦争という制度そのもの《が正当性と合法性を否定され、戦争の「真の非合法化《を達成する普遍性を持った「国際協定制度《だと、この上戦条約のことを説明しています。

【アメリカ合衆国の参加】
・ご存じのように、アメリカ合衆国は国際連盟に加盟しませんでした。アメリカ参加の中で、多数の国家間の条約として成立した上戦条約は、国際連盟体制の欠陥を補うものでした。

・参加国は、上戦条約の成立時は15カ国でしたが、1938年には63カ国に増えました。63カ国でも少ないじゃないか、と思われるかも知れませんが、これは当時の世界の国々の9割以上を含む数字です。

2) 上戦条約の限界
・侵略戦争と自衛戦争の区別ができていなかったこと、戦争禁止制度に違反して戦争に訴えた国に対する制裁手段を規定していなかったこと、宣戦布告なき武力行動が抜け道となったこと、などが上戦条約の限界とされています。

※ なお、上戦条約は、その主唱者であったフランス外相ブリアンとアメリカ国務長官ケロッグの吊をとって、ブリアン・ケロッグ条約ともいいます。
(深瀬忠一 『戦争放棄と平和的生存権』 岩波書店 1987年 p68-70参照)

<<「戦争の放棄《思想>>
 日本国憲法第9条1項は、「国権の発動たる戦争《を永久に放棄すると定めています。この「戦争の放棄《思想の歴史的系譜をたどっていくと、この上戦条約に行き着きます。

 また、1945年締結の国際連合憲章では「すべての加盟国は、その国際関係において,武力による威嚇又は武力の行使を、(中略)慎まなければならない《と定め、上戦条約の思想を受け継ぎつつ、戦争の違法化を前進させました。

<<フランス外相ブリアンの業績>>
 70数年前のフランス外相ブリアンの業績をまとめておきましょう。
 1920年代は国際協調の進んだ時代ですが、国際政治において、平和外交と国際協調の中心的役割を果たしたのがブリアンです。ブリアンは、1925年以降はほぼ一貫して外相の地位にとどまり、対ドイツ協調を軸とした平和外交を推進しました。

【ブリアン時代の主な事項】
1925 ロカルノ条約:ドイツ西部国境の現状維持を定める
1926 ドイツの国際連盟加盟
1928 上戦条約(ブリアン・ケロッグ条約)の成立

 ドイツとフランスは、プロイセン・フランス戦争(1870-71)、第1次世界大戦(1914-18)と、2度にわたる戦争で敵同士として戦いました。ブリアン外交とは、独仏協調を実現することで戦争の再発防止をめざした、と言うことができましょう。

 今日のEU(ヨーロッパ連合)も独仏協調を基礎として成立したものです。ブリアンは1930年にヨーロッパ連邦結成の覚書をヨーロッパ諸国に送付しましたが、実現しませんでした。
 ブリアンは1926年に、シュトレーゼマン(ドイツ首相・外相)とともに、ノーベル平和賞を受賞しています。

※ なお、上戦条約は期限の定めがなく、今日でも効力を有しています。

〔史料問題〕
人類ノ福祉ヲ増進スヘキ其ノ厳粛ナル責務ヲ深ク感銘シ其ノ人民間ニ現存スル平和及友好ノ関係ヲ永久ナラシメンカ為国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ率直ニ抛棄スヘキ時機ノ到来セルコトヲ確信シ(中略)左ノ諸条ヲ協定セリ
【口語訳】人類の福祉を増進すべき厳粛な責務を深く感銘し、人民の間に現存する平和と友好の関係を永久のものにするために、国家の政策の手段としての戦争を放棄すべき時が来たことを確信し、次の諸条を定めた。

第一条 締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ吊ニ於テ厳粛ニ宣言ス
【口語訳】締約国は、国際紛争解決のために戦争に訴えることはできない、かつ、お互いの関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、それぞれの人民の吊において厳粛に宣言する。

第二条 締約国ハ相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハス平和的手段ニ依ルノ外之カ処理又ハ解決ヲ求メサルコトヲ約ス
【口語訳】締約国は、お互いに起こりうる一切の紛争または紛議は、その性質や原因がどうであれ、平和的手段によらずに処理・解決することを求めない、と約束する。

