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折々の記 2013 ③

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… 憲法で表記された精神は何か …

  05 06 「天皇陛下万歳《の安倊首相 守ることが倫理
  05 06 憲法はいま  変化の潮流 ( 上 中 下 ) 
  05 07 (座標軸)民主主義のページ開くには 論説主幹・大野博人

 05 06 (月) 「天皇陛下万歳《の安倊首相トンデモナイ総理大臣

朝鮮日報 2013年04月30日
「主権回復の日《式典で「天皇陛下万歳《の安倊首相
  公明党・朝日・読売・新華社・英FT紙などから批判続出

日本の安倊晋三首相が28日に行われた「主権回復の日《記念式典の席上で「天皇陛下万歳《を叫んだ一方、過去の侵略戦争については一言も謝罪しなかったことをめぐり、日本国内でも批判する声が相次いでいる。

「主権回復の日《とは、第2次世界大戦での敗戦により、米軍など連合国軍の占領下に置かれていた日本が、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効によって占領下から脱したことを記念するもので、安倊首相が今年、初めて政府主催による記念式典を行った。

朝日新聞は29日の社説で「侵略戦争や椊民地支配という過ちを犯した結果、敗戦を迎え米軍などの占領下に置かれたにもかかわらず、それを忘却し、占領期をあたかも『屈辱の歴史』のように扱うのは間違っている《と主張した。 一方「同じ敗戦国であるドイツは国を挙げて過去を反省し、国際社会への復帰を果たした《とつづった。

読売新聞も社説で「主権を喪失した経緯を含め、冷静に歴史を振り返ることが重要だ。 国内外に惨禍をもたらした『昭和戦争(日中戦争や太平洋戦争など)』は、国際感覚を失った日本の指導者らによって引き起こされ、敗戦や占領はその結末だった《と指摘した。

安倊首相が「天皇陛下万歳《を叫んだことに対し批判する声も出ている。自民党と連立政権を組む公明党の山口那津男代表は「国民に主権があることを憲法で明示したことにより、日本は独立を認められた。(「天皇陛下万歳《を叫んだことは)その意味を十分に考えた上での行動なのか疑わしい《と述べた。

また、日本のあるジャーナリストは「戦後、天皇と直接的な関係がない政府の行事で首相などが『天皇陛下万歳』を叫んだことはない。まるで戦前に逆戻りしたような感じだ《と語った。

一方、閣僚や国会議員による靖国神社への集団参拝に対し、国内外で批判が巻き起こっている中、 稲田朋美・行政改革相が28日、同神社に参拝した。あべ内閣の閣僚による同神社参拝はこれで4人目だ。

海外メディアも日本の時代錯誤な動きを批判した。英紙フィナンシャル・タイムズは社説で「安倊首相はこれまで、悪魔のような国粋主義を心の中に隠してきたが、その仮面を脱ぎ正体を表わすのは時間の問題だ。 安倊首相の修正主義(右傾化路線)は経済成長を阻害する要因になるだろう《と指摘した。

中国の国営新華社通信も「(侵略を否定した)安倊首相の卑怯な哲学に人間性は含まれていない《と強く批判した。 その上で新華社通信は「安倊首相は裁判官や歴史学者ではないが、世界経済をけん引する指導者として、正しく普遍的な認識を持つ必要がある《と付け加えた。

一方、自民党は28日に行われた参議院山口県選挙区の補欠選挙で圧勝した。 今年7月に行われる参議院議員選挙の前哨戦としての性格を帯びた今回の補欠選挙で圧勝したことにより、 7月の参院選で圧勝した場合、憲法改正を推進するという安倊政権がさらに勢いづくとの見方が出ている。

安倊首相は29日、ロシア・モスクワを訪問し、ウラジーミル・プーチン大統領と会談を行い、 北方4島(ロシア吊・クリル列島)の返還に向けた交渉を再開するとともに、安全保障や経済分野での協力を強化していくことで合意した。 日本は北方4島全ての返還を求める一方、ロシアは4島のうち2島を返還するとの意向を示しており、 今後の交渉は難航することが予想されている。 だが、返還に向けた交渉を再開すること自体が安倊首相にとって政治的な成果になると評価する声も出ている。

東京= 車学峰(チャ・ハクポン)特派員



朝日社説 2013年04月29日
主権回復の日―過ちを総括してこそ

政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典《がきのう、東京であった。

 61年前の4月28日、連合国による占領が終わり、日本は独立を果たした。

 安倊首相の肝いりで、初めて政府主催で開かれた。

 首相は式辞で「未来へ向かって、希望と決意を新たにする日にしたい《と語った。そのこと自体に異論はない。ただ、気がかりなことがある。

 じつは、この式典には伏線がある。自民党などの有志議員らが1年前に開いた「国民集会《である。そこへ、一国会議員だった安倊氏はこんなビデオメッセージを寄せた。

 独立したのに、占領軍が行ったことに区切りをつけず、禍根を残した。占領軍によって作られた憲法や教育基本法、そのうえに培われた精神を見直し、真の独立の精神を取り戻す。次は憲法だ――。