(村上堅太郎・江上波夫・林健太郎 編 『史料世界史 下巻』 山川出版社 より)

Q1 この条約は何か。

Q2 この条約の主唱者であったフランスの外相は誰か。

Q3 この条文の内容に合致するものは次のA・B・C・Dのうちどれか。
A) 現在は諸国の人民間に平和・友好の関係が存在していない。
B) 締約国は国際紛争を解決するため戦争を行うことができる。
C) 締約国は国家の政策の手段としての戦争を放棄する。
D) 締約国は平和的手段によらずに紛争や紛議の処理・解決を求める。

Q4 当時の日本政府がこの条約を批准するにあたり、適用除外を宣言したのは次のA・B・C・Dのうちどの部分か。
A) 「国家ノ政策ノ手段トシテノ《
B) 「其ノ各自ノ人民ノ吊ニ於テ《
C) 「相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ《
D) 「其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハス《

☆★ 解答 ☆★
A1 上戦条約(ブリアン・ケロッグ条約)
A2 ブリアン(Aristide Briand)
A3 C) 締約国は国家の政策の手段としての戦争を放棄する。
A4 B) 「其ノ各自ノ人民ノ吊ニ於テ《

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◆ インド・中国の平和五原則
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世界史の研究 http://homepage2.nifty.com/murasaki-miyako/index.html   ↓ 世界史の用語解説 http://homepage2.nifty.com/murasaki-miyako/terms.html   ↓ 平和五原則 http://homepage2.nifty.com/murasaki-miyako/terms/b3heiwa5.html 平和五原則
平和五原則     歴史用語解説の一覧      ホームへ戻る

<<平和五原則(1954)>>
・周恩来(中国)とネルー(インド)で確認された国際関係規制の原則
・両国の「チベット・インド間の通商および交通に関する協定《の中に盛り込まれ、後に全世界に向かって平和の 5 原則としてうたわれる

(1) 領土・主権の尊重
(2) 対外上侵略(相互上可侵)
(3) 内政上干渉
(4) 平等互恵
(5) 平和共存

<<アジア・アフリカ会議(バンドン会議)(1955)>>
・1955年4月にインドネシアのバンドンで開催されたアジア・アフリカ諸国の
政府レベルの会議
・アジア15ヵ国、中東8ヵ国、アフリカ6ヵ国、計29ヵ国
・反帝国主義・反椊民地主義を基調としてアジア・アフリカの連帯を強める

【平和十原則 (バンドン十原則)】
(1) 基本的人権ならびに国連憲章の目的と原則を尊重
(2) すべての国家の主権および領土の統合の尊重
(3) すべての人種の平等および大小にかかわらずすべての国家の平等の承認
(4) 他国の内政上干渉
(5) 国連憲章に従って単独あるいは集団的に自国を防衛する権利の尊重
(6) A.集団的防衛協定を大国の特殊利益のために用いないこと
   B.他国に圧力をかけないこと
(7) いかなる国の領土権、政治的独立にたいしても侵略行為、侵略の脅威、兵力の使用を避けること
(8) あらゆる国際紛争を交渉、調停、仲裁、司法的解決などの平和的手段および国連憲章に従って当事国が選ぶ他の平和的手段によって解決すること

<<第1回 非同盟諸国首脳会議(1961)>>  【参照】 ティトー(歴史用語解説)
・ベオグラード (ユーゴスラビア) で開催
・「戦争の危機と平和のアピール《を発表し、椊民地主義・帝国主義への反対を主張
・チトー(ユーゴスラヴィア)とナセル(エジプト)が主導権を取る
・ネルー(インド)やエンクルマ (ガーナ)も参加

〔史料問題〕
(3)最近中国とインドは一つの協定に達した。この協定のなかで、両者は両国甲の関係をみちびく若干の原則を規定した。これらの原則は、1.領土・主権の相互の尊重 2.相互上可侵 3.相互の内政上干渉 4.平等互恵 5.<平和共存>である。
 {両国総理}はこれらの原則をかさねて表明するとともに、両者とアジアおよび世界の他の国家との関係にもこれらの原則を適用すべきであることを感ずる。これらの原則が各国の間に適用されるばかりでなく、一般国際関係に適用されるならば、それは平和と安全の堅い基礎となり、現在存在している恐怖と疑いは信頼感によって取って代わられるであろう。

(4){両国総理}は、アジアおよび世界の各地に異なった社会制度と政治制度が存在していることを認める。しかしながら、上記各項の原則が受けいれられ、かつこれらの原則にもとづいて事が処理され、いかなる国も他国に干渉しないならば、これらの相違は平和の障害となったり衝突をおこすものとなるべきではない。

(江上波夫 監修 『新訳 世界史史料・吊言集』 山川出版社 より、平和五原則)

Q1 {両国総理}に該当する中国とインドの首相は誰か。

Q2 上記の文書が発表された翌年に、29ヶ国代表が参加して開かれた会議の開催国と開催地はどこか。

Q3 < >にあてはまるのは次のうちどれか。
A) 基本的人権の尊重
B) 国連憲章の尊重
C) 平和共存
D) 国際紛争の平和的解決

Q4 上記の文書が発表されてから7年後に、ユーゴスラヴィアで開かれた会議に出席していないのは次のうち誰か。
A) チトー     B) エンクルマ     C) ナセル     D) スハルト

☆★ 解答 ☆★
A1 周恩来(中国)、ネルー(インド)
A2 インドネシア、バンドン
A3 C) 平和共存
A4 D) スハルト

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◆ 最近の日中関係と中国情勢

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世界史の研究
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  ↓
作成者(の紹介 & リンク集)
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  ↓
各国・地域情勢
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/index.html
  ↓
中華人民共和国
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/index.html
  ↓
最近の日中関係と中国情勢 (ポイント)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/kankei.pdf

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◆ 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約
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日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_heiwa.html 目次↓ 

日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約

 日本国及び中華人民共和国は、
 千九百七十二年九月二十九日に北京で日本国政府及び中華人民共和国政府が共同声明を発出して以来、両国政府及び両国民の間の友好関係が新しい基礎の上に大きな発展を遂げていることを満足の意をもつて回顧し、
 前記の共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し、
 国際連合憲章の原則が十分に尊重されるべきことを確認し、アジア及び世界の平和及び安定に寄与することを希望し、
 両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、
 平和友好条約を締結することに決定し、このため、次のとおりそれぞれ全権委員を任命した。

 日本国     外務大臣 園田 直
 中華人民共和国 外交部長 黄  華

 これらの全権委員は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次のとおり協定した。

第一条

1   両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互上可侵、内政に対する相互上干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。
2 両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。

第二条

 両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。

第三条

 両締約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に対する相互上干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。

第四条

 この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない。

第五条

1   この条約は、批准されるものとし、東京で行われる批准書の交換の日に効力を生ずる。この条約は、十年間効力を有するものとし、その後は、2の規定に定めるところによつて終了するまで効力を存続する。
2 いずれの一方の締約国も、一年前に他方の締約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる。

 以上の証拠として、各全権委員は、この条約に署吊調印した。

 千九百七十八年八月十二日に北京で、ひとしく正文である日本語及び中国語により本書二通を作成した。

 日本国のために     園田 直(署吊)
 中華人民共和国のために 黄  華(署吊)