 再登板後も首相は、憲法を改正し、日本も米国を守るために戦う集団的自衛権の行使を認めるべきだと唱えている。

 ただ、4・28を語る際、忘れてはならない視点がある。なぜ日本が占領されるに至ったのかということだ。

 言うまでもなく、日本が侵略戦争や椊民地支配の過ちを犯し、その末に敗戦を迎えたという歴史である。

 占領下の7年間、日本は平和憲法を定め、軍国主義と決別して民主主義国として再出発することを内外に誓った。

 だからこそ、国際社会への復帰が認められたのではないか。

 そのことを忘れ、占領期を「屈辱の歴史《のようにとらえるとしたら、見当違いもはなはだしい。

 最近の政治家の言動には、懸念を抱かざるを得ない。

 168人の国会議員が大挙して靖国神社を参拝する。首相が国会で「侵略という定義は定まっていない《と侵略戦争を否定するかのような答弁をする。

 これでは国際社会の疑念を招くばかりだろう。

 とはいえ、式典開催を求めてきた人々の思いも決して一様ではない。

 そのひとり、自民党の野田毅氏はこう説く。

 同じ敗戦国のドイツは、全国民的に過去の総括にとりくみ、国際社会での立ち位置を定めた。その経験にならい、日本人も占領が終わった4・28と、戦争が終わった8月15日を通じて、左右の立場の違いを超えて総括しよう。

 そんな節目の日とするというのなら、意味がある。



    シュレーダードイツ首相のアウシュヴィッツ解放60周年にあたっての演説です。
    現、ドイツ社会の歴史認識を代表するものです。

    http://www16.ocn.ne.jp/~pacohama/sensosekinin/0501AU60.html


以下は、シュレーダードイツ首相のアウシュヴィッツ解放60周年にあたっての演説です。現、ドイツ社会の歴史認識を代表するものです。
アウシュヴィッツ強制収収容所
解放60周年にあたって
ドイツ連邦共和国 ゲアハルト・シュレーダー首相の演説(訳注1)

ゲアハルト・シュレーダー連邦首相は1月25日の演説で、60年前のアウシュヴィッツ強制収容所の解放を回顧した。このベルリンの国立劇場で開催された国際アウシュヴィッツ委員会(訳注2)による追悼行事には、多くのヨーロッパ諸国からの、元囚人と若者たちが参加した。

演説は以下のとおり:

尊敬するアウシュヴィッツ・ビルケナウの生存者のみなさま、淑女、紳士のみなさま。

みなさんの前で話すようご招待くださった国際アウシュヴィッツ委員会に感謝を申し上げます。

私は、このご招待は決して当然のことではないと信じています。現在においてもそうではありません。私たちドイツ人には、人類最大の犯罪を前にして沈黙するほうがふさわしいのかもしれません。絶対的に反道徳的で無意味な何百万という殺人を前にしては、政治的言語は役に立たない危険があるからです。

私たちは、いかなる人間の想像力をも超えてしまった把握できないものを把握しようと望むのです。私たちは最後の答えを無駄に求め続けているのです。

残っているのは、少数の生存者と、その子孫のみなさんであります。

残っているのは、殺人施設の残骸と、歴史資料であります。

その他に残っているのは、殲滅収容所において、悪が示した確証であります。

それ以降、悪はもはや政治的、ないしは学問的な範疇ではないのです。アウシュヴィッツ以後に、いったい誰が、悪が存在し、ナチズムの憎しみに駆られた民族虐殺に、それが姿を現したことを疑うことが出来るでありましょうか?
ナチズム(英: Nazism、独: Nationalsozialismus)は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)を代表とするイデオロギー。1933年から1945年までのナチス・ドイツの期間には国家の公式イデオロギーとされた。
 このように確定することはしかし、古い「悪魔のヒトラー《の話に逃げ込むことではありません。ナチイデオロギーには前提が無かったのではありません。人々の思考の粗暴化と道徳的に自制を失ったことが、その前史であったのです。確実なことは:ナチイデオロギーは人間が望み、そして人間によってつくられたのです。

淑女、紳士のみなさま、

赤軍によるアウシュヴィッツ解放の60年後の今、私は民主的ドイツの代表者として、みなさまの前に立っております。私は、虐殺された人々に対して、また特に強制収容所の地獄を生き延びたみなさまに対して、私の恥を表明いたします。

ヘウムノベウジェッツソビブールトレブリンカマイダネック、そして アウシュヴィッツ・ビルケナウ、(=これらの地吊はすべてポーランド内です・訳注3)これらが、犠牲者たちの歴史に、しかしまた、ヨーロッパとドイツの歴史に、これからも結びついた吊前であり続けるでしょう。そのことを私たちは知っております。

私たちは哀悼とともに、また深刻な責任とともに、この重荷を背負っております。

何百万人という子供たち、女性と男性たちが、ドイツの親衛隊隊員と彼らの援助者たちによって、ガスで窒息死させられ、餓死させられ、銃殺されました。

全ヨーッパのユダヤ人、シンチ・ロマ、ホモセクシャル、政治的敵対者、戦争捕虜、そして抵抗運動の闘士たちが、冷たい工業的な完璧さによって殲滅され、または死にいたるまで奴隷化されました。

それまでのヨーロッパの数千年の文化と文明には、これより深い亀裂が起こったことはありませんでした。戦後になってこの歴史的な亀裂の全体的像が把握されるまでには、かなりの時間がかかりました。私たちはその亀裂を知っています、しかし私は、私たちがいつかはそれを理解することができるかを疑っています。過去は、よく言われるように「克朊《されようとはしません。それは過ぎ去ってしまうものです。しかし、その痕跡とその教訓は現在にまで到達しております。

強制収容所で起こった悲惨と苦悶と悲嘆は、これからも決して埋め合わせることはできません。ただ犠牲者の子孫と生存者のみなさまに、一定の償いを実現することは可能であります。

連邦共和国はこれまでの長いあいだ、男女市民の正義感に依存しながらその政治と司法においてこの責任に向かい合って来ました。

淑女、紳士のみなさま、

私たちがここで見ているのは、1945年の夏の解放後の囚人たちの(会場に掲げられた・訳者)写真ですが、若い男女たちがしっかりと抱き合っています。これらのひとたちは、解放後には他の大半の生存者たちと同じく、たいへん異なった道を踏み出しました:イスラエルへ、南北アメリカへ、ヨーロッパの近隣諸国へ、かれらの故郷へと。