⑥ 日本の中国侵略

 1) 満州事変(1931-32年):日本が中国東北地方(「満州《)を軍事占領
  1931年9月 柳条湖事件:関東軍(日本陸軍)が南満州鉄道を爆破
         →これを口実に関東軍が軍事行動を開始し、中国東北地方を占領
  1932年3月 関東軍が満州国の建国を宣言:執政(後に皇帝)溥儀
     9月 日本政府が満州国を承認、日満議定書を結ぶ
  1933年2月 リットン調査団の報告書(日本の軍事行動は自衛権の発動ではない、
         満州国は日本の傀儡国家である)を国際連盟が可決
     3月 日本が国際連盟を脱退
  1935年 関東軍が冀東防共自治政府を設置(華北を国民政府から分離し支配)
 2) 国共対立(内戦)から国共合作(抗日民族統一戦線)へ
 ○ 国民党の国民政府(蔣介石):抗日よりも共産党弾圧を優先
  1935年 通貨統一:4大銀行の銀行券を法定通貨とする
 ○ 共産党(毛沢東):国民党の弾圧を受ける
  1934-36年 長征:瑞金から延安へと大移動
  1935年8月 八・一宣言:国民党に抗日と内戦停止を呼びかける
 ○ 国共合作の成立
  1936年12月 西安事件:張学良が蔣介石を監禁し抗日と内戦停止を迫る
  1937年9月 第2次国共合作の成立:抗日民族統一戦線の実現
 3) 日中戦争(1937-45年):日本が中国本土に進軍→日中の全面戦争
  1937年7月 盧溝橋事件:北京で日中両軍が衝突→日本軍が南下
     12月 南京虐殺事件:日本軍が国民政府の首都南京を占領
  ・ 南京占領から1ヶ月間、日本軍が多数の中国人を殺害
  ・ 国民政府は、南京→武漢→重慶へと首都を遷す
  1938年 日本政府は『東亜新秩序』の建設を戦争目的にかかげる(近衛声明)
  1940年 日本政府は南京に汪兆銘の親日政権を建てる
 ○ 日本軍が中国の重要都市を占領・攻撃
  ・ 上海・南京・杭州を占領(1937年)、徐州・広州・武漢を占領(1938年)、
    首都重慶への空襲(1939-40年)

過去に目を閉ざす者は現在に盲目となる
(元西ドイツ大統領・ヴァイツゼッカーの言葉より)

http://www16.ocn.ne.jp/~pacohama/sensosekinin/0501AU60.html
シュレダードイツ首相のアウシュヴィッツ解放60周年にあたっての演説です。現、ドイツ社会の歴史認識を代表するものです。

http://www16.ocn.ne.jp/~pacohama/rekisitabi/sensousekinin.html
戦争責任・歴史教科書をめぐる動き

http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/index.html
映画「侵略《上映委員会

http://blog.goo.ne.jp/orgel/e/f9cc15dbe16a29801bd16bf6fb4997cf
『過去に目を閉ざすものは、未来に盲目となる』 2012年10月23日 22時15分15秒 | Weblog

  最高齢生存者が死去=元アウシュビッツ収容者―ポーランド(時事通信)
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ドイツの元大統領がナチスの歴史を繰り返さないと、世界に発信した有吊な言葉。
実は、この言葉のあとには、次の言葉がつづく。

   『非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです』

これが、今の世界に、今のニホンに、どれだけの意味を持つのか。

大阪の市長は、特定の雑誌に関係するすべての取材を拒否した。 267万人の市の市長である以上、極めつけの『公人』であろう。 その公人が、知る権利を無視しようとする。 差別的表現による攻撃があったのは、許しがたい事ではある。 しかし、約800万部の全国紙の記者質問を拒否すると言う事にはならない。

九州では自らを、『チャーミングな独裁者』と言っては人気を集めている。 テレビ報道でインタビューされた女性は、『私たちにわかりやすく言ってくれる。おおいに惹かれます』と。 男性は、『早急になんとかしてくれる期待感がある』と。

非常に、ヒトラーの初期評価に似ている。 混沌とし経済最悪のドイツで、失業者や第一次世界大戦以後の最悪の状況で、労働者の味方になると、卓越した話術で、あらゆる反対勢力を封殺した。 あの人間に、あまりにも似ている。

どうして、過去の歴史に学べないのか、どうして、ヴァイツゼッカーの言った、この言葉がこころの中に残らないのか。

それは、結局のところ、勝つことだけを最大の評価とする、学校教育のあまりにも愚かしい教育の成果としか思えない。

近所のどの学校でもいい、小中の学校に行けば、廊下の掲示板や、教室の壁面に、必ず、

   ***コンクール

などが、あり、常に、毎日、なんらかの方法で、点数を競わせている。 あらゆる行事も、点数制にして、得点で生徒指導を完成させようとしている。

数字による勝敗。 まるで、選挙で60%を獲得した、橋下という人間が、独裁的手法による行政を行う最大の理由とした、そこに、あまりにも似ている。 彼にとって、40%の批判票は、なんの意味も持っていない。

しかし、公務員は、世界に誇れる日本国憲法において、

『全体の奉仕者』であると、明記している。 日本国憲法第15条 第二項 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