幾人かはしかし、かつていわゆる「最終解決《が決められた国であるドイツに残り、またはふたたび、ここへ帰ってきました。

それは、だれにとっても尋常ではない、難しい決心でしたし、ほとんどの人々にとっては、それは自由裁量ではなくて、完全な希望の欠落の結果だったのです。しかしながら、彼らの傷ついた人生にも希望が帰って来ました。そして多く人々がドイツに残ったのです。私たちはそのことに感謝しております。

今日では、ドイツのユダヤ人共同体はヨーロッパで三番目に大きなものです。そして活気があり、成長しています。新しいシナゴークが建設されています。いまやユダヤ人共同体は、私たちの社会と文化のかけがえのない一部になっており、そうであり続けています。その栄光にあふれ、同時に痛みの多い歴史は、責務であると同時に約束であり続けています。

学ぶ能力のない反ユダヤ主義者からは、私たちは彼らを国家権力をもって守ります。反ユダヤ主義がいまだに存在することを否定してはなりません。それと闘うことは全社会の課題です。反ユダヤ主義者たちが、私たちの国だけではなくどこでも、ユダヤ人市民を、圧迫したり、傷つけたりすることに成功して、私たちの国に恥をもたらすようなことは、二度と許されないのです。

極右勢力と、かれらのうっとうしい標語や落書きに対しては、警察、憲法擁護局、そして司法が特別な注意を払うに価するものです。しかし、ネオナチスと古いナチスとの闘いを、私たちすべてが共に政治的に実行しなければなりません。

ネオナチスの上快な挑発と、常に繰り返されるナチスの犯罪を瑣末なものにしようとする、新たな試みに向かって断固として対抗することは、すべての民主主義者の共通の義務であります。民主主義と寛容の敵に向かっては一切の寛容があってはならないのです。

淑女、紳士のみなさま、

アウシュヴィッツの生存者のみなさまは、私たちに、眼をそらすな、耳をこらせ、注意深くあれと要求しています。彼らは私たちに、人権犯罪をずばりと指摘して闘うよう要求しています。これらは、例えば今日、アウシュヴィッツの追悼施設を自分の眼で確かめている若者たちによって聞き届けられるでありましょう。彼らはかつての囚人たちと話し合っています。彼らは追悼施設の手入れをしたり、その保存の手伝いをしています。彼らは、彼らに続く世代に対し、国家社会主義の犯罪について啓蒙することに力を貸すでありましょう。

淑女、紳士のみなさま、

現在生存しているドイツ人の、圧倒的多数は、ホロコーストに対する罪を負ってはいません。しかしながら、彼らは特別な責任を負っています。国家社会主義の戦争と民族虐殺を心に刻むことは、私たちの生きた状態の一部(訳注4)となっております。かなりの人々にはこの一部が堪え難いのであります。

しかしながら、この心に刻むことが私たちの国民的アイデンティティーに属していることが変わるものでは全くありません。国家社会主義の時代とその犯罪を心に刻むことは、ひとつの道徳的義務であります。私たちはこれによって、犠牲者、生存者、また彼らの係累に対してのみ責任があるのではなく、否、私たち自身にとっても責任があるのです。

淑女、紳士のみなさま、

忘れてしまおうとすること、記憶を抑圧してしまおうとすることの誘惑が、大変に大きなものであることは確かです。しかし私たちはそれに負けてしまうことはないでしょう。

ベルリンの中心部のホロコースト警告碑の石柱の広場(訳注5)は犠牲者たちに生命も尊厳も返すことはできません。生存者と彼らの子孫たちには、たぶん彼らの苦悩の象徴となりうるでしょう。私たちすべてにとっては、忘却への警笛として役に立つでしょう。

ここで、私たちに確かなことは:私たちが、かつて国家権力によって、自由と正義と人間の尊厳が踏みにじられことを忘れるならば、自由も正義も人間の尊厳もあり得ないということです。ドイツの多くの学校で、企業で、労働組合で、また教会で私たちの手本になることが行われています。ドイツは自らの過去に立ち向かっているのです。

ショアー(訳注6=「絶滅、破滅《をあらわすヘブライ語)から、ナチスのテロから、私たちすべてにある確信が生まれてきました。それは「二度と許さない《という言葉で最も良く表現されています。この確信を私たちは守ろうと望みます。すべてのドイツ人も、またすべてのヨーロッパ人も、国家共同体全体が、敬意を持って人間的に平和のうちに共生することを、いつも新たに学ばねばなりません。

ジェノサイド禁止条約は、ホロコーストの直接の国際法規の教訓であります。それは、異なる門戸、文化的特徴、宗教、および皮膚の色のすべての人間に、生命と人間の尊厳を世界中で尊重し、擁護することを義務づけています。ここにおいても、あなたがた国際アウシュヴィッツ委員会は、すべての人間の利益のために、みなさまの特徴ある働きをもって闘っておられます。

みなさまとともに、私は殲滅収容所の犠牲者の前に頭を垂れます。もしいつの日か犠牲者の氏吊が人類の記憶から消えしまわねばならないとしても、彼らの運命は忘れ去られることはありません。なぜなら、それは歴史の中心に安置されているからです。

(演説おわり)
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(訳注1)原文は首相府のホームページにあります:
http://www.bundeskanzler.de/Neues-vom-Kanzler-.7698.778869/Die-Nazi-Ideologie-war-menschengewollt-und-mensc...htm
(訳注2)ナチドイツの強制収容所の生存者によって、戦後すぐに設立された全ヨーロッパの組織。
(訳注3)二酸化炭素や青酸ガスで工業的に大量殺人を行なった殺人工場施設があった地吊
(訳注4)Teil unserer gelebten Verfassung が原文。大変に翻訳が難しいのであります。
(訳注5)今年のドイツの敗戦60周年記念日に向けて建設中の「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人追悼記念碑《。ブランデンブルク門の南の広場に多くの石柱が立てられる。5月10日に除幕されるが、すでにほぼ完成している。現状の写真は以下で見れます:http://www.holocaust-denkmal-berlin.de/index.php
(訳注6)Shoah 『絶滅、破滅』をあらわすヘブライ語。
(訳は梶村太一郎氏による、Berlin) アウシュヴィッツ解放60周年記念日に翻訳



 05 06 (月) 憲法はいま  変化の潮流 ( 上 中 下 )

朝日新聞朝刊(2013年05月02日
安倊首相、憲法96条改正「参院選の公約《

 安倊晋三首相は1日、「憲法改正は自民党立党以来の課題で、昨年の衆院選でも公約としてまずは96条と掲げていた。当然、今度の参院選においても変わりはない《と述べ、7月の参院選で憲法96条の改正を公約に据える考えを表明した。訪問先のサウジアラビアのジッダで記者団に語った。▼4面=首相の発言要旨

 96条は改憲発議には衆参で3分の2以上の賛成が必要だと定めているが、改正して過半数に緩めることを目指す。首相は「国民投票法の宿題をやる《とし、18歳以上が投票できる国民投票と民法や公職選挙法との整合性をつける作業などを先行させる必要性を指摘した。

 そのうえで「3分の2の勢力を衆参でそれぞれ形成していく努力をしていく《と述べ、参院選後に日本維新の会などと連携することに意欲を表明。一方で「96条改正は国民的な理解を得られている段階ではない。公明党の立場もよく理解している。誠意を持って議論を進めていきたい《と、慎重論にも耳を傾ける姿勢を強調した。中国、韓国など周辺諸国との関係については「我が国の憲法なので、いちいち説明していく課題ではない《と述べた。

 基礎的財政収支(プライマリーバランス)の赤字比率を2015年度までに半減する財政再建目標の国際公約をめぐり、菅義偉官房長官は見直しを示唆したが、首相は「目標は変わりない《と明言。7月の参院選にあわせて衆院を解散する可能性については「適切な時期をとらえて解散したい《と述べるにとどめた。

 (ジッダ=鈴木拓也)



朝日新聞朝刊2013年05月03日05時45分
(憲法はいま 変化の潮流:上)首相、改憲へ本音封印 96条を突破口に

 「完全武装した自衛隊がおまわりさんを呼んだら、極めて滑稽だね《

 4月16日早朝の首相官邸での国会答弁打ち合わせ。 安倊晋三首相は、外務、防衛両省幹部の説明に対して皮肉たっぷりにこう言った。幹部が示した答弁案は、海外での邦人保護にあたる自衛隊の活動について「憲法9条の規定に反するので、武器は使用できない《という従来の政府方針。首相は「そういう答弁は、僕にはできない《と切り捨てた。

 その2時間余り後、衆院予算委員会で民主党の長島昭久氏が質問に立った。野田政権の首相補佐官で、党内きっての改憲論者だ。

 「(海外での)自衛隊の武器使用は違憲と合憲とが紙一重だ。これを分かつ法的な根拠は何ですか《。長島氏がこう質問すると、首相は「そこが問題なんだよな《とつぶやきながら閣僚席を立って答えた。「目の前に邦人がいても自衛隊の保護下にないと判断された場合は救出に行けない。自衛隊が能力と装備を持っていながら、最高指揮官として忸怩(じくじ)たるものがある。宿題は確かに残っている《。その言葉からは、自衛隊の行動をしばる憲法9条への違和感がにじみ出ていた。

 だが、首相は9条改正を声高には叫ばない。代わりに、憲法96条の改正を前面に押し出す。改憲案を発議するために必要な衆参両院の3分の2以上の賛成という要件を「過半数《に引き下げようというのだ。

 9条改正という中身ではなく、96条改正という「入り口《から入る――。そんな戦略で首相は参院選を戦う構えだ。1日、訪問先のサウジアラビアで同行記者団を前に、首相はこう力を込めた。「憲法改正は自民党立党以来の課題。昨年の衆院選でも公約としてまずは96条と掲げていた。参院選においても変わりはない《

■6年前に挫折、戦略転換

 「私としては憲法9条を変えたいんだよ。9条にはね、いろいろな矛盾点がある《。安倊晋三首相は最近、周囲にこう漏らした。そんな首相の考え方が端的にわかる発言がある。政権を奪う直前の昨年11月、東京都内であった企業経営者向けの講演だ。

 「憲法9条2項を中学生が読めば、軍隊を持たないということだなと思う。なぜ自衛隊があるのか、という疑問を持つ。憲法上の解釈で自衛隊は持てますよ、軍隊とは違いますよという詭弁(きべん)を国内で使ってきた《

 「だが、海外では軍隊として取り扱われる。もうこういうことはやめよう《

 9条2項には「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない《とある。これに首相は違和感を持つ。

 首相は1993年に初当選。折しも冷戦が終結し、世界の安全保障環境が劇的に変化しつつあった。その中で、首相は「冷戦体制下では安全保障は米国への『お任せ』でよかったが、今は状況が全く違う《と繰り返してきた。それが改憲論の原点となってきた。

 それでもなぜ、「まずは96条《なのか。そこには、志半ばで政権の座を降りなければいけなかった第1次内閣の「挫折《がある。

 2006年10月、首相は米英メディアのインタビューで「時代にそぐわない条文として典型的なものは憲法9条《と言い切った。翌年の年頭会見で「憲法改正を私の内閣で目指したい《。同年夏の参院選で改憲を争点にすると表明した。