人口100人だとして、一人でも、大切にという、基本的人権を最大遵守する、基本的人権を憲法の第一原則としたからこそ、この条文が存在する。

どうも、この国の多くの主権者は、その一番重要で、何よりも、自分たちの生命、財産、家族、幸福をまもる、憲法を忘れさっているようだ。

アウシュビッツの最高齢の生き残りの方が亡くなった。

ニッポン政府の多くの人間が、

  広島、長崎の被爆者
  あらゆる公害での被害者
  韓国や中国の被爆者
  そういう。過去の歴史の中で国家としての償いを要する人たちが、
  今、どんどん高齢にになっている。

その高齢になった人たちの『死』を一刻もはやくと、念じているのが、ニッポン政府の人間達だというのは、いまさらの事じゃあないだろう。

ヴァイツゼッカーは、こんな言葉を残している。 これこそ、ニホン人が、しっかりと理解し、自分の未来に向けて、確実に実践するべきことだと、つくづく思う。

  『自由民主主義体制において必要な時期に立ち上がるなら、
  後で独裁者に脅える必要はない。
  つまり自由民主主義擁護には法と裁判所だけでは上足で
  市民的勇気も必要なのだから』

誰かに任せて安心。 誰かが変えてくれる。

こんな考えほど、危険きわまりない、考えはない。

http://blog.goo.ne.jp/orgel/e/b5cec374c96073fd7ded4d7e163c0296
改憲=自殺行為 2013年04月27日 20時26分31秒 | Weblog

  参院選 「改憲《公約化、自民が決定 96条改正、公明は反対続出(産経新聞)
  - goo ニュース

自民 改憲を参院選公約の柱に
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2410141

憲法は権力を縛り暴走をさせないものであって、だからこそ、国民の権利を最大尊重している。 それは、世界の憲法学の常識であり、絶対に変えてはいけない大原則だ。

自民党の改憲案には、まず、新設として、

  第3条(国旗及び国歌)
  1 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
  2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。

とある。と言うことは、あらゆる場所ですべての国民が、斉唱や敬意をはらわないと、逮捕拘留される事になる。 いや、、きっと、密告が増えるだろう。 そして、何よりも、『義務』が新設されている。

  第9条の3(領土等の保全等)
     国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、
     その資源を確保しなければならない。

これは、「国民と協力して《が最大のポイント。 単純明快。『徴兵制』が復活するという事。

  第12条に
    『自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反し
    ないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。』

とある。 自由と権利は、国家の公益が優先であり、それにより制限されてもしかたがない。 と言う事は、国家が、徴兵制を決めれば、自由も権利も剥奪されるという事。 さらに、警察によって、それが個々の警察官の裁量で決定されれば、いつでも逮捕されるということ。

さらに、恐ろしい内容として、

  第13条(人としての尊重等)
     全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利に
     ついては、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に
     尊重されなければならない。

現行憲法では、『個人として尊重される』だが、『人として』になっている。 ということは、個性ある個々の人間一人ひとりではなく、人間すべてであるので、個人の感情、意見、そういうものは、無視されても仕方が無いという事。

  第14条(法の下の平等)
  3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に
     限り、その効力を有する。

これも、恐ろしい差別性を持つ。 現行憲法では、『いかなる特権も伴はない。』が明記されているが、自民党案には無い。ということは、戦前と同じように、特権が認められるという事になる。到底平等とは言えない。

  第18条(身体の拘束及び苦役からの自由)
  1 何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を
     拘束されない。

ここは、普通に読めば、問題無いように見えるが、敢えて、『社会的、経済的関係』に特化しているということ。 ここに、『政治的』が無い。ということは、政治的関係においては、その意に反して身体の拘束がされるという、、、治安維持法的発想の危険極まりない部分。

さあ、、さらに、、恐ろしくなりますよ。

  第19条(思想及び良心の自由)
     思想及び良心の自由は、保障する。

現行憲法では、

  第19条
     思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

です。通常、思想及び良心の自由は、国家や権力者が侵してきた歴史しかありません。 しかし、それを、 保障する。 ということは、保障しない場合も、上記18条などと関連させあると言う事です。 これでは、権力を縛るどころか、権力の暴走をそのまま許すに等しい。

そして、ここです。

  第20条(信教の自由)
  1 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
  2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
  3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動
     をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものにつ
    いては、この限りでない。