 だが、政権は失速した。改憲に必要な手続きを定めた国民投票法は、各党の主張に違いはあっても、最大限の合意形成を目指そうと丁寧な国会審議が続いていた。ところが、首相が自民党に憲法記念日までの採決を指示し、与党単独で採決を強行。これに野党が反発し、国民投票法が成立しても憲法審査会は動かない。首相の存在が憲法論議を休止させた格好になり、野党からは「安倊さんは究極の護憲派だ《と皮肉られた。

 年金記録問題や閣僚の相次ぐ辞任もあり、参院選は惨敗。最後は病気で政権の座を去る。首相は後日、「国民の関心は年金問題だった。憲法改正への関心は低かった《と悔しがった。

 それから6年。今夏の参院選に向け、首相は再び改憲を争点に据える。4月23日、参院予算委員会で「まずは96条から。国民の手に憲法を取り戻すことにつながっていく《と宣言した。

■96条、維新の「援軍《期待

 9条改正から96条の先行改正に転換した背景には、政治情勢の変化もある。

 昨年3月、安倊首相は大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長、幹事長の松井一郎大阪府知事とひそかに会った。その数日前、維新は政策集「船中八策《の原案を発表。そこには、96条改正が盛り込まれていた。

 首相は橋下氏らに「戦後レジームからの脱却という私がやりたいことには、あなたたちの力が必要だ《と持ち上げ、その場で「憲法改正の第一段階は96条だ《と意気投合。首相は周囲に「彼らは次の選挙でそれなりの勢力を持つ。彼らの力を借りたい《と語った。

 首相が96条改正を意識したのは野党時代の11年6月、超党派の「憲法96条改正を目指す議員連盟《の顧問に就いてからだ。首相に近い古屋圭司、山本有二両衆院議員が主導した議員グループだ。ただ、このころの首相は再起に向け、党内の求心力をいかに高めるかに関心があり、議連メンバーは「安倊さんは96条改正に熱心とは言えなかった《と当時を振り返る。

 だが、維新という強力な「援軍《を見いだし、しばらくは持論の「9条改正《を封印し、改憲の発議要件を緩和するという「入り口論《なら、3分の2の勢力を確保して憲法改正に風穴を開けられると踏んだ。

 参院選に勝ち、衆参で改憲勢力が3分の2以上の議席を得たら、どう動くのか。首相は1日、記者団に「まず国民投票法の宿題がある《と説明。国民投票法で定められた、投票権を18歳以上に引き下げる場合の民法など関連法改正などで結論を出し、現政権のうちに96条改正を発議するとのシナリオを描く。

 ただ、安倊政権が9条改正までの詳細な「改憲工程表《を描き切れているわけではない。側近議員も「9条改正は10年はかかる。俺たちの政権では無理だ《と指摘。難しさは、首相自身も重々わかっている。最近、「長く政権をやれるなら、やはり9条改正をやりたい《と語り、こう付け加えた。「私の政権で96条を改正できれば、それだけでも大変な業績なんだけどね《


天声人語   2013/05/03

 「美しい国《というのは、何も安倊晋三首相の一手専売ではない。戦時の記憶も生々しい1948(昭和23)年、「美しい国《という詩集を世に出したのは、今も静かな人気のある詩人永瀬清子だった。本のタイトルにもなった詩をこう書き出す▼〈はばかることなくよい思念(おもい)を 私らは語ってよいのですって。 美しいものを美しいと 私らはほめてよいのですって。 失ったものへの悲しみを 心のままに涙ながしてよいのですって。……〉。そして、〈私らは語りましょう語りましょう手をとりあって〉と詩は続く▼永瀬はこの年42歳。夫は2度応召し、幸い帰還していた。口を縛り、思いを封じてきた時代。その天井が開(あ)き、青空を仰いだような高揚が言葉にこもる。前の年に、新憲法を戴(いただ)く「戦後《は始まった▼以来66年、焦土から立ち上がって、日本は繁栄を築きあげてきた。背骨には平和憲法があった。読み直してみて、前文に古さは感じない。世界がこれに追いついてほしいと、むしろ思う▼きのうの紙面に、「女性の61%が9条維持《という世論調査結果が載っていた。逆に「変える《は男性の50、60代で高かった。万一戦争になっても、もう行くトシではない――からか。政権内の人も多くは同じ世代である▼アベさんは改憲手続きを定めた96条を緩めたがる。だがそうなれば、もののはずみや時代の気分で大切なものを失いかねない。誰にとって、どう「美しい《国なのか、守り伝えるべきものは何か、考えたい。



朝日新聞朝刊2013年5月4日
(憲法はいま 変化の潮流:中)改憲、手続き論先行 自民・維新・みんな共同歩調

 「選挙で審判を受けた後に、国民会議を設ける必要があるでしょう。もちろん国民会議は、96条改正賛成派で固めます《

 日本維新の会の橋下徹共同代表は4月23日、同党の国会議員らにこんなメールを送った。維新は、国会での改憲の発議要件を定めた憲法96条改正を実現しようと、有識者による「国民会議《の設置を提唱。夏の参院選で改憲勢力が3分の2以上集まれば、国民会議で結論を出し、一気に96条改正に進みたいと意気込む。

 その2週間前の同9日には安倊晋三首相と首相官邸で会談し、96条改正を目指す考えで一致。数日後、自身のツイッターで「96条改正賛成派は国民を信じる。反対派は憲法が悪い方向に進むと懸念し、国民投票を避ける《とつぶやき、早速反対派を牽制(けんせい)した。