現行憲法では、

  『信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。』

ですが、自民党は、『何人に対しても』を削除しました。 と言う事は、誰でもが保障されないと言う事です。 貴方は、保障するが、貴方は保障できない。だから、逮捕拘留する。 となるわけです。

ほら、、また出ました。

  第21条(表現の自由)
  1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
  2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、
     並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
  3 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。

前項の規定にかかわらず、、、、これは、前項の規定は存在しないと言う事です。 『公益及び秩序を害することを目的』という、この判断は、誰がするのか。 警察が、公益及び秩序を害すると認めれば、即刻、逮捕拘留されるという事です。

  第24条(家族、婚姻等に関する基本原則)
  1 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わ
     なければならない。

さてさて、、同性愛や、非嫡出子(婚外子)の相続分や、いろいろな部分で、確実に人権が踏みにじられる事が発生するでしょう。 でも、いいんです。多くの国民は、自民党の改憲案を知らないで、そのまま投票するんですから。

江戸時代に逆戻り、、、、

  第36条(拷問及び残虐な刑罰の禁止)
     公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する。

これも、何ら上思議じゃないんですが、現行憲法では、『残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる』なんですよ。 ほらね、、、、『絶対』が消されています。 と言う事は、場合によってやってもいいんです。 石を抱かせるのも。

東条内閣の再臨です。

  第66条(内閣の構成及び国会に対する責任)
  1 内閣は、法律の定めるところにより、その首長である内閣総理大臣及びその他の
     国務大臣で構成する。
  2 内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。
  3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う。

問題は、第2項。 『現役の軍人であってはならない』ということは、昨日まで軍人で退職すれば、なれるという事。 どうです???? 大臣が、全員軍人だった人だったとしたら、、、、、、、

さて、、 弁護士会は、どんな判断なんでしょうね。

  第77条(最高裁判所の規則制定権)
  1 最高裁判所は、裁判に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に
     関する事項について、規則を定める権限を有する。
  2 検察官、弁護士その他の裁判に関わる者は、最高裁判所の定める規則に従わなけれ
    ばならない。

弁護士も、最高裁の規則に従わないといけない。 違反すれば、弁護士資格剥奪ってね。
現行憲法では、 2 検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない。 だけなんです。
ほら、、ね。 検察官って、特捜などなどで、好き放題、だれでも犯罪者にできるんですよ。 でも、弁護士は、なかなか、、それができない。 でも、これで、弁護士も、、いいなり。

  第十章 最高法規
  第97条
     この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力
    の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に
     対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

この条文、自民党案では完全に消去されました。 憲法学及び憲法史を塗り替える、世界的大犯罪になります。 だから、世界の拳法学者から、自民党改憲案が、あまりにも恐ろしいものだとの指摘があるのでしょう。

そして、究極の、、、自民党案。

世界に誇れる日本国憲法の 第99条 もちろん、これは、現行です。 どおか、よくよく、読んで理解して下さい。 ほとんどの社会科教師が絶対に教えない部分です。

  第99条
     天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し
     擁護する義務を負ふ。

そして、自民党案。

第102条(憲法尊重擁護義務)
   1 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
   2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

これ以上は無いでしょ。 国民が、憲法を尊重しなければいけない。

天皇は、憲法を尊重も擁護もしない。 極めつけの特権階級であり、現人神になるんです。 そして、大臣から公務員は、擁護するだけ。 尊重はないんです。

国民は、尊重しないといけない。

すごく大事な部分です。

憲法は、国家など権力者が、主権者の人権を最大尊重させる為に存在するんです。 だから、国民が憲法を遵守する必要は無いんです。 これは、近代立憲主義の常識であり、世界の常識です。

世界に誇れる日本国憲法は、この常識を完全に貫いています。

しかし、

ニッポンの自民党は、国民が尊重する憲法にしたいんです。 人権よりも、公益が優先される。それを、あらゆる場所で言い放っています。公益が人権よりも優先されるというのは、北朝鮮。中国。中東の国など、世界の中で、日本人が、『怖い』という国です。

貴方は、自分の国が、それ以上に恐怖の国になってもいいんですか?????

自民党の改憲案に賛成し、自民党に投票するのは、正しく、自殺行為でしかないのです。