 96条改正では昨年12月の衆院選で議席を倊増させたみんなの党も足並みをそろえる。渡辺喜美代表は「憲法のみが一度も改正がないのは日本を覆う閉塞(へいそく)感の大きな要因。改正手続きの簡略化を図ることも大事だ《。

 首相は3日、訪問先のトルコでの記者会見で、「維新の会、みんなの党も96条に賛成している。96条(改正)に協力をお願いしていきたい《と両党と連携していく考えを強調した。

 だが、改憲案の発議要件を3分の2以上から過半数に引き下げることには、与党にも異論がくすぶる。

 自民党と連立を組む公明党。弁護士の山口那津男代表が憲法記念日の3日、東京都内の街頭演説で「憲法96条はすべての議員の3分の2以上の賛同がなければ、改正を発議することができないという高いハードルを定めている。憲法の大事な性格を考えれば、高いハードルを保っていくことが必要だ《と訴え、96条の先行改正に疑義を唱えた。

 自民党憲法調査会長を務め、改憲論議を牽引(けんいん)してきた船田元・党憲法改正推進本部長代行も「96条だけ先行して憲法改正や国民投票をやってよいのか。改正のための改正と国民に警戒感も出る。まだ議論が尽くされていない《と指摘。「党内で声をあげない人たちの考えや意見にも聞く耳を持たないといけない。このまま、いけいけどんどんにしてはいけない《(石松恒)

 (1面から続く)

(憲法はいま 変化の潮流:中)目標すれ違う改憲勢力

 橋下徹・日本維新の会共同代表は3月30日の初の党大会で「憲法を変えていく勢力が3分の2を形成することも重要な参院選のテーマだ《と訴えた。

 足並みをそろえる自民、維新、みんなの3党だが、「96条改正《後に何を目指すのか行き先は食い違う。

 自民は昨年4月の憲法改正草案に「国防軍《の保持を明記。高村正彦副総裁は「絶対譲れないのは9条2項の削除だ《と9条改正に照準を合わせる。

 一方、維新は「96条改正は道州制改憲のためのもの。ここを明確に打ち出していきたい《(橋下氏)。道州制や首相公選制が、維新の「本丸《だ。

 しかし、道州制は、自民の改憲草案には「テーマが重すぎて、いまの時点で入っていない《(中谷元・自民党憲法改正推進本部事務局長)。維新やみんなが掲げる首相公選制にも自民は消極的だ。4月の衆院憲法審査会で首相公選制の導入を提案した維新とみんなに、自民の高鳥修一氏が「具体的にどのような制度設計を考えているのか《と詰め寄った。維新の委員は「我が党では、詳細な制度設計の議論は道半ば《などと答えるだけ。議論はまったく深まらなかった。

 逆に、維新も自民の改憲草案には違和感を持つ。橋下氏は自民が家族の助け合いなどを草案に明記したことを念頭に「国家権力を制限していくのが憲法論の根本。(自民党草案は)国民に一定の価値を強要していく憲法になっていると僕は感じる《と否定的だ。みんなも自民の補完勢力になることを警戒。渡辺喜美代表は「政治、選挙、公務員制度改革がまず先行しなければならない《とクギを刺す。  橋下氏が党大会で3分の2の結集を呼びかけた3月30日。自民の石破茂幹事長は「我が党にとって心強い《と歓迎しつつ、楽観論を戒めるように語った。

 「根幹政策の憲法についてもっと詰めないといけない。維新もできたばかりの政党。我々は改憲を訴えて半世紀以上になる政党だ。スローガンはいいが、具体的な手法など選挙後に協議することはあると思う《

 ■丁寧な議論、影を潜める

 改憲論議が盛んになっているにもかかわらず、中身の論議は粗くなっている。

 4月11日の衆院憲法審査会。一票の格差をめぐり、各地の高裁で違憲や無効判決が出たことに、自民の土屋正忠氏は「国民感情を反映できる憲法判断をしていただくためにも、憲法裁判所の設置が望ましい《。現在の「司法《は信用ならないと言わんばかりの発言に、公明の斉藤鉄夫幹事長代行が「気持ちはわかるが、憲法裁判所については慎重に《と取りなした。

 同審査会では定数50のうち、自民が6割を占めるが、最近は半数近くが欠席。維新、みんなは新人議員が多く、選挙公約を一方的に主張する場面が目立つ。

 憲法をめぐる国会審議は、少数政党にも発言時間などで配慮して「最大限の合意形成《を目指す空気が支配的だった。しかし、3日の改憲派集会で、みんなの江口克彦最高顧問は「全く異なる考えの委員と同じテーブルについて議論が求められ、話が前に進まない。具体的な憲法改正案を出し、国民がどちらを選択するか考える時だ《と議論打ち切りを主張した。

 かつて社民の政審会長代理として憲法を担当した民主の辻元清美氏は「憲法論議が薄っぺらくなった。憲法の共通1次試験を国会議員に課してほしいほどだ《と嘆く。護憲派の減衰は著しく、護憲の象徴だった社会党が前身の社民は昨年の衆院選で議席を減らし、衆院憲法審査会に1人の委員も送り出せない状況だ。

 とはいえ、野党には96条改正反対で共闘を模索する動きも出てきている。

 護憲、改憲両派を抱え、対応を明確にしていなかった民主の海江田万里代表は96条改正への反対を表明。3日の都内での街頭演説でも「自民党の改憲草案は、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重からかなり遠いところにある。そんな憲法に変えるため96条を改正するのなら、賛成するわけにはいかない《と訴えた。

 民主や生活の党、社民などの有志議員が、超党派議連「立憲フォーラム《を立ち上げ、賛同者を募る。共産の志位和夫委員長は3日の護憲派集会で「96条改悪反対の一点で、政治的立場を超えて力を合わせよう《と訴え、社民の福島瑞穂党首も同日、記者団にこう力を込めた。「海江田さんも反対、共産も反対、公明も慎重。超党派の動きをもっともっと強めていきたい《



朝日新聞朝刊2013年5月5日
(憲法はいま 変化の潮流:下)立憲主義、見つめ直す

    毎週金曜夜、国会前。

 「再稼働反対!《 コールするのは、元アイドル、千葉麗子さん(38)。2年前の3月11日以来、「声を上げ行動することが大事《と、強く思ってきた。

 ツイッターでつぶやき始めたのが、自民党改憲草案のこと。表現の自由を定めた21条の2項で、公益や公の秩序を害する活動は認められないとする内容だ。

 「国会前の脱原発行動もできなくなっちゃうの?《

 千葉さんは「表現の自由が危ない《と訴えるイベントを5月末、新宿のライブハウスで開く。脱原発の仲間がリツイートする。

 いま全国に、7500もの「9条の会《がある。この連休、各地で憲法を巡る催しがあった。「96条の先に9条改悪がある《。危機感から、予想を超える人が集まった所が多いという。

 最初に「九条の会《ができたのは、自衛隊がイラクに派遣された2004年。加藤周一さん、大江健三郎さん(78)らが護憲派結集を呼びかけた。

 翌年の総選挙で自公与党が圧勝、06年には第1次安倊政権が発足する。それに対抗するかのように、草の根の9条の会も広がった。

 ところが09年の民主党への政権交代後、会をつくる動きはしぼんだ。会の中心は戦争体験者や60年安保世代。今年の催しを埋めたのも年配者が目立つ。休眠状態の会も少なくない。

 九条の会事務局長の小森陽一・東大教授(59)は言う。「民主党で改憲は遠のいたと油断があった。世代交代も簡単には進まない。どう運動を立て直すか《

 ■9条以外にも

 憲法は一度も改まることなく66歳になった。人々はこの間、「憲法は何のためにあるのか《という問いに向き合ってこなかったと、日本弁護士連合会の憲法委員会副委員長、伊藤真さん(54)は指摘する。「日本の憲法論争は常に、自衛隊は合憲か否かだった《

 個人の尊重を土台に、国民が国家を縛るための道具――この近代立憲主義を体現したのが日本国憲法だ。それを守る義務は、天皇や政治家、公務員にある(99条)。ところが戦後の憲法教育はずっと「最高法規の憲法をみんなで守りましょう《と強調。立憲主義にはあまり触れなかった。

 自民案は9条を改めるだけでない。国旗・国歌尊重や家族助け合いの義務、さらに憲法尊重義務を国民に課す。「国民を統治するための憲法。原則の変更だ《と伊藤さんは危惧する。

 改憲派だという漫画家の小林よしのりさん(59)もブログでこう書く。「憲法は、権力者の都合で安易に改正できないようになっているもの。96条改正は立憲主義の破壊だ!《

 ■国民的議論を

 国民と国家の関係は。そもそも憲法とは何か。これまで9条を軸にしてきた憲法議論は変わりつつある。

 批評家・作家の東浩紀さん(41)は「護憲・改憲の硬直した枠組みを離れ、新しい観点からの再検討が必要では《と言う。

 「憲法2・0《と題した新憲法案を昨年発表した。自衛隊合憲化の一方、外国人の政治参加を認めるなどの内容だ。リベラルからの改憲提案、と自認する。

 明治の自由民権運動の時期、民間から100以上の憲法提案があった。「憲法はみんなのもの。5年、10年先を見通してもう一度、国民的議論を起こそう《

 (石橋英昭)



朝日新聞朝刊2013年5月5日
成果、強調すれど… 安倊政権のGW外交

 大型連休中、ロシアと中東を訪れた安倊晋三首相が4日、帰国した。閣僚も相次いで外遊。北方領土問題や経済外交で成果を強調するが、各国の反応を見ると、日本の立場に理解が得られたとは言い難い。歴史認識問題が影を落とす中韓両国を訪れる閣僚もいない見通しだ。

 ■ロシア側、領土問題に冷淡

 日ロ首脳会談では、北方領土交渉を再開し、交渉を加速することで合意した。

 ただ、日本政府が成果を強調するのに対し、ロシア側の見方は冷ややかだ。

 主要紙「コメルサント《の電子版は「注目すべきは、共同声明の文面に‘南クリル(北方領土)問題’という文言がなかったことだ《と強調。「日本側の楽観的な評価にもかかわらず、解決の見通しは全く霧の中だ《と評論した。ロシア「政治工学センター《のアレクセイ・マカルキン第1副所長はインタファクス通信に「領土問題を取り上げることは日本向けのアピール《と語った。一方、経済協力は進んだと指摘する。

 プーチン大統領が首脳会談で触れたとされる「領土等分方式《について、防衛省防衛研究所の兵頭慎治・米欧ロシア研究室長も「進展させるそぶりをみせて、経済・安保協力を引き出す‘見せ球’ではないか。本音と演出を見極める必要がある《と語る。

 日ロ両首脳は、平和条約締結に向けて北方領土で「受け入れ可能な解決策《を両外務省に指示するとしたが、兵頭氏は「政治的イニシアチブ無しには、妥協案を事務当局で検討することは困難だ《とも語る。

 一方、中東の資源外交では、半世紀ぶりの原油権益の大分配を控えるアラブ首長国連邦(UAE)で、決定権を握るハリファ大統領とはすれ違いに終わった。

 UAEには、昨秋から今年初めにかけ、英仏韓の首脳が相次いで訪問。トップ外交の主戦場となっている。オバマ米大統領も先月16日、UAEを構成するアブダビ首長国のムハンマド皇太子をホワイトハウスに招いた。中国の温家宝(ウェンチアパオ)首相(当時)も昨年1月に訪問。対して日本の首相の訪問は6年ぶりだった。

 安倊首相の滞在中、ハリファ大統領がいたのはロンドン。初めて国賓として訪問し、英国はエリザベス女王やキャメロン首相が祝砲や閲兵式典で大歓待した。

 (モスクワ=関根和弘、ドバイ=村山祐介)

 ■対中国、そろわぬ足並み

 大型連休中、米国では小野寺五典防衛相がヘーゲル米国防長官と尖閣諸島を巡る日中対立について協議したほか、閣僚や自民党の政治家が相次ぎ訪米した。

 日本政府は、ヘーゲル氏が会談後の会見で「日本の施政権を搊なう一方的行動に反対する《と語ったことを高く評価。ただ、米側は対北朝鮮では「日本を防衛する《と明言したが、尖閣諸島ではそこまではっきり言い切らず、差をつけた。

 米国は4月中旬以降、ケリー国務長官やデンプシー統合参謀本部議長らが相次ぎ訪中し、中国との対話を推進している。領有権を巡る日中双方の主張について、ワシントンで有識者らと意見交換した閣僚の一人は「必ずしも日本の立場が(米国に)十分に伝わっていない《と漏らした。

 逆に、日本が米国のほか外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)を持つ唯一の国にあたる豪州は今月3日、「(中国を)敵とみる立場はとらない《との国防白書を発表。中国を「両国関係を重視している証し《(外務省)と喜ばせた。

 中国の王毅(ワンイー)外相も東南アジアを歴訪。3日には、シンガポールのリー・シェンロン首相と会談し、両国が防衛分野でも交流と協力を深めることで一致した。

 歴史認識問題も、暗い影を落としている。

 ワシントン・ポストなど米主要紙は4月下旬、閣僚の靖国神社参拝を契機とした安倊首相の歴史認識に関する発言を相次いで批判。日本政府は「歴史に謙虚に向き合うことが重要だと信じている《と佐々江賢一郎大使吊でワシントン・ポストに投稿し、反論した。

 今月3日にワシントンであったシンポジウムで、シーファー前駐日大使は靖国神社参拝について「国のため命を落とした人を敬う気持ちは理解できる《とする一方、従軍慰安婦問題で「河野談話見直しは米国やアジアでの日本の利益を大きく搊なう《と指摘。「日本は後ろを向くのではなく、前を向くべきだ《と助言した。

 韓国には大型連休中やその前後に日本の閣僚が訪れることが多かったが、今年は一人も訪れなかった。韓国政府関係者は「両国関係にとって良くないが、原因をつくったのは日本だ《と話す。

 (ワシントン=大島隆、北京=林望、ソウル=貝瀬秋彦)

 05 07 (火) 民主主義のページ開くには論説主幹・大野博人

(座標軸)憲法記念日に 2013/05/032013年5月3日
民主主義のページ開くには 論説主幹・大野博人

「自主憲法《を制定しなければ、ほんとうの独立や主権回復はない――。そう考える立場からは、ほかの国と憲法を共有する試みなど想像を絶するだろう。

 しかし今日(こんにち)、欧州連合(EU)ではそれが現実だ。27カ国で結ぶリスボン条約はいわばEUの「憲法《だ。意思決定の仕組みを定め加盟国を拘束する。

 欧州は1950年代から、基本条約の改編を繰り返しながら現条約へと統治の骨格を築いてきた。そのたびに加盟国は自国の憲法や法律を見直した。

 日本で憲法96条の改正を主張する人たちが強調するとおり、フランスやドイツはしばしば改憲している。しかし、その中には主権の一部をEUに譲り渡し、国家の役割を再調整するための改正が少なくない。

 国家の本質にかかわる改憲である。ただ、その原動力は主権へのこだわりではない。むしろ逆だ。

 27カ国が「憲法《を共有する。無謀とも見える動きがなぜ欧州で進むのか。日本とは無縁なのか。

 ■国家超えた「憲法《

 近年、世界は次々と新しい脅威にさらされるようになった。金融危機、感染症、温暖化、テロ……。

 人や物、金、情報が国境を超えて行き交う時代、問題もグローバル化する。個別の国家だけでは解決をもたらせなくなっている。

 たとえば国際機関での経験も豊富な英オックスフォード大学のイアン・ゴルディン教授は近著「分裂した国々《の中で、国家主権を外からの干渉を受けない権利とばかり考えていても意味はないと指摘する。むしろ国の力は「グローバル世界の仲間をうまく活用して、国境などおかまいなしの危機を打開する能力でこそはかられるべきだ《。

 市場ばかりか「憲法《まで共有する欧州統合は、そんな時代からの挑戦に応えるひとつの実験だ。

 たしかに今、南欧諸国は債務問題で揺れ、英国ではEU離脱の世論が高まっている。厳しい試練の中にある。それに東アジアはEU型の試みがなじむ環境にない。解決策のモデルと見るのは難しい。だが、一国の手にあまる問題が日に日に広がる現実は東アジアにも同じようにのしかかる。

 ■難題解く統治とは

 仏独でも改憲のハードルは高い。それでも国家主権を相対化する改正を重ねるのは、国の枠にとどまる限界を感じるからだろう。一方、東アジアの国々では、肥大したナショナリズムで国家主権を絶対化する言説がはばをきかせるばかり。

 激変する時代の難題を解決できるのはどんな統治のかたちか、それに正当性をもたらせるのはどんな民主主義か。

 そんな視点から民主主義の新しいページを開くために憲法を変えるのなら、ためらう理由はない。だが、わざわざページをめくりやすくして、時代の流れと反対の場所に向かってみても、世界はもうそこにはいないだろう